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「どちらも欲しいなんてズルいでしょう?アネット様がいらない方を私にちょうだい」
意思のある人間をまるで物を扱うかのような身勝手な提案に、迂闊な返事をしてはならないという気持ちが強くなり、アネットは無言でエミリアを見据えた。
警戒するアネットにエミリアは眉を下げて困ったような笑みを浮かべると、立ち上がってアネットに近づいてくる。
「そんなに怖い顔をしないで。私は友人が欲しいだけよ。一緒に遊んでくれる方がいないと寂しいもの」
「――でしたらお二人でなくても良いでしょう。それにお姉様やリシャール様がエミリア様と親しくなりたいと思うなら、私の許可など必要ないわ」
悠然とこちらを見下ろすエミリアに言い知れぬ恐怖を感じながら答えれば、エミリアの表情がどこか能面のように静かで酷薄さを感じさせるものに変わった。
「ねえ、クロエ様とリシャール様、どっちが大事?」
先程と同じような問いかけなのに、どこか冷やかさを感じる口調にアネットは身を固くする。執拗なほどにアネットにどちらかを選ばせようとする意図が分からないが、答えてはいけないことだけは理解できた。
(お姉様だけは絶対に護らなくては……。でも、リシャール様の名前を告げるのも、きっと良くないことが起きる)
ふわりと爽やかな香りを感じた途端に、下腹部に衝撃と痛みが走った。
「――っぐ……!?」
呼吸が詰まり喉元に吐き気がせり上がってくる。咳き込めばお腹の辺りに鈍痛が広がり、エミリアに蹴られたのだと気づく。
「さっさと答えなさいよ。いくら待っても助けなんか来ないんだから。あの王子が付けていた護衛はジェイがとっくに片付けてしまったから時間稼ぎをしても無駄よ」
頭上から聞こえてくるエミリアの声には苛立ちが混じり、今まで以上に身の危険を感じてアネットは焦りと恐怖を押し殺して必死に考えを巡らせようとした。
だが、痛みのせいか頭がぼんやりして思考がまとまらず泣きたくなる。
いつだってクロエと何かを天秤に掛ければ、迷わずクロエを取るはずだった。ずっとそうしてきたし、これからもアネットの一番はクロエなのだ。それなのにどうして自分は頑なに口を閉ざしてリシャールの名を告げないのだろう。
クロエの微笑みとリシャールの気遣わしげな表情が頭をよぎる。
「ほら、難しいことではないでしょう、アネット様?」
そう促すエミリアの声だけ聞けば労わりに満ちているが、無抵抗の人間に躊躇なく暴力を振るえる人間なのだ。朦朧とする思考を半ば放棄して、アネットは力いっぱい叫んだ。
「どちらも大切に決まっているでしょう!お姉様もリシャール様も貴女の思い通りになんてさせないわ!!」
一瞬の沈黙のあと、エミリアは冷ややかな眼差しを向けて不愉快そうに言った。
「まだ立場が分かっていないのかしら。本当に頭悪いんじゃない?――もういいわ。クラリスみたいに使おうと思ったけど、そのままお人形にしても十分面白いものが見れそうだものね」
エミリアがジェイに視線を向ければ、無言でエミリアの傍に立った。
「アネット様、女性にとって一番耐え難いことって何だと思う?顔や体に醜い傷を付けられることかしら?それとも純潔を奪われることかしら?」
問いかけるような物言いだが、アネットはエミリアがそれを実行しようとしているのは明白だ。痛みと恐怖を想像しかけて、アネットはぐっと堪えた。エミリアの歪んだ性格を考えれば、アネットが怯えることで相手を喜ばせてしまう。
「うふふふふ、消えない傷痕を残されたアネット様を見たらクロエ様もリシャール様もどんな顔をするのか――とても楽しみだわ。完全に壊れるまでどれくらい持つかしらね?」
鼻歌でも歌いだしそうなくらい上機嫌になったエミリアも恐ろしかったが、アネットは無言で短刀を鞘から取り出すジェイから目が離せない。感情の読み取れない暗い瞳に、アネットは耐え切れずに顔を伏せて目を閉じた。
(っ、やだ……怖いよお姉様…………誰か――リシャール様、助けて!!)
