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休暇中の訪問者
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夏季休暇の間、領地に戻ることになったアネットはそれなりに満喫した日々を過ごしていた。
クロエが王城で婚約者教育を受けるためアネットだけ一足早く帰宅する羽目になったのだが、相変わらずひんやりとした空気の実家では淡々と勉強に勤しんだ。
義母の嫌味を受け流し、父の前ではそつなく淑女の仮面を被り、あとは将来のために収入の高い職業や働くために必要な資格や知識をこっそり調べたりと悪くない休日を過ごしていたのだ。
遅れて帰ってきたクロエと邸内で会う時間は制限されるものの、一緒にお茶を飲む時間を確保した。セルジュが不在のため久しぶりにクロエを独り占めできる幸福な時間だ。
温室で取り留めない話をする時のクロエの顔がいつもより柔らかく、初めての集団生活で気疲れが溜まっているのだろう。
そんなクロエのためにリラックスしてもらうためのお茶やお菓子、特製クッションの制作などに励むなどの充実した時間があっさりと崩れ去ったのは、休暇が終わる直前のことだった。
(……見通しが甘かった、結局はそこに尽きるわね)
思わぬ来客にアネットは自分の立ち位置を思い知らされていた。
一人前の淑女としてデビューするのは18歳からで学園卒業後となる。その前に婚約者が決まることもあるが、この国ではさほど多くはない。
有力な貴族への婚約争いが激化し、婚約者となる幼い子供の命が狙われることとなった結果、凄惨な事件に発展したケースが相次いだ時期があったのだ。大人の思惑に翻弄された幼い命を悼み、今ではデビュー前後になってから婚約を結ぶのが一般的になった。
ましてや公式的なアネットの年齢は15歳、まだ余裕があると思っていた自分の能天気さを呪いながら、社交辞令の笑みを貼り付けて向かい合わせに座った人物の様子を窺う。
「先日は私事でお手数お掛け致しました、フェルナン様」
手助けしてくれたことには感謝しているが、それとこれとは別である。
単純に使い勝手が良さそうだからと生徒会に勧誘されているのだと思っていたフェルナンは、本日婚約の申し込みのためルヴィエ家を訪れていた。
「そんなに警戒しないでくれ」
困ったような笑みを浮かべ人の良さそうな印象なのだが、その瞳はどこか面白がっているように見える。
「婚約についてはルヴィエ侯爵から条件を出されているんだ。まだ候補の段階なのだから、あまり気を張らずもう少しお互いを知る機会をくれたら嬉しいよ」
カミーユが出した条件はフェルナンが手掛けている事業が1年以内に一定以上の利益を上げることだ。
その金額がいくらで実現可能な範囲なのかアネットは知らない。だが不可能な数字であればこんな風に余裕のある態度を見せないだろうし、アネットに無駄な時間を割かないのではないか。
そう考えてアネットは憂鬱な気分になる。フェルナンが嫌だという訳ではない。婚約者が決定してしまえば全てを放棄して逃げることは難しくなる。アネットだけの問題ではなく、ルヴィエ家の問題として余計なしがらみを残してしまうことになるからだ。
(自由を奪われるのは、思った以上に嫌なことね)
クロエがいない侯爵家に未練などない。厄介なことになりそうな予感にアネットは表情が崩れないことに意識を集中させた。
「アネット嬢は俺との婚約は嫌かな?」
答えにくい問いかけにアネットは無言の笑みで答える。下手に言質を与えるような真似はしない。
「他の候補者より俺の方がお買い得だと思うよ」
冗談混じりの言葉にアネットは思わず反応した。
「……他にもいらっしゃるのですか?」
「うーん、アネット嬢は自分の価値を分かっていないようだ」
