12 / 73
聖女の願い(ヴィクトール視点)
しおりを挟む
「あの方はとても傲慢で……はしたない振る舞いが多く、わたくし共もどうして良いか分からず困っております」
侍女長の言葉に賛同するようにバロー夫人が頷いている。涙ながらに訴えられれば流石に無視をするわけにはいかないと、重い腰を上げた。
多忙を理由にエリーとの面会を減らしたのは、彼女の瑕疵を見たくなかったからだ。召喚には代償が必要だと聞かされていたが、まさかあの場にいた神官全員の命を犠牲にするほどだとは思っていなかった。
魔王復活の兆しが確認された今、聖女召喚の絶好の機会なのだとダミアーノが熱弁するなか、国王である父があまり気乗りしない様子だったのはその対価を知っていたからかもしれない。
国の長である以上、少数の犠牲よりも多数の利益を考えるのは当然だが、人々の救済を信条とする神殿がそれを行ったことが民衆に露見すれば求心力が低下し、暴動がおこる可能性が高い。
最近は特に貴族と平民との摩擦が高まっており、犠牲になった神官は全員平民だったことからも情報の秘匿は必須だ。そんな危険を背負ってまで召喚した聖女は浄化の力も弱く、癒しの力も扱えない状態である。
そう考えればわざわざ自分の時間を割くのがもったいないと思うようになった。
そうして多少の手間と苛立ちを感じながらエリーの元を訪れた結果、ヴィクトールは思いがけない言葉を聞くことになった。
「私と婚約破棄していただけないでしょうか、永遠に」
(婚約……破棄?)
何を言われたのか一瞬理解が遅れたが、すぐに自分の気を惹くための発言だと思い至ってヴィクトールは興ざめするような思いでエリーに視線を投げる。
(少し面倒だな。大人しくて従順そうな娘に見えたのに、これだから女は嫌なのだ)
召喚した直後、困惑した眼差しでこちらを見つめてくる様子は弱々しく庇護欲をそそられたものだ。変わった格好をしていたが、艶やかなダークブラウンの髪と澄んだ瞳、すらりとした肢体は悪くないと思った。
飾り立てればそれなりの見た目になるだろうと声を掛けながら観察していた。自分の隣に立つ女性ともなれば、ある程度容姿が整っていないと釣り合わないし外聞が悪い。
「聖女殿、弁えよ!王太子殿下への不敬に当たる」
ヴィクトールの不機嫌を感じ取ったのか、護衛騎士のオスカーが諫めるように言った。第一騎士副団長であり侯爵令息もあるため身分は高い。第二騎士団と違って家柄重視の第一騎士団において武芸にも秀でているため重用している。
「弁えているからこそ辞退させていただきたいのですが、何か問題がございますか?」
不思議そうなエリーの声にオスカーが眉間に皺を寄せたが、ヴィクトールはその無知さに寛大な気分になった。
ただの愚鈍であれば論外だが、異世界から来た少女なのだ。こちらの常識に疎く知らないこともまだまだ多いだろう。
疑問に首を僅かに傾げ、答えを待つようにこちらに向ける瞳にはどこか無防備さが滲み、その稚さが心地よい。
(まあこの程度なら可愛いものか)
社交の場で出会う令嬢たちは過剰なほどに飾り立て淑やかな笑みを浮かべているが、その裏では寵を求めて醜悪な争いを繰り広げている様が透けて見え辟易とさせられる。愚かで我儘な妹のような高慢さも強欲さもうんざりだった。
「エリー、君が思っている以上に聖女は尊い立場だ。だからこそ王族と縁を結ぶことを許された特別な存在なんだよ。ただ下位の者が上位の者が決めたことを覆すのは非礼に当たるから今後は気を付けるようにね」
駆け引きにすらなっていない稚拙な言動だったが、己の立場に不安を覚えているのであれば仕方がないのかもしれない。安心して良いという意味を込めて微笑んでみせたが、エリーの表情は晴れないままだ。
「――かしこまりました」
そう言って目を伏せるエリーの素直な態度にヴィクトールは満足感を覚えた。今後エリーがもっと力を使いこなせるようになれば、婚約者としての時間を持つこともやぶさかではない。ヴィクトールの前では我儘を言わず感情を押し付けない健気さに、多少の我儘は目を瞑ってやってもよいだろうという気持ちになった。
