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信じる理由
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(私の人生はいつだってお姉様が中心だった……)
ベッドに仰向けになったまま、ぼんやりと取り留めのないことを考える。フェルナンとクロエの言葉を反芻するうちに彼らの言葉が正しいのだと受け入れるようになっていた。
こんなに心を傾けることができる存在に出会えたことが奇跡のようで、毎日がとても輝いていた。ずっと一緒にいられないと分かっていたし、だからこそこの時間を大切にしたいと過ごしていたつもりだったのに、心から理解していなかったのだと思う。
卒業までクロエの傍にいることしか考えていなくて、それから先の未来については漠然としたままだったのだから。
もちろんクロエ中心であったことを後悔することはないが、もっと真剣に考えていれば選択肢も増えていたはずだ。
(何だかとても……子供だわ)
前世の記憶が優位に働いていたのは幼少時代だけで、無意識にそれを頼っていたからこそ成長していない自分に気づいた時は正直ショックだった。
ベッドの上であおむけになったまま何もない空間に手を伸ばす。その行為に何か意味があるわけではなかったが、白くきめの細かい手は苦労を知らない貴族令嬢の手だ。
結局のところ、日々の食事に欠くこともなく自由に学ぶことが許される環境にいる自分は恵まれているのだ。食事一つとっても普段口にしているものは平民からすれば高級品であり、自分では気づかないうちに贅沢に慣れてしまっていることだろう。
家を繁栄させるということは、領地を豊かにすることであり、そこに住む領民たちの暮らしに直結する。そう思えば自分が我儘に思えて仕方がなかったし、不満を口にすることを恥ずかしくも感じた。
(それでも嫌だと思ってはいけないのかな)
クロエと一緒にいたいと思ってもそれを口にしないだけの分別はかろうじてあった。クロエ付きの侍女になりたいと願えば、クロエはそれを叶えようとしてくれるに違いないしセルジュも協力してくれるはずだ。だがそれはクロエの立場を危うくすることにもなりかねない。
ルヴィエ侯爵家の娘が二人も王宮の、第二王子に近しい位置にいるとなれば権力の集中化を懸念する貴族たちが出てくるだろう。アネットとて社交が得意とは言い難いし、傍にいることでクロエの足を引っ張ることなどあってはならない。
それに何よりも家長であるカミーユがそれを許さないだろう。アネットを引き取ったのは優秀な婿を取り、侯爵家を存続させるためなのだ。
(もしも誰かと必ず結婚しなければならないなら、そして自分で選ぶことが出来るのならば私は――)
不意にノックの音が聞こえて、アネットは思考を中断させた。
「アネット様。クロエ様がお見えですが、いかがなさいますか?」
「お姉様が!?早くお通ししてちょうだい」
ここ最近クロエとの距離に悩んでいたアネットだが、わざわざクロエが会いに来てくれたことですっかり舞い上がってしまい、ある事実が頭からすっかり抜け落ちていた。
入口からは直接室内が見えないように衝立が置かれている。入ってきたクロエが驚いたように目を瞠ったことで、アネットはようやく自分の迂闊さに気づく。
食事用の小さなテーブルと学習机、ベッドを置けば生活スペースがそれだけで一杯になる室内はクロエの部屋の半分にも満たないのだ。
アネットとしては前世で暮らしていたワンルームマンションと大差がないので気にしていなかったが、クロエからすればさぞ窮屈に感じるに違いない。
「お姉様、お越しいただいて嬉しいです。どうぞお掛けください」
ソファーでなくダイニングチェアを示されたクロエはぎこちない様子ではあるものの、腰を下ろしてくれた。
「……アネット、ごめんなさい。貴女の部屋のこと……知らなかったでは済まないわ。わたくしが――」
「何だか秘密基地みたいでワクワクしませんか?」
沈んだ表情のクロエを見たくなくて明るい声で告げると、クロエは顔を上げてアネットを見つめた。
「広いお部屋も素敵ですけど、こじんまりした場所もどこか懐かしくて楽しいなって思うんです」
