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番外編~皇妃の戸惑い~【前半】
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それはとある午後の出来事だった。
「シャーロット様、もしかしてお加減が優れないのではありませんか?」
休憩中に掛けられたアイリーンからの指摘は正しかったが、シャーロットは曖昧に微笑んだ。最近少し身体の怠さを感じているものの、頭痛や発熱もないため医者に掛かるほどではないと判断していた。
「アイリーン様からも仰ってください。軽い暑気あたりだからとシャーロット様はお医者様に掛かろうとしないのです」
ここぞとばかりにアイリーンを味方に付けようとするケイシーに、シャーロットは苦笑しながら言った。
「ケイシーは大袈裟なのよ。少し怠さを感じるぐらいでお医者様を呼んだら呆れられてしまうわ」
「……他に変わったことはありませんか?たとえば、吐き気や味覚の変化などは?」
話を切り上げようとしたのに、アイリーンはやけに真剣な顔つきだ。だが言われてみれば確かに思い当たることはある。
「胃がむかむかしたり、何だかさっぱりした物が食べたくなることはあるけど、会食が続いたせいではないかしら?……アイリーン?」
くわっと目を見開くアイリーンと、驚きの表情で口元を押さえるケイシーを見てシャーロットは口を閉ざした。自分が思うよりも深刻な病気に掛かってしまったのだろうか。
「――ご懐妊の可能性がありますわ。今すぐ医者を呼びましょう!」
(ごかいにん、解任?……懐妊!)
「待って!ちょっと待ってちょうだい、ケイシー!」
部屋を飛び出しかけたケイシーを呼び止めると、すぐさま身体の向きを変え戻ってくる。
「シャーロット様……お側にいながら気づかずに申し訳ございません」
「自分のことなのに気づかなかった私が悪いのよ。それに、まだそうと決まったわけではないのだし、もし違っていたらがっかりさせてしまうかもしれないわ。だから、その……様子を見るというか……少しの間だけ伏せておくことは出来ないかしら?」
ありありと後悔の色を浮かべていたケイシーが呆気に取られたような表情に変わり、どれだけ無茶な提案をしているのか思い知る。
婚儀を挙げて次の慶事といえば、新たな王族の誕生だろう。プレッシャーを与えないようにと誰も口にはしないが、ようやく皇帝が迎えた皇妃を皆が暖かく見守ってくれている。
そんな人々の期待を思えば隠しておくのはむしろマイナスでしかない。
「シャーロット様にとっては今回のことは……あまり好ましくない状況ということでしょうか?」
躊躇いながらもアイリーンが固い口調で告げたのは内容が内容だからだろう。
「いえ、そうではないの。ただ思ってもみなかったことだから、心の準備が……」
どこか言い訳じみた自分の言葉にシャーロットはショックを受けていた。カイルとの、愛しい人との子を宿したかもしれないというのに素直に喜べない自分は、母親失格ではないだろうか。
押し黙ってしまったシャーロットにアイリーンは穏やかに告げた。
「子は授かりものですものね。突然母親になると聞いたら私も動揺してしまうと思いますわ。残りの仕事は私が引き受けますから、シャーロット様は少しお休みになってください」
躊躇うシャーロットだったが、アイリーンとケイシーの説得に大人しく自室へと戻った。
「陛下のお耳には入らないようにしますから」
そう言ってケイシーが出て行ったのは、密かに護衛をしてくれている恋人に口止めを頼むためだろう。自分の我儘で迷惑を掛けていることが重苦しい気持ちに拍車を掛ける。
(私なんかが母親になれるのかしら……)
まだ膨らみのないお腹に手を添えても、そこにいるかもしれない子供の存在を感じられない。子を授かったことが嬉しくない訳ではないが、不安のほうが遥かに大きく、シャーロットは眉を下げた。
五歳の時に儚くなってしまった母との記憶はほとんどなく、義母となるはずだったリザレ国王妃からは躾と称した虐待しか受けていない。母親になるためにもっと早く準備をしなければならなかったのに、今頃気づくなんて遅すぎる。
(いえ、皇太后様にご相談すれば……)
そう思った途端に、辛かった過去の王子妃教育が頭によぎる。