心の中で叫んだ時、何かが爆発するような激しい音が聞こえてアネットは身体を竦める。
「アネット!!」
悲鳴と複数の足音や怒声に混じって届いた声に、アネットは反射的に顔を上げた。
見たことがないほど剣呑な雰囲気を漂わせているリシャールがこちらに駆けて来る。琥珀色の瞳が揺らぎ、よぎったのは安堵の色だろうか。
そう思ったが、アネットの視界は急に膜がかかったように不鮮明になってリシャールの表情が見えない。頬を伝う感覚に自分が泣いているのだと一拍遅れて気づく。
「アネット嬢、遅くなってすまない。もう少し我慢してくれ――くそ、こんなにきつく縛るなんて」
しばらくするとぶつりと音がして拘束が緩み、自由になった手を無意識にさする。
「すぐに手当てをさせよう。他にどこか怪我など――っ!」
「――リシャっ……リシャール様、怖かった……っく」
リシャールに手を伸ばし泣きじゃくるアネットを、リシャールはそれ以上何も言わずに落ち着くまで待ってくれていたのだった。
意思のある人間をまるで物を扱うかのような身勝手な提案に、迂闊な返事をしてはならないという気持ちが強くなり、アネットは無言でエミリアを見据えた。
警戒するアネットにエミリアは眉を下げて困ったような笑みを浮かべると、立ち上がってアネットに近づいてくる。
「そんなに怖い顔をしないで。私は友人が欲しいだけよ。一緒に遊んでくれる方がいないと寂しいもの」
「――でしたらお二人でなくても良いでしょう。それにお姉様やリシャール様がエミリア様と親しくなりたいと思うなら、私の許可など必要ないわ」
悠然とこちらを見下ろすエミリアに言い知れぬ恐怖を感じながら答えれば、エミリアの表情がどこか能面のように静かで酷薄さを感じさせるものに変わった。
「ねえ、クロエ様とリシャール様、どっちが大事?」
先程と同じような問いかけなのに、どこか冷やかさを感じる口調にアネットは身を固くする。執拗なほどにアネットにどちらかを選ばせようとする意図が分からないが、答えてはいけないことだけは理解できた。
(お姉様だけは絶対に護らなくては……。でも、リシャール様の名前を告げるのも、きっと良くないことが起きる)
ふわりと爽やかな香りを感じた途端に、下腹部に衝撃と痛みが走った。
「――っぐ……!?」
呼吸が詰まり喉元に吐き気がせり上がってくる。咳き込めばお腹の辺りに鈍痛が広がり、エミリアに蹴られたのだと気づく。
「さっさと答えなさいよ。いくら待っても助けなんか来ないんだから。あの王子が付けていた護衛はジェイがとっくに片付けてしまったから時間稼ぎをしても無駄よ」
頭上から聞こえてくるエミリアの声には苛立ちが混じり、今まで以上に身の危険を感じてアネットは焦りと恐怖を押し殺して必死に考えを巡らせようとした。
だが、痛みのせいか頭がぼんやりして思考がまとまらず泣きたくなる。
いつだってクロエと何かを天秤に掛ければ、迷わずクロエを取るはずだった。ずっとそうしてきたし、これからもアネットの一番はクロエなのだ。それなのにどうして自分は頑なに口を閉ざしてリシャールの名を告げないのだろう。
クロエの微笑みとリシャールの気遣わしげな表情が頭をよぎる。
「ほら、難しいことではないでしょう、アネット様?」
そう促すエミリアの声だけ聞けば労わりに満ちているが、無抵抗の人間に躊躇なく暴力を振るえる人間なのだ。朦朧とする思考を半ば放棄して、アネットは力いっぱい叫んだ。
「どちらも大切に決まっているでしょう!お姉様もリシャール様も貴女の思い通りになんてさせないわ!!」
一瞬の沈黙のあと、エミリアは冷ややかな眼差しを向けて不愉快そうに言った。
「まだ立場が分かっていないのかしら。本当に頭悪いんじゃない?――もういいわ。クラリスみたいに使おうと思ったけど、そのままお人形にしても十分面白いものが見れそうだものね」
エミリアがジェイに視線を向ければ、無言でエミリアの傍に立った。
「アネット様、女性にとって一番耐え難いことって何だと思う?顔や体に醜い傷を付けられることかしら?それとも純潔を奪われることかしら?」
問いかけるような物言いだが、アネットはエミリアがそれを実行しようとしているのは明白だ。痛みと恐怖を想像しかけて、アネットはぐっと堪えた。エミリアの歪んだ性格を考えれば、アネットが怯えることで相手を喜ばせてしまう。
「うふふふふ、消えない傷痕を残されたアネット様を見たらクロエ様もリシャール様もどんな顔をするのか――とても楽しみだわ。完全に壊れるまでどれくらい持つかしらね?」
鼻歌でも歌いだしそうなくらい上機嫌になったエミリアも恐ろしかったが、アネットは無言で短刀を鞘から取り出すジェイから目が離せない。感情の読み取れない暗い瞳に、アネットは耐え切れずに顔を伏せて目を閉じた。
(っ、やだ……怖いよお姉様…………誰か――リシャール様、助けて!!)
心の中で叫んだ時、何かが爆発するような激しい音が聞こえてアネットは身体を竦める。
「アネット!!」
悲鳴と複数の足音や怒声に混じって届いた声に、アネットは反射的に顔を上げた。
見たことがないほど剣呑な雰囲気を漂わせているリシャールがこちらに駆けて来る。琥珀色の瞳が揺らぎ、よぎったのは安堵の色だろうか。
そう思ったが、アネットの視界は急に膜がかかったように不鮮明になってリシャールの表情が見えない。頬を伝う感覚に自分が泣いているのだと一拍遅れて気づく。
「アネット嬢、遅くなってすまない。もう少し我慢してくれ――くそ、こんなにきつく縛るなんて」
しばらくするとぶつりと音がして拘束が緩み、自由になった手を無意識にさする。
「すぐに手当てをさせよう。他にどこか怪我など――っ!」
「――リシャっ……リシャール様、怖かった……っく」
リシャールに手を伸ばし泣きじゃくるアネットを、リシャールはそれ以上何も言わずに落ち着くまで待ってくれていたのだった。
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