上 下
37 / 60

本末転倒

しおりを挟む
「クロエ様と何かありましたの?」
短い問いかけにも関わらず、アネットはその意味がすぐに理解できなかった。少し困ったような笑みを浮かべるフルールの表情に、何か自分が決定的な間違いを犯したような気がして言葉が出てこない。

「もしご事情がおありでしたら、無理に話さなくても大丈夫ですわ」
「……いえ、事情などありませんわ。その、フルール様はどうしてそう思われましたの?」

アネットに思い当る節はないが、フルールが確信的な質問をしたのなら何かそう思われるだけの理由があるはずだ。

「わたくしだけではなくて、レア様も心配してらっしゃいましたわ。時折お二人のご様子がどこかぎこちないと申しますか、遠慮し合っているように見受けられましたの。差し出がましいようですが、何かお力になれることがあればと思って」

気遣うようなフルールの言葉を嬉しく思うよりも、アネットは壁に頭を打ち付けたくなる。

(私は何をしているの!!)

クロエの様子が違うことに気づかないなんてあり得ない。血の気が引いていくのを感じるアネットにフルールは気遣わしげな表情のまま続けた。

「クロエ様にもお考えがあってのことかもしれませんが――」
フルールの話を聞いたアネットは、反射的に教室を飛び出していた。



(お姉様、お姉様、お姉様!)
一秒でも早くクロエに会いたい、その想いだけで駆けるアネットの様子は、傍から見れば令嬢にあるまじき行為だ。だが今のアネットにはそんなことを気にする余裕もない。
クロエの部屋の前に辿り着き、性急にノックをすると驚いた表情のミリーが出迎えてくれた。

「……お姉様は?」
息を切らしながら短く問うアネットにミリーは困ったような顔で告げた。

「まだお戻りになっておりません。……てっきりアネット様とご一緒とばかり思っておりましたが、何かあったのですか?」

ミリーの問いかけにアネットは答えられなかった。クロエの身に何か特別なことが起こったわけではない。
差し迫った脅威などではなく、アネットを駆り立てている焦燥感は知らされなかったことへのショックと不安から派生していた。

(お姉様もこんな気持ちだったのかしら……)

リシャールとのことも、嫌がらせのことも自力で解決しようとしたアネットだが、クロエはいつも打ち明けて欲しいと言ってくれた。それでもクロエを煩わせたくないという気持ちから躊躇っていたのだが、いざ自分が逆の立場になれば不安で胸が苦しくなる。

込み上げてくる罪悪感と悲しさに目元が熱を帯びてくるのを感じた。それを振り払うようにぎゅっと強く目を閉じてから顔を上げれば、不安そうな表情のミリーと目があってアネットは慌ててぎこちない笑みを浮かべて誤魔化す。

「ごめんなさい。お姉様に会いたくなっただけなの」

クロエが自分の予定をアネットに告げる義務はない。嘘を吐かれたわけではなく、ただ言わなかっただけ。自分だって何もかもクロエに打ち明けているわけではないのに、色々な感情が入り混じって落ち着かない。

(こんな状態でお姉様とお話ししても、きっと良くないわ)
不在で逆に良かったのだと納得したアネットが自室に戻ろうと考えた矢先のことだった。

「アネット、来ていたのね」
大好きなクロエの声を聞きたくないと感じたのは初めてだった。



「それで、何かあったのかしら?」

カップをソーサーに戻してアネットを見つめるクロエはいつも通りに見える。それが何故かとても寂しいような切ないような感覚に胸が詰まった。

「……お姉様は最近よくお茶会にご参加されているとお聞きしました」

迷いながらも告げた言葉はどこか責めるような響きが伴い、アネットは自分の発言にもかかわらずヒヤリとする。それなのにクロエの返答は淡々としたものだった。

「ええ、それがどうかしたの?」

貴族令嬢として、何よりも第二王子の婚約者としてお茶会に参加することは何らおかしいことではない。
教えてくれなかったことに憤りを覚えるのは間違っている。身勝手な感情だと自覚したからこそアネットはそれ以上言葉を続けることができない。
大好きなクロエといるのにどうしていいか分からず指先をぎゅっと握りしめれば、ふっと空気が動いた。