アネットの言葉に嘘はなかった。人を招くには不向きだが、友人と会うならば学園内のテラスや中庭に設置されたガセボ、街に出ればカフェや公園など一緒に過ごす場所はいくらでもある。居住スペースは個人の領域なのでジョゼと自分以外に立ち入ってほしくないのは本心だ。
――もちろんクロエはいかなるときでも例外なのだが。
クロエは物言いたげに何度か唇を動かしたが、結局それが言葉になることはなかった。
ジョゼが運んできたお茶を一口飲んで、クロエが告げたのは予想外の言葉だった。
「……エミリア様はアネットのお友達なのよね?最近一緒にいるところをよく見かけるわ」
意外であったものの、距離が開いていたと感じていたのに、クロエが自分の交友関係を気に掛けてくれたのだと思うと嬉しくなる。
「そうですね。以前は少し苦手な方だったのですが、一緒にいて楽しいと思うようになりました」
アネットの言葉にクロエの表情が僅かに陰りを帯びる。
だが次の瞬間にはいつもの穏やかな笑みに変わっていて、照明のせいだろうかとアネットが思いかけた時、クロエから衝撃的な言葉が告げられた。
「アネット、しばらくの間わたくしに近づかないで欲しいの」
凍り付いたアネットに、クロエはあくまでも穏やかに優しい口調で続ける。
「エミリア様と少し……行き違いがあって、淑女として相応しくない振る舞いをしてしまったの。大勢の方がいる前でそんな行動を取ってしまったから、少し周辺が騒がしくなると思うわ。だからアネットはわたくしに関わっては駄目よ、いいわね?」
幼子に言い聞かせるような言葉を告げるクロエはどこか諦観を含んでおり、少しどころの騒ぎではないのだとアネットは察した。
普段であればクロエの言うことを聞くアネットだが、今回は素直に頷けるわけがない。
「お姉様、エミリア様はお姉様に何をしたのですか?」
「アネット、非があるのはわたくしだと言っているでしょう?お友達のことをそんな風に言ってはいけないわ」
先ほどの自分の発言を撤回したいとアネットは歯噛みする。クロエはあくまでも詳細を伝えようとしないが、理由もなくクロエがエミリアに何かしたなど信じられる話ではない。
「お姉様、たとえエミリア様が友達であっても私はお姉様の味方です。大体お姉様が淑女らしかぬ振る舞いをするなんて、エミリア様に問題があったとしか思えませんわ」
きっぱりと断言するアネットを見て、クロエは顔を歪ませて立ち上がった。
「何故……何故アネットはそんなにわたくしのことを信じられるの?!わたくしが……っ、幼い頃に嫌がらせをしたことが原因なの?」
傷ついたような泣き出しそうな表情は見覚えのあるものだった。デルフィーヌから庇い傷を負ったアネットにクロエは同じような問いかけをしたのだ。何故急に幼い頃の話を持ち出したのか分からないが、まずはクロエを落ち着かせることが先決だった。
「私がお姉様を信じているのはずっと傍にいて、お姉様がどれだけたくさん努力をしたのか知っているからです。そして優しいお姉様は理由もなく人から非難されるような行動を取る方ではありません」
ぽろりとクロエの瞳から一筋の涙が零れた。
「っ、お姉様、泣かないでください!いえ、それでお気持ちが楽になるのなら泣いたほうがよろしいのですけど!」
思いがけない事態に動揺するアネットに、くすりとクロエの口から笑い声が漏れた。瞳はまだ潤んでいて、涙の跡もしっかりと残っているけれど、その顔から悲痛な色は残っていなかった。
「ありがとう、アネット。貴女に甘えすぎているから一人で頑張ろうと思って少し意地を張り過ぎていたのかもしれないわ」
ふわりと緩んだクロエの表情は以前と変わらぬ温度で、アネットは嬉しさのあまり飛び跳ねたい気持ちをぐっと抑える。
「私もお姉様に甘えているのでお互い様です。……それに私は少し心配し過ぎてお姉様の努力を無駄にするところでした」
大切だからと危険なものを全て取り除いてしまえば、いざという時に対応できない。何事もやり過ぎは良くないとアネットも自覚したため、クロエにどう接してよいか分からなくなったのだ。
顔を見合わせて小さく笑い合うと、ギクシャクしていた空気はすっかり霧散していた。先ほどのクロエの言葉に気にかかる部分があったものの、アネットはクロエとの距離が元通りになったことにひとまず安堵したのだった。
