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提案

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「アラン様、ご来客です」

父の優秀な右腕でもある執事が、珍しく困惑した表情を浮かべていた。

「旦那様かアラン様に取り次いで欲しいと、聖女を名乗る女性が訪ねてきているそうです」
「聖女だって?!あの、シクサール王国の?」

無言で頷いた執事に、アランはあらゆる可能性を考えたがどれも朗報とは言い難く、思わず顔を顰めてしまった。

「偽者だとしても面倒なことになりそうだ」

高貴な人物の身分を騙るのは重い罪に問われるし、ましてや聖女を詐称するなど国際問題にも発展しかねない。それが例え悪評高い聖女だとしても、シクサール王国の保護下にある人物が、辺境とはいえエカトス連合国を訪れたというデマが広がればそれを理由にシクサール王国が介入してくる可能性もある。

「門番が聖女としての証明を求めたところ、拒否されたそうです。そのため追い返そうとしたところ、それがベルガー辺境伯の意思と見做すが問題ないかと告げられたため私のところに話が上がってきました」

「そう言われれば話を聞かない訳にはいかないだろうな。質が悪い」

証明を拒んだのであれば一気に偽者の可能性が高くなったが、自分の要求を通そうと門番を脅してくるあたりどうも厄介な人物らしい。
真偽のほどはさておき、ベルガー辺境伯が話も聞かずに聖女を追い返したなどという醜聞が立っては困る。

不信感と嫌悪感を胸に、アランは執務室を後にしたのだった。


応接室に入ると聖女とおぼしき女性は顔を上げたが、立ち上がることもなくまっすぐにアランと目を合わせている。本物であれば淑女の嗜みとして略式であってもカーテシーぐらい取るだろうし、その装いも少し裕福な商家の娘といったぐらいでどちらかと言えば質素なものだ。

(それとも礼を尽くすまでもないと?)

内心鼻白むが、侮られている方が立ちまわりやすい。柔和な笑みを絶やさずにアランは穏やかな口調で聖女に話しかけることにした。

「このような場所で聖女様にお会いできるとは、光栄に存じます。私はベルガー辺境伯の次男、アランと申します」
「エリーと申します。この度は急な訪問にも関わらずお時間をいただきまして、ありがとうございます」

さらりと返された言葉は存外丁寧な口調で、アランは少し意外に感じた。もっと傍若無人に振舞うような人物かと考えていたが、落ち着いた表情や理知的な瞳に予断は禁物だと自分を戒める。

「この度はどのようなご用件でしょうか?」

相手の出方を見るために単刀直入に問えば、目の前の女性は何故か微笑んだ。

「その前に私の身元を明かしたほうが良いのでしょうね。アラン様には危害を加えませんから、そのままで」
「それはどういう――っ?!」

そう言って耳元の髪飾りを引き抜くと、勢いよく左手の甲に滑らせる。ナイフ程ではないが先端はそれなりに尖っているため削られた皮膚からはじわりと血が滲みだす。
痛そうに顔を顰めながら女性は手の甲をアランに向けて、反対側の手を添えた途端に血がぴたりと止まった。ハンカチで血を拭えばそこには傷一つ見当たらない。

「痛いしそれなりに力を使うからあまりやりたくないけど、証明するのにこれ以上最適な手段はありませんから。ご納得いただけましたでしょうか?」
「……ええ、十分に。大変失礼いたしました、聖女様」

武人としては父や兄には及ばないものの、アランとて魔物討伐の経験はある。嗅ぎ慣れた血の匂いを間違えるはずもなく、怪我を瞬時に癒してみせた目の前の女性が聖女であることを認めざるを得ない。

(偽者のほうがまだましだったかもしれない)

シクサール王国で丁重に扱われているはずの聖女が供も付けずに辺境伯を訪れたのだ。噂通りの悪女にも見えないことが、更にアランの不安を煽る。

「単刀直入に申し上げますと私は今回魔王陛下の代理として、陛下の治めるプラクトスとエカトス連合国との交易を結ぶための提案に参りました」

衝撃的な提案を事も無げに口にしてにこりと微笑む聖女の姿に、やはり悪女だったかなと現実逃避めいた思考がよぎる。短い言葉の中に情報が多すぎて、アランは言葉もなく固まっていた。

(提案が規格外過ぎる!何で聖女が魔王の代理など、いやそれよりも何を売るつもりなんだ?!)

タイミングよくお茶が運ばれてこなければ、アランは息をするのも忘れていたかもしれない。静かにお茶を飲みながら返事を待つ聖女に、アランは頭をフル回転しながら口を開いた。

「色々とお伺いしたいことがあるのですが、何故貴女が魔王……陛下の代理人なのでしょうか?」

「友人ということもありますが、衣食住とお世話になっておりますから代わりに出来る仕事をしているだけです。聖女という称号がいつまで使えるか分かりませんけど、ただの平民よりかは話を聞いてもらいやすいですしね」

「……聖女様はシクサール王国にいたのではありませんか?」
「ええ。ですが色々あって出奔するはめになりました」

質問すればするほど聞きたいことが増えていくことに気づいたアランは、一旦聖女の事情を脇に置くことにした。

「先ほど交易を結びたいとおっしゃいましたが、どのような商品をお考えですか?」
「良質な聖石であれば需要があるのではないかと考えておりますが、いかがでしょうか?」

言葉を切ってこちらの反応を窺う聖女にアランは心の中で気を引き締めた。聖石の元となる魔石は魔物から、またはその生息地でしか産出されないせいで採集には命の危険を伴う。そのため半分以上の聖石はシクサール王国からの輸入に頼っており、最近では価格高騰のあおりを受けて供給量が足りない状況である。

「価格によりますね。近頃になって何故か聖石の値段が上がってしまい、貴族であっても入手困難になっているぐらいなんですよ」

少しだけ含みを持たせると、聖女は僅かに目を眇める。

「あら、そうなんですね。食事もろくに提供されなかったのに、何にそんなにお金を使ったのでしょう?――もしくはこれから大金が必要なことがあるのでしょうか?」

聖女の言葉にアランはぞくりとした。思考よりも先に身体が反応したが、頭の中をいくつもの可能性が駆け巡り、最悪な可能性に思い至ると無意識に呻き声が漏れる。

「……申し訳ございません。これは私の手に余る問題ですので、陛下のご判断を仰がせていただくため、しばしお時間をいただいてよろしいでしょうか?」

「ええ、勿論。ですが、あまり時間はないかもしれませんのでお早めに。あと、これも交易が可能な証明としてお渡ししておきますね」

そう言って聖女が取り出したのは、宝石と言っても差し支えないほど美しい輝きを放つ聖石だ。通常の聖石よりも長持ちするという良質な聖石を置いて、聖女は対価を要求することもなく立ち去った。

「アラン様」
「追跡不要だ。余計なことをすれば多分こちらが危うい。それよりも早急に陛下に奏上を」

側に誰もいないからと言って本当に一人であるとは限らない。癒しと浄化の力を持つ聖女は計り知れない価値を持つし、シクサール王国に貸しを作るためにも有用な存在ではあった。そんな聖女を留め置かなかったのは、迂闊な真似をして不興を買えば危険だと本能的に感じたからだ。

窓の外に目を向ければ、遠くに大きな鳥の姿が視界に映った。聖女との面談中に感じていた気配がなくなったことを感じ取って、アランはようやく肩の力を抜いたのだった。
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