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マナー違反
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お茶会が終わり、シャーロットはパーティーの身支度を整えるために自室へと戻った。
ケイシーを含めた3人の侍女に身体を磨き上げられ、この日のために誂えられたドレスやアクセサリーを身に付けていく。
本日のドレスは深い青一色のAラインドレスで、ホルターネックから胸元に掛けて淡いレースが覆っていて落ち着いた上品な印象だ。
公式の場では青系のドレスしか身に付けていないことに気づいて、恥ずかしいやら嬉しいやらで平静を装うのに苦労していると、ノックの音が聞こえた。
「ロティ、やっと会えた。ああ、美しすぎて誰にも見せたくないぐらいだな」
準備が整ったばかりで室内にはまだ侍女たちが残っているのに、そんな賞賛の言葉を掛けられて頬が染まる。対して王宮の侍女たちは流石に一流で、表情を変えずに一礼して部屋から出て行った。
「……ありがとう存じます。――カイル様もとても素敵ですわ」
婚約パーティーの時には言えなかった言葉をようやく口にすることが出来た。いつも以上に凛とした雰囲気と皇帝らしい風格が相まって、思わず息を呑むほどに優雅で美しい。
「ロティ」
緊張をほぐすためか手の甲と指先に口づけを落とされる。逆の意味で緊張しそうになるが、恭しい態度で優しく触れるカイルの心遣いが嬉しかった。
「カイル様のおかげで私、今とても幸せですわ」
失った欠片を取り返すようにカイルはたくさんの物を与えてくれた。それらは愛情や信頼、考え方など形のない不確かな物だったが、シャーロットの心に沁み入り少しずつ前を向くための力となったのだ。
(カイル様に言われなかったら今でもお父様に嫌われていると思い込んでいたし、スオーレ領主夫人も私がカイル様の婚約者であったからこそあのような配慮をしてくれたのだもの)
逃げるようにリザレ王国を去った形になったが、自分の身を案じてくれていた人々がいたのだと思うと、過去の自分が救われた気がした。
溢れそうな喜びと感謝の気持ちをカイルにどうしても伝えなければと言葉にすれば、カイルは陽だまりのような温かい眼差しを向け、そっとシャーロットを抱きしめる。
「俺もロティのおかげでとても幸せだ。俺の婚約者になってくれて、好きになってくれてありがとう」
腰に回された腕と微かに伝わる体温が、どこよりも安全で心地よい場所だと教えてくれる。
扉越しに時間を知らせる呼び掛けで、名残惜しそうに腕を解いたカイルは生真面目な表情になってシャーロットに注意を促す。
「パーティーは人の出入りが多い。良からぬことを企む者がいないとは限らないから、絶対に一人にならないように。何か困ったことがあれば必ず呼ぶんだぞ」
「はい、カイル様」
こんな風にシャーロットの身を案じ、甘やかしてくれることがたまらなく贅沢な気分になる。エスコートするために差し出された腕に手を回して微笑むと、二人は会場へと向かった。
カイルの隣で国内外の招待客たちと挨拶を交わす。以前であれば微笑みを浮かべながらも内心は不安と緊張に苛まれていたのに、今日は周囲の様子を窺いながら会話を楽しむ余裕すらある。
(カイル様が守ってくださるから)
全員が好意的なわけではないが、カイルはシャーロットを見下したり侮るような言動を察した途端に冷ややかな雰囲気に変わり威圧感を出してくるので、相手もすぐさま弁解や謝罪をするはめになるのだ。
守ってくれるのは勿論嬉しいが、集まってくれた参加者に失礼ではないかと、目で訴えてみる。
カイルはシャーロットの視線を正しく理解したようだが、仕方がないだろうと言う風に肩を竦めるだけだ。
(困った方だわ。でもそれを嬉しく思う私も大概ね)
そんな風に思っていると、カイルの眼差しが僅かに鋭さを増した気がした。視線の先をさりげなく窺えば、そこにはラルフとカナの姿があり挨拶のためにこちらに向かっているようだ。
正直なところ彼らと会うことで、感情を揺さぶられてしまうのではないかという不安を覚えていたのだが、拍子抜けするぐらい何の感情も湧かない。
婚約解消されたことも遠い昔のようで、穏やかな気持ちだった。気遣うようにこちらを見ているカイルに、シャーロットは大丈夫だと伝えるために微笑んで頷く。
「このたびはご招待いただきありがとうございます」
