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【五ノ章】納涼祭

第一一六話 エピローグ

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 生徒会長を交えた宴会はとどこおりなく進み、人の集まりもまばらになりつつある時間帯。
 外部から参加していた者は自然と離散し、初等部に中等部の生徒などは見回りに来た教師が帰宅を促す。
 寮住まいの生徒もその姿を見て帰路につき、グラウンド内はかなり閑散とした状態になっている。

 それでも残っている者は高等部の生徒が目立ち、教師や生徒会の呼びかけで清掃、片付けに協力していた。
 暴食の限りを尽くしていたノエルが頃合いを見て、率先して動き出したことでアカツキ荘の面々も手伝うことに。
 あまり長居しても邪魔になると言い残し、帰り支度をしたシュメルさんとエルノールさんを学園の外まで見送って。
 さて俺も手伝わねば、と息巻いて宴会場に戻ったところで。

『いくら身体の傷が治ったとはいえ病み上がりなんだから座ってろ』
『同感だ。今回の事件、精神的な苦痛も多かったと聞いたよ。身体の調子が良くても、精神面の疲労がどんな影響を及ぼすか分からない。休んでいるといいよ』

 いわく、治療直後は気分が高揚していて自覚は無いが、時間が経てば不安な気持ちが湧いてくるかもしれないから、とのこと。
 エリックの発言に同調したオルレスさんの声もあり、仮設された結晶灯の下に置かれたベンチに座って撤収作業を眺めていた。
 …………体の良い厄介払いの言い分に聞こえたのは気のせいだろうか。いや、オルレスさんは純粋に心配してくれてそうだな。

『それだけ汝の身を案じているのだ。素直に受け取っておくものだろう』
「びっ……くりしたぁ。いきなり声を出さないでよ、レオ」
完全同調フルシンクロからの復帰で浮かれていた。次からは気をつける』

 心なしか久しぶりに思えるレオの声に肩が跳ねた。

『ふむ、記憶を読むに丸一日も時間が過ぎてしまったか。どうにも意識の接続が上手くいかなくてな……完全同調フルシンクロの反動を甘く見ていた』
『道理で今まで反応が無かった訳だ。ゴートはどうなの?』
『未だ戦闘時の情報量を処理しきれず回復できていない。我は汝と同調していて負担が軽減されていた故、こうして会話が可能だが』
『なるほどねぇ、俺はそこまでキツい感じは無いけどレオ達の身が持たないか。連続して同調するのは厳禁でクールタイムが必要、と……』

 身体の主導権を一時的に明け渡すパーソナルスイッチとは違い、完全同調フルシンクロでは勝手が変わるようだ。
 まだ追及はされていないがエリック達が不審がるのも時間の問題だ。ただでさえ皆を待たず再開発区画に侵入したことを怒られたし、アカツキ荘でのヒエラルキーがどん底まで落ちる恐れがある。
 後で概要言い訳をまとめておこう。

『そうだ、ルーザーが持ってた魔剣を回収したから、落ち着いたら精神世界にカチコミに行こう。情報も抜きたいし』
『中々奇特な経路で手に入れたな……よかろう。その時はゴートも連れ立っていくぞ。規格外である汝の存在を納得させるには弁舌に長けた奴の力が必要だ』
『魔剣の意思がどんな奴か分からないし、同類からの言葉なら信用しやすいか……誰が規格外だって?』

 相変わらず遠慮の無い言い方が目立つものの、レオが記憶を参照できるおかげで話が円滑に進む。
 本音を打ち明けたからか、なんだか前より距離が近くなった気がするし。元から物理的に近い? それはそう。

『共有すべき情報はもう無いか? ならば目覚めて早々で悪いが、また休ませてもらうぞ』
『構わないけど、もしかして無理して起きてる?』
『案ずるな、我はすこぶる快調だ。ゴートが早く目を覚ますように策を講じるだけで、心配することは何もない』
『……手荒なマネはしないようにね』
『善処する。ではまたな』

 不安の残る言い回しを最後にレオとの接続が切れた。ほんとに大丈夫かぁ……?

