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生徒会長と噂
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「こんにちは、アネット・ルヴィエ侯爵令嬢。少し話がしたいのだけど、時間はあるかな?」
わざわざ教室を訪れた上級生の誘いを断れるわけがない。
入学式の時に一度顔を合わせたことのある生徒会長のフェルナン・シアマ伯爵令息の問いかけにアネットは淑女の笑みを貼りつけて応えたのだった。
「アネット様、シアマ会長はどのようなご用件でしたの?」
アネットは口に入れたチキンソテーを咀嚼しながら、何と返答して良いかと束の間考えたが、結局そのまま告げることにした。
「生徒会のお手伝いをして欲しいと言われました」
「あら、それは生徒会へお誘いですわね。アネット様は優秀でいらっしゃいますもの」
素直な反応を見せるレアだが、アネットの予測は少々異なる。
「いえ、恐らく会長は殿下がお目当てかと…」
生徒会長であっても伯爵令息の身分で直接声を掛けるのは非礼だと判断したのだろう。クロエの妹であり、僅かに接点のあるアネット経由でセルジュとの繋がりを持とうとしたのだとアネットは推測していた。
「確かに王族の方々が生徒会長になるのは通例ですが、それならば直接お声掛けされると思いますわ」
フルールの言葉に同意はするものの、どことなくあの生徒会長は油断がならないとアネットは感じていた。
(なんていうか生徒会への誘いだけが目的じゃないような気がしたのよね…)
「アネットは、どうしたいの?」
ぼんやりとしていたが、クロエの問いかけにアネットはすぐさま切り替える。
「私は生徒会のお手伝いはまだ荷が重いと思っております。今は勉学に集中したいですわ」
嘘は吐いていないが、クロエや友人たちの時間が削られたくないのと、これ以上目立つのを避けたいというのが本当のところだ。
同じ言葉をフェルナンに伝えたところ、返事は急がないと先延ばしされた形になった。そのことからも交渉に慣れた様子がうかがえたため、アネットの警戒度が高まったのだ。
フェルナンの意図に気を取られたアネットは、うっかり失念していた。本当に厄介なのは間接的に発生する他者の思惑であることを――。
「本当に誰彼構わず色目を使ってはしたないこと」
嘲笑を含んだ声とそれに追従するような忍び笑いにアネットは咄嗟に振り向いてしまった。
口元を隠して視線をこちらに向けないものの、該当しそうなグループはロザリーたちしかいない。本を譲った男子生徒も戸惑ったような顔をしていたが、アネットは会釈だけしてその場を離れた。
「あら、失敗したみたいね。悪いことをしたわ」
アネットに向けた悪意に巻き込むわけにはいかないとの判断だが、それもまた陰口のネタになるらしい。
(珍しく図書館にいると思ったら粗探しのためにわざわざ来たのかしら?よっぽど暇なのね)
人の噂も七十五日、噂を否定するよりも普段通り振舞っていればいいだろう。
相手にしなければそのうち飽きると放置することにしたのだが、ロザリーはそれが気に入らなかったらしい。
「クロエ様、今週末にロザリー様が特別なお茶会を開きますの。ぜひご参加くださいませ」
そう言ってクロエに招待状を持ってきたのは、ロザリーと親しくしている伯爵令嬢だった。傍にアネットがいるにも関わらず、招待状はクロエ宛ての一通のみ。アネットとしては招待されたいわけではなかったが、突然の招待に少なからず不信感を募らせていた。
「ご招待ありがとうございます、リセ様。残念ながら今週末は妹と出かける予定がありますの」
恐らく同じように感じたクロエが差し障りのない断り文句を口にすると、伯爵令嬢――リセ・エヴァンスは焦ったように付け加えた。
「いつも妹君のお守りばかりで大変ですわね。たまにはわたくし達とも親交を深めていただきたいと願って思っているのですが、アネット様はどう思われますか?」
普段は無視するか陰口を叩くばかりなのに、こんな時だけ話しかけてくる令嬢に呆れながらも返答する。
「優しいお姉様がいて幸せですわ」