(使用人たちには負担を掛けるが、それも仕事のうちと割り切ってもらおう)
「ヴィクトール王太子殿下、発言してもよろしいでしょうか?」
こちらの様子を窺うような口調に、ヴィクトールの機嫌は上向く。
「エリー、君は私の部下ではないのだからそんなに固い口調じゃなくていい。何か他に望みがあるのか?」
そう告げればエリーの瞳が期待に輝いたように見えた。
「外出許可をいただけないでしょうか?この国の人々の暮らしを見てみたいんです」
「市街の視察か……」
城の外に出るなら、それなりに護衛体勢を整えなければならない。あまり厳重にし過ぎれば逆に余計なトラブルを招きかねないが、聖女に万が一のことがあっては困る。
(多くて二人……そして適任なのはこの男なのだろうが――)
ヴィクトールは苦々しい思いでディルクに目を向ける。元々第二騎士団は市井の見回りや魔物の討伐任務が多く、市街の案内兼護衛などお手のものだろう。
平民出身ながら騎士団で頭角を現し、現団長であるサミュエルにその才覚を認められ昨年の魔物討伐で多大な成果を収め男爵位を授けられた男だ。気さくな態度と物腰の柔らかさと整った容貌から令嬢たちにも人気があり、妹のマリエットも熱を上げている。
そのことも不満に感じている一因だが、ディルクの絵に描いたような順調な経歴はヴィクトールの劣等感を刺激するものだった。
自分が突出したところのない凡庸な王子だと言われていることは知っている。武芸も勉学も一通り努力をしたが、何かの才能に秀でているわけでもなく、両親から褒められたこともない。
「……駄目ですか?ヴィクトール様にしか頼めなくて……」
その声にはっと顔を上げると、エリーがしゅんとした様子で俯いている。
「いや、駄目ではない」
反射的にそう返すとエリーがきらきらと瞳を輝かせてこちらを見つめている。
「本当ですか!ヴィクトール様にお願いして良かったです」
屈託のない満面の笑顔を浮かべるエリーに目を奪われる。ずっと困ったような顔をしていた彼女の喜ぶ顔を初めて見たことに気づいて、前言撤回できないと頭の片隅で思った。
だけど後悔するわけでもなく、気持ちが高揚している。
ディルクにエリーの護衛を命じることに思うところはあるが、彼女の安全を考えれば仕方がない。
(さほど親しい関係ではないと言っていたしな)
部屋に入った時、二人の間に甘やかな雰囲気はなく周囲が邪推するような関係でないことは分かった。この程度の願いなら叶えてやるのも婚約者の務めだろう。
胸に芽生えた感情がどんなものなのか、その時のヴィクトールは気づかなかった。
侍女長の言葉に賛同するようにバロー夫人が頷いている。涙ながらに訴えられれば流石に無視をするわけにはいかないと、重い腰を上げた。
多忙を理由にエリーとの面会を減らしたのは、彼女の瑕疵を見たくなかったからだ。召喚には代償が必要だと聞かされていたが、まさかあの場にいた神官全員の命を犠牲にするほどだとは思っていなかった。
魔王復活の兆しが確認された今、聖女召喚の絶好の機会なのだとダミアーノが熱弁するなか、国王である父があまり気乗りしない様子だったのはその対価を知っていたからかもしれない。
国の長である以上、少数の犠牲よりも多数の利益を考えるのは当然だが、人々の救済を信条とする神殿がそれを行ったことが民衆に露見すれば求心力が低下し、暴動がおこる可能性が高い。
最近は特に貴族と平民との摩擦が高まっており、犠牲になった神官は全員平民だったことからも情報の秘匿は必須だ。そんな危険を背負ってまで召喚した聖女は浄化の力も弱く、癒しの力も扱えない状態である。
そう考えればわざわざ自分の時間を割くのがもったいないと思うようになった。
そうして多少の手間と苛立ちを感じながらエリーの元を訪れた結果、ヴィクトールは思いがけない言葉を聞くことになった。
「私と婚約破棄していただけないでしょうか、永遠に」
(婚約……破棄?)