「何やら難しい顔をしていますね、クロトさん」
「あっ、お疲れさまです先生」

 考え過ぎても仕方ないと自分に言い聞かせていたら、見回りを終えたのだろうか。珍しくスーツの胸元を緩め、着崩したシルフィ先生が隣に腰を下ろした。

 上気した顔は妙な色気をかもし出し、肌を、鎖骨をなぞるように汗が滑り落ちる。その先には嫌でも視界に映り込む暴力的な双丘が覗き見えていた。
 うーむ、実に目のやり場に困る。初夏の蒸し暑さで開放的になってませんか? 思春期の男子の目には毒ですわよ!

 しかし口に出してむっつりスケベ認定されたら心が死ぬ。ここは紳士的な対応を心掛けなくては。
 煩悩を掻き消すべく、下唇をぎゅっと噛み締めて。
 肩が触れそうなほど近い先生と共に、納涼祭の終わりを見つめる。

「想定外な出来事ばかりでしたが、納涼祭は楽しめましたか?」
「それはもちろん。興味を惹かれる色んな出し物がありましたし、メイド喫茶は大繁盛で一躍話題の的になってましたし。七組の皆も去年の分と合わせて十二分に満喫できたと思いますよ」

 今日に至るまでの三日間。本当に刺激的で楽しい物ばかりだった。
 多種多様な数々の出店に自由に狙い撃てアルシェトリア、召喚獣の触れ合い体験広場、占いの館、生徒会長との十本勝負。
 ……不可思議な体験をしたがお化け屋敷も面白かったな、うん。
 出来れば記憶から消してしまいたい恐怖だ。でもシルフィ先生との大切な思い出だから、忘れたくない。

「本当に……楽しかった」

 思わず昔と比べてしまうくらいには、熱中していた。握り締めた手の平に熱が籠る。
 それほどまでに異なる世界の祭事に魅せられていた。目に映る全てが輝いて見えて。
 近しい言葉はあっても実際に見て、耳で聞いて、手で触れて……確かな実感を得られたことに感動していたんだ。

 その結果、学園長に告げられた“二年七組の出店をどの組よりも盛り上げる”という特待生依頼に関して全く意識してなかった。というか、すっかり忘れていた。
 そもそも曖昧でふわふわした内容の依頼だし、達成できたと胸を張って良いものかはなはだ疑問ではある。
 ……納涼祭そのものを盛り上げたということで納得してもらえないかな。

「──頼りになる背中と横顔ばかり見てきましたが、やはり年相応ですね」

 感慨深く呟いた先生の方に顔を向けようとして、いきなり肩を掴まれ、視界が横になる。突然の事で理解が追い付かなかった。
 後頭部に感じる柔らかさと見下ろしてくる視線。ゆっくりと頭を撫でられ、そこでようやく膝枕されているのだと気づいた。

「えっと、先生? いきなり何を……」
「納涼祭中に限らず、貴方はいつも身体を張って頑張っていましたから。全てを知る訳ではありませんが……その姿勢に敬意と感謝を、と思いまして」
「それで膝枕ですか?」
「はい。たまらなくなりましたので」

 やっぱり祭りの熱で浮かれてませんか? いつもの先生とは思えんほど言動がアレだし、扇情的な表情してますけど。
 噛み殺した煩悩が再び溢れ出しそうになる。せめて視界情報をさえぎる為に目を閉じた。

「頼り、頼られ、助け合いながら……いくつもの困難を乗り越えた。貴方が居なければ、きっとこの光景に辿り着くことは無かった」
「……でも、俺が原因で混乱を引き寄せた部分もありますし」
「そうするべきだと思い、行動した結果でしょう。クロトさんが秘密を抱え込むのは今に始まった話ではありませんし、私は何とも思いませんよ」
「いやほんと苦労をお掛けしてすみません……」