「アネット、わたくしはもう大丈夫よ。だから心配しないで」

その瞳には慈愛の色が浮かび、口元にも微笑みを浮かべているのにアネットは息が止まりそうなほどに衝撃を受けた。



その後どうやって部屋に戻ったかよく覚えていない。

(お姉様の行為は何も間違っていないし、ちゃんと気遣ってくれた)
アネットの不安を宥めるように掛けてくれた言葉には温かく労わるような色があったのに、何故か線を引かれたような気がした。

クロエの将来を考えればアネットが全て先回りしてクロエを守ることなど不可能だ。隣にいたはずの存在が急に手元を離れたような心細さに、まるで子離れできない親のようだとアネットは自嘲の笑みを浮かべる。

「そうよね。お姉様は行儀作法も成績も素晴らしいし、王子妃教育だって受けているもの」

もう幼い少女ではないのだと分かっていても、割り切れない感情にアネットは自分がクロエにどれだけ甘えていたのかと思い知らされた。アネットにとってクロエは大切な唯一の家族であり、長年庇護すべき存在だったのだ。そしてそれこそがアネットの精神的な支えとなっていた。

(推しとの距離が近すぎるのはマナー違反というものよね)

自分の存在がクロエの迷惑になるようでは本末転倒である。もやもやした感情を飲み込んでアネットは自分の行動を振り返り、一人反省会を行うのだった。



いつもより苦く感じる紅茶をクロエは愁いとともに飲み込んだ。
人の気配を感じて顔を上げれば、クロエの前に新しいカップが差し出された。湯気が立ち昇り甘い香りが鼻腔をくすぐり、肩の力が抜けていくように感じる。

「……アネットを傷付けてしまったわ。せっかく心配してくれたのに」

指先を温めるようにカップを両手で包み込み、蜂蜜入りのホットミルクを飲む。クロエがぽつりと心情を吐露すれば、傍に立つミリーは優しい表情でクロエの言葉に耳を傾けてくれる。

「お茶会で嫌なことを言われても平気なの。でもアネットに話せば何があったか気付かれてしまうし、きっとわたくしのために無茶をするわ。あの子にはもっと自分のために時間を使って欲しいのに、嫌な思いをさせてしまうなんてこれでは本末転倒ね……」

「アネット様はクロエ様のことが大好きですからね」
控えめに返ってきたミリーの言葉に自然と口元が緩む。

(大好きな、わたくしの可愛い妹)

お茶会での不愉快な言葉を思い出せば悔しくてたまらない。クロエを直接貶めることが難しいと悟った令嬢たちは、さもクロエに同情しているという風に婉曲な言い回しでアネットを侮辱する発言を繰り返した。
アネットを擁護すればするほど、令嬢たちはクロエを褒め称えながらもアネットを貶める。

毅然とした態度は年長の淑女に通用しても、まだ成人を迎えていない令嬢たちには逆効果なようで、薄っぺらく耳触りの良い言葉の裏には侮るような響きがあった。
もちろん相手にはせず彼女たちの発言や交友関係を把握しつつ、淡々と情報収集を行う。そんな中でも思慮深い令嬢や聡明で才能のある将来有望な令嬢たちを見定めていくのがクロエの務めだ。

「アネットに紹介できる友人が出来たら、ちゃんと話すわ」

そう決めてしまえば、楽しくないお茶会も頑張ろうという気になった。甘いホットミルクと慈愛の表情を浮かべた侍女のお陰で心が落ち着いたようだ。
アネットの無邪気な笑顔を思い浮かべて、クロエは自分の為すべきことに集中することを決めた。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

