上 下
13 / 52

第13話 十文字香の手記 その六

しおりを挟む
 その夜はろくに眠れず、朝になるまで何度も目を覚ました。悪夢を見ていたのかも知れない。翌日の木曜日は朦朧もうろうとした頭で心ここにあらずのまま授業を受け、昼の給食を終えた後、私はフラフラと推理研究会の部室を訪れた。

 昨日の今日で何が変わる訳でも、何がわかる訳でもないのだろうが、とにかくここに来ない限り何も進まない気がしたのだ。

「お邪魔しまーす」

 返事など期待せずに引き戸を開けた私を、強烈なスパイスの香りが出迎えた。

「え、カレー?」

 部屋の窓辺ではいつものように夏風走一郎が椅子に座って外をながめていた。だがその手前では、床に直接あぐらをかく男子生徒の背中が。脇にはキャンプ用のガスバーナーとケトルが置いてあった。

「五味くん、何してるの」

 振り返った五味民雄の手には、コンビニ限定商品のカレーヌードルの容器。口いっぱいに頬張ったモノをモグモグ咀嚼そしゃくし、飲み込むと面倒臭そうにこう言った。

「何してるもないだろ。飯食ってんだよ」

「え、給食は食べなかったの」

「あんなもんで足りる訳あるか。十代の胃袋なめんな」

「いや、だからってここで食べなくても」

「他にどこで食うんだよ」

 まあ、そう言われてみればその通りなのかも知れない。学園外のコンビニやスーパーで買った食料品を校内で飲食するのは、教員の許可がない限り校則で禁じられていた。だから教室でも学食でも、こんなものは食べられないのだ。

 しかし、そんな面倒なモノをわざわざ食べなくても良さそうなものだが。お腹を膨らませるだけなら、学食で安く食事ができる。何を好き好んで校則に違反しなくてはならないのか、私にはサッパリわからなかった。そもそも、カレーヌードルといいキャンプ用品といい、どうやって手に入れてどこから持ち込んだのだろう。情熱をかける方向性がまったく意味不明である。

 私は外を眺める夏風走一郎に声をかけた。

「いいの、これ」

 すると部屋の主は、やや苦笑にも見える笑みを浮かべながらこちらを向いた。

「いいも悪いも、勝手に始めちゃったからねえ。でも五味くんのバイタリティーは凄いよ。方向性さえ定まれば、かなりの人物になれるんじゃないかな」

「進路指導みたいなこと言ってんじゃねえ」

 割り箸でカレーヌードルをかき込みながら、五味民雄はぶつくさと文句を言った。

「何がバイタリティーだ、意味のない『やる気の暴走』を勝手に横文字に当てはめやがって。かなりの人物って何だよ、そんな未来が見極められるほど人生経験積んでんのかテメエはよ」

「おやおや、これは随分と逆鱗げきりんに触れたみたいだねえ。進路指導に余程の恨みがあるみたいだ」

 夏風走一郎の笑顔には心の声が浮かび上がっているような気がした。「これは良いオモチャを見つけたぞ」と。それに気付いていたのかどうか、五味民雄はカレーヌードルの容器を逆さまに、一気に口の中に流し込んで飲み込んだ。

「恨みなんぞねえわ。ただ気に入らないだけだ。進路指導にいったい何の意味がある。生徒に将来の希望を語らせて何が生み出せるよ。アンケート用紙に宇宙物理学者になりたいって書いたら、進路指導の教師が宇宙物理学教えてくれんのか。あんなもん学校側の仕事してるポーズか、さもなきゃオカルトだろうが!」

 カレーヌードルの容器を握りつぶし、すごい剣幕で怒りをぶちまけた五味民雄だったが、それを聞いて夏風走一郎は腹を抱えて大笑いを始めた。これに笑われた方が不快感を示したのは当然かも知れない。