 責めるつもりはないんだろうけど心が痛い。悪気が無い分、なおさら痛い。

「それに──私も明かしていない秘密がありますから、お互い様です」
「…………へっ?」
「とはいえ、大げさなものではありませんよ。……私の名前、偽名なんです。いつどこで目を付けられるか不明な以上、気軽に身分を明かす訳にもいかなくて」

 人目がある場所で膝枕という羞恥もあってか、心臓の鼓動が早まっている所に爆弾発言が投入された。
 あっけらかんとした様子で言ってますけど、だいぶ衝撃的な内容ですよ!?

「フレンの提案で長年“ミィナ・シルフィリア”で通していたので、疑われたり、問い詰められることはなったのですが……慣れというのは恐ろしいものです。名乗り続けていたせいか、ここ最近は本名を忘れてしまいそうになります。父と母に頂いた大切な真名であるのに」
「先生……」
「ですが、決して悪い事ではないのだと私は思うのです。これまでの自分から一歩先へ踏み込んだ、新しい自分を受け入れられたようで。変化を嫌って拒絶するのではなく、ありのままを正しく受け止めて受容する。……この心構えを教えてくれたのは、クロトさんなんですよ?」
「……心当たりが無いんですが?」
「貴方にとっては当たり前の定義なようでしたから、意識していないのかもしれませんね」

 怒るでもなく、呆れるでもなく、ただ慈しむように。
 懐かしみ、滔々とうとうと語られる言葉が鼓膜に染み入る。

「そんな貴方の姿を見ているからこそ、力になりたいと望む者がいるのです。私の生徒としても、一個人としても、その姿勢は好ましく思えます。クロトさんを構成する魅力の一つですね」
「めっちゃ褒めちぎってきますね。なんか恥ずかしくなってきましたよ」
「いいじゃないですか。こういう時こそ、貴方を好きに想う者として本心を伝えるべきでしょう」
「そりゃあ嬉しい……ん?」

 ちょっと待って、今なんて言った?
 聞き流せない単語を理解すると同時に目を開くと、先生の顔が間近にあった。

 覗き込むように上体を倒し、吸い込まれそうなほど綺麗な銀の瞳が射抜いてくる。重力に逆らわず頬にしな垂れかかる翡翠の髪が、結晶灯の明かりを受けて煌めく。

 仄かにただよう甘い空気に思わず息を呑み、はにかんだ先生がさらに顔を近づけてきた。
 後頭部と胴に手を回され、身体を持ち上げたかと思えば胸元に抱き寄せられる。柔らかな感触を押し付けられ、顔が熱くなった。
 呼応するように、身体の芯にはやる心臓の鼓動が伝わってくる。

「だからこそ、貴方に知ってもらいたい。私が私であった秘密を、証明を……貴方に刻んで欲しい」

 いつもと違う、明らかにあでやかな声音。
 茶化す雰囲気ではなく、抵抗するにも身動きが取れないまま、ささやくように耳元で。

「──、──」

 誰の耳にも届かない、彼女の名を告げられる。周りの目なんて気にしていられなかった。
 数秒間、耳朶をくすぐる魔性の声が何度も脳内を反響し、文字通り刻み込まれて。

「……とても、良い響きの名前ですね」
「ふふっ……でしょう?」

 率直に、口を突いて出た言葉に先生は笑みをこぼした。
 そしてさらに強く、けれど優しく力を込めて抱き締めて。
 眠気を誘う手付きで背中を撫でられたまま、時間が過ぎていく。

 納涼祭、最終日。
 濃密な体験と思いがけない出来事の連続だった異世界の祭りは、こうして幕を閉じた──










「クロトさんと先生……?」

 ──人気の薄れた、静寂が訪れつつある学園に。
 どこからか響く、鈴の音が染み渡っていた。
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