さんざん馬鹿にされてきた最弱精霊使いですが、剣一本で魔物を倒し続けたらパートナーが最強の『大精霊』に進化したので逆襲を始めます。

ヒツキノドカ
ファンタジー
 誰もがパートナーの精霊を持つウィスティリア王国。  そこでは精霊によって人生が決まり、また身分の高いものほど強い精霊を宿すといわれている。  しかし第二王子シグは最弱の精霊を宿して生まれたために王家を追放されてしまう。  身分を剥奪されたシグは冒険者になり、剣一本で魔物を倒して生計を立てるようになる。しかしそこでも精霊の弱さから見下された。ひどい時は他の冒険者に襲われこともあった。  そんな生活がしばらく続いたある日――今までの苦労が報われ精霊が進化。  姿は美しい白髪の少女に。  伝説の大精霊となり、『天候にまつわる全属性使用可』という規格外の能力を得たクゥは、「今まで育ててくれた恩返しがしたい!」と懐きまくってくる。  最強の相棒を手に入れたシグは、今まで自分を見下してきた人間たちを見返すことを決意するのだった。 ーーーーーー ーーー 閲覧、お気に入り登録、感想等いつもありがとうございます。とても励みになります! ※2020.6.8お陰様でHOTランキングに載ることができました。ご愛読感謝!

傍若無人な姉の代わりに働かされていた妹、辺境領地に左遷されたと思ったら待っていたのは王子様でした!? ~無自覚天才錬金術師の辺境街づくり~

日之影ソラ
恋愛
【新作連載スタート!!】 https://ncode.syosetu.com/n1741iq/ https://www.alphapolis.co.jp/novel/516811515/430858199 【小説家になろうで先行公開中】 https://ncode.syosetu.com/n0091ip/ 働かずパーティーに参加したり、男と遊んでばかりいる姉の代わりに宮廷で錬金術師として働き続けていた妹のルミナ。両親も、姉も、婚約者すら頼れない。一人で孤独に耐えながら、日夜働いていた彼女に対して、婚約者から突然の婚約破棄と、辺境への転属を告げられる。 地位も婚約者も失ってさぞ悲しむと期待した彼らが見たのは、あっさりと受け入れて荷造りを始めるルミナの姿で……?

条件付きチート『吸収』でのんびり冒険者ライフ!

ヒビキ タクト
ファンタジー
旧題:異世界転生 ~条件付きスキル・スキル吸収を駆使し、冒険者から成り上がれ~ 平凡な人生にガンと宣告された男が異世界に転生する。異世界神により特典(条件付きスキルと便利なスキル)をもらい異世界アダムスに転生し、子爵家の三男が冒険者となり成り上がるお話。   スキルや魔法を駆使し、奴隷や従魔と一緒に楽しく過ごしていく。そこには困難も…。   従魔ハクのモフモフは見所。週に4~5話は更新していきたいと思いますので、是非楽しく読んでいただければ幸いです♪   異世界小説を沢山読んできた中で自分だったらこうしたいと言う作品にしております。

病弱少女、転生して健康な肉体(最強)を手に入れる~友達が欲しくて魔境を旅立ちましたが、どうやら私の魔法は少しおかしいようです~

アトハ
ファンタジー
【短いあらすじ】 普通を勘違いした魔界育ちの少女が、王都に旅立ちうっかり無双してしまう話(前世は病院少女なので、本人は「超健康な身体すごい!!」と無邪気に喜んでます) 【まじめなあらすじ】  主人公のフィアナは、前世では一生を病院で過ごした病弱少女であったが……、 「健康な身体って凄い! 神さま、ありがとう!(ドラゴンをワンパンしながら)」  転生して、超健康な身体(最強!)を手に入れてしまう。  魔界で育ったフィアナには、この世界の普通が分からない。  友達を作るため、王都の学園へと旅立つことになるのだが……、 「なるほど! 王都では、ドラゴンを狩るには許可が必要なんですね!」 「「「違う、そうじゃない!!」」」  これは魔界で育った超健康な少女が、うっかり無双してしまうお話である。 ※他サイトにも投稿中 ※旧タイトル 病弱少女、転生して健康な肉体(最強)を手に入れる~友達が欲しくて魔境を旅立ちましたが、どうやら私の魔法は少しおかしいようです~

