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理不尽な召喚

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(三百七十八、三百七十九、三百八十……)

ベッドの上に下ろされて人の話し声が途絶えてから、瑛莉のカウントアップが始まった。人の気配は感じられないが、先程の副団長の件もある。もどかしくはあるが、万が一見張りがいた時のことを考えて用心深く行動しなければならない。

(四百十九、よし七分経った!)

あくまでもゆっくりと目を開けると高い天井が目に入った。身体を起こして辺りを見渡せば、広い室内には誰もいない。瑛莉はそこでようやく一息つくと、我慢していた感情を解放した。

(っていうか、聖女って何なのよ!勝手に召喚とか意味分かんないでしょうが!そもそも今日は大事な初出勤日だったのに!!!)

厳しい就職活動を経て、念願の安定した収入と充実した福利厚生のある企業に就職することが出来たのだ。
瑛莉はもちろん「先生」も自分のことのように喜んでくれてお祝いまでしてくれた。だからこそ初めてもらうお給料は「先生」にプレゼントを贈る計画まで立てていたのだ。

(それなのに……何でこんなことになるの!理不尽にも程があるわ!!)

ふわふわの毛布を握りつぶさんばかりに力を込めて、瑛莉は無言で力を込めた。
本当ならあの王子や神官長とやらにこの苛立ちをぶつけたいが、それが悪手であると察している。爆発寸前につまったこの怒りをどこかに逃がさなければ、冷静になれそうになかったので思いつく限りの悪態を並べて、瑛莉はもう一度ベッドに仰向けになった。

『まあ世の中理不尽なことだらけだよな。何で自分だけって思いたくなることもある。けどその境遇を嘆こうが恨もうが状況は変わんねえんだから、とりあえず受け入れるしかねえだろう。そっから、逃げるか、足掻くか、棚上げするか考えればいいんじゃねえか?』

(先生……あなたの教えは異世界でも通用するみたいだよ)

「先生」に出会わなければ今の自分はない。「先生」が生きる術と物事の解釈の仕方を教えてくれたおかげで瑛莉は随分と楽に呼吸が出来るようになったのだ。
少し気怠そうな声音を思い出して、瑛莉は僅かに笑みを浮かべた。


(さてと、じゃあまず現状把握とやるべきことを整理しよう)

これまでの話からすれば、ここはシクサール王国という場所で瑛莉は聖女として召喚されたことに間違いはない。

(金髪碧眼のヴィクトールがこの国の王太子で、好々爺のような風貌だが狸親父っぽいダミアーノは神官長……って予断は不要だな。あとはあのチャラい副団長のディルクか)

儀式を行った場所にいる間、副団長はとても良い働きをしてくれたので感謝はしているが、部屋へ案内してくれる女性が現れた途端に態度が変わった。

「へえ、君可愛いね。俺は第二騎士副団長のディルク。君の名前を知りたいな」
「名乗るほどの物ではありません。聖女様のお部屋はこちらです、第二騎士副団長様」

先ほどまでの凛とした声とは一転し、チャラそうな口調で語りかけるディルクを女性は顧みることなく冷ややかな口調で返した。
だがディルクは気にすることなく、むしろその反応を楽しむようにちょっかいを出し続け、部屋に付いた頃には、ディルクの印象は有能な騎士からチャラい女好きな男に変わっていた。

(ただあの会話は少し気になる……)

ベッドに瑛莉を下ろしたあと、変わらない口調でディルクは女性に訊ねた。

「聖女様が目覚めるまで傍にいたほうがいいかな、ほら護衛としてさ」
「こちらで手配済ですのでお気遣い無用ですわ」
取り付く島もないぐらいの拒絶にもかかわらず、ディルクはなおも食い下がる。

「じゃあその間に俺とお茶でもしようよ。この様子だと1時間ぐらいは目を覚まさないだろうし、一人で待っていても暇だろう」
「――いえ、他に用事がありますので」
「送ってあげるよ」
「結構です」

そこから扉が閉じたため、彼らの会話は聞こえなくなった。そうして瑛莉は念のためにと時間を数え始めたのだ。

(何故ディルクは私が目を覚まさないと判断したのだろう?)

それが経験によるものなのか、適当な数字なのか分からないが、あの時女性の返答に少し間があったのは、その時間を聞いてすべきことを考えたからではないだろうか。かくいう瑛莉もそれを目安にしてしまっているのだが、それは果たして正しいのだろうか。

思考が疑念に傾いていることに気づいて、瑛莉はその考えを振り払う。
ディルクの意図がどうあれ、貴重な一人の時間をそこに費やしてしまうわけにはいかない。

そっとベッドから起き上がって、部屋の奥にある扉を開ければ洗面室とトイレ、浴室が設置されていた。
残念ながら鍵はないが、それでもすぐに人目につかないスペースがあるだけましだ。

(あの人たちは私を聖女だと言った)

何をもってそう見なされたのか分からないが、聖女とくれば浄化か癒しが定番だろう。ゆったりとした広さのあるトイレの床に座り込んで、袖をまくると二の腕の辺りに深く爪を立てた。
短い爪とは言え力を込めればそれなりに傷が付く。じわりと滲む血を見ながら瑛莉は右手を添えて傷が治るように心の中で願ってみた。


「……ユイちゃんのおかげだわ」

異世界系ラノベが大好きな友人が貸してくれた本による知識を元にやってみたのが、先ほどまで血が滲んでいた腕はすっかり元の状態に戻っている。聖女としての優劣は分からないが、自分に特殊な能力が備わっていることは分かった。

(聖女認定されないことが最良だけど、認定されてしまってもこの能力を明かさなければ役に立たないからと追い出されたりしないだろうか)

聖女としてどういう役割を求められているのかは分からないが、隠しておけるものなら隠しておいたほうがいい。今後の扱いによっては変わるかもしれないが、現時点でヴィクトールやダミアーノはもちろん、それに連なる全員が瑛莉の敵なのだ。

(勝手に召喚しといて謝罪の一つもない連中を信用できるわけがない)

ヴィクトールもダミアーノも悪いことをしたと思っていないのだろう。それは国のためかもしれないし、聖女であることや王太子の婚約者となることが瑛莉にとっても悪い話ではないと思っているのかもしれないが、その傲慢さが気に食わない。

(だけどそんなことは全部そっちの都合でしかない。私の将来の幸せを邪魔しておいて、ただで済むと思うなよ!)

怒りが再燃しかけた時、遠慮がちなノックの音が聞こえてきて、瑛莉は大人しい女性を演じるために弱々しく返事を返したのだった。
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