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協力体制

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木々がまばらになり街道が遠くに見えると、先導していた黒狼が足を止めた。

「ああ、案内してくれたおかげで助かった」

ディルクの言葉を聞き終わる前に黒狼は背を向けて駆け出し、瞬く間に姿が見えなくなった。本来の姿は人型ではなく、狼の姿なのだろうかと考える瑛莉の頭上で小さく溜息が聞こえて振り仰ぐと、疲れたようなディルクの表情が目に入ったが、瑛莉と目が合えば僅かに口角を上げた。

「あいつが苦手なのか?」

僅かな会話の中でもディルクが慎重に言葉を発していることに気づいたので、道中は余計なことを言わないよう口を噤んでいたが、そろそろ教えてくれてもいいだろう。

「……気を遣う相手ではあるな。ベンノはエーヴァルトの側近で忠誠心が高い反面、人間を心底憎んでいる。知り合ってだいぶ経つが、俺は未だに名前を呼ぶことも許されていない」

そこでディルクは言葉を切って、どこか躊躇うような眼差しを向けながら瑛莉に訊ねた。

「本当に――何もされてないな?人間の中でも聖女に対する憎悪は別格だ。エリーのそばにベンノの姿を見つけた時は………心臓が止まるかと思った」

エーヴァルトの名前を口にしただけで苛烈な反応を示したのはそのせいかと納得するとともに、首を摑まれたことを思い出す。

「多分大丈夫だと思うけど」

自分では見えないので布地を下げて首元を晒せば、ディルクの表情が険しくなった。短い時間だったが、強く掴まれたので痕でも残っているのかもしれない。

「別に痛みはないし、私も反撃したから痛み分けだな」

あれだけ激昂していたのにそれ以上攻撃されなかったこともあり、瑛莉は軽く流すことにした。あまり良好な関係でないのなら更に悪化させることはないだろう。
ところがディルクは予想外の反応を示した。

「反撃……?エリー、ベンノはかなり強いんだぞ?」
「んー、咄嗟に浄化したら効き目があったみたい」

一応聖女と呼ばれているのだから、そんなに戸惑うことではないだろう。そう思い平然と答えた瑛莉に対してディルクは驚愕したように目を瞠っている。

「……よく無事だったな。危険要因だと殺されても不思議じゃなかっただろうに……」

呆然としながら呟くディルクの言葉は瑛莉も同意するものだったが、エーヴァルトへの忠誠心を思えば頷ける。

「多分だけど、エーヴァルトが何か言ってくれたからじゃないのか?」
「確かにあいつならちゃんと言い含めるだろうが、何でエリーがエーヴァルトのことを知っているんだ?」

そこで瑛莉はエーヴァルトのことをディルクに伝えていないことに気づいた。色々ありすぎてすっかり伝え忘れていたようだ。

「ああ、夢で会って話した。ちょっと変わってるけど悪い奴じゃなさそうだな」
「お前は――そういう大事なことは早く言え……」

肩を落とし呆れたように告げられたが、話せる雰囲気ではなかったではないかと瑛莉は口を尖らせる。そんな瑛莉を見たディルクは何かに気づいたかのように頷いた。

「そうか、食事がまだだったな。食べながら話そう」

決して空腹だからではないのだと主張したくなったが、ディルクが取り出した干し肉を見て瑛莉は文句を呑み込み、王宮を抜け出しディルクと再会するまでの出来事を語り始めた。


「エリーはこれからどうしたい?」

話し終えるとディルクは少し考える素振りを見せていたが、静かな声で訊ねた。

「出来れば王都には戻りたくないな」

一度逃げ出した身なのだ。瑛莉を利用しようとする王家や神殿が今後は更に監視を強めるであろうことが予想される。これまでも自由だとは言い難い環境だったのに、それ以上に窮屈で不自由な生活を送ることを考えればうんざりしてしまう。

「ああ、それは俺も同様だ。討伐命令を無視して失踪したから立派な反逆者と見なされているだろうな」
「……お前こそ、そういうことは早く言えよ」

ちょうど頃合いだったからと、話の合間にさらりと騎士を辞めたことを告げられて瑛莉はじっとりした目でディルクを見た。

(私の逃亡もディルクのせいにされるんじゃないか)