確かに侯爵家の爵位は魅力的だが、貴族は選民思考が多い。平民の血を引くアネットとの婚約者探しは難航するものとばかり思っていたのだが、甘かったようだ。
「俺にはアネット嬢自身も魅力的だと思っているけど、爵位を継いで貴族の愛人に子供を産ませて後継にするなんて考える男もいるからね」
そういう面での倫理観と女性の地位の低さをアネットは失念していた。
他の候補者は伯爵家の次男と男爵家の三男だが、どちらも低迷気味で侯爵家と縁続きになることを望んでいるらしい。フェルナンからの情報であるため鵜呑みにしてはいけないが、婚約者候補が複数人いることは確かなようだ。
「一応俺が最有力候補みたいだからこうやってアネット嬢に会う権利を得たんだよ」
思っていたよりもずっと早く、アネットは自分の外堀が埋められていることを知らされる。気分が沈みかけた時、それを打ち破るようにノックの音が響く。
「失礼いたしますわ」
「お姉様!」
凛とした美しい声に先ほどまでの憂鬱な気分がたちまち吹き飛んでしまう。
孤児院の慰問に言っていたクロエだが、帰って来るなり事情を聞いて駆けつけてくれたようだ。婚約者候補として現れたフェルナンとの何を話してよいか分からず、また迂闊な言動で自分の首を絞めないようにと張り詰めていた緊張の糸がほろりとほどける。
「シアマ会長、先日は妹のことで大変お世話になりました。姉としてお礼を言いますわ」
「いや、当然のことをしたまでだ。それに結局は殿下とリシャール殿が解決したようなものだから気遣いは不要だよ」
(あら?)
そのやりとりでアネットは異変に気付いた。クロエもフェルナンも笑顔を浮かべているものの、どこか殺伐とした雰囲気を醸し出している。
(お姉様は会長がお嫌いなのかしら?)
だとすれば無理をさせたくないのだが、アネットを心配してきてくれたのだから退出を促すのはクロエの好意を無駄にしてしまうことになる。
「お姉様、お疲れでしょう?こちらにお掛けになってください。ジョゼ、お姉様にもお茶を用意してちょうだい」
自分の隣の席を進めるとクロエはにこやかな笑みを浮かべて腰を下ろす。フェルナンが顔を顰めたような気がしたが、アネットが正面に顔を戻した時には柔らかい笑みに変わっていた。
「クロエ嬢はアネット嬢のことを随分可愛がっているのだね。少々過保護すぎるきらいもあるようだが」
「ええ、大事な可愛い妹ですもの。将来のお相手を見定めるのも姉として当然の責務ですわ」
表面上和やかなようでどこか攻撃的な言葉の応酬に、アネットは大人しくもそもそとクッキーを口に運ぶ。いざとなればクロエの助勢を行うのはもちろんなのだが、会話の中心が自分のことなのでどう口を挟んでよいか分からない。
ちらりとジョゼに視線を向けるが、「私はただの侍女です」とばかりに無関心を貫いている。それならば、とアネットもしばし静観することにした。
好戦的なクロエは珍しく、きりりとした雰囲気がはっとするほど美しい。
うっとりと見惚れていると会話が途切れ、フェルナンはどこか諦めたような表情で小さくため息を漏らした。
「今日のところは引き揚げるとしよう。アネット嬢、少し早いけど誕生日の贈り物だ」
綺麗に包装された小さな箱は恐らくアクセサリーの類だろう。本音を言えば過分なものを受け取りたくないのだが、理由があるプレゼントを断るのは失礼にあたる。
「こんなもので歓心を得られるとは思っていないし、俺の自己満足のようなものだからあまり深く考えず受け取ってくれれば嬉しいな」
アネットの逡巡を察してフェルナンはさらりとした口調で付け加える。
ここで固辞するのは良くないと判断したアネットは丁寧に礼を述べて箱を手にした。
(わあ、これはちょっと重い……)
鮮やかなオレンジサファイアを使ったティアドロップのネックレスだ。
「とても、素敵なデザインですね。ありがとうございます」