「何がそんなにおかしい」

「いやいや、言いがかりもここまで来ると芸術的じゃないか。たかだか進路指導にここまで熱弁を振るう人を初めて見たよ。でも一応先生方を擁護ようごしておけば、宇宙物理学者になりたい生徒に、それが可能な大学の情報を与えるのは進路指導の仕事だよね」

「だったら大学のパンフレットだけ渡せば済む話だ。教師による指導なんぞ何の意味もない」

 だが夏風走一郎は首を振った。

「違うよ。それはシステムと契約の話になる。学校というのは何でも指導するのが当たり前なシステムになっている。で、僕ら生徒はそのシステムを了承して納得して入学するべき存在なんだよ。つまり入学した時点で、そのシステムを受け入れる契約に同意したんだ。だから入学してからシステムが気に食わないというのは、ほぼ言いがかりの契約違反だね」

 しかし五味民雄は一歩も引かなかった。

「だったら学校は入学説明会で、『ウチの学校にはこんなシステム上の問題があります』って事前説明をしなきゃならんだろ。俺はそんな説明を受けた記憶は一切ない。説明もなしに問題の尻拭しりぬぐいを生徒にさせるのは不当契約だ。詐欺なんだよ」

「なるほど消費者契約法的解釈を学校の現場に持ち込めという話なんだ。確かに生徒にはともかく、保護者に対してその説明はされるべきだね。僕は法律家ではないから君の解釈が正しいか間違っているかの判断はつかないけど、このレベルの理論武装で反抗されたら、高校の先生では大変扱いにくいだろう。五味くんが問題児なのはよくわかるよ」

 何故か嬉しそうに話す夏風走一郎に、五味民雄の反抗心はそがれてしまったようだ。

「別に問題児になりたくてなってる訳じゃねえよ」

 吐き捨てるようにつぶやいた五味民雄に、しかし夏風走一郎は心底感心したかのようにこう言った。

「独特の観点に発想力、頭の回転にバイタリティー、いいね。五味くんは見事なまでに私立探偵向きだ」

「おまえ、まだそんなこと言ってんのかよ。ならねえつってんだろうが。それより、そっちはどうなってんだよ」

「どうって何がだい」

「事件のことに決まってんだろ」

 そう、そうなのだ。危うく忘れるところだった。事件の進展が何かないかを確認するためにここに来たのであって、進路指導の是非について話を聞きに来た訳ではない。しかしふくらみかけた私の期待に冷水を浴びせるが如く、夏風走一郎はいとも平然と首を振った。

「何もないよ。新しい情報もないのに、何かわかるはずもないじゃないか」

 ああ、やっぱりそうか。思わず肩を落とした私の耳を、夏風走一郎の言葉が打った。

「そもそも五味くんも十文字さんも考えたんだよね。それで何も出てこなかった。だったら僕が考えたって同じだよ」

 胸が痛んだのは何故だろう。確かに私も事件について、自分なりには考えた。考えたのだが、そのとき心の片隅に、きっと夏風走一郎が何かを見つけるだろうという甘えた計算がなかったか。

 同じだ。このままではピアノと同じだ。夢はまた私から遠ざかろうとしている。

「ごめん。私、教室に戻るね」

 それだけ言って推理研究会の部室を飛び出した。教室に戻って何かがある訳ではない。でもただ口を開けて餌を待つ魚にはなりたくなかった。考えろ、考えろ、考えろ私。

 だが現実は甘くない。考えに考え抜いても、この日は結局何も出てこなかったのだ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

警狼ゲーム

如月いさみ
ミステリー
東大路将はIT業界に憧れながらも警察官の道へ入ることになり、警察学校へいくことになった。しかし、現在の警察はある組織からの人間に密かに浸食されており、その歯止めとして警察学校でその組織からの人間を更迭するために人狼ゲームを通してその人物を炙り出す計画が持ち上がっており、その実行に巻き込まれる。 警察と組織からの狼とが繰り広げる人狼ゲーム。それに翻弄されながら東大路将は狼を見抜くが……。