ベッドに仰向けになったまま、ぼんやりと取り留めのないことを考える。フェルナンとクロエの言葉を反芻するうちに彼らの言葉が正しいのだと受け入れるようになっていた。
こんなに心を傾けることができる存在に出会えたことが奇跡のようで、毎日がとても輝いていた。ずっと一緒にいられないと分かっていたし、だからこそこの時間を大切にしたいと過ごしていたつもりだったのに、心から理解していなかったのだと思う。
卒業までクロエの傍にいることしか考えていなくて、それから先の未来については漠然としたままだったのだから。
もちろんクロエ中心であったことを後悔することはないが、もっと真剣に考えていれば選択肢も増えていたはずだ。
(何だかとても……子供だわ)
前世の記憶が優位に働いていたのは幼少時代だけで、無意識にそれを頼っていたからこそ成長していない自分に気づいた時は正直ショックだった。
ベッドの上であおむけになったまま何もない空間に手を伸ばす。その行為に何か意味があるわけではなかったが、白くきめの細かい手は苦労を知らない貴族令嬢の手だ。
結局のところ、日々の食事に欠くこともなく自由に学ぶことが許される環境にいる自分は恵まれているのだ。食事一つとっても普段口にしているものは平民からすれば高級品であり、自分では気づかないうちに贅沢に慣れてしまっていることだろう。
家を繁栄させるということは、領地を豊かにすることであり、そこに住む領民たちの暮らしに直結する。そう思えば自分が我儘に思えて仕方がなかったし、不満を口にすることを恥ずかしくも感じた。
(それでも嫌だと思ってはいけないのかな)
クロエと一緒にいたいと思ってもそれを口にしないだけの分別はかろうじてあった。クロエ付きの侍女になりたいと願えば、クロエはそれを叶えようとしてくれるに違いないしセルジュも協力してくれるはずだ。だがそれはクロエの立場を危うくすることにもなりかねない。
ルヴィエ侯爵家の娘が二人も王宮の、第二王子に近しい位置にいるとなれば権力の集中化を懸念する貴族たちが出てくるだろう。アネットとて社交が得意とは言い難いし、傍にいることでクロエの足を引っ張ることなどあってはならない。
それに何よりも家長であるカミーユがそれを許さないだろう。アネットを引き取ったのは優秀な婿を取り、侯爵家を存続させるためなのだ。
(もしも誰かと必ず結婚しなければならないなら、そして自分で選ぶことが出来るのならば私は――)
不意にノックの音が聞こえて、アネットは思考を中断させた。
「アネット様。クロエ様がお見えですが、いかがなさいますか?」
「お姉様が!?早くお通ししてちょうだい」
ここ最近クロエとの距離に悩んでいたアネットだが、わざわざクロエが会いに来てくれたことですっかり舞い上がってしまい、ある事実が頭からすっかり抜け落ちていた。
入口からは直接室内が見えないように衝立が置かれている。入ってきたクロエが驚いたように目を瞠ったことで、アネットはようやく自分の迂闊さに気づく。
食事用の小さなテーブルと学習机、ベッドを置けば生活スペースがそれだけで一杯になる室内はクロエの部屋の半分にも満たないのだ。
アネットとしては前世で暮らしていたワンルームマンションと大差がないので気にしていなかったが、クロエからすればさぞ窮屈に感じるに違いない。
「お姉様、お越しいただいて嬉しいです。どうぞお掛けください」
ソファーでなくダイニングチェアを示されたクロエはぎこちない様子ではあるものの、腰を下ろしてくれた。
「……アネット、ごめんなさい。貴女の部屋のこと……知らなかったでは済まないわ。わたくしが――」
「何だか秘密基地みたいでワクワクしませんか?」
沈んだ表情のクロエを見たくなくて明るい声で告げると、クロエは顔を上げてアネットを見つめた。
「広いお部屋も素敵ですけど、こじんまりした場所もどこか懐かしくて楽しいなって思うんです」
アネットの言葉に嘘はなかった。人を招くには不向きだが、友人と会うならば学園内のテラスや中庭に設置されたガセボ、街に出ればカフェや公園など一緒に過ごす場所はいくらでもある。居住スペースは個人の領域なのでジョゼと自分以外に立ち入ってほしくないのは本心だ。