何を言われたのか一瞬理解が遅れたが、すぐに自分の気を惹くための発言だと思い至ってヴィクトールは興ざめするような思いでエリーに視線を投げる。
(少し面倒だな。大人しくて従順そうな娘に見えたのに、これだから女は嫌なのだ)
召喚した直後、困惑した眼差しでこちらを見つめてくる様子は弱々しく庇護欲をそそられたものだ。変わった格好をしていたが、艶やかなダークブラウンの髪と澄んだ瞳、すらりとした肢体は悪くないと思った。
飾り立てればそれなりの見た目になるだろうと声を掛けながら観察していた。自分の隣に立つ女性ともなれば、ある程度容姿が整っていないと釣り合わないし外聞が悪い。
「聖女殿、弁えよ!王太子殿下への不敬に当たる」
ヴィクトールの不機嫌を感じ取ったのか、護衛騎士のオスカーが諫めるように言った。第一騎士副団長であり侯爵令息もあるため身分は高い。第二騎士団と違って家柄重視の第一騎士団において武芸にも秀でているため重用している。
「弁えているからこそ辞退させていただきたいのですが、何か問題がございますか?」
不思議そうなエリーの声にオスカーが眉間に皺を寄せたが、ヴィクトールはその無知さに寛大な気分になった。
ただの愚鈍であれば論外だが、異世界から来た少女なのだ。こちらの常識に疎く知らないこともまだまだ多いだろう。
疑問に首を僅かに傾げ、答えを待つようにこちらに向ける瞳にはどこか無防備さが滲み、その稚さが心地よい。
(まあこの程度なら可愛いものか)
社交の場で出会う令嬢たちは過剰なほどに飾り立て淑やかな笑みを浮かべているが、その裏では寵を求めて醜悪な争いを繰り広げている様が透けて見え辟易とさせられる。愚かで我儘な妹のような高慢さも強欲さもうんざりだった。
「エリー、君が思っている以上に聖女は尊い立場だ。だからこそ王族と縁を結ぶことを許された特別な存在なんだよ。ただ下位の者が上位の者が決めたことを覆すのは非礼に当たるから今後は気を付けるようにね」
駆け引きにすらなっていない稚拙な言動だったが、己の立場に不安を覚えているのであれば仕方がないのかもしれない。安心して良いという意味を込めて微笑んでみせたが、エリーの表情は晴れないままだ。
「――かしこまりました」
そう言って目を伏せるエリーの素直な態度にヴィクトールは満足感を覚えた。今後エリーがもっと力を使いこなせるようになれば、婚約者としての時間を持つこともやぶさかではない。ヴィクトールの前では我儘を言わず感情を押し付けない健気さに、多少の我儘は目を瞑ってやってもよいだろうという気持ちになった。
(使用人たちには負担を掛けるが、それも仕事のうちと割り切ってもらおう)
「ヴィクトール王太子殿下、発言してもよろしいでしょうか?」
こちらの様子を窺うような口調に、ヴィクトールの機嫌は上向く。
「エリー、君は私の部下ではないのだからそんなに固い口調じゃなくていい。何か他に望みがあるのか?」
そう告げればエリーの瞳が期待に輝いたように見えた。
「外出許可をいただけないでしょうか?この国の人々の暮らしを見てみたいんです」
「市街の視察か……」
城の外に出るなら、それなりに護衛体勢を整えなければならない。あまり厳重にし過ぎれば逆に余計なトラブルを招きかねないが、聖女に万が一のことがあっては困る。
(多くて二人……そして適任なのはこの男なのだろうが――)
ヴィクトールは苦々しい思いでディルクに目を向ける。元々第二騎士団は市井の見回りや魔物の討伐任務が多く、市街の案内兼護衛などお手のものだろう。
平民出身ながら騎士団で頭角を現し、現団長であるサミュエルにその才覚を認められ昨年の魔物討伐で多大な成果を収め男爵位を授けられた男だ。気さくな態度と物腰の柔らかさと整った容貌から令嬢たちにも人気があり、妹のマリエットも熱を上げている。
そのことも不満に感じている一因だが、ディルクの絵に描いたような順調な経歴はヴィクトールの劣等感を刺激するものだった。
自分が突出したところのない凡庸な王子だと言われていることは知っている。武芸も勉学も一通り努力をしたが、何かの才能に秀でているわけでもなく、両親から褒められたこともない。
「……駄目ですか?ヴィクトール様にしか頼めなくて……」
その声にはっと顔を上げると、エリーがしゅんとした様子で俯いている。
「いや、駄目ではない」
反射的にそう返すとエリーがきらきらと瞳を輝かせてこちらを見つめている。
「本当ですか!ヴィクトール様にお願いして良かったです」
屈託のない満面の笑顔を浮かべるエリーに目を奪われる。ずっと困ったような顔をしていた彼女の喜ぶ顔を初めて見たことに気づいて、前言撤回できないと頭の片隅で思った。
だけど後悔するわけでもなく、気持ちが高揚している。
ディルクにエリーの護衛を命じることに思うところはあるが、彼女の安全を考えれば仕方がない。
(さほど親しい関係ではないと言っていたしな)
部屋に入った時、二人の間に甘やかな雰囲気はなく周囲が邪推するような関係でないことは分かった。この程度の願いなら叶えてやるのも婚約者の務めだろう。
胸に芽生えた感情がどんなものなのか、その時のヴィクトールは気づかなかった。
5
お気に入りに追加
955
あなたにおすすめの小説
婚約者が隣国の王子殿下に夢中なので潔く身を引いたら病弱王女の婚約者に選ばれました。
ユウ
ファンタジー
辺境伯爵家の次男シオンは八歳の頃から伯爵令嬢のサンドラと婚約していた。
我儘で少し夢見がちのサンドラは隣国の皇太子殿下に憧れていた。
その為事あるごとに…
「ライルハルト様だったらもっと美しいのに」
「どうして貴方はライルハルト様じゃないの」
隣国の皇太子殿下と比べて罵倒した。
そんな中隣国からライルハルトが留学に来たことで関係は悪化した。
そして社交界では二人が恋仲で悲恋だと噂をされ爪はじきに合うシオンは二人を思って身を引き、騎士団を辞めて国を出ようとするが王命により病弱な第二王女殿下の婚約を望まれる。
生まれつき体が弱く他国に嫁ぐこともできないハズレ姫と呼ばれるリディア王女を献身的に支え続ける中王はシオンを婿養子に望む。
一方サンドラは皇太子殿下に近づくも既に婚約者がいる事に気づき、シオンと復縁を望むのだが…
HOT一位となりました!
