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傷心

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「明日から新学期が始まるというのに、こんな場所にいていいのかい?」

声を掛ければちらりと琥珀色の瞳がこちら向けたが、またすぐに窓の方に視線を戻してしまう。窓の外には何も珍しいものはなく、人との関わりを避けるためだけの行為だと分かっていたが、そろそろ止めさせるべきだろう。

リシャールは既に6日連続で王族専用の書庫に来てはただ物憂げにぼんやりと時を過ごしていた。その原因が分かっているからこそ、セルジュは邪魔することなくそっとしておいたのだ。
動揺と痛みを伴った婚約者の言葉が脳裏によぎる。

『わたくしが、余計なことをしてしまったせいで――』
辛そうな表情に胸が詰まったが、普段は弱音を吐かないクロエが躊躇いながらも打ち明けてくれたのだ。そのことがセルジュにとってどれだけ嬉しかったことか――。

(気にしていないと思っていたのに、本当は気にしていたんだな)
そんな自分に苦笑する。

あの日リシャールと二人で話したいとクロエから告げられた時には、心が揺れることもなく、必要なことなのだろうと気軽に了承したのだが、無意識のうちに淡いわだかまりを抱いていたようだ。
アネットへの婚約の申し入れをきっかけに、クロエはあの日リシャールと交わした会話も含めてセルジュに伝えてくれていた。

彼女が望み、願うことなら何でも叶えてあげたい。けれどもそれが自分との関係性を断つようなものであれば、絶対に許すつもりはないだろう。
自分でも意外なほどの執着を向けていることに呆れながらも、それ以上に誇らしい気持ちが先に立つ。

クロエは確かに美しいが、それだけが彼女の魅力ではない。そしてそれを見抜き、繊細なガラスのような柔らかい部分を守り育んだのはアネットなのだ。だからセルジュはアネットに感謝しているし、彼女が困っているなら力になってやりたいと思っている。

それでも身分は時に枷となり思うように動けない。クラリスの件でセルジュが対処したのはそんな未来の義妹を守るために万全を期そうとした結果なのだが、そのせいで余計な人物の注意を引いてしまった可能性が出てきてしまった。

「……大丈夫だ。明日からはきちんと振舞うし――彼女には近づかないようにする」

セルジュがその場に留まっていると、ややあってリシャールはぽつりと告げた。名前を呼ぶのを躊躇うほどに、心を痛めているのだと分かる。

「…まだ婚約者候補だ。遅かれ早かれルヴィエ侯爵家の後継を望む者たちが出てくることは分かっていただろう?それにアネット嬢はそれを望んでいないようだ」
既に理解しているはずのことを敢えて告げてみせたセルジュに、リシャールはようやく視線を合わせた。

「……彼女が望まなくても婚約は家同士の契約だ。本人の意思など関係ないし、俺個人の身勝手な想いなど無意味だし彼女にとっては迷惑でしかないだろう」

(そんな沈鬱な表情をして無関係などとよく言える)

現在繊細な心理状態である従弟に告げるには、少々酷かもしれないとセルジュは心の裡だけに留める。
手段がないわけではない。リシャールがアネットに婚約を申し込めばいいのだ。
公爵家としても縁づく貴族との選択肢は多くないし、侯爵家であれば身分差もさほど大きな障害とならない。

それでもリシャールがそれをしないのは、自分とクロエの婚約に続き王家に近しいナビエ公爵家までもがルヴィエ家と婚約を交わすことで、権力の集中が危ぶまれるからだ。
そしてそれ以上にリシャールが厭っているのは、アネットの意向を無視して婚約を申し込むことで彼女に軽蔑されることにある。

優しいと評されることの多いセルジュだが、自分の冷淡さを知る者は身内を含めてごく僅かしかいない。もし逆の立場であれば、セルジュはリシャールの立場を慮ることなく、自分の望みを叶えようと奔走しただろう。そして愛しい人の気を惹くために、使える手札を容赦なく利用し手に入れようとする。
従弟の純粋な側面を知って微笑ましい気持ちを覚えたこともあるが、それでは彼の望みは叶わない。

「……クロエが随分と心配していたけど、フェルナン殿からの贈り物より君が贈った本のほうが余程喜んでくれていたそうじゃないか」

歯痒さを感じつつもリシャールの気分を紛らわせようと話題をずらせば、わずかに雰囲気が緩む。
クロエはリシャールを牽制したせいで、アクセサリーなどの貴金属を選ばなかったのではないかとを気にしていた。そして初めて貴族令嬢らしい贈り物をしたのがフェルナンだったことも、クロエが罪悪感を覚える理由になったらしい。

クロエから預かった手紙はセルジュとリシャールそれぞれ別々にもらったため、どのような内容かは分からないが、その様子を聞いていたのできっと正直な喜びと感謝のこもった手紙だったのだろうと推測できる。

「そうだな。……最期の贈り物になったとしても、喜んでくれる物を渡せて良かった」

どうやっても堂々巡りの思考になってしまうようだ。
高潔であろうとするがゆえに自分の願望を押し殺そうとする不器用な従弟に、何かしてやれることはあるだろうかとセルジュは再び考えを巡らせた。

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