王族に相応しくあるようにと厳しい叱責や体罰の数々は、悪意によるものだと今では分かっているが、それでもシャーロットの知識や作法はそうして身に付けたものだ。もしあんな風に教育を受けていなかったとしら、あれほど必死に勉強し今のように振舞うことが出来ただろうか。
(カイル様のように聡明な子ならばきっと大丈夫だけど、もし私に似てしまったら……)
王族としての教育を施すために厳しい躾が必要なのかもしれない。もしもそれが体罰を伴うものならばと考えただけで、身体が震える。
あんな辛い思いを我が子にさせたくはない。
(エドワルド帝国の教育方針を知らないのに、まだそんなことを考えるのは早計だわ。まずお医者様に診ていただいて、カイル様にお伝えしなくては)
そう決めてしまえば波立つ感情が少し落ち着いたようだ。ケイシーが戻ってきたらお願いしようと考えたシャーロットだったが、身体の不調と午後の陽気に誘われてそのまま眠りへと落ちてしまった。
心地よい感触と安心する匂いにシャーロットは頬を緩めた。微睡みの中で低く柔らかな声が何かを囁いたような気がして、意識が浮上する。
「おっと……起きたか、ロティ」
「――カイル様!」
満足そうな笑みを浮かべたカイルが視界いっぱいに広がっている。慌てて起きれば、いつの間にかソファーに横たわっていただけでなく、カイルに膝枕をされている状態だったのだ。
どれだけ熟睡していたのかと思うと、羞恥に顔が染まっていく。
「そんなに時間は経っていないから慌てなくていい。それよりも疲れが溜まっているんじゃないか?」
「……いえ、大丈夫です」
妊娠のことが頭に浮かんだが、まだ確証がない段階で話すべきではないだろう。だがそんなシャーロットを見て、カイルは目を細める。
「ロティ、隠し事は良くないぞ?」
勘の鋭さは王としても有用な長所だが、今回のような場合は有難くない。
「さて、どうしたら素直に教えてくれるんだろうな」
悪戯っぽい表情は、シャーロットを困らせる意図などなかっただろう。だが頬に撫でる指先は艶めいていて、熱の籠った瞳は夜にしか見せない表情で、シャーロットは半ば本能的に自分の身を守るように両腕を掲げた。
「……ロティ?」
戸惑った声に我に返ったシャーロットが見たのは、不安とショックに揺れるカイルの瞳だ。こんな風に大袈裟な反応をすれば不審に思われるだけではなく、カイル自身を拒否しているように思われても仕方がない。
「っ、ごめんなさ……カイル様、違うの……これは」
目頭が熱くなり堪える間もなく、涙が溢れる。泣くつもりなんてないのに、押し寄せる不安や心細さに流されるように止めることが出来なかった。
「ケイシー!ケイシー、いないのか?!」
その剣幕にびくりと身体が震えてしまう。自分に向けられたものではないが、カイルの苛立ちが伝わってくる。
「ごめ……ごめんなさい。ケイシーを、叱らないで……私が悪いの……ごめんなさい」
言葉を紡げば紡ぐほど、カイルが苦しそうに顔を歪める。
「……怖がらせて悪かった」
駆けつけたケイシーと入れ替わるように、カイルはそのまま部屋を出て行ってしまう。自分が過剰な反応をしたためだが見捨てられたような気がして、シャーロットは気づけば子供のように泣きじゃくっていた。
「シャーロット様、もしかしてお加減が優れないのではありませんか?」
休憩中に掛けられたアイリーンからの指摘は正しかったが、シャーロットは曖昧に微笑んだ。最近少し身体の怠さを感じているものの、頭痛や発熱もないため医者に掛かるほどではないと判断していた。
「アイリーン様からも仰ってください。軽い暑気あたりだからとシャーロット様はお医者様に掛かろうとしないのです」
ここぞとばかりにアイリーンを味方に付けようとするケイシーに、シャーロットは苦笑しながら言った。
「ケイシーは大袈裟なのよ。少し怠さを感じるぐらいでお医者様を呼んだら呆れられてしまうわ」
「……他に変わったことはありませんか?たとえば、吐き気や味覚の変化などは?」
話を切り上げようとしたのに、アイリーンはやけに真剣な顔つきだ。だが言われてみれば確かに思い当たることはある。
「胃がむかむかしたり、何だかさっぱりした物が食べたくなることはあるけど、会食が続いたせいではないかしら?……アイリーン?」
くわっと目を見開くアイリーンと、驚きの表情で口元を押さえるケイシーを見てシャーロットは口を閉ざした。自分が思うよりも深刻な病気に掛かってしまったのだろうか。
「――ご懐妊の可能性がありますわ。今すぐ医者を呼びましょう!」
(ごかいにん、解任?……懐妊!)
