魔獣奉賛士

柚緒駆

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月光の将

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 見張りから警告の声が上がって十秒としないうちに、隊長が大剣を手に天幕から飛び出して来た。

「何があった」
「あれを」

 見張りが指さすおぼろな灯りは、段々と近付き、やがて輝く人の姿を取った。大剣を構えた隊長に続き、身構える傭兵たち。

「何者だ!」

 人間の言葉は通じないかも知れないな、そう思いながらの隊長の誰何に、けれど輝く人影は立ち止まった。この距離ならば相手の様子も見える。全身を毛皮の服で包み、右手に大きな鎚を、左手にタガネを持った髪の長い少女。それは月のように静かに口を開いた。

「私はギーア聖軍団、月光の将ルーナ。これは氷の山脈に向かう奉賛隊か」

 ギーア聖軍団? 傭兵暮らしは長いが、そんな名前は初めて聞いた。だいたい軍団と言っても一人きり、まして手に持っているのが鎚とタガネだ。戦争どころか強盗もできそうにない。隊長は笑いそうになった。だが笑えなかった。どうしても顔に笑みが浮かばないのだ。隊長はこの感覚を久しぶりに思い出していた。どうやら俺は怯えてやがるらしい、と。

「沈黙は肯定と見做すが、それで良いな」

 少女の言葉に隊長は改めて大剣を向ける。背中を冷たい汗が伝う。

「……だとしたら、何か用か」
「ザンビエンに生け贄を与える訳には行かない」

「そう言われても、こっちは仕事なんでね」
「そなたたちに恨みはない。生け贄を置いて去るなら手は出さないと約束しよう」

「おいおい、正気かよ。一人で俺たち全員を相手にできるとでも思ってやがるのか」
「容易い事」

 ルーナと名乗る少女が一歩前に進んだ。同時に、隊長と傭兵たちが剣を振りかざし、一斉に斬りかかる。ルーナの右手の鎚が軽々と、小枝のように振られた。爆音と烈風。それは大量の砂粒といくつもの人間の体を、木の葉のように宙に舞わせるほどの。


 帝国アルハグラの首都リーヌラの王宮で、ゲンゼル王は目を覚ました。深夜の寝室、人の気配はない。だが一瞬後、二つのやかましい気配が中空から現れる。

「王様、王様、ご注進」
「こんな夜中に、ご忠告」

 王は道化に顔さえ向けずにたずねた。

「いったい何が起こった」

「月が動いたよ」
「巨人は動かず、月だけが動いたよ」

 これにはさすがのゲンゼルも驚いたのか、今度は顔を向けてたずねた。

「狙いはリーリアか」

 道化は声を揃える。

「おそらくは」

 ゲンゼルは重ねて問う。

「奉賛隊に対処は可能か」

 すると道化は首を振り、口々にこう言った。

「こればっかりはわからない」
「だって魔族の常識が通じない相手だもの」


 月の消えた夜。暗黒の砂漠の片隅で、おぼろな光を蛇は見ていた。少女の鎚の一振りで舞い上がる傭兵たち。桁外れの戦闘力。炎竜皇の配下で探すなら、かろうじて魔獅子公フンムが匹敵するだろうか。

 月光の将ルーナ。光の聖騎士にして、たった一人の不敗の軍団。噂には聞いていたが、まさかこれほどとは。ただでさえ聖騎士と魔族では相性が悪い。介入はこちらが火傷をするだけだ、やめておこう。

 もっとも介入する必要もないのかも知れない。経緯はどうであれ、ザンビエンの力が弱まって困る事はないのだ。ルーナが生け贄の姫を奪ってくれるなら、それに越したことはない。ここは静観するに限る、毒蛇公スラはそう考えていた。


「敵襲! みんな起きろ! 敵襲だ!」

 天幕の外から聞こえるその声にランシャが目を覚ましたとき、サイーはすでに身支度を整えていた。

「ランシャ、ついてきなさい」
「は、はい」

 慌てて起き上がるランシャを振り返りもせず、サイーは天幕を出る。それを追ってランシャが外に出たとき、空から大雨のように砂が降り注いだ。いや、砂だけではない。人間までもが振ってきた。

 闇の中から次々に人が落ちてくる中を、サイーは早足で進んで行く。その向かう先には、おぼろな灯りが見えた。焚き火にしては変な光だ。

「ランシャ」

 サイーの声は緊張している。それはランシャの鼓動を早めた。

「はい」
「これから私のやる事を、よく見ておきなさい。目をそらしてはならない。すべてを見るのだ、何から何まで一つ残らず、おまえのそのまなこで」

 その言葉は、不吉な印象をランシャに与えた。しかしそれを口にする余裕はない。すぐ目の前に輝く少女が迫っていたからだ。


 月光の将は鎚を振るう。けれどサイーに襲いかかった爆音と烈風は、薄い氷の壁に阻まれた。目をみはるルーナの背後に、傭兵たちが迫る。

「おやめなさい」

 サイーの低く静かな声に、みな足を止めた。

「この方は人間に触れられるような存在ではありません」
「ザンビエンの奉賛士か」

 鋭い眼で見つめる少女に、頭を下げるサイー。

「いかにも、それがしは魔獣ザンビエンを奉る者にございます」
「そこを退くが良い。おまえに用はない」

「まことに失礼ながら、そうは参りません」
「ならば押し通るまで」

 ルーナはまた右手の鎚を、今度はサイーの脳天をめがけて振るう。再度それを防ぐ、薄い氷の壁。だがそこに左手のタガネを当てて鎚で打つと、氷の壁は一撃で無数の破片となって飛散した。ただし、そこにサイーの姿はない。それどころか傭兵やドルトの姿もない。