ラルフがカイルに挨拶をしている間、シャーロットの意識はカナに向けられていた。活き活きと輝いていた瞳は愁いを帯びて、口元は笑みを作っていたがどこか疲れたような表情を浮かべている。
「シャーロット嬢も元気そうで何よりだ」
母国の王族からの言葉にシャーロットは優雅に一礼した。ラルフの言葉から挨拶を切り上げて立ち去るのだろうと思いながら顔を上げれば、カナが訴えるような表情でシャーロットを見つめている。
「シャーロット様」
小さな声だったが近くにいた参加者には確実に聞こえただろう呼び掛けに、シャーロットは困ったような笑みを浮かべながらも、内心焦りを覚えていた。身分的にも立場的にも上位であるシャーロットに公式の場で下位の令嬢から声を掛けるのはマナー違反だ。どうしても話す必要がある場合は上位の令嬢から声が掛かるのを待つか、使用人経由で手紙を渡すなどの方法を取らなければならない。
幸いにもラルフが手を肩に回して、それ以上カナの発言することを留めているようだった。
「カイル様、お二人は初めてエドワルド帝国にいらっしゃいましたの。是非楽しんで頂きたいですわ」
シャーロットの意図に気づいたカイルは鷹揚に頷いた。
「ああ、折角の機会だ。今宵は庭園も開放している。興味があれば是非見ていってくれ」
「美しいと評判の庭園を一度拝見したいと思っておりました。陛下のご厚情感謝いたします。――カナ、行こう」
ラルフが小声でカナを促せば、ぎこちないカーテシーを披露して二人はシャーロット達の前から離れて行く。その後ろ姿を見てシャーロットは密かに安堵の溜息を漏らした。
シャーロットがカナからの呼びかけに答えればマナー違反を容認したことになる。そのためシャーロットは先程の発言に触れずにカイルに話しかけ、意図を察したカイルはその場を離れるための話題を提供したことで、ラルフたちも自然な形でその場を離れることが出来たのだ。
せっかくのパーティーで二人に恥をかかせないようすぐに意図を汲んで対応してくれたカイルには感謝しかない。
(それにしてもカナ様は何を伝えたかったのかしら?)
切実な眼差しから必死さが伝わってきた。気になりつつも主催者側として簡単に席を離れることは出来ない。
昼間に聞いた噂とカナの状態を目の当たりにして、シャーロットはぼんやりとした不安を覚えたのだった。
ケイシーを含めた3人の侍女に身体を磨き上げられ、この日のために誂えられたドレスやアクセサリーを身に付けていく。
本日のドレスは深い青一色のAラインドレスで、ホルターネックから胸元に掛けて淡いレースが覆っていて落ち着いた上品な印象だ。
公式の場では青系のドレスしか身に付けていないことに気づいて、恥ずかしいやら嬉しいやらで平静を装うのに苦労していると、ノックの音が聞こえた。
「ロティ、やっと会えた。ああ、美しすぎて誰にも見せたくないぐらいだな」
準備が整ったばかりで室内にはまだ侍女たちが残っているのに、そんな賞賛の言葉を掛けられて頬が染まる。対して王宮の侍女たちは流石に一流で、表情を変えずに一礼して部屋から出て行った。
「……ありがとう存じます。――カイル様もとても素敵ですわ」
婚約パーティーの時には言えなかった言葉をようやく口にすることが出来た。いつも以上に凛とした雰囲気と皇帝らしい風格が相まって、思わず息を呑むほどに優雅で美しい。
「ロティ」
緊張をほぐすためか手の甲と指先に口づけを落とされる。逆の意味で緊張しそうになるが、恭しい態度で優しく触れるカイルの心遣いが嬉しかった。
「カイル様のおかげで私、今とても幸せですわ」
失った欠片を取り返すようにカイルはたくさんの物を与えてくれた。それらは愛情や信頼、考え方など形のない不確かな物だったが、シャーロットの心に沁み入り少しずつ前を向くための力となったのだ。
(カイル様に言われなかったら今でもお父様に嫌われていると思い込んでいたし、スオーレ領主夫人も私がカイル様の婚約者であったからこそあのような配慮をしてくれたのだもの)
逃げるようにリザレ王国を去った形になったが、自分の身を案じてくれていた人々がいたのだと思うと、過去の自分が救われた気がした。
溢れそうな喜びと感謝の気持ちをカイルにどうしても伝えなければと言葉にすれば、カイルは陽だまりのような温かい眼差しを向け、そっとシャーロットを抱きしめる。
「俺もロティのおかげでとても幸せだ。俺の婚約者になってくれて、好きになってくれてありがとう」
