老い花の姫

柚緒駆

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27.親父殿

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 大きな切り株の周囲をクワで掘り起こし、縄をかけて村中の男衆が総出でひっくり返す。延々と続く森を切り開き、耕作地が広がって行く。

「広げた畑は村の物だ! 豊かになりたくば畑を広げよ!」

 いわおのような大男は上半身裸でそう叫びながら、自ら先頭に立って地面を掘り返す。周りの村人はそんな大男に、遠慮がちに声をかけた。

「御館様、もう後はワシらでやりますんで」

「そうです、ごゆっくりしてください」

 しかし大男は振り返りもしない。

「やかましい! おまえらに任せておったのでは日が暮れてしまうわ!」

 この御館と呼ばれる大男こそ、この地の領主、グランダイン・ポートマスであった。

 と、そこへ峠の向こうから馬が走って来るのが見える。

「御館様、あれは」

「ああん?」

 少し腹立たしげにグランダインが目をやれば、馬に乗ってやって来たのはポートマス家の次男、スリッジ。

「親父殿!」

「何用だ、騒がしい」

 スリッジは馬から飛び下りるとこう言った。

「リルデバルデから使者が来たんだ。兄者が親父殿に戻ってもらえと」

 リルデバルデ家の親王夫妻が殺されたことは知っている。このスリッジと長男のスタークは葬儀に参列すべきだと主張したのだが、政府が王侯貴族に対し自重を促したのを理由に、却下したのはグランダインである。実のところ香典がもったいなかったのだが。

 三男のスリングがバレアナ姫の婿としてリルデバルデに入った以上、曲がりなりにも親戚である。メンツもあれば世間の手前というものもある、葬儀に参列して香典をケチる訳にも行かない。だが参列しなければ香典を出す必要もないではないか。

 そもそも死んでしまったものはもう仕方ない。葬儀で泣き喚いたところで生き返る訳でもなし、香典など無意味な金の使い方の典型であろう。

 まあ、さすがにそれを大声で公言するほど世間知らずではなかったものの、スリングには伝わっているはずだ。苦笑いを浮かべるだけで文句は言うまい、と思っていたのだが、使者を送ってきたか。形だけでも弔意を示せとでも言うのか? もしそうなら銀貨の五枚も香典にくれてやればよかろう、グランダインは面倒臭そうにため息をつくと上着を手にした。



 どう贔屓目ひいきめに見ても貴族の屋敷には見えない、ちょっと豊かな農民の家にしか思えないその応接間兼食堂兼居間のような場所で、木の椅子に腰掛ける黒いマントの女。フードを上げたその顔は、向けた視線をそらせないほどの美貌。ポートマス家の跡取りである長男のスタークは、だらしなく崩れそうになるその顔に、必死に力を込めて威厳を保とうとしていた。

「申し訳ない、当主はまもなく戻るはずなのですが」

「いいえ、お気遣いなく」

 女は抱きしめたくなるような微笑みを浮かべ、薄い茶の入ったカップを手にした。

「ところで、奥方様はご在宅ではないのですか。ご当主様より先にご挨拶するのは不躾でしょうか」

 するとスタークは困ったような顔で目を伏せた。

「実は、母は二日ほど前から体調を崩しまして、寝込んでおります」

「まあ、それは大変。スリング王子殿下には」

「いえ、王子殿下にはお伝えしないようにと母に口止めされまして」

「左様ですか。ならば私からもお伝えしない方がよろしいですね」

「できれば、しばし」

 スタークがそう言いかけたとき、窓の向こうからドスドスと重い足音が響いて来た。そしてドアが勢いよく開かれ、手にクワを持ったままのグランダインの巨体が室内に姿を現わす。

 立ち上がったスタークに目もくれず、グランダインは女をにらみつけた。

「何者だ、おまえは」

「ああ、親父殿。彼女がスリング王子殿下からの使者で」

 話し出したスタークに、グランダインは怒りと呆れに満ちた目を向ける。

「阿呆か、おのれは」

「えっ」

「あのスリングが、こんなクソ田舎に、こんないい女を使者として寄越すはずがあるか」

 くすっと女は微笑んだ。

「お褒めに与りまして光栄です。さすが、あの子にしてこの親ありですね」

「グローマルを殺った連中の仲間か」

 グランダインの言葉に、スタークは思わず後ずさり、スリッジは身構えた。しかし女は座ったまま茶のカップを持ち上げる。

「ご明察」

 そう言ってカップの縁を指で弾いた。その音が広がり、どんどん広がり、段々と大きくなり、やがて鼓膜を破るかと思うほどの大音量となり、スタークとスリッジが耳を押さえたとき。突然音は止み、部屋の中から女とグランダインの姿が消えていた。



 含み笑いから声が漏れている。下女のマレットは大笑いしたいのを必死で我慢しているようだった。

「そんなに面白くはないだろ」

「いや、いや、かなり面白い」

 不服げな俺の顔を見て、マレットは一層笑いを堪えている。

「て言うかさ、本当に側室にしちゃえばいいじゃん、レイニアだって嫌がらないと思うけど」

「そういう問題じゃねえよ」

「じゃ、どういう問題なのさ」

「どうもこうもないだろう、レイニアがせっかくこれから自由に生きていける第一歩ってときに」

 マレットは不思議そうな顔をした。

「そういうアンタは不自由で平穏な生活と、自由で波瀾万丈な生活と、どっちがいいの」

「いや……それはそれで、アレだ」

 それとこれとは話が別だ、と言いたかったのだが、どう別なのかはよくわからない。

「どんな生活したって、どっかに不自由は必ずあると思うよ。人間は不自由から逃げられないんだよ、きっと。だからさ」

 マレットはニッコリ笑った。

「レイニアを側室にしちゃえって。で、ついでにアタシも側室にしてよ。若いんだから二人くらい大丈夫っしょ」

「あのなあ。おまえ、そんなに俺に抱かれたい訳?」

「うん、抱かれたい。すっごい抱かれたい。今晩抱いてよ」

「却下だ」

「もー、意固地なんだからあ」

 うっかり忘れていたが、マレットは夕食の用意ができたと呼びに来たのだった。また肉抜きの煮物なのだろうけど、とにかく食べに行こう。俺は一人で部屋を出た。いや、出ようとした。扉を閉める前に戻らざるを得なかったが。

 窓の割れる音と共に、部屋の床に人の身長ほどもある矢が突き立つ。屋敷に近付く者があれば探知できるようオマジナイをかけておいたのだが、何の反応もなかったところを見ると、おそらくはその範囲の外からだろう。太い矢には紙がくくりつけられていた。矢文とはまた古風な。

 音を聞きつけてバレアナ姫や下女たちが駆けつける。

「何事ですか!」

 俺はまず彼女たちに落ち着くよう言う必要があった。そして矢にくくりつけられていた文を姫に見せる。

「すみません、うちの親父殿が人質になったようです」

 まったくもう、次から次へと。
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