 奉賛士が仲間を連れて逃げた、と一瞬思ったルーナだったが、すぐその間違いに気付いた。相手が逃げたのではなく、自分が飛ばされたのだと。あの瞬間、氷の目くらましを使い、聖騎士である自分を魔法で砂漠の真ん中に転移させたのだ。なるほどザンビエンの奉賛士である。人間とは言え、ただ者ではない。

 しかしただ者でないのはルーナも同じ。相手の魔法の『残り香』をたどり、元いた場所まで一気に転移する。そして再びサイーの姿を視界に捉えたとき、ルーナは気付いた。自分が人間を侮っていた事に。


 ルーナの姿が消えたと同時に、サイーは己の左手首に指を当て、素早く動かした。ぱっくりと開く傷口、噴き出す血液。その血を噴く左手で砂の上に印を描く。そこに現れたルーナが、すなわち「元いた場所」に戻ったルーナが印を踏んだ。途端、印は竜巻のようにルーナを包み込む。

 月光の将は片膝をついた。まるで巨大な重力に押し潰されるかの如く。

「血の呪印か」
「いかにも」

 サイーは生気のない顔でうなずいた。

「人の血で汚された御身には、聖なる力は宿りますまい。呪印も効果を持ちましょう」
「愚かな。一時しのぎのために命を捨てるというのか」

「どのみち、人の命は短うございます。されば」

 サイーは振り返った。そこに呆然と立つのは、ランシャ。

「いま魔獣奉賛士サイーの名の下に、そなたにすべてを与えよう」

 そう震える声で血の噴き出す左手を操り、空中に印を描く。

「その眼で受け取りなさい」

 そして満面の笑みを浮かべて音もなく倒れた。直後、閃光が走り、渦を巻く。サイーの体を白い光が包んだかと思うと、眩しく輝きながら空へと昇って行った。輝きの余韻が消えた後、ルーナは気付いた。周りには人もドルトも居ない。また飛ばされたのかとも思ったが、違うようだ。今度こそ、本当に自分以外の者たちがすべて消え去っていた。

 後を追おうにも、呪印の刻まれたこの身では無理だ。血の呪印の効果が消えるまでにはかなりの時間を必要としよう。ルーナは己の不甲斐なさにため息をついた。


 奉賛隊が現れたのは、真っ暗闇の中。

「おい、何だこれ」
「どうなってる」

「待て、動くな! 空を見ろ」

 言われて見上げれば、満天の星。

「星が出てるって事は、朝になりゃ日が昇る。それまで誰も動くんじゃねえぞ。自分の後ろのヤツにも伝えろ」

 ここに至り、ようやく皆は気付いた。これは隊長の声なのだと。確かに、この暗さでは火種や薪を探す事もできない。さっきまでと違う場所のようだが、どんな場所に居るのかすらわからない。死にたくなければ指示に従うしかあるまい。奉賛隊の面々は不安を抱えたまま、渋々その場に腰を下ろした。ただ、寒さをしのぐ毛布がないのはつらかったが。


「サイーが死んだよ」
「奉賛士はもう居ないよ」

 道化の言葉に、寝室のゲンゼル王は沈黙している。

「いったん旅を終わらせる?」
「最初からやり直す?」

「……その必要はない」

 小さいが、ハッキリした言葉。

「奉賛士の代わりなど、どうとでもなる。生け贄さえ送り届ければ問題ない」

 ゲンゼルはそれだけ言うと、また目を閉じてしまった。


 そして朝が来た。奉賛隊の一同は、寒さに凍えながら朝焼けを迎えたが、やがて周囲の様子が見えてきたとき、別の意味で震え上がった。

 奉賛隊の隊列からほんの数歩歩いたところには、地面がないのだ。そこは断崖絶壁となり、深い谷に落ち込んでいる。少し行けば水路があり、水道橋が谷を渡っているが、人やドルトが渡れそうな場所はない。

「ギルホークの断崖だな」

 隊長がつぶやいた。顔も体もアザだらけになっているが、とりあえずは無事らしい。同じくアザだらけのナーラムが隣に立つ。

「て事は、北に進めばキリリアの峠か」

 そこに背後から声がかかる。

「予定より半日早いけど、どうする。みんな休ませるかい」

 振り返れば、これまたアザだらけになっているルルとキナンジが立っていた。隊長は腕を組んで考え込む。

「キリリアの峠は明るいうちに越えたいとこだな。それに武器も毛布もない。キリリアの市場なら手に入るだろう」

 キナンジが不安げにたずねる。

「もう昨夜みたいな化け物、出ないかな」
「何か出るのは前提だぜ」

 隊長は笑う。

「キリリアの峠は曲がりくねった細い一本道。襲いたい連中にとってはおあつらえ向きだろ。だがここから東に行くんなら、キリリアを通る以外の手段がない。どのみち通らなきゃいけないんなら、腹を決めて賭けるしかなかろうよ。それに」

 言いかけて、隊長は顔を上げた。

「そう言や、ランシャはどうしてる」
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