腰に回された腕と微かに伝わる体温が、どこよりも安全で心地よい場所だと教えてくれる。
扉越しに時間を知らせる呼び掛けで、名残惜しそうに腕を解いたカイルは生真面目な表情になってシャーロットに注意を促す。
「パーティーは人の出入りが多い。良からぬことを企む者がいないとは限らないから、絶対に一人にならないように。何か困ったことがあれば必ず呼ぶんだぞ」
「はい、カイル様」
こんな風にシャーロットの身を案じ、甘やかしてくれることがたまらなく贅沢な気分になる。エスコートするために差し出された腕に手を回して微笑むと、二人は会場へと向かった。
カイルの隣で国内外の招待客たちと挨拶を交わす。以前であれば微笑みを浮かべながらも内心は不安と緊張に苛まれていたのに、今日は周囲の様子を窺いながら会話を楽しむ余裕すらある。
(カイル様が守ってくださるから)
全員が好意的なわけではないが、カイルはシャーロットを見下したり侮るような言動を察した途端に冷ややかな雰囲気に変わり威圧感を出してくるので、相手もすぐさま弁解や謝罪をするはめになるのだ。
守ってくれるのは勿論嬉しいが、集まってくれた参加者に失礼ではないかと、目で訴えてみる。
カイルはシャーロットの視線を正しく理解したようだが、仕方がないだろうと言う風に肩を竦めるだけだ。
(困った方だわ。でもそれを嬉しく思う私も大概ね)
そんな風に思っていると、カイルの眼差しが僅かに鋭さを増した気がした。視線の先をさりげなく窺えば、そこにはラルフとカナの姿があり挨拶のためにこちらに向かっているようだ。
正直なところ彼らと会うことで、感情を揺さぶられてしまうのではないかという不安を覚えていたのだが、拍子抜けするぐらい何の感情も湧かない。
婚約解消されたことも遠い昔のようで、穏やかな気持ちだった。気遣うようにこちらを見ているカイルに、シャーロットは大丈夫だと伝えるために微笑んで頷く。
「このたびはご招待いただきありがとうございます」
ラルフがカイルに挨拶をしている間、シャーロットの意識はカナに向けられていた。活き活きと輝いていた瞳は愁いを帯びて、口元は笑みを作っていたがどこか疲れたような表情を浮かべている。
「シャーロット嬢も元気そうで何よりだ」
母国の王族からの言葉にシャーロットは優雅に一礼した。ラルフの言葉から挨拶を切り上げて立ち去るのだろうと思いながら顔を上げれば、カナが訴えるような表情でシャーロットを見つめている。
「シャーロット様」
小さな声だったが近くにいた参加者には確実に聞こえただろう呼び掛けに、シャーロットは困ったような笑みを浮かべながらも、内心焦りを覚えていた。身分的にも立場的にも上位であるシャーロットに公式の場で下位の令嬢から声を掛けるのはマナー違反だ。どうしても話す必要がある場合は上位の令嬢から声が掛かるのを待つか、使用人経由で手紙を渡すなどの方法を取らなければならない。
幸いにもラルフが手を肩に回して、それ以上カナの発言することを留めているようだった。
「カイル様、お二人は初めてエドワルド帝国にいらっしゃいましたの。是非楽しんで頂きたいですわ」
シャーロットの意図に気づいたカイルは鷹揚に頷いた。
「ああ、折角の機会だ。今宵は庭園も開放している。興味があれば是非見ていってくれ」
「美しいと評判の庭園を一度拝見したいと思っておりました。陛下のご厚情感謝いたします。――カナ、行こう」
ラルフが小声でカナを促せば、ぎこちないカーテシーを披露して二人はシャーロット達の前から離れて行く。その後ろ姿を見てシャーロットは密かに安堵の溜息を漏らした。
シャーロットがカナからの呼びかけに答えればマナー違反を容認したことになる。そのためシャーロットは先程の発言に触れずにカイルに話しかけ、意図を察したカイルはその場を離れるための話題を提供したことで、ラルフたちも自然な形でその場を離れることが出来たのだ。
せっかくのパーティーで二人に恥をかかせないようすぐに意図を汲んで対応してくれたカイルには感謝しかない。
(それにしてもカナ様は何を伝えたかったのかしら?)
切実な眼差しから必死さが伝わってきた。気になりつつも主催者側として簡単に席を離れることは出来ない。
昼間に聞いた噂とカナの状態を目の当たりにして、シャーロットはぼんやりとした不安を覚えたのだった。
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