上 下
24 / 47
第2章

笑顔の代償

しおりを挟む
「ユナ、街に出かけたいのか」
そう問いかけると彼女は困ったような顔をした。それから少しためらったあと、言葉を選ぶように口を開いた。

「特に何か目的があるわけではないのですが、街でいろんなお店を見るのも楽しいだろうなと思っただけです。でも買い物がすごく好きだというわけでもないので、大丈夫です」

どうやら自分に気を遣っているようだ。きっと快く思わないと思っているのだろう。そしてそれは間違ってはいない。アーベルから話を聞いたときには、あまりよい気分ではなかった。人の暮らしに触れて彼女が元の生活に戻ることを望んでしまったらと危機感を抱いたからだ。彼女の気持ちがいつまでも変わらないとは思えない。卑劣だとは分かっているが、可能なかぎり他者と引き離しておきたいと思っている。

だが自分のために遠慮する様子を見て、気が変わった。以前は手放せばもう二度と戻ってこないのだと思っていたけれど、彼女は自分を好きだと言ってくれたから。
あの言葉を信じてよいのなら、そして彼女の望むことなら叶えてやりたい。

「アーベル、ユナと街に出かける。準備をせよ」
そうシュルツが告げると、傍に控えていたアーベルは慌てたように進言する。

「恐れながら陛下が街に行かれることは賛同いたしかねます。陛下の魔力は強すぎて、魔術士に気づかれてしまう恐れがあります。そうなればあまり良くない結果になるかと」

気づかれたところで対処すれば問題ないが、人を傷つけることをユナは好まないだろう。だとしてもアーベルと行かせるという選択肢はない。先日ユナを害そうとしたことはまだ記憶に新しく、信用することができなかった。

「本当に大丈夫ですよ。そんなに行きたいわけでもないですから。それより、またいつか湖に連れて行ってもらえたら嬉しいです」

悲しませてしまった場所だからあまり良い感情を抱いていないかと思っていた。無論あそこならいつでも連れて行ってやれるが、街に行きたいと望んでいることも事実だろう。

「あ、あの!もしよろしければ私がお供いたします」
声のした方向に目をやると、ミアが茶を準備する手を止めて真剣な顔でこちらを見ていた。

同伴者としては問題ないが、護衛としては力不足の感がある。ユナに目を向けるとこちらの反応を窺うようにじっと見つめていた。その瞳に期待が混じっていることを感じ取ってシュルツは決断する。

「……いいだろう」
ユナがミアと顔を見合わせて、嬉しそうな表情を浮かべる。

「シュルツ、ありがとうございます! 楽しみです」
不安が完全になくなったわけではない。だがこの笑顔を見られるのならその価値はあるだろう。


「ねえミア、あれは何かな?」
「あれは薄く焼いたパンケーキの生地に蜂蜜やクリームをはさんだお菓子です。買ってきましょうか?」
「美味しそうだけど、他のお店もゆっくり見て回りたいから後にしよう」

姫様は興味深そうに辺りを眺めている。その楽しそうな様子を見て月に一度の朝市に合わせて正解だったとミアは思った。キュラードの朝市はひときわ賑やかでこの日限定の露店も多い。また近隣の街からもたくさんの人が訪れるため、自分のような魔物も紛れやすい。新鮮な野菜や果物などの生鮮食料品から古道具や雑貨、書物など多種多様な露店が並び、広場で大道芸や弾き語りなどが披露されている。いろんなお店を覗きながらゆっくり散策していると、あっという間に時間が過ぎてしまった。

「ミア、シュルツはどちらが好きだと思う?」
「陛…、あの方は姫様が選ばれたものでしたら、何でも喜ばれると思います」

露店に並んだ軽食を迷いながらも真剣な顔で選んでいる。ゆっくりして良いと言われていたが、お昼は城に戻って食べたいと姫様が望んだからだ。おそらくは陛下のことを気にしているに違いない。

(姫様も陛下のことを想ってらっしゃるんだなって分かるのは嬉しいな)