にっこりと微笑んで見せると、リセは押し黙った。クロエが断ったのにアネットが自ら辞退するような発言をするわけがない。遠慮すると思うほうが間違っているのだ。
「リセ様、クロエ様に良いお返事を頂けまして?」
明らかに旗色が悪いことを察しているのに、素知らぬ顔でロザリーが声を掛けて来る。そもそも同じ教室にいるのだから、本人が持ってくるのは礼儀だろう。
少しでもクロエを格下に扱おうとする様が不愉快だったが、クロエの評判を考えてアネットはぐっと堪える。
「ロザリー様、残念ながら先約がありましたので、お断りさせていただきましたの」
クロエの発言にロザリーが信じられないという表情を作った。
「まあ、クロエ様は社交に慣れてらっしゃらないからご存知ないのですわね。今回のお茶会は高位貴族限定の格式高いものなのですよ。殿下の婚約者であるクロエ様が参加できないとなると、皆がっかりしますわ」
(そんな大事なお茶会なら、もっと前もって伝えるべきよね)
内心呆れているとクロエが優雅に首を傾げてみせる。
「そのように格式の高いお茶会なのに、随分と急なお誘いですわね。よろしければ次回はわたくしのほうからお誘いさせていただきますわ」
さらりと返した言葉は遅い招待への皮肉が僅かに混じっている。きちんとしたお茶会であれば招待を受ける側にも準備する期間が必要のため、直前への誘いは不作法と取られても仕方がない。
「お声が掛かっていないようだからとお誘いしたのに、まるで礼儀知らずのような物言いをなさるなんて酷いわ。殿下の婚約者だからと言って勘違いしているのではなくて」
(行かないって言ってるのにグチグチとしつこいし、鬱陶しいわ)
淡々と受け流しているクロエよりも笑顔を浮かべているアネットのほうが、苛立ちを抑えるのに必死だ。下手に口を出すと余計に面倒だと分かっているから黙っているが、クロエに対する言動も軽んじるような態度もアネットの癇に障る。
「あら、殿下の婚約者だから招待を受ければ勘違いしていると誤解を受けるかもしれないのですね。それでは尚更ご辞退させていただきますわ。ご忠告痛み入ります」
綺麗な会釈とともに堂々とその場を離れるクロエのあとにアネットも続いた。教室を出る直前のロザリーの顔は不快そうに歪んでいた。
(性格は悪いけど、社交に関してはロザリー様の方が上手く立ち回っている。面倒なことにならないうちに、多少動いておくべきかしらね)
ある程度の派閥は理解しているが、ルヴィエ家の立ち位置はクロエがセルジュの婚約者であるため少々独特である。
カミーユ自身も仕事人間だが、立ち回りは得意なほうでなくクロエとセルジュの婚約が結ばれていなければ、優秀な補佐役として活躍していたはずだ。
野心や出世欲はそれなりにあるが、どちらかといえば安定志向なため、派閥に属することもなく淡々と仕事に打ち込むカミーユは規則的な生活を好む。
代わりにデルフィーヌが社交の部分を担当していたが、プライドが高く見栄っ張りなところがあるため、情報収集などよりも自尊心を満たすためのお茶会がほとんだ。
アネットとしても友人たちからの情報や子女たちの振る舞いなど地道な観察に徹している状態だ。そのおかげでレアやフルールといった友人を得ることが出来たが、ルヴィエ家の、もっと言えばクロエの味方となり得る子女は多くない。
「アネット、近いうちにロザリー様もしくは他のご令嬢のお茶会に参加しなければならないけど、心配しないで」
その言葉が自分を慮ってのものだということに気づかないほど鈍感ではない。
「お姉様、その時はどうか私も一緒にお連れください。お姉様が悪意に晒されるようなことがあっては殿下も私も心配でなりませんもの」
一緒にいれば何かあっても悪意の的は簡単にアネットに向けられる。だがクロエ一人で性格が悪く噂好きな令嬢たちの中に放り込まれれば、クロエがどれだけ毅然とした態度を取っていても嫌な思いは避けられないし、心に傷が付きかねない。
「大丈夫よ。セルジュ様の隣に立つのなら、同世代の令嬢たちぐらい躱せないといけないもの」
凜とした表情のまま微笑むクロエは堂々としていてとても美しい。
大切な場所を守ろうとする意志が込められた表情がアネットは好きだった。大切なものを言葉にすることも許されず諦めていた人形のような少女を知っているから尚のこと感慨深く愛しい。