「待って!ちょっと待ってちょうだい、ケイシー!」
部屋を飛び出しかけたケイシーを呼び止めると、すぐさま身体の向きを変え戻ってくる。
「シャーロット様……お側にいながら気づかずに申し訳ございません」
「自分のことなのに気づかなかった私が悪いのよ。それに、まだそうと決まったわけではないのだし、もし違っていたらがっかりさせてしまうかもしれないわ。だから、その……様子を見るというか……少しの間だけ伏せておくことは出来ないかしら?」
ありありと後悔の色を浮かべていたケイシーが呆気に取られたような表情に変わり、どれだけ無茶な提案をしているのか思い知る。
婚儀を挙げて次の慶事といえば、新たな王族の誕生だろう。プレッシャーを与えないようにと誰も口にはしないが、ようやく皇帝が迎えた皇妃を皆が暖かく見守ってくれている。
そんな人々の期待を思えば隠しておくのはむしろマイナスでしかない。
「シャーロット様にとっては今回のことは……あまり好ましくない状況ということでしょうか?」
躊躇いながらもアイリーンが固い口調で告げたのは内容が内容だからだろう。
「いえ、そうではないの。ただ思ってもみなかったことだから、心の準備が……」
どこか言い訳じみた自分の言葉にシャーロットはショックを受けていた。カイルとの、愛しい人との子を宿したかもしれないというのに素直に喜べない自分は、母親失格ではないだろうか。
押し黙ってしまったシャーロットにアイリーンは穏やかに告げた。
「子は授かりものですものね。突然母親になると聞いたら私も動揺してしまうと思いますわ。残りの仕事は私が引き受けますから、シャーロット様は少しお休みになってください」
躊躇うシャーロットだったが、アイリーンとケイシーの説得に大人しく自室へと戻った。
「陛下のお耳には入らないようにしますから」
そう言ってケイシーが出て行ったのは、密かに護衛をしてくれている恋人に口止めを頼むためだろう。自分の我儘で迷惑を掛けていることが重苦しい気持ちに拍車を掛ける。
(私なんかが母親になれるのかしら……)
まだ膨らみのないお腹に手を添えても、そこにいるかもしれない子供の存在を感じられない。子を授かったことが嬉しくない訳ではないが、不安のほうが遥かに大きく、シャーロットは眉を下げた。
五歳の時に儚くなってしまった母との記憶はほとんどなく、義母となるはずだったリザレ国王妃からは躾と称した虐待しか受けていない。母親になるためにもっと早く準備をしなければならなかったのに、今頃気づくなんて遅すぎる。
(いえ、皇太后様にご相談すれば……)
そう思った途端に、辛かった過去の王子妃教育が頭によぎる。
王族に相応しくあるようにと厳しい叱責や体罰の数々は、悪意によるものだと今では分かっているが、それでもシャーロットの知識や作法はそうして身に付けたものだ。もしあんな風に教育を受けていなかったとしら、あれほど必死に勉強し今のように振舞うことが出来ただろうか。
(カイル様のように聡明な子ならばきっと大丈夫だけど、もし私に似てしまったら……)
王族としての教育を施すために厳しい躾が必要なのかもしれない。もしもそれが体罰を伴うものならばと考えただけで、身体が震える。
あんな辛い思いを我が子にさせたくはない。
(エドワルド帝国の教育方針を知らないのに、まだそんなことを考えるのは早計だわ。まずお医者様に診ていただいて、カイル様にお伝えしなくては)
そう決めてしまえば波立つ感情が少し落ち着いたようだ。ケイシーが戻ってきたらお願いしようと考えたシャーロットだったが、身体の不調と午後の陽気に誘われてそのまま眠りへと落ちてしまった。
心地よい感触と安心する匂いにシャーロットは頬を緩めた。微睡みの中で低く柔らかな声が何かを囁いたような気がして、意識が浮上する。
「おっと……起きたか、ロティ」
「――カイル様!」
満足そうな笑みを浮かべたカイルが視界いっぱいに広がっている。慌てて起きれば、いつの間にかソファーに横たわっていただけでなく、カイルに膝枕をされている状態だったのだ。
どれだけ熟睡していたのかと思うと、羞恥に顔が染まっていく。
「そんなに時間は経っていないから慌てなくていい。それよりも疲れが溜まっているんじゃないか?」
「……いえ、大丈夫です」
妊娠のことが頭に浮かんだが、まだ確証がない段階で話すべきではないだろう。だがそんなシャーロットを見て、カイルは目を細める。
「ロティ、隠し事は良くないぞ?」
勘の鋭さは王としても有用な長所だが、今回のような場合は有難くない。
「さて、どうしたら素直に教えてくれるんだろうな」
悪戯っぽい表情は、シャーロットを困らせる意図などなかっただろう。だが頬に撫でる指先は艶めいていて、熱の籠った瞳は夜にしか見せない表情で、シャーロットは半ば本能的に自分の身を守るように両腕を掲げた。
「……ロティ?」
戸惑った声に我に返ったシャーロットが見たのは、不安とショックに揺れるカイルの瞳だ。こんな風に大袈裟な反応をすれば不審に思われるだけではなく、カイル自身を拒否しているように思われても仕方がない。
「っ、ごめんなさ……カイル様、違うの……これは」
目頭が熱くなり堪える間もなく、涙が溢れる。泣くつもりなんてないのに、押し寄せる不安や心細さに流されるように止めることが出来なかった。
「ケイシー!ケイシー、いないのか?!」
その剣幕にびくりと身体が震えてしまう。自分に向けられたものではないが、カイルの苛立ちが伝わってくる。
「ごめ……ごめんなさい。ケイシーを、叱らないで……私が悪いの……ごめんなさい」
言葉を紡げば紡ぐほど、カイルが苦しそうに顔を歪める。
「……怖がらせて悪かった」
駆けつけたケイシーと入れ替わるように、カイルはそのまま部屋を出て行ってしまう。自分が過剰な反応をしたためだが見捨てられたような気がして、シャーロットは気づけば子供のように泣きじゃくっていた。
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