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1995年
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アニメーション監督の押井守氏は、いまでこそ変な映画を撮る人みたいなイメージであるが、そもそもはテレビにおけるアニメーション表現の裾野を拡大した開拓者精神旺盛なクリエイターである。
その代表作「うる星やつら」において押井氏は、いまで言うところの「視聴者おいてけぼり」どころか、しがみつく視聴者を強引に振り落とさんばかりの演出を連発した。それは虫けらのような視聴者には極めて面白かったのだが、多くのうる星ファンにとっては必ずしもそうではなかったようだ。押井氏の活動の中心がテレビより映画中心に移って行くのは、ある意味当然の流れと言えるのかも知れない。
いまでもちょっと変なアニメや、褒め言葉としての「頭がおかしい」アニメを作る監督はいるのだが、押井氏の系統を継ぐアニメーション監督はいないかも知れない。虫けらの浅薄な知識が及ぶ範囲で押井守氏的な映像作品を作っているのは、庵野秀明氏くらいしか思いつかない。
もちろん押井氏と庵野氏のアニメは同じではない。押井アニメは言うなれば樹になった野性の栗だ。中身が美味しいことは間違いないのだが、その周囲をトゲトゲのイガが包んでいる。心の準備をせず迂闊に手を出せば痛い目を見てしまう。普通の監督ならそのイガを取るものなのだが、押井氏は取らない。「自分でイガを取るのも栗を楽しむ醍醐味だ」と言わんばかりに。
このイガに包まれた押井守的作品から、イガを取らずに、しかしトゲを全部丁寧に切り取って、なおかつロボットアニメという型枠の中にスポンと嵌め込んだのが「トップをねらえ!」(1988年)なのではあるまいか。トゲを切る手間をかけるくらいならイガを取ればいいように普通は思うのだろうが、庵野氏も取らない。「取りたい人だけ取ればいいんだよ」という風に。
そしてそこからさらに一歩踏み込み、「イガが取れないこともまたエンターテインメントじゃないか」と問いかけたのが、1995年にテレビ放送が開始となった「新世紀エヴァンゲリオン」なのかも知れない。
エヴァンゲリオンの功罪についてはヤマトやハイジと同様のレベルで膨大な量の言葉が溢れかえっているので、いまさら虫けらが言うべきことは何も残っていない。この作品以降、少しでもリアル系の表現に走ると「エヴァの影響」と言いたがる人が湧いてくるため、辟易している方もおられるだろうが、実際影響は大きいと思う。ただそれはリアルさ云々ということではない。
エヴァンゲリオン以前のアニメによく見られた、何でもかんでも説明し、とにかくわかりやすくすること。そこに面白さがあるのだという姿勢を取らない、つまり「わからない面白さ」を容認する作り方をしているアニメはエヴァの系譜だし、もっと言えば押井守氏の影響下にある。逆にどんなにリアルっぽい物語で、エヴァンゲリオンみたいな絵作りをしているアニメであっても、わかりやすさを優先するような作品はエヴァの影響を受けてはいない。ただ真似をしているだけだ。真似をすることと影響を受けることはイコールではないのだ。
エヴァンゲリオン的な傾向の作品はこの後「セカイ系」と呼ばれてジャンルを形成するが、次第に他のジャンルと混じり合い、明確な線引きは難しくなって行く。現代から見れば最終的に残ったエヴァンゲリオン的傾向の作品は、エヴァンゲリオンだけになったと言えるのかも知れない。間違いなくこの1995年を代表するテレビアニメと言えるだろう。
1995年のテレビアニメ界は前年の格闘ゲームブームが継続し、「ストリートファイターⅡ V」と「バーチャファイター」が放送されている。格闘ゲームではないが、「闘魔鬼神伝ONI」「空想科学世界ガリバーボーイ」もゲーム原作である模様。虫けらの記憶にはない。
この年、OVAから人気に火がついた「天地無用!」のテレビ放送が開始されている。「神秘の世界エルハザード」もOVAからテレビの順であるが、これは当初からのメディアミックス企画だったのではあるまいか。メディアミックスと言えば「愛天使伝説ウェディングピーチ」もそのようだ。「ナースエンジェルりりかSOS」はどうなんだろう。
現在ラノベ原作のアニメはもう珍しくもないが、1995年には「スレイヤーズ」「爆れつハンター」がアニメ化されている。林原めぐみ氏の無双が始まる訳だ。
漫画原作は「行け!稲中卓球部」「NINKU -忍空-」「H2」「ふしぎ遊戯」「ご近所物語」「鬼神童子ZENKI」「怪盗セイント・テール」「あずきちゃん」「ママはぽよぽよザウルスがお好き」「クマのプー太郎」など。ZENKIは女の子の服の丈が短すぎることだけ覚えている。H2はなあ。個人的にはもうちょっと上手く作れなかったものかという不満がある。忍空は原作というより原案といった方がいいかも知れない。原作要素ちょっとしかないし。
名作劇場は「ロミオの青い空」。藤子・F・不二雄氏原作の「モジャ公」がアニメ化されている。NHKは「飛べ!イサミ」「アリス探偵局」、BSで「十二戦支 爆烈エトレンジャー」を放送していた。
巨大ロボットアニメは勇者シリーズが「黄金勇者ゴルドラン」、ガンダムシリーズが「新機動戦記ガンダムW」。サンライズは「鎧伝サムライトルーパー」(1988年)でやらかした「美少年路線」を、ガンダムにぶち込んで見事成功といったところか。ただちょっと成功しすぎて、翌年の「機動新世紀ガンダムX」は不当に低い評価を受けてしまったように思えてならない。
1995年の劇場用アニメ映画は、ドラえもん映画の「ドラえもん のび太の創世日記」、アンパンマン映画の「それいけ!アンパンマン ゆうれい船をやっつけろ!!」、クレヨンしんちゃんは「クレヨンしんちゃん 雲黒斎の野望」、ジブリ映画は「耳をすませば」、ルパン映画の「ルパン三世 くたばれ!ノストラダムス」、大友克洋氏監修のオムニバス「MEMORIES」、ピクサーの「トイ・ストーリー」、そして押井守監督の「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」が公開されている。
攻殻はもう押井カラー満載のザ・押井映画である。虫けらは後のテレビシリーズの攻殻も大好きなのだが、スマートでスタイリッシュなテレビ版を見てから押井版の映画を観ると、不気味さを感じるくらいにクセが強い。しかしだからこそ観る価値があると言える。以後の攻殻の劇場用アニメシリーズは「イノセンス」(2004年)以外はテレビ版準拠で制作されているが、まあその辺はむべなるかな。どうしても客を選んでしまう監督なのだ。もしかしたらGHOST IN THE SHELLは、これでも客を選ばない方の作品かも知れない。
1995年のアニメ以外の劇場用映画は、「ゴジラVSデストロイア」「ガメラ 大怪獣空中決戦」「人造人間ハカイダー」「EAST MEETS WEST」「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」「アウトブレイク」「アポロ13」「ジャッジ・ドレッド」「ダイ・ハード3」などが公開されている。
1995年のOVAには、「天地無用!」のスピンオフ作品「魔法少女プリティサミー」がある。現代なら「Fate」シリーズにおける「プリズマ☆イリヤ」みたいなものだと考えればいい。これも翌年テレビシリーズになる。あと宇宙戦艦ヤマトシリーズの後継作品「YAMATO2520」が出ているのだそうな。そういうアニメ作品があるらしいとは聞いていたが、この年にOVAで出ていたのはまったく知らんかった。翌年のテレビシリーズ「セイバーマリオネットJ」の原点的作品「SMガールズ セイバーマリオネットR」もあった。
他に特筆すべき作品は、この年にはない。……いや、何もなくはないのだろうが、振り返って印象に残っている作品とか、興味を持った記憶がある作品とか、そういうのが思いつかないのだ。OVAもピークはすっかり通り過ぎた感がある。
1995年の特撮は、メタルヒーローシリーズ「重甲ビーファイター」、スーパー戦隊シリーズは「超力戦隊オーレンジャー」が放送されている。また、スーパー戦隊シリーズの映像を使ったアメリカのヒーロー番組「パワーレンジャー」がテレビ朝日系で放送された。
この年円谷プロは、新作というと語弊があるが、アメリカで制作された「ウルトラマンパワード」を4月から、続いてオーストラリアで制作された「ウルトラマングレート」を7月から放送している。おそらくはここで手応えがあったのではないか、翌1996年より新しいウルトラシリーズが開始される。
この1995年は阪神淡路大震災、そしてオウム真理教の地下鉄サリン事件が起こり、日本中が不安と混迷の中にあった。そんな中で我々は、「新世紀エヴァンゲリオン」や「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」、あるいは「ガメラ 大怪獣空中決戦」といった映像作品に新しい時代を見ていたのかも知れない。