「こうして一緒にいられるのも卒業するまでですもの。それまではお傍にいさせてくださいね」
十年前守ろうと心に誓った少女は、優しさと強さを身に付け美しく成長した。それを誇らしく思いながらも、未だに守ってやりたいと思うのは過保護だろうか。
それでも数年後には離れてしまうことを思えば、出来るかぎり悪意や欲から遠ざけたいと願ってしまう。
心を許した相手だけに見せる柔らかな微笑みに頬を緩ませながら、アネットはそんなことを思っていた。
わざわざ教室を訪れた上級生の誘いを断れるわけがない。
入学式の時に一度顔を合わせたことのある生徒会長のフェルナン・シアマ伯爵令息の問いかけにアネットは淑女の笑みを貼りつけて応えたのだった。
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ぼんやりとしていたが、クロエの問いかけにアネットはすぐさま切り替える。
「私は生徒会のお手伝いはまだ荷が重いと思っております。今は勉学に集中したいですわ」
嘘は吐いていないが、クロエや友人たちの時間が削られたくないのと、これ以上目立つのを避けたいというのが本当のところだ。
同じ言葉をフェルナンに伝えたところ、返事は急がないと先延ばしされた形になった。そのことからも交渉に慣れた様子がうかがえたため、アネットの警戒度が高まったのだ。
フェルナンの意図に気を取られたアネットは、うっかり失念していた。本当に厄介なのは間接的に発生する他者の思惑であることを――。
「本当に誰彼構わず色目を使ってはしたないこと」
嘲笑を含んだ声とそれに追従するような忍び笑いにアネットは咄嗟に振り向いてしまった。
口元を隠して視線をこちらに向けないものの、該当しそうなグループはロザリーたちしかいない。本を譲った男子生徒も戸惑ったような顔をしていたが、アネットは会釈だけしてその場を離れた。
「あら、失敗したみたいね。悪いことをしたわ」
アネットに向けた悪意に巻き込むわけにはいかないとの判断だが、それもまた陰口のネタになるらしい。
(珍しく図書館にいると思ったら粗探しのためにわざわざ来たのかしら?よっぽど暇なのね)
人の噂も七十五日、噂を否定するよりも普段通り振舞っていればいいだろう。
相手にしなければそのうち飽きると放置することにしたのだが、ロザリーはそれが気に入らなかったらしい。
「クロエ様、今週末にロザリー様が特別なお茶会を開きますの。ぜひご参加くださいませ」
そう言ってクロエに招待状を持ってきたのは、ロザリーと親しくしている伯爵令嬢だった。傍にアネットがいるにも関わらず、招待状はクロエ宛ての一通のみ。アネットとしては招待されたいわけではなかったが、突然の招待に少なからず不信感を募らせていた。
「ご招待ありがとうございます、リセ様。残念ながら今週末は妹と出かける予定がありますの」
恐らく同じように感じたクロエが差し障りのない断り文句を口にすると、伯爵令嬢――リセ・エヴァンスは焦ったように付け加えた。
「いつも妹君のお守りばかりで大変ですわね。たまにはわたくし達とも親交を深めていただきたいと願って思っているのですが、アネット様はどう思われますか?」
普段は無視するか陰口を叩くばかりなのに、こんな時だけ話しかけてくる令嬢に呆れながらも返答する。
「優しいお姉様がいて幸せですわ」
にっこりと微笑んで見せると、リセは押し黙った。クロエが断ったのにアネットが自ら辞退するような発言をするわけがない。遠慮すると思うほうが間違っているのだ。
「リセ様、クロエ様に良いお返事を頂けまして?」
明らかに旗色が悪いことを察しているのに、素知らぬ顔でロザリーが声を掛けて来る。そもそも同じ教室にいるのだから、本人が持ってくるのは礼儀だろう。
少しでもクロエを格下に扱おうとする様が不愉快だったが、クロエの評判を考えてアネットはぐっと堪える。
「ロザリー様、残念ながら先約がありましたので、お断りさせていただきましたの」
クロエの発言にロザリーが信じられないという表情を作った。
