案山子の帝王

柚緒駆

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83 怪我の功名

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「ネットワークブースター接続」

 その声に反応し、ジュピトル・ジュピトリスの視界の中に青い髪のアキレスが現われる。他の誰にも見えはしないが。

「お呼びか、主」
「エリア・レイクスの避難誘導システムを掌握。警備ドローン展開。すべてのスピーカーで僕の声を流して」

「承知した。しばし待たれよ」

 アキレスが姿を消す。ジュピトルは、呆気に取られているエリア・レイクスの行政庁長官に微笑んだ。

「こういう事が可能だ、というのは内緒にしておいてください。本意ではないので」

 自分の椅子に腰を下ろして、長官は深いため息をついた。

「……助かった……のか」
「いえ、まだこれからです」

 静かに首を振ったジュピトルの視界に、再びアキレスが現われる。

「主よ、システムの掌握は完了した。ドローン展開開始。域内全スピーカーの起動を確認」

 ジュピトルは無言でうなずくと、静かな口調で話し始めた。


 災害発生時に街灯掲示板に表示されるべき避難方向や避難場所までの距離が、いまは表示されていない。ただでさえ巨大な天秤の出現にパニックになっているエリア・レイクスの人々は、より一層の混乱をきたしていた。

 しかし沈黙していた掲示板たちが、突然避難経路を表示し出したかと思うと、警備ドローンが現われ、人々の誘導を開始した。そしてスピーカーから流れる声。

「エリア・レイクスの皆さん。私はエリア・エージャンのジュピトル・ジュピトリスです。いま、この事態に対応するために、ここを訪れています」


 天から降ってくる巨大な分銅が、金属音と共に十六の欠片に斬り割られる。それを宙に浮く丸い暗闇が次々に飲み込んで行く。

「いまのは派手で良かったろ」

 フリルのドレスを翻し、振り返るリキキマに、ダラニ・ダラは言う。

「女としちゃ、あんまり小さいのもアレだね」
「だからシモネタやめろって」

 そこにスピーカーから聞こえて来る、ジュピトル・ジュピトリスの声。ダラニ・ダラが歯を見せた。

「来たね、小僧」

 リキキマも笑った。

「んじゃ、もういいんだな」

 ダラニ・ダラはうなずく。

「ああ、好きにしな」

 その瞬間、リキキマは稲妻の速度で上昇し、天空に浮かぶ巨大な天秤へと向かった。


「いま、空に浮かぶ巨大な天秤の正体はまだ不明ですが、すでにデルファイの魔人が対処に当たってくれています。間もなく排除できるはずですので、皆さんは落ち着いて行動してください」

 その静かな声は、人々のパニックを少し和らげた。

「ジュピトル・ジュピトリスが来てくれたのか」
「魔人が動いているって言ってたよな」

「私たち、助かるの」

 そんな声があちこちから聞こえ始める。一帯を支配しつつあった絶望感は、急速に薄まって行った。


 鷹の翼を羽ばたかせ、リキキマは天秤の皿の上に出た。皿には大中小と三種類の分銅が、いくつもいくつも所狭しと並んでいる。まるで摩天楼の模型だ。それを通り過ぎ、リキキマは先へ進む。目指すは天秤の支点。湾曲した棒の中央で結ばれた紐。上を仰げば高く天空にその先が消滅する、その紐の結び目にリキキマは立った。

