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「推し」と嫌がらせ

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「これって軟禁だよね?」

質素ではあるものの食事は三食きちんと与えられている。だが部屋の外に出ることは固く禁じられていた。奥様の許可が必要だと言われ、伝言を頼んでも一向に音沙汰がないのだ。
簡素な部屋にはベッドと小さな机と椅子、そして小さなクローゼットのみ。
することもなく、3日目にしてアネットは我慢の限界を迎えていた。

1階の奥の元々倉庫にでも使われていたような日当たりの悪い場所のため健康にもよくない。こっそり抜け出そうとしたこともあるが、しっかり外から施錠されていたのだ。

(かくなる上は食事を持ってきてくれた時に強行突破するのみ!)

そのせいでご飯がもらえなくなるかもしれないと躊躇する気持ちもあるが、このまま無為な時間を過ごせば、心身に悪影響を及ぼすだろう。
メイド懐柔策も今のところ上手くいっているとは言い難い。
初日のメイドから、少々性格に問題ありそうなメイドに変わっていたからだ。

「食事を与えているのだから大人しくしていろ」とでもいうようなぞんざいな態度にアネットは内心苛立っていた。
表面上は大人しく困ったような顔を作っているが、そんな子供に対して優越感を覗かせるのは大人という以前に人としてどうかと思う。

「貴族令嬢として教養や知識を身に付けないと、恥を掻くのは侯爵家だと思うんだけどね」

恐らくカミーユは家のことや子供の教育について義母に丸投げしているのだろう。初日の様子から考えるとこのままでは役立たずのレッテルを張られるのは間違いない。

前世の知識があるから、多少の常識やマナーを身に付けているとはいえ貴族のマナーは専門外だ。部屋の外に出たとしても行く場所もなく、家出したところで無意味なのは分かっている。
それなのに部屋から出たいと思う理由はただ一つ。

「クロエお姉様に会いたいよー!!」
多少理不尽なことがあったとしても、クロエの姿を見ることができるなら耐えられる気がする。

前世では分からなかったが、きっとこれが「推し」というものなのだろう。エゴや嫉妬などの負の感情が入り混じった恋愛感情などとは違い、憧れや尊敬など純粋な好意。物や風景などを愛でることはあっても、人に対してこんな感情を抱くなど思ってもみなかった。

「仲良くなりたいっていう利己的な思いはあるけどね」

こつこつと廊下から近づいてくる足音に、アネットは死角になるドアの位置に立ち、脱走のタイミングを見計らうことにした。


結果から言えば作戦は半分成功して半分失敗に終わった。

「待ちなさいと言っているでしょう!」
メイドの隙をついて部屋の外に出て全速力で走ったつもりだったのに、すぐに捕まえられてしまった。
大人と子供の歩幅の違いを甘く見ていたのが敗因だろう。後ろからぐいと容赦なく襟をつかまれて首が絞まる。

「余計な手間を掛けさせないでちょうだい!奥様に見つかったら私が叱られるんだから」
苦しさに咳き込む中、手首を強く掴まれて引きずるように連れて行かれる。

(くっ、せめてお姉様を一目だけでも見たかった!!)

「騒々しい。何をしているんですか」
低い男性の声にメイドがびくりと震えてアネットの手を離した。

「も、申し訳ございません!この子が、その、脱走しようとしたので……」

打って変わって怯えたようなメイドの態度に、アネットはこの男が単なる同僚ではなく上級使用人であることを察した。使用人の中でも明確な序列があり、人事権を持つ上級使用人の機嫌を損ねれば解雇される可能性もあるのだ。
見た目は若い青年だったが、立ち振る舞いは洗練されており、どことなく高圧的な眼差しをメイドに向けている。そんな様子を観察しつつ、アネットは好機を見逃さなかった。

「あの、うるさくしてすみません。お父様とお義母様、それからお姉様にご挨拶がしたかったのです」
しおらしく答えるアネットをメイドが睨みつけてくるが気にしない。

「それなら朝食を一緒に摂られると良いでしょう」

(お姉様と一緒に朝食!逃げ出して良かったー!)
テンションが上がり、にやけそうになる口元を引き締めているとメイドが焦った声を上げる。

「っ、シリル様!奥様がお許しにならないかと―」
「カミーユ様のご意向です。奥様の許可は必要ありません」

冷酷に切り捨てるような口調に溜飲が下がる思いだが、どうやらシリルや父のカミーユの直属の使用人らしい。一般的には使用人の采配は社交などの家に関するあれこれは夫人が担当するものだが、主人の仕事の補佐や身の回りの世話を行う使用人については少し勝手が違うようだ。

(だったらあんまり信用しないほうがいいかもね)
そんなことを考えていると、食堂に案内するため背を向けたシリルがぽつりと漏らした。

「とりあえずは合格でしょう。自発的に行動できないような子供では困りますからね」
アネットが軟禁されていることを知りつつ黙認していたことを思わせる発言に、アネットは内心毒づいた。

(それ育児放棄ですからー!!6歳児にどれだけハードル高いこと求めてるのよ!)



ダイニングの扉が開くと、すぐに嫌悪を含んだ視線を投げつけられたがアネットは気にしなかった。大人びた切れ長の目がいつもより大きく開かれていて年相応に幼いクロエの表情が目に入ったからだ。

(クロエお姉様、可愛い!クールな表情もいいけど、ぽかんとした表情も飾り気がなくていいわー!)
驚いたように固まっているが、背筋を伸ばして危うげのない手つきでカトラリーを手にしている。

「食事中にそのような汚らしい格好の者を連れて来ないでちょうだい」

汚いと言われれば反論できない。小さな手洗い場とトイレは設置されていたので、固く絞ったタオルで身体は拭いていたが、髪を洗うことはできなかったのだ。

「申し訳ございません。ご用意していた部屋の設備が整っていなかったようですので、別の部屋をご準備いたします。それでは身支度を整えさせますので、失礼いたします」
デルフィーヌの返答を待たずに、シリルはすぐさまアネットを促し廊下へと出る。

「さて、これで言質は取りましたから行きますよ」
すたすたと歩くシリルはアネットを振り返ることもない。シリルのしたたかさに一瞬呆気に取られたアネットだが、慌てて後を追いかける。そしてこの邸で一番的に回してはいけないのはこの男だという認識を強くしたのだった。

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