老い花の姫

柚緒駆

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55.約束

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 窓の外を松明たいまつと共に兵士たちが駆け抜けて行く。いったい何が起こってるんだろう。わからない。でもきっと、良くないことだ。オブレビシアは宮殿の離れの廊下で、背伸びをして外を見つめていた。

 と、背後から聞き慣れた声が。

「あらあらまあ、お姫様。こんな夜遅くに何をなさっておいでですか。もうお眠りいただきませんと」

 振り返れば笑顔のジルベッタ。オブレビシアはそのスカートに抱きついた。

「ねえ、ばあば。何が起こっているの?」

「おやおや、どうなさったのです。怖い夢でも見ましたか」

 ジルベッタの優しい手に頬を撫でられ、オブレビシアは小さく笑った。

「お外をいっぱい人が走ってるの」

「たいしたことではございませんよ。どうせ野良犬でも出たのでしょう」

 するとオブレビシアはまっすぐにジルベッタの目を見つめた。

「その野良犬に、父様が噛まれたりしない?」

「……そんなに心配でございますか」

 オブレビシアは小さな頭をこくんとうなずかせる。ジルベッタはまた笑顔を返した。

「では、このジルベッタが見て参りましょう。何が起こっているのか確認して、お姫様にお伝え申し上げます。それまでお部屋でお待ちいただけますか」

「ばあばは大丈夫なの」

「大丈夫でございますとも。野良犬なんぞに負けはしません。お姫様、お約束いただけますか」

 オブレビシアはまたこくんとうなずく。その髪を、ジルベッタは大切そうに撫でた。

「ではベッドの中でお待ちください。ちゃちゃっと行って戻って来ますから」



 いったい何が起こっているのか、ランスと亡霊騎士団はこれといった抵抗も受けず、すんなり宮殿中央部へと達した。

「どうなってるんだ」

 アルバがつぶやくが、ランスからの返答はこうだった。

「おそらくここに皇太子はいる。おまえたちは探し出して首を取るといい」

 これに、顔を覚えられないキリカが問うた。

「アンタはこれからどうするんだい」

 ランスは答える。

「為すべきことを為すだけだ」

 そして背を向けると走り去った。

 顔を見合わせる亡霊騎士団の面々だが、もはや問うべきこともない。アルバは言った。

「命があったらまた会おう」

 その言葉を合図に散開し、それぞれが闇を走る。それぞれの胸の内の闇に抗うために。



「バラバラに散らばった」

 隣でリムレモがそうつぶやく。俺はため息をついた。

「俺にできるのはここまでだ。六箇所も七箇所も同時に面倒見るのは無理だからな」

 あの包帯グルグル男と亡霊騎士団が宮殿の兵士たちとぶつからないよう、ここまで俺がオマジナイであれこれやっていたのだが、さすがに分散されると手に負えない。

 この先、こちら側に都合のいい展開が望めるのなら、ウストラクト皇太子が倒され、同時に亡霊騎士団も壊滅してくれれば話は簡単になるのだが、おそらくそう上手くは行かないだろう。

「まあ何にせよ、後は吉報を待とうぜ」

 俺の言葉に、闇の中でリムレモがうなずく気配がする。

「そうだね、もうクタクタだし戻って休みたい」

「同感だ」

 しかしそれは間の抜けた甘い考えだと、即座に俺たちは思い知らされた。

「あらあらあら、どこに戻るというのでしょうか」

 その声は闇の中から。いや、俺たちの頭の少し上くらいの場所に光がある。小さな夕焼け色の点。それが一瞬で人間を飲み込めるほどの直径の球体へと拡大すると、中から湧き出すように老婦人が現われた。紺色の服を着てメガネをかけた、吹き付けるような怒気をまとった老婦人。

「いったい全体、これは誰の差し金なのか、教えてもらいましょうかね」



 皇太子のガラス温室。その中から「ヤツ」の気配がする。この世を呪い、ねじ曲げんと企む怪異の気配。しかし、そこへ向かおうとするランスの前に、夕焼け色の輝く球体が現われ、老婦人が立ちはだかる。紺色の服を着てメガネをかけた、吹き付けるような怒気をまとった老婦人が。