魔物である以上、陛下の圧倒的な強さに畏怖の念を抱かずにはいられない。それゆえに本能的に従ってしまうのだが、姫様は親しみやすく護ってあげたいと思わせるような可愛らしい人だ。そんな二人の傍にいられることにミアは誇らしく、嬉しい気持ちで一杯だった。

買い物を終えると、そのままアーベルとの待ち合わせ場所に足を向ける。
さすがに街の中で転移魔法を使う訳にもいかず、町はずれである森の入口で落ち合うことになっていた。時間を気にする素振りの姫様を見て、ミアは近道を通ることにした。路地が入り組んでいるため迷いやすいが、森へ抜けるには一番早い。ミアも何度か通ったことがある道だったので迷うことなく通りを二度曲がると、街の喧騒があっという間に遠のき二人の足音しか聞こえなくなった。

「この道、通って大丈夫なの?」
不安を抱いたのか姫様が確認するように言った。

「何度か通ったことがありますから大丈夫ですよ。ちゃんと道は覚えています」
「そういう意味ではないんだけど。…うーん、一人の時は通らないほうがいいと思うな。ミアは女の子だし」

(……えっと私、魔物ですよ?)
そう答えようとしたとき、前方から足音が聞こえた。顔を向けると風体の良くない二人組の男が路地裏から出てきたところだった。こちらに気づくとにやけた表情でお互いの顔を見合わせる。ミアは危険を察してすぐさま姫様を後ろに庇う。

「ミア!」
心配そうな声が背後から聞こえた。姫様は知らないが、自分は見かけよりもずっと力があるし魔術も僅かながら使うこともできる。

「大丈夫です」
安心させるように笑いかけて、男たちのほうに鋭い視線を向ける。

「迷子かい、嬢ちゃんたち」
大柄な中年の男が声を掛ける。

「この辺りは治安があまり良くないからな。人攫いや強盗に遭うといけねえ。俺たちが送っていってやろうか」
言葉だけを聞くと親切そのものだが、目と表情を見れば正反対のものであることが明白だ。
「結構です」

そう言うなりミアは大柄な男の腹を思い切り殴り飛ばした。虚を突かれた男は後ろにいたもう一人の若い男を巻き添えにして地面に転がる。命を奪う必要はないが、とりあえず気絶させておくべきだろう。

そう判断してもう一発ずつ頭部に蹴りを入れようと近づいたとき、若い男がミアに向かって何かを投げつけた。咄嗟に足を引いて避けたが、すぐ足元で瓶が割れる。その途端に目に激痛が走り、涙が止まらなくなってしまった。おまけに呼吸をしようにも噎せてしまう。

「ミア!」
すぐ近くで姫様の声がして、腕を引っ張られる。数歩移動するが、そのままよろけて地面に膝をついてしまう。次の瞬間、顔に冷たい液体がかかった。

「ミア、水で洗い流すから、頑張って目を開けて!」
姫様の言葉で先ほど瓶に入っていたものは香辛料の類だと悟った。それも特別辛いものらしく、この激痛は粉が舞い上がって目や気管に入ってしまったせいだ。

「ガキが、ふざけた真似しやがって!」
怒りに満ちた男の声が聞こえた。

(まずい!この状態では姫様を守れない!)
「姫様——けほっ……逃げっ、くらさい!」
未だに痛む喉で呂律が怪しいが、必死で声を絞り出す。

「姫様だってよ。貴族の娘なら、高く売れるぜ」
「分かった。所持金はそのまま渡すし大人しく付いていく。だからこの子には手を出さないで」
姫様が静かな口調で告げるが、その声が僅かに震えている。

「冗談だろう!そのガキには殴られた分倍にして返してやらなきゃ気が済まねえ」
「この状態を見れば既に報復は済んでいるでしょう。まだ不満なら私が代わりに受けるから」
「泣かせる話だが、商品に傷をつけるほど馬鹿じゃない」
すぐ近くで若い男の声が聞こえて、囲まれていることが分かった。姫様を逃がそうにもどうすることも出来ない。

「馬鹿じゃないのなら、この子を痛めつけるより私の提案を受けたほうがいい。騒ぎを聞きつけて邪魔が入る前に」
「……ちっ、さっさと付いてこい」 
中年の男が舌打ちと共に吐き捨てる。