――もちろんクロエはいかなるときでも例外なのだが。
クロエは物言いたげに何度か唇を動かしたが、結局それが言葉になることはなかった。
ジョゼが運んできたお茶を一口飲んで、クロエが告げたのは予想外の言葉だった。
「……エミリア様はアネットのお友達なのよね?最近一緒にいるところをよく見かけるわ」
意外であったものの、距離が開いていたと感じていたのに、クロエが自分の交友関係を気に掛けてくれたのだと思うと嬉しくなる。
「そうですね。以前は少し苦手な方だったのですが、一緒にいて楽しいと思うようになりました」
アネットの言葉にクロエの表情が僅かに陰りを帯びる。
だが次の瞬間にはいつもの穏やかな笑みに変わっていて、照明のせいだろうかとアネットが思いかけた時、クロエから衝撃的な言葉が告げられた。
「アネット、しばらくの間わたくしに近づかないで欲しいの」
凍り付いたアネットに、クロエはあくまでも穏やかに優しい口調で続ける。
「エミリア様と少し……行き違いがあって、淑女として相応しくない振る舞いをしてしまったの。大勢の方がいる前でそんな行動を取ってしまったから、少し周辺が騒がしくなると思うわ。だからアネットはわたくしに関わっては駄目よ、いいわね?」
幼子に言い聞かせるような言葉を告げるクロエはどこか諦観を含んでおり、少しどころの騒ぎではないのだとアネットは察した。
普段であればクロエの言うことを聞くアネットだが、今回は素直に頷けるわけがない。
「お姉様、エミリア様はお姉様に何をしたのですか?」
「アネット、非があるのはわたくしだと言っているでしょう?お友達のことをそんな風に言ってはいけないわ」
先ほどの自分の発言を撤回したいとアネットは歯噛みする。クロエはあくまでも詳細を伝えようとしないが、理由もなくクロエがエミリアに何かしたなど信じられる話ではない。
「お姉様、たとえエミリア様が友達であっても私はお姉様の味方です。大体お姉様が淑女らしかぬ振る舞いをするなんて、エミリア様に問題があったとしか思えませんわ」
きっぱりと断言するアネットを見て、クロエは顔を歪ませて立ち上がった。
「何故……何故アネットはそんなにわたくしのことを信じられるの?!わたくしが……っ、幼い頃に嫌がらせをしたことが原因なの?」
傷ついたような泣き出しそうな表情は見覚えのあるものだった。デルフィーヌから庇い傷を負ったアネットにクロエは同じような問いかけをしたのだ。何故急に幼い頃の話を持ち出したのか分からないが、まずはクロエを落ち着かせることが先決だった。
「私がお姉様を信じているのはずっと傍にいて、お姉様がどれだけたくさん努力をしたのか知っているからです。そして優しいお姉様は理由もなく人から非難されるような行動を取る方ではありません」
ぽろりとクロエの瞳から一筋の涙が零れた。
「っ、お姉様、泣かないでください!いえ、それでお気持ちが楽になるのなら泣いたほうがよろしいのですけど!」
思いがけない事態に動揺するアネットに、くすりとクロエの口から笑い声が漏れた。瞳はまだ潤んでいて、涙の跡もしっかりと残っているけれど、その顔から悲痛な色は残っていなかった。
「ありがとう、アネット。貴女に甘えすぎているから一人で頑張ろうと思って少し意地を張り過ぎていたのかもしれないわ」
ふわりと緩んだクロエの表情は以前と変わらぬ温度で、アネットは嬉しさのあまり飛び跳ねたい気持ちをぐっと抑える。
「私もお姉様に甘えているのでお互い様です。……それに私は少し心配し過ぎてお姉様の努力を無駄にするところでした」
大切だからと危険なものを全て取り除いてしまえば、いざという時に対応できない。何事もやり過ぎは良くないとアネットも自覚したため、クロエにどう接してよいか分からなくなったのだ。
顔を見合わせて小さく笑い合うと、ギクシャクしていた空気はすっかり霧散していた。先ほどのクロエの言葉に気にかかる部分があったものの、アネットはクロエとの距離が元通りになったことにひとまず安堵したのだった。
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