後宮生活困窮中

真魚
ミステリー
一、二年前に「祥雪華」名義でこちらのサイトに投降したものの、完結後に削除した『後宮生活絶賛困窮中 ―めざせ媽祖大祭』のリライト版です。ちなみに前回はジャンル「キャラ文芸」で投稿していました。 このリライト版は、「真魚」名義で「小説家になろう」にもすでに投稿してあります。 以下あらすじ 19世紀江南~ベトナムあたりをイメージした架空の王国「双樹下国」の後宮に、あるとき突然金髪の「法狼機人」の正后ジュヌヴィエーヴが嫁いできます。 一夫一妻制の文化圏からきたジュヌヴィエーヴは一夫多妻制の後宮になじめず、結局、後宮を出て新宮殿に映ってしまいます。 結果、困窮した旧後宮は、年末の祭の費用の捻出のため、経理を担う高位女官である主計判官の趙雪衣と、護衛の女性武官、武芸妓官の蕎月牙を、海辺の交易都市、海都へと派遣します。しかし、その最中に、新宮殿で正后ジュヌヴィエーヴが毒殺されかけ、月牙と雪衣に、身に覚えのない冤罪が着せられてしまいます。 逃亡女官コンビが冤罪を晴らすべく身を隠して奔走します。

天井裏の囁き姫

葉羽
ミステリー
東京の名門私立高校「帝都学園」で、天井裏の囁き姫という都市伝説が囁かれていた。ある放課後、幼なじみの望月彩由美が音楽室で不気味な声を聞き、神藤葉羽に相談する。その直後、音楽教師・五十嵐咲子が天井裏で死亡。警察は事故死と判断するが、葉羽は違和感を覚える。

国立ユイナーダ学園高等部③〜どうやら僕は名探偵らしいですね

砂月ちゃん
ミステリー
名探偵は部屋から一歩も出ずに事件解決? 何か違うと思う…… ①の続き。 国立ユイナーダ学園高等部シリーズ③

特殊捜査官・天城宿禰の事件簿~乙女の告発

斑鳩陽菜
ミステリー
 K県警捜査一課特殊捜査室――、そこにたった一人だけ特殊捜査官の肩書をもつ男、天城宿禰が在籍している。  遺留品や現場にある物が残留思念を読み取り、犯人を導くという。  そんな県警管轄内で、美術評論家が何者かに殺害された。  遺体の周りには、大量のガラス片が飛散。  臨場した天城は、さっそく残留思念を読み取るのだが――。

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

一輪の廃墟好き 第一部

流川おるたな
ミステリー
 僕の名前は荒木咲一輪(あらきざきいちりん)。    単に好きなのか因縁か、僕には廃墟探索という変わった趣味がある。  年齢25歳と社会的には完全な若造であるけれど、希少な探偵家業を生業としている歴とした個人事業者だ。  こんな風変わりな僕が廃墟を探索したり事件を追ったりするわけだが、何を隠そう犯人の特定率は今のところ百発百中100%なのである。  年齢からして担当した事件の数こそ少ないものの、特定率100%という素晴らしい実績を残せた秘密は僕の持つ特別な能力にあった...

白羽の刃 ー警視庁特別捜査班第七係怪奇捜査ファイルー

きのと
ミステリー
―逢魔が時、空が割れ漆黒の切れ目から白い矢が放たれる。胸を射貫かれた人間は連れ去られ魂を抜かれるー 現代版の神隠し「白羽の矢伝説」は荒唐無稽な都市伝説ではなく、実際に多くの行方不明者を出していた。 白羽の矢の正体を突き止めるために創設された警視庁特捜班第七係。新人刑事の度会健人が白羽の矢の謎に迫る。それには悠久の時を超えたかつての因縁があった。 ※作中の蘊蓄にはかなり嘘も含まれています。ご承知のほどよろしくお願いいたします。

処理中です...