「駄目!姫様?!」
「ミア、そこにいなさい。大丈夫だから」
まだ戻らない視力で立ち上がろうとするが、バランスを崩して地面に倒れこむ。足音が遠ざかっていく。

(姫様を助けなきゃいけないのに、どうしよう!)
焦りで真っ白になるミアの耳に、突然男たちの悲鳴が聞こえてきた。

「うおっ、痛てぇ! 何だ、この鳥⁉」
「たかが鳥ぐらいでびびってんじゃねぇよ! さっさとずらかる―うっ」

男たちの驚きと苛立ちの声が合図になったかのように鳥の羽音が聞こえた。一羽ではなく、何十羽という鳥の羽音があらゆる方向から聞こえてくる。

「ひいっ!なんでこんな数の鳥が……」
「その方から手を離せ」
冷たい声が聞こえた途端に呻き声が上がる。何とか目をこらすと滲んだ視界に見慣れた方の姿と、地面に倒れた二人組の姿があった。

「アーベルさん、ありがとうございます。ミア、大丈夫!?」
姫様が駆け寄ってきて、気遣うように肩に手を添えてくれるが、ミアは慌てて頭を下げる。

「姫様、アーベル様、申し訳ございません!」
ミアはうずくまったまま謝罪する。

「大丈夫だから。それより手当しなきゃ」
「大丈夫ではありません。早急に戻らなくては。陛下が……ご心配されています」

淡々と告げるアーベルの声は深刻な響きを帯びていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

逃げるための後宮行きでしたが、なぜか奴が皇帝になっていました

吉高 花
恋愛
◆転生&ループの中華風ファンタジー◆ 第15回恋愛小説大賞「中華・後宮ラブ賞」受賞しました!ありがとうございます! かつて散々腐れ縁だったあいつが「俺たち、もし三十になってもお互いに独身だったら、結婚するか」 なんてことを言ったから、私は密かに三十になるのを待っていた。でもそんな私たちは、仲良く一緒にトラックに轢かれてしまった。 そして転生しても奴を忘れられなかった私は、ある日奴が綺麗なお嫁さんと仲良く微笑み合っている場面を見てしまう。 なにあれ! 許せん! 私も別の男と幸せになってやる!  しかしそんな決意もむなしく私はまた、今度は馬車に轢かれて逝ってしまう。 そして二度目。なんと今度は最後の人生をループした。ならば今度は前の記憶をフルに使って今度こそ幸せになってやる! しかし私は気づいてしまった。このままでは、また奴の幸せな姿を見ることになるのでは? それは嫌だ絶対に嫌だ。そうだ! 後宮に行ってしまえば、奴とは会わずにすむじゃない!  そうして私は意気揚々と、女官として後宮に潜り込んだのだった。 奴が、今世では皇帝になっているとも知らずに。 ※タイトル試行錯誤中なのでたまに変わります。最初のタイトルは「ループの二度目は後宮で ~逃げるための後宮でしたが、なぜか奴が皇帝になっていました~」 ※設定は架空なので史実には基づいて「おりません」

転生したらただの女子生徒Aでしたが、何故か攻略対象の王子様から溺愛されています

平山和人
恋愛
平凡なOLの私はある日、事故にあって死んでしまいました。目が覚めるとそこは知らない天井、どうやら私は転生したみたいです。 生前そういう小説を読みまくっていたので、悪役令嬢に転生したと思いましたが、実際はストーリーに関わらないただの女子生徒Aでした。 絶望した私は地味に生きることを決意しましたが、なぜか攻略対象の王子様や悪役令嬢、更にヒロインにまで溺愛される羽目に。 しかも、私が聖女であることも判明し、国を揺るがす一大事に。果たして、私はモブらしく地味に生きていけるのでしょうか!?

【完結】神から貰ったスキルが強すぎなので、異世界で楽しく生活します!