伯爵家であれば買えない金額でもないが、学生の身分で気軽に買う物ではない。フェルナンが本気で婚約を申し込んでいることが分かってしまった。
フェルナンはそんなアネットの様子を見て満足そうな笑みを浮かべた。
クロエが王城で婚約者教育を受けるためアネットだけ一足早く帰宅する羽目になったのだが、相変わらずひんやりとした空気の実家では淡々と勉強に勤しんだ。
義母の嫌味を受け流し、父の前ではそつなく淑女の仮面を被り、あとは将来のために収入の高い職業や働くために必要な資格や知識をこっそり調べたりと悪くない休日を過ごしていたのだ。
遅れて帰ってきたクロエと邸内で会う時間は制限されるものの、一緒にお茶を飲む時間を確保した。セルジュが不在のため久しぶりにクロエを独り占めできる幸福な時間だ。
温室で取り留めない話をする時のクロエの顔がいつもより柔らかく、初めての集団生活で気疲れが溜まっているのだろう。
そんなクロエのためにリラックスしてもらうためのお茶やお菓子、特製クッションの制作などに励むなどの充実した時間があっさりと崩れ去ったのは、休暇が終わる直前のことだった。
(……見通しが甘かった、結局はそこに尽きるわね)
思わぬ来客にアネットは自分の立ち位置を思い知らされていた。
一人前の淑女としてデビューするのは18歳からで学園卒業後となる。その前に婚約者が決まることもあるが、この国ではさほど多くはない。
有力な貴族への婚約争いが激化し、婚約者となる幼い子供の命が狙われることとなった結果、凄惨な事件に発展したケースが相次いだ時期があったのだ。大人の思惑に翻弄された幼い命を悼み、今ではデビュー前後になってから婚約を結ぶのが一般的になった。
ましてや公式的なアネットの年齢は15歳、まだ余裕があると思っていた自分の能天気さを呪いながら、社交辞令の笑みを貼り付けて向かい合わせに座った人物の様子を窺う。
「先日は私事でお手数お掛け致しました、フェルナン様」
手助けしてくれたことには感謝しているが、それとこれとは別である。
単純に使い勝手が良さそうだからと生徒会に勧誘されているのだと思っていたフェルナンは、本日婚約の申し込みのためルヴィエ家を訪れていた。
「そんなに警戒しないでくれ」
困ったような笑みを浮かべ人の良さそうな印象なのだが、その瞳はどこか面白がっているように見える。
「婚約についてはルヴィエ侯爵から条件を出されているんだ。まだ候補の段階なのだから、あまり気を張らずもう少しお互いを知る機会をくれたら嬉しいよ」
カミーユが出した条件はフェルナンが手掛けている事業が1年以内に一定以上の利益を上げることだ。
その金額がいくらで実現可能な範囲なのかアネットは知らない。だが不可能な数字であればこんな風に余裕のある態度を見せないだろうし、アネットに無駄な時間を割かないのではないか。
そう考えてアネットは憂鬱な気分になる。フェルナンが嫌だという訳ではない。婚約者が決定してしまえば全てを放棄して逃げることは難しくなる。アネットだけの問題ではなく、ルヴィエ家の問題として余計なしがらみを残してしまうことになるからだ。
(自由を奪われるのは、思った以上に嫌なことね)
クロエがいない侯爵家に未練などない。厄介なことになりそうな予感にアネットは表情が崩れないことに意識を集中させた。
「アネット嬢は俺との婚約は嫌かな?」
答えにくい問いかけにアネットは無言の笑みで答える。下手に言質を与えるような真似はしない。
「他の候補者より俺の方がお買い得だと思うよ」
冗談混じりの言葉にアネットは思わず反応した。
「……他にもいらっしゃるのですか?」
「うーん、アネット嬢は自分の価値を分かっていないようだ」
確かに侯爵家の爵位は魅力的だが、貴族は選民思考が多い。平民の血を引くアネットとの婚約者探しは難航するものとばかり思っていたのだが、甘かったようだ。
「俺にはアネット嬢自身も魅力的だと思っているけど、爵位を継いで貴族の愛人に子供を産ませて後継にするなんて考える男もいるからね」