「いったい何が目的なのか、教えてもらいましょうかね」

「皇太子の護りに向かわなくていいのか」

 その問いに、相手はニヤリと笑うのみ。ランスは状況を理解した。

「なるほど、すでに向かっている訳か」



 ランスの言葉通り、アルバの前に、ジュジュの前に、デムガンやキリカ、ノロシ、ヒノフとミノヨの前にも老婦人は現われていた。まったく同じ姿で、しかし別々の言葉を話しながら。



 深夜の影屋敷。いまできることは何もない。パルテアにそう言われ、皆それぞれの部屋で床についてたものの、眠れていた者は誰一人としていなかった。

 そんな中、ミトラの寝室がノックされる。扉が開いて入って来たのはパルテア。

「どうしたの」

 ミトラの言葉にパルテアは深く頭を下げた。暗さに紛れて顔の表情は見えない。

「おいとまを頂きに上がりました」

「暇? どういうこと」

「あなたが生まれて十二年、あなたと歩んだ十二年、この十二年は私の人生において、もっとも思い出深い時間になりました。それもこれも、すべてあなたの存在あってこそです。ミトラ姫様、本当にありがとうございました」

 ミトラはベッドから下り立ち上がった。ただごとではないと理解したのだ。

「……どこかに行くの」

「はい、今夜でお別れでございます」

「ダメ!」

 慌ててパルテアに駆け寄り抱きつくミトラは、目に涙を浮かべている。

「一人になる! 私、一人じゃ何もできない!」

「いいえ、あなたは居場所を見つけました。もう一人にはなりません。大丈夫」

「大丈夫じゃない! イヤだ! 絶対にイヤ!」

「人間は永遠の存在ではありません。必ず別れはやって来るのです。笑顔で見送ってくださいませ」

 パルテアは優しくミトラを引き離そうとする。だが、しがみつく手の力に驚いた。いつの間に、こんなに強く。

「まだ何もしたことないのに!」

 ミトラの声がパルテアの心を射貫く。

「私まだ何もしてないよ、パルテアにプレゼントを渡したこともない、パルテアにケーキを焼いてあげたこともない、パルテアとお買い物をしたこともない、何もしたことないんだよ。それなのに何でお別れとか言うの」

 このときパルテアは確信した。ああ、自分の選択は間違っていなかったのだと。

「そのお言葉だけで十分。私の人生は、本当に幸せでした。……フルデンス」

 ミトラの目が一瞬見開かれ、そして静かに意識を失う。崩れ落ちそうになる体を抱きかかえ、パルテアは優しくベッドに横たえた。眠るミトラの頬に触れようとして、その手をそっと引く。

 振り返れば悲しげな顔に戸惑いを浮かべるシャリティ、その背後には黒い大蛇の頭に乗ったフルデンスの姿が。

「もう良いのか」

 そうたずねるフルデンスにパルテアはうなずいた。

「嫌われ役を押しつけてごめんなさい」

「嫌われるのも憎まれるのも慣れているのでな」

 口元を扇で隠してそう答えるフルデンスに、パルテアは微笑みかける。

 そしてシャリティに向かい、深々と頭を下げた。

「ミトラ様のこと、お願い致しますね」

「いや……余はそのような」

 戸惑うシャリティにフルデンスが後ろから声をかける。

「違うぞ、シャリティ」

 扇がパチンと閉じられる。

「パルテアは勝手な希望を願っている訳ではない。やるかやらないかを問うているのだ」

 シャリティは当惑し、パルテアを見つめ、ミトラを見つめた。その口元が引き締まる。

「……余は、ミトラ姫の力に、なり、たいと思って、その」

 パルテアはシャリティの手を取った。

「はい。あなたにならお任せできます。どうか、どうかよろしくお願い致します」

 声を震わせるパルテアに、シャリティはいまは亡き母親の影を見ていた。
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