桜もふ
恋愛
神の『ある行動』のせいで死んだらしい。私の人生を奪った神様に便利なスキルを貰い、転生した異世界で使えるチートの魔法が強すぎて楽しくて便利なの。でもね、ここは異世界。地球のように安全で自由な世界ではない、魔物やモンスターが襲って来る危険な世界……。 「生きたければ魔物やモンスターを倒せ!!」倒さなければ自分が死ぬ世界だからだ。 異世界で過ごす中で仲間ができ、時には可愛がられながら魔物を倒し、食料確保をし、この世界での生活を楽しく生き抜いて行こうと思います。 初めはファンタジー要素が多いが、中盤あたりから恋愛に入ります!!

気付いたら異世界の娼館に売られていたけど、なんだかんだ美男子に救われる話。

sorato
恋愛
20歳女、東京出身。親も彼氏もおらずブラック企業で働く日和は、ある日突然異世界へと転移していた。それも、気を失っている内に。 気付いたときには既に娼館に売られた後。娼館の店主にお薦め客候補の姿絵を見せられるが、どの客も生理的に受け付けない男ばかり。そんな中、日和が目をつけたのは絶世の美男子であるヨルクという男で――……。 ※男は太っていて脂ぎっている方がより素晴らしいとされ、女は細く印象の薄い方がより美しいとされる美醜逆転的な概念の異世界でのお話です。 !直接的な行為の描写はありませんが、そういうことを匂わす言葉はたくさん出てきますのでR15指定しています。苦手な方はバックしてください。 ※小説家になろうさんでも投稿しています。

私が美女??美醜逆転世界に転移した私

恋愛
私の名前は如月美夕。 27才入浴剤のメーカーの商品開発室に勤める会社員。 私は都内で独り暮らし。 風邪を拗らせ自宅で寝ていたら異世界転移したらしい。 転移した世界は美醜逆転?? こんな地味な丸顔が絶世の美女。 私の好みど真ん中のイケメンが、醜男らしい。 このお話は転生した女性が優秀な宰相補佐官(醜男/イケメン)に囲い込まれるお話です。 ※ゆるゆるな設定です ※ご都合主義 ※感想欄はほとんど公開してます。

溺愛の始まりは魔眼でした。騎士団事務員の貧乏令嬢、片想いの騎士団長と婚約?!

恋愛
 男爵令嬢ミナは実家が貧乏で騎士団の事務員と騎士団寮の炊事洗濯を掛け持ちして働いていた。ミナは騎士団長オレンに片想いしている。バレないようにしつつ長年真面目に働きオレンの信頼も得、休憩のお茶まで一緒にするようになった。  ある日、謎の香料を口にしてミナは魔法が宿る眼、魔眼に目覚める。魔眼のスキルは、筋肉のステータスが見え、良い筋肉が目の前にあると相手の服が破けてしまうものだった。ミナは無類の筋肉好きで、筋肉が近くで見られる騎士団は彼女にとっては天職だ。魔眼のせいでクビにされるわけにはいかない。なのにオレンの服をびりびりに破いてしまい魔眼のスキルを話さなければいけない状況になった。  全てを話すと、オレンはミナと協力して魔眼を治そうと提案する。対処法で筋肉を見たり触ったりすることから始まった。ミナが長い間封印していた絵描きの趣味も魔眼対策で復活し、よりオレンとの時間が増えていく。片想いがバレないようにするも何故か魔眼がバレてからオレンが好意的で距離も近くなり甘やかされてばかりでミナは戸惑う。別の日には我慢しすぎて自分の服を魔眼で破り真っ裸になった所をオレンに見られ彼は責任を取るとまで言いだして?! ※結構ふざけたラブコメです。 恋愛が苦手な女性シリーズ、前作と同じ世界線で描かれた2作品目です(続きものではなく単品で読めます)。今回は無自覚系恋愛苦手女性。 ヒロインによる一人称視点。全56話、一話あたり概ね1000~2000字程度で公開。 前々作「訳あり女装夫は契約結婚した副業男装妻の推し」前作「身体強化魔法で拳交える外交令嬢の拗らせ恋愛~隣国の悪役令嬢を妻にと連れてきた王子に本来の婚約者がいないとでも?~」と同じ時代・世界です。 ※小説家になろう、ノベルアップ+にも投稿しています。※R15は保険です。

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)

かのん
恋愛
 気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。  わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・  これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。 あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ! 本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。 完結しておりますので、安心してお読みください。

処理中です...