「まあ、クロエ様は社交に慣れてらっしゃらないからご存知ないのですわね。今回のお茶会は高位貴族限定の格式高いものなのですよ。殿下の婚約者であるクロエ様が参加できないとなると、皆がっかりしますわ」
(そんな大事なお茶会なら、もっと前もって伝えるべきよね)
内心呆れているとクロエが優雅に首を傾げてみせる。
「そのように格式の高いお茶会なのに、随分と急なお誘いですわね。よろしければ次回はわたくしのほうからお誘いさせていただきますわ」
さらりと返した言葉は遅い招待への皮肉が僅かに混じっている。きちんとしたお茶会であれば招待を受ける側にも準備する期間が必要のため、直前への誘いは不作法と取られても仕方がない。
「お声が掛かっていないようだからとお誘いしたのに、まるで礼儀知らずのような物言いをなさるなんて酷いわ。殿下の婚約者だからと言って勘違いしているのではなくて」
(行かないって言ってるのにグチグチとしつこいし、鬱陶しいわ)
淡々と受け流しているクロエよりも笑顔を浮かべているアネットのほうが、苛立ちを抑えるのに必死だ。下手に口を出すと余計に面倒だと分かっているから黙っているが、クロエに対する言動も軽んじるような態度もアネットの癇に障る。
「あら、殿下の婚約者だから招待を受ければ勘違いしていると誤解を受けるかもしれないのですね。それでは尚更ご辞退させていただきますわ。ご忠告痛み入ります」
綺麗な会釈とともに堂々とその場を離れるクロエのあとにアネットも続いた。教室を出る直前のロザリーの顔は不快そうに歪んでいた。
(性格は悪いけど、社交に関してはロザリー様の方が上手く立ち回っている。面倒なことにならないうちに、多少動いておくべきかしらね)
ある程度の派閥は理解しているが、ルヴィエ家の立ち位置はクロエがセルジュの婚約者であるため少々独特である。
カミーユ自身も仕事人間だが、立ち回りは得意なほうでなくクロエとセルジュの婚約が結ばれていなければ、優秀な補佐役として活躍していたはずだ。
野心や出世欲はそれなりにあるが、どちらかといえば安定志向なため、派閥に属することもなく淡々と仕事に打ち込むカミーユは規則的な生活を好む。
代わりにデルフィーヌが社交の部分を担当していたが、プライドが高く見栄っ張りなところがあるため、情報収集などよりも自尊心を満たすためのお茶会がほとんだ。
アネットとしても友人たちからの情報や子女たちの振る舞いなど地道な観察に徹している状態だ。そのおかげでレアやフルールといった友人を得ることが出来たが、ルヴィエ家の、もっと言えばクロエの味方となり得る子女は多くない。
「アネット、近いうちにロザリー様もしくは他のご令嬢のお茶会に参加しなければならないけど、心配しないで」
その言葉が自分を慮ってのものだということに気づかないほど鈍感ではない。
「お姉様、その時はどうか私も一緒にお連れください。お姉様が悪意に晒されるようなことがあっては殿下も私も心配でなりませんもの」
一緒にいれば何かあっても悪意の的は簡単にアネットに向けられる。だがクロエ一人で性格が悪く噂好きな令嬢たちの中に放り込まれれば、クロエがどれだけ毅然とした態度を取っていても嫌な思いは避けられないし、心に傷が付きかねない。
「大丈夫よ。セルジュ様の隣に立つのなら、同世代の令嬢たちぐらい躱せないといけないもの」
凜とした表情のまま微笑むクロエは堂々としていてとても美しい。
大切な場所を守ろうとする意志が込められた表情がアネットは好きだった。大切なものを言葉にすることも許されず諦めていた人形のような少女を知っているから尚のこと感慨深く愛しい。
「こうして一緒にいられるのも卒業するまでですもの。それまではお傍にいさせてくださいね」
十年前守ろうと心に誓った少女は、優しさと強さを身に付け美しく成長した。それを誇らしく思いながらも、未だに守ってやりたいと思うのは過保護だろうか。
それでも数年後には離れてしまうことを思えば、出来るかぎり悪意や欲から遠ざけたいと願ってしまう。
心を許した相手だけに見せる柔らかな微笑みに頬を緩ませながら、アネットはそんなことを思っていた。
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