皆様ありがとうございます!
別れた婚約者が「俺のこと、まだ好きなんだろう?」と復縁せまってきて気持ち悪いんですが
リオール
恋愛
婚約破棄して別れたはずなのに、なぜか元婚約者に復縁迫られてるんですけど!?
※ご都合主義展開
※全7話
Can't Stop Fall in Love
桧垣森輪
恋愛
社会人1年生の美月には憧れの先輩がいる。兄の親友であり、会社の上司で御曹司の輝翔先輩。自分とは住む世界の違う人だから。これは恋愛感情なんかじゃない。そう思いながらも、心はずっと彼を追いかけていた───
優しくて紳士的でずっと憧れていた人が、実は意地悪で嫉妬深くて独占欲も強い腹黒王子だったというお話をコメディタッチでお送りしています。【2016年2/18本編完結】
※アルファポリス エタニティブックスにて書籍化されました。
物語のようにはいかない
わらびもち
恋愛
転生したら「お前を愛することはない」と夫に向かって言ってしまった『妻』だった。
そう、言われる方ではなく『言う』方。
しかも言ってしまってから一年は経過している。
そして案の定、夫婦関係はもうキンキンに冷え切っていた。
え? これ、どうやって関係を修復したらいいの?
いや、そもそも修復可能なの?
発言直後ならまだしも、一年も経っているのに今更仲直りとか無理じゃない?
せめて失言『前』に転生していればよかったのに!
自分が言われた側なら、初夜でこんな阿呆な事を言う相手と夫婦関係を続けるなど無理だ。諦めて夫に離婚を申し出たのだが、彼は婚姻継続を望んだ。
夫が望むならと婚姻継続を受け入れたレイチェル。これから少しずつでも仲を改善出来たらいいなと希望を持つのだが、現実はそう上手くいかなかった……。
婚約破棄された傷物の癖に偉そうにするなと婚約者から言われたのですが、それは双子の妹への暴言かしら?
珠宮さくら
恋愛
とんでもない勘違いに巻き込まれたクリスティアーナは、婚約者から暴言を吐かれることとなったのだが……。
※全4話。
【完結】愛されなかった私が幸せになるまで 〜旦那様には大切な幼馴染がいる〜
高瀬船
恋愛
2年前に婚約し、婚姻式を終えた夜。
フィファナはドキドキと逸る鼓動を落ち着かせるため、夫婦の寝室で夫を待っていた。
湯上りで温まった体が夜の冷たい空気に冷えて来た頃やってきた夫、ヨードはベッドにぽつりと所在なさげに座り、待っていたフィファナを嫌悪感の籠った瞳で一瞥し呆れたように「まだ起きていたのか」と吐き捨てた。
夫婦になるつもりはないと冷たく告げて寝室を去っていくヨードの後ろ姿を見ながら、フィファナは悲しげに唇を噛み締めたのだった。
魔力ゼロの出来損ない貴族、四大精霊王に溺愛される
日之影ソラ
ファンタジー
魔法使いの名門マスタローグ家の次男として生をうけたアスク。兄のように優れた才能を期待されたアスクには何もなかった。魔法使いとしての才能はおろか、誰もが持って生まれる魔力すらない。加えて感情も欠落していた彼は、両親から拒絶され別宅で一人暮らす。
そんなある日、アスクは一冊の不思議な本を見つけた。本に誘われた世界で四大精霊王と邂逅し、自らの才能と可能性を知る。そして精霊王の契約者となったアスクは感情も取り戻し、これまで自分を馬鹿にしてきた周囲を見返していく。
HOTランキング&ファンタジーランキング1位達成!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる