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第3章

過去にしたくはありません

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ウィルからはゆっくりしていいと言われたが、翌日から佑那は積極的に家事を担当した。時には薪割りや森で食材の調達など意識的に忙しい日々を過ごすように努める。そうでもしなければシュルツのことばかり考えてしまうからだ。

くたくたに疲れてしまえば、夜は自分の行動を後悔する暇もなく眠りに落ちることが出来る。
ウィルはいつも佑那の料理を褒めてくれるが、自分ではよく分からなかった。味がしない訳ではないのに、美味しいと感じられないのだ。だけど誰かが喜んでくれるのなら作ろうという気持ちになるし、一緒に食事を摂ることで食欲がなくても食べることができた。

「あっ…」
包丁が滑り親指を傷つけてしまった。じわじわと血がにじみ布を押し当てるが、思ったよりも深く切ってしまったらしい。なかなか止まらず赤く染まっていく布をぼんやりと見つめていた。

(何だか痛覚も麻痺しちゃったのかな)
身体の傷よりも心のほうがずっと痛い。アーベルの使役する魔獣により怪我をした時はシュルツが手当てをしてくれた。傷が残らないか心配して怪我が治るまで絶えず気を遣ってくれていたことを思い出せば、勝手に涙が浮かんでくる。

「シュルツ…」
どれだけ泣いても名前を呼んでも返ってくる言葉はなかった。分かっているはずのその事実に心が重く沈んでいく。

「ユナ、何かあった――怪我をしたんですか?!」
涙が止まった頃にウィルが戻ってきた。普段なら涙の跡を見せないように細心の注意を払うのだが、今日は理由があったから気づかれても問題ないだろう。

「ごめんなさい、ちょっと包丁で切ってしまって…」
余計な心配をさせたくなくて、大したことないと笑ってみせたが、ウィルの表情は曇ったままだ。

「手当をしますから見せてください」
「いいよ、自分でできるから」

反射的にそう答えてしまった。自分の言葉に佑那は驚いたが、ウィルも同じように驚いた表情を浮かべていたのは、断られると思っていなかったからだろう。

「ごめん、本当に大丈夫だから」
弁解するように口早に告げて佑那は自分の部屋へと戻った。


(どうして嫌だと思ったんだろう……)

純粋な厚意を考えるよりも先に拒絶した自分の気持ちに佑那は戸惑っていた。
出血が止まり、こびりついた血を水で濡らした布で拭いながら考える。傷口に顔を顰めながらも軟膏に手を伸ばしかけて止めた。傷口に触らなければ薬を塗らなくても自然に治るだろう。

(跡が残ったって別にもう構わない。シュルツは気にするだろうけど、もういないんだもの)
投げやりな気分になっていることは分かっていた。だが手当を受けたくない理由はそれだけではない。

ウィルから手当てをしてもらうことで、シュルツとの思い出が上書きされるようで嫌だったのだと気づいた。今だって少しずつシュルツと過ごした日々が過去になり、現状が日常となりつつあることに抵抗を覚えながらも、時間に抗うことなどできない。少しずつ変わっていくことがシュルツとの距離が離れていくようで心が悲鳴を上げている。
体調が優れないと言って早々にベッドに入った佑那はいつもの夢を見た。


「ユナ」
夢の中で会えば喜びと寂しさで胸がいっぱいになる。夢の中だけでもシュルツの姿を目にし、自分の名前を呼ぶ声に心が満たされる反面、翌朝に付きつけられる現実の残酷さに心がかき回されるのだ。

それなのに夢を見なかった翌日はどうしようもなく落ち込んだ気持ちにさせられる。だからどんなに辛くとも夢を見られることは幸せなのだと佑那は思う。
優しく頭を撫でる手の感触に目を開けば、アメジストの瞳と目が合った。離れていく手を求めて両手を伸ばせば、困ったような表情に変わる。

「ごめっ、ごめんなさい、嫌わないで」

せめて夢の中だけは以前のように優しく甘やかして欲しかった。拒絶の言葉を想像しただけで溢れた涙を乱暴にぬぐう。怖いと思う気持ちよりもシュルツの顔を見ていたいという気持ちのほうが勝った。

「駄目だ、瞳が傷つく」
強くはないが、しっかりと腕を拘束したシュルツの声も言葉も優しくて、佑那の身体から力が抜ける。

「ここも、跡が残ったらどうする」

左手の親指に唇が触れた。触れてもらえるなら怪我をして良かったとすら思った自分の思考に呆れるが、すぐにそんな考えはどこかへ行ってしまった。
祈りを捧げるかのように、両手で佑那の左手を握り締めて唇を落とすシュルツの姿を、目に焼き付けておきたい。
大事な時間は一瞬で、顔を上げたシュルツがいなくなるのだと直感して悲しくなる。

「行かないで、お願いだから」
泣かないと決めたはずなのに、もう一生分泣いたと思ったのに涙が止まらない。

「一人にしないで」
佑那の言葉にシュルツの表情が曇る。森に置き去りにされる前によくそんな表情を見せていたことを思い出して、佑那の心は絶望に染まる。
夢であっても見放されることに変わりはないのだと。

悲しくて苦しくて泣きじゃくる佑那の頭にそっと手が触れた途端、佑那の意識は深く沈んだ。
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