そういう面での倫理観と女性の地位の低さをアネットは失念していた。
他の候補者は伯爵家の次男と男爵家の三男だが、どちらも低迷気味で侯爵家と縁続きになることを望んでいるらしい。フェルナンからの情報であるため鵜呑みにしてはいけないが、婚約者候補が複数人いることは確かなようだ。
「一応俺が最有力候補みたいだからこうやってアネット嬢に会う権利を得たんだよ」
思っていたよりもずっと早く、アネットは自分の外堀が埋められていることを知らされる。気分が沈みかけた時、それを打ち破るようにノックの音が響く。
「失礼いたしますわ」
「お姉様!」
凛とした美しい声に先ほどまでの憂鬱な気分がたちまち吹き飛んでしまう。
孤児院の慰問に言っていたクロエだが、帰って来るなり事情を聞いて駆けつけてくれたようだ。婚約者候補として現れたフェルナンとの何を話してよいか分からず、また迂闊な言動で自分の首を絞めないようにと張り詰めていた緊張の糸がほろりとほどける。
「シアマ会長、先日は妹のことで大変お世話になりました。姉としてお礼を言いますわ」
「いや、当然のことをしたまでだ。それに結局は殿下とリシャール殿が解決したようなものだから気遣いは不要だよ」
(あら?)
そのやりとりでアネットは異変に気付いた。クロエもフェルナンも笑顔を浮かべているものの、どこか殺伐とした雰囲気を醸し出している。
(お姉様は会長がお嫌いなのかしら?)
だとすれば無理をさせたくないのだが、アネットを心配してきてくれたのだから退出を促すのはクロエの好意を無駄にしてしまうことになる。
「お姉様、お疲れでしょう?こちらにお掛けになってください。ジョゼ、お姉様にもお茶を用意してちょうだい」
自分の隣の席を進めるとクロエはにこやかな笑みを浮かべて腰を下ろす。フェルナンが顔を顰めたような気がしたが、アネットが正面に顔を戻した時には柔らかい笑みに変わっていた。
「クロエ嬢はアネット嬢のことを随分可愛がっているのだね。少々過保護すぎるきらいもあるようだが」
「ええ、大事な可愛い妹ですもの。将来のお相手を見定めるのも姉として当然の責務ですわ」
表面上和やかなようでどこか攻撃的な言葉の応酬に、アネットは大人しくもそもそとクッキーを口に運ぶ。いざとなればクロエの助勢を行うのはもちろんなのだが、会話の中心が自分のことなのでどう口を挟んでよいか分からない。
ちらりとジョゼに視線を向けるが、「私はただの侍女です」とばかりに無関心を貫いている。それならば、とアネットもしばし静観することにした。
好戦的なクロエは珍しく、きりりとした雰囲気がはっとするほど美しい。
うっとりと見惚れていると会話が途切れ、フェルナンはどこか諦めたような表情で小さくため息を漏らした。
「今日のところは引き揚げるとしよう。アネット嬢、少し早いけど誕生日の贈り物だ」
綺麗に包装された小さな箱は恐らくアクセサリーの類だろう。本音を言えば過分なものを受け取りたくないのだが、理由があるプレゼントを断るのは失礼にあたる。
「こんなもので歓心を得られるとは思っていないし、俺の自己満足のようなものだからあまり深く考えず受け取ってくれれば嬉しいな」
アネットの逡巡を察してフェルナンはさらりとした口調で付け加える。
ここで固辞するのは良くないと判断したアネットは丁寧に礼を述べて箱を手にした。
(わあ、これはちょっと重い……)
鮮やかなオレンジサファイアを使ったティアドロップのネックレスだ。
「とても、素敵なデザインですね。ありがとうございます」
伯爵家であれば買えない金額でもないが、学生の身分で気軽に買う物ではない。フェルナンが本気で婚約を申し込んでいることが分かってしまった。
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