翌1996年、テレビアニメの本数が増え始める。しかし、「これは凄い!」というアニメは見当たらない。ただ、アニメというものの「社会における立ち位置」が少し変わる年なのではないだろうか。
その代表作「うる星やつら」において押井氏は、いまで言うところの「視聴者おいてけぼり」どころか、しがみつく視聴者を強引に振り落とさんばかりの演出を連発した。それは虫けらのような視聴者には極めて面白かったのだが、多くのうる星ファンにとっては必ずしもそうではなかったようだ。押井氏の活動の中心がテレビより映画中心に移って行くのは、ある意味当然の流れと言えるのかも知れない。
いまでもちょっと変なアニメや、褒め言葉としての「頭がおかしい」アニメを作る監督はいるのだが、押井氏の系統を継ぐアニメーション監督はいないかも知れない。虫けらの浅薄な知識が及ぶ範囲で押井守氏的な映像作品を作っているのは、庵野秀明氏くらいしか思いつかない。
もちろん押井氏と庵野氏のアニメは同じではない。押井アニメは言うなれば樹になった野性の栗だ。中身が美味しいことは間違いないのだが、その周囲をトゲトゲのイガが包んでいる。心の準備をせず迂闊に手を出せば痛い目を見てしまう。普通の監督ならそのイガを取るものなのだが、押井氏は取らない。「自分でイガを取るのも栗を楽しむ醍醐味だ」と言わんばかりに。
このイガに包まれた押井守的作品から、イガを取らずに、しかしトゲを全部丁寧に切り取って、なおかつロボットアニメという型枠の中にスポンと嵌め込んだのが「トップをねらえ!」(1988年)なのではあるまいか。トゲを切る手間をかけるくらいならイガを取ればいいように普通は思うのだろうが、庵野氏も取らない。「取りたい人だけ取ればいいんだよ」という風に。
そしてそこからさらに一歩踏み込み、「イガが取れないこともまたエンターテインメントじゃないか」と問いかけたのが、1995年にテレビ放送が開始となった「新世紀エヴァンゲリオン」なのかも知れない。
エヴァンゲリオンの功罪についてはヤマトやハイジと同様のレベルで膨大な量の言葉が溢れかえっているので、いまさら虫けらが言うべきことは何も残っていない。この作品以降、少しでもリアル系の表現に走ると「エヴァの影響」と言いたがる人が湧いてくるため、辟易している方もおられるだろうが、実際影響は大きいと思う。ただそれはリアルさ云々ということではない。
エヴァンゲリオン以前のアニメによく見られた、何でもかんでも説明し、とにかくわかりやすくすること。そこに面白さがあるのだという姿勢を取らない、つまり「わからない面白さ」を容認する作り方をしているアニメはエヴァの系譜だし、もっと言えば押井守氏の影響下にある。逆にどんなにリアルっぽい物語で、エヴァンゲリオンみたいな絵作りをしているアニメであっても、わかりやすさを優先するような作品はエヴァの影響を受けてはいない。ただ真似をしているだけだ。真似をすることと影響を受けることはイコールではないのだ。
エヴァンゲリオン的な傾向の作品はこの後「セカイ系」と呼ばれてジャンルを形成するが、次第に他のジャンルと混じり合い、明確な線引きは難しくなって行く。現代から見れば最終的に残ったエヴァンゲリオン的傾向の作品は、エヴァンゲリオンだけになったと言えるのかも知れない。間違いなくこの1995年を代表するテレビアニメと言えるだろう。
1995年のテレビアニメ界は前年の格闘ゲームブームが継続し、「ストリートファイターⅡ V」と「バーチャファイター」が放送されている。格闘ゲームではないが、「闘魔鬼神伝ONI」「空想科学世界ガリバーボーイ」もゲーム原作である模様。虫けらの記憶にはない。
この年、OVAから人気に火がついた「天地無用!」のテレビ放送が開始されている。「神秘の世界エルハザード」もOVAからテレビの順であるが、これは当初からのメディアミックス企画だったのではあるまいか。メディアミックスと言えば「愛天使伝説ウェディングピーチ」もそのようだ。「ナースエンジェルりりかSOS」はどうなんだろう。
現在ラノベ原作のアニメはもう珍しくもないが、1995年には「スレイヤーズ」「爆れつハンター」がアニメ化されている。林原めぐみ氏の無双が始まる訳だ。
漫画原作は「行け!稲中卓球部」「NINKU -忍空-」「H2」「ふしぎ遊戯」「ご近所物語」「鬼神童子ZENKI」「怪盗セイント・テール」「あずきちゃん」「ママはぽよぽよザウルスがお好き」「クマのプー太郎」など。ZENKIは女の子の服の丈が短すぎることだけ覚えている。H2はなあ。個人的にはもうちょっと上手く作れなかったものかという不満がある。忍空は原作というより原案といった方がいいかも知れない。原作要素ちょっとしかないし。