 太い。結ばれた紐の直径だけで数十メートルはあるだろう。それはもはや紐ではなく、建築物と呼ぶに相応しい。リキキマは巨大な結び目に手を当てた。かすかな脈動を感じる。

「やはりな。生き物か」

 手を当てた場所が発熱する。赤く赤く光る。巨大な天秤は震えた。その震動を全身で感じ、リキキマは愛おしげに手元の赤い輝きを見つめた。

「悪く思うなよ。おまえはこれから、このリキキマ様の中で生きるんだ」

 そして、ニッと笑った。

「同化する」

 赤い輝きが、リキキマの手元から天秤全体へと、風の速さで広がって行く。


 エリア・レイクスの行政庁ビル。その最上階の長官室。双子のナーガとナーギニーは長官のデスクで人や車の流れを観察していた。

「避難の混乱による混雑は解消されつつあります」

 ナーガが言う。

「ですが、地下街のキャパシティはすでに限界を超えています」

 と、ナーギニー。ジュピトルは即断する。

「アキレス」

 視界に浮かぶ青い髪の青年に命じた。

「すべての無人タクシーとバスを一時接収、可能な限り住民を域外に運んで」
「心得た」

 アキレスの姿がまた消える。

 ジュピトルは長官に向き直った。

「とりあえずの目処は立ちました。長官も待避してください」

 行政庁長官は感無量といった顔で見つめ返した。

「ジュピトル・ジュピトリス、もう何と感謝をすれば良いのか」
「その言葉は全部終わってからにしましょう。いまは」

 そう言いかけたとき。

「ジュピトル様!」

 ナーギニーの叫び声。長官室の窓ガラスが粉砕される音。二つが同時に重なった。

 ジュピトルは見た。宙に立つ黄金に輝ける三面六臂。開かれた六本の腕には六本の戦斧。正面を向く顔の大きな目。

「ほう、一本足ではないのか」
「……ヌ=ルマナか」

 その言葉に、『宇宙の目』はジュピトルを見つめた。

「なるほど、ヌ=ルマナを知っている。つまり、おまえが二つ目の頭という訳だな」

 ジュピトルは答えない。ヌ=ルマナの口元が歪んだ。

「気に入らんな。あやつと同じ目をしている」

 戦斧がジュピトルに向けられる。

「毒虫は頭を潰さねばならない」

 ナーガとナーギニーの双子は両手をヌ=ルマナに向けた。念動力で押さえ込もうというのだ。しかし相手は首をかしげる。

「このような、かそけき力で何をする気か」

 念動力に抗い、戦斧がゆっくりと振り上げられる。そのとき。長官のデスクの陰から、何者かが飛び出した。二歩の助走で飛び上がり、ヌ=ルマナの顔に向けて蹴りの一撃。ムサシである。けれど。

「遅い」

 戦斧が一本、振り下ろされる。ムサシの足は、いとも簡単に斬り落とされた。血は流れない機械の足。中は空洞。そこに詰め込まれていたのは透明な液体。おそらく、ただの水ではない。飛散する液体の動きを、『宇宙の目』は見通した。一滴残らず、すべてかわす。

 だが、かわす事に気を取られていたのだろう、宙で一回転したムサシの右手が戦斧の先をつかむのを避ける事ができなかった。右の肘から先が外れる。小さな火花。大きな爆音。

 爆風の圧力がヌ=ルマナを仰け反らせる。それは物理的には傷一つ付けられないものの、神のプライドに傷を付けた。

「……おのれ虫けらが!」

 だから真後ろにドラクルが居る事に気付くのが遅れる。

 ドラクルはヌ=ルマナを連れてテレポートした。ダラニ・ダラの目の前に。その手元には丸い暗闇が。

「これでも喰らいな!」

 暗闇の中心部に一瞬輝く赤い光。コンマ一秒開いたそこから直進する百万度の炎。空間圧縮で太陽近縁と直結したのだ。高圧の炎はヌ=ルマナを叩き、遙か彼方に吹き飛ばした。

「あっぶないなあ」

 ヌ=ルマナの飛んで行った方向を見ながら、ドラクルはつぶやいた。

「ボクまで丸焼けになるところだった」
「おまえはそんなタマじゃないって聞いてるよ」

 ダラニ・ダラは鼻で笑う。ドラクルは肩をすくめた。

「誰がそんな事を」
「一本足のクソガキだよ」

「そりゃ光栄だ」

 そう言い残してドラクルは姿を消した。

 ダラニ・ダラは空を見上げた。いつしか巨大な天秤は真っ赤に輝いている。

「さて、あっちもそろそろ仕上げかね」


 すでに分銅は溶け、皿と一体化している。その皿も歪み、垂れ下がらんばかりである。そして棒は中央に向けてドンドン短くなって行く。すべてリキキマに食われているのだ。しかしこの巨大な物体を飲み込みながら、リキキマの体が膨れる事すらないのは不思議な光景だった。


 デルファイの西の森。ウッドマン・ジャックの小屋で、3Jは待っていた。テーブルの上には、マグカップに並々と注がれた冷めたコーヒーが一つ。

「今回は、ちょっと危ない橋ではなかったのかと思うのだけれど」

 ジャックの言葉に3Jはうなずく。

「俺が自由に動けないという意味ではそうだ。だが、ジュピトルを最前線に立たせる事が出来たのは、怪我の功名と言える」
「人類の希望の星とするために、かね。ちょっと可哀想な気もするのだけれど」

 3Jは少し躊躇を見せて、こう言った。

「……あいつ以外に居ないんだ」
「それも理解は出来るのだがね」

 と、ジャックは不意に何もない隣に目をやった。そして大きくうなずく。

「ほうほう、天秤は無事リキキマが飲み込んだそうなのだね。それとヌ=ルマナが現われたそうなのだけれど、とりあえず想定通りに撃退出来たらしいね」
「ヌ=ルマナはジュピトルのところに出たのか」

「ふむ、さらはそう言っているがね」
「エリア・レイクスの行政庁長官がそれを見ていた」

「らしいね」

 3Jは一気にコーヒーを飲み干す。その口元が緩んでいるようにもジャックには見えた。

「運も実力のうちだ」

 そう言って3Jは立ち上がる。小屋の天井に広がる黒い空間。そこから降りて来るのは、ダラニ・ダラのクモの脚。その先に出来た黒い輪の中に入ると、3Jの姿は消えた。
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