オスカーやヴィクトールの性格を考えればあり得ない話ではない。ますますうんざりして溜息を吐く瑛莉に、ディルクは思いがけない提案をしてきた。

「お前ならどこでも生きる術を見つけられるだろうな。苦労も多いが少なくとも王宮よりも自由が手に入る。今の俺は騎士どころかお尋ね者だが、王家や神殿の目を欺くために死んだように見せかけることぐらいは手伝ってやれるぞ」

それは確かに瑛莉が望んでいた未来ではある。心は惹かれるが、幸か不幸か現実主義である瑛莉はそのための障害もしっかりと認識しているのだ。

「でもそれは一時的な自由なんだろう?あいつらがそう簡単に諦めるとは思わないし、いつか見つかる不安を抱えながら生きるのはごめんだな」

瑛莉の返答にディルクは僅かに目を細めた。

(これは……同情だろうか)

どこか困惑したような、躊躇うような色がよぎるが、その感情がどのような意味を持つのか瑛莉には判断できない。

「これは俺やエーヴァルトにとって都合の良い話になるが」

そう前置きしたディルクは真剣な表情で、瑛莉も背筋を伸ばして話を聞く姿勢を見せる。

「エーヴァルトはその身に膨大な魔力を持つがゆえに不安定だ。エリーの浄化の力で過剰な魔力を抑制し安定させられないかと俺は考えている。力の制御が可能になればエーヴァルトの意思に反して他者を傷付けることはないし、シクサール王国は大義名分を失う。そうすれば聖女の存在意義を失くすことにも繋がるかもしれない。まあ少々楽観にすぎるがな」

ディルクの言う通り、エーヴァルトにとっては利点がある話だ。ただ瑛莉がエーヴァルトに手を貸せば、シクサール王国からは裏切りと見なされるだろう。
とはいえ現段階でシクサール王国から特段恩恵を受けたわけではなく、召喚したことへの最低限の保証しか果たされていないと瑛莉は思っている。

(だったらエーヴァルトを手助けしたほうがましだな)

理知的な赤紫の瞳と穏やかな口調の青年は夢で一度会っただけの他人だ。だがどこか稚いような純真さや達観したような静けさに、瑛莉は疑うことに罪悪感のような躊躇いを覚えてしまう。これが魔王の力の一端かもしれないとの考えが頭をよぎるものの、疑い始めれば切りがない。

「聖女の力で魔王の力を抑制できるなら、逆もまた可能なんじゃないか?この力がなくなれば私の利用価値もなくなるし、そうすれば普通の生活を送れるようになるよな」
「それは……そうかもしれないが、いいのか?聖女の能力があればどこに行っても重宝されるぞ」

もったいないと言えば確かにその通りだ。この力があればもしもの時に大切な人の命を救うことが出来る。一方で力を持ち続ける限り、瑛莉は常に権力者から狙われるし自由な人生を歩むことは難しいだろう。

「希少な力は争いの種になるし、私の望みを叶えるには邪魔なだけだ」

ずっと以前に「先生」にだけ伝えた願いを瑛莉はまだ諦めていない。

『お前ならきっと大丈夫だ』
いつもの皮肉な笑みとは違い、「先生」は珍しく柔らかな表情で微笑んで応援してくれたのだ。

「お前の望みを叶えるために、俺が出来ることはあるか?」
「どうだろうな。だけどお前とエーヴァルトに貸しを作っておいて損はなさそうだ」

にやりと人の悪い笑みを浮かべると、ディルクはからりとした笑い声を上げた。

「倍にして返せるように頑張らないとだな。とはいえまずはエーヴァルトに会わないと話が始まらない。あいつはトルフィ村より北にあるプラクトスにいる。かつては人が暮らす小さな街だったが、今は魔力が濃すぎて魔物しか存在できないため忌地と呼ばれている場所だ。一緒に行ってくれるか?」

危険な場所に行くのだと伝え、きちんと確認を取ってくれるところがディルクの誠実なところだろう。

「ああ、代わりにちゃんと守ってくれるんだろうな、騎士様?」
「身命を賭してお守りしますよ、聖女様」

軽い口調だが、協力体制が結ばれたことを互いに示すそのやり取りに満足して、瑛莉は小さな笑みを浮かべた。
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