どうせ結末は変わらないのだと開き直ってみましたら

風見ゆうみ
恋愛
「もう、無理です!」 伯爵令嬢である私、アンナ・ディストリーは屋根裏部屋で叫びました。 男の子がほしかったのに生まれたのが私だったという理由で家族から嫌われていた私は、密かに好きな人だった伯爵令息であるエイン様の元に嫁いだその日に、エイン様と実の姉のミルーナに殺されてしまいます。 それからはなぜか、殺されては子どもの頃に巻き戻るを繰り返し、今回で11回目の人生です。 何をやっても同じ結末なら抗うことはやめて、開き直って生きていきましょう。 そう考えた私は、姉の機嫌を損ねないように目立たずに生きていくことをやめ、学園生活を楽しむことに。 学期末のテストで1位になったことで、姉の怒りを買ってしまい、なんと婚約を解消させられることに! これで死なずにすむのでは!? ウキウキしていた私の前に元婚約者のエイン様が現れ―― あなたへの愛情なんてとっくに消え去っているんですが?

両親の愛を諦めたら、婚約者が溺愛してくるようになりました

ボタニカルseven
恋愛
HOT1位ありがとうございます!!!!!! 「どうしたら愛してくれましたか」 リュシエンヌ・フロラインが最後に聞いた問いかけ。それの答えは「一生愛すつもりなどなかった。お前がお前である限り」だった。両親に愛されようと必死に頑張ってきたリュシエンヌは愛された妹を嫉妬し、憎み、恨んだ。その果てには妹を殺しかけ、自分が死刑にされた。 そんな令嬢が時を戻り、両親からの愛をもう求めないと誓う物語。

あなたに捧げる愛などありません

風見ゆうみ
恋愛
私は公爵である夫と彼を可愛がる義母から疎まれていた。 理由は私の癖っ毛の黒色の髪が気に入らないらしい。 ある日、私は魔法使いがいる国、マジルカ国の女王陛下専属の魔道士に、髪の毛がストレートになる魔法をかけてもらう。 これで夫に愛してもらえる! そう思った私は、夫にこの姿を見てもらいたくて予定よりも早く屋敷に戻った。 けれど、夫は私たち夫婦の寝室で浮気の真っ最中だった。 怒りとショックで打ち震える私に謝る様子もなく、馬鹿にしてきた夫だったが、ストレートの髪になった私を見て「なんて美しいんだ」と声を漏らした。 なぜかはわからない。 そんな夫を見た瞬間、私の中の彼への愛は急激に冷めてしまった。 ※史実とは異なる異世界の世界観であり、設定はゆるゆるで、ご都合主義です。 ※誤字脱字など見直して気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。教えていただけますと有り難いです。

【完結】アラサー喪女が転生したら悪役令嬢だった件。断罪からはじまる悪役令嬢は、回避不能なヤンデレ様に溺愛を確約されても困ります!

美杉。節約令嬢、書籍化進行中
恋愛
『ルド様……あなたが愛した人は私ですか? それともこの体のアーシエなのですか?』  そんな風に簡単に聞くことが出来たら、どれだけ良かっただろう。  目が覚めた瞬間、私は今置かれた現状に絶望した。  なにせ牢屋に繋がれた金髪縦ロールの令嬢になっていたのだから。  元々は社畜で喪女。挙句にオタクで、恋をすることもないままの死亡エンドだったようで、この世界に転生をしてきてしあったらしい。  ただまったく転生前のこの令嬢の記憶がなく、ただ状況から断罪シーンと私は推測した。  いきなり生き返って死亡エンドはないでしょう。さすがにこれは神様恨みますとばかりに、私はその場で断罪を行おうとする王太子ルドと対峙する。  なんとしても回避したい。そう思い行動をした私は、なぜか回避するどころか王太子であるルドとのヤンデレルートに突入してしまう。  このままヤンデレルートでの死亡エンドなんて絶対に嫌だ。なんとしても、ヤンデレルートを溺愛ルートへ移行させようと模索する。  悪役令嬢は誰なのか。私は誰なのか。  ルドの溺愛が加速するごとに、彼の愛する人が本当は誰なのかと、だんだん苦しくなっていく――

処理中です...