名作劇場は「ロミオの青い空」。藤子・F・不二雄氏原作の「モジャ公」がアニメ化されている。NHKは「飛べ!イサミ」「アリス探偵局」、BSで「十二戦支 爆烈エトレンジャー」を放送していた。
巨大ロボットアニメは勇者シリーズが「黄金勇者ゴルドラン」、ガンダムシリーズが「新機動戦記ガンダムW」。サンライズは「鎧伝サムライトルーパー」(1988年)でやらかした「美少年路線」を、ガンダムにぶち込んで見事成功といったところか。ただちょっと成功しすぎて、翌年の「機動新世紀ガンダムX」は不当に低い評価を受けてしまったように思えてならない。
1995年の劇場用アニメ映画は、ドラえもん映画の「ドラえもん のび太の創世日記」、アンパンマン映画の「それいけ!アンパンマン ゆうれい船をやっつけろ!!」、クレヨンしんちゃんは「クレヨンしんちゃん 雲黒斎の野望」、ジブリ映画は「耳をすませば」、ルパン映画の「ルパン三世 くたばれ!ノストラダムス」、大友克洋氏監修のオムニバス「MEMORIES」、ピクサーの「トイ・ストーリー」、そして押井守監督の「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」が公開されている。
攻殻はもう押井カラー満載のザ・押井映画である。虫けらは後のテレビシリーズの攻殻も大好きなのだが、スマートでスタイリッシュなテレビ版を見てから押井版の映画を観ると、不気味さを感じるくらいにクセが強い。しかしだからこそ観る価値があると言える。以後の攻殻の劇場用アニメシリーズは「イノセンス」(2004年)以外はテレビ版準拠で制作されているが、まあその辺はむべなるかな。どうしても客を選んでしまう監督なのだ。もしかしたらGHOST IN THE SHELLは、これでも客を選ばない方の作品かも知れない。
1995年のアニメ以外の劇場用映画は、「ゴジラVSデストロイア」「ガメラ 大怪獣空中決戦」「人造人間ハカイダー」「EAST MEETS WEST」「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」「アウトブレイク」「アポロ13」「ジャッジ・ドレッド」「ダイ・ハード3」などが公開されている。
1995年のOVAには、「天地無用!」のスピンオフ作品「魔法少女プリティサミー」がある。現代なら「Fate」シリーズにおける「プリズマ☆イリヤ」みたいなものだと考えればいい。これも翌年テレビシリーズになる。あと宇宙戦艦ヤマトシリーズの後継作品「YAMATO2520」が出ているのだそうな。そういうアニメ作品があるらしいとは聞いていたが、この年にOVAで出ていたのはまったく知らんかった。翌年のテレビシリーズ「セイバーマリオネットJ」の原点的作品「SMガールズ セイバーマリオネットR」もあった。
他に特筆すべき作品は、この年にはない。……いや、何もなくはないのだろうが、振り返って印象に残っている作品とか、興味を持った記憶がある作品とか、そういうのが思いつかないのだ。OVAもピークはすっかり通り過ぎた感がある。
1995年の特撮は、メタルヒーローシリーズ「重甲ビーファイター」、スーパー戦隊シリーズは「超力戦隊オーレンジャー」が放送されている。また、スーパー戦隊シリーズの映像を使ったアメリカのヒーロー番組「パワーレンジャー」がテレビ朝日系で放送された。
この年円谷プロは、新作というと語弊があるが、アメリカで制作された「ウルトラマンパワード」を4月から、続いてオーストラリアで制作された「ウルトラマングレート」を7月から放送している。おそらくはここで手応えがあったのではないか、翌1996年より新しいウルトラシリーズが開始される。
この1995年は阪神淡路大震災、そしてオウム真理教の地下鉄サリン事件が起こり、日本中が不安と混迷の中にあった。そんな中で我々は、「新世紀エヴァンゲリオン」や「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」、あるいは「ガメラ 大怪獣空中決戦」といった映像作品に新しい時代を見ていたのかも知れない。
翌1996年、テレビアニメの本数が増え始める。しかし、「これは凄い!」というアニメは見当たらない。ただ、アニメというものの「社会における立ち位置」が少し変わる年なのではないだろうか。
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