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【五ノ章】納涼祭

第七十三話 奇妙な死闘《中編》

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『どういうことだ? なぜここに戻ってきたのだ。確かに入り組んだ道で迷うのも無理はないが、適合者の動きは』
『違う。、レオ』
『……なんだと?』

 焦り、驚愕の声を遮って言葉を紡ぐ。
 無地の真っ白なパズルのピースを埋めていくように。少しずつ、ほんの少しずつ分かりかけてきた。
 この戦いに公平フェアは無い。理不尽の応酬は当たり前、適合者同士なら尚更だ。
 自分と相手のどちらかが不利な現状から情報を得て、辿り着くべき答えへ到達しなければならない。

『仮の話になるけど、俺達を追い込んでる異能の力は、。ナイフやガレキの濁流は俺を終点として狙い続けているように思える』
『ふむ、言われてみるとそうだな』

 思考に至ってはほとんど無意識だった。ごく自然な流れで移動を制限されていたんだ。
 家に帰るという一連の流れに、この路地が近道だなんて認識を縫い付けられていた。常識的に考えて、それが当然だと思い込んでしまったらおかしさは感じない。
 ナイフやガレキを見ればもあったが、僅かながらも認識改変が起きていた事実が否定材料になり得る。
 さらに。

『さっきレオが言っていた辺りを覆う異能の気配ってのが、この路地裏全体を覆っていないか? ガレキだけに反応してる訳じゃあないはず……たぶん最初に襲われたこの場所が端っこだ』
『ふむ……当たりだ。ここが異能が及ぶ気配の端であり、囲うように広がっている』

 誘導を補佐するように異能が使われていたら、異常を自覚するのは容易ではない。
 しかしそれは、既に俺達が敵の手中に収められている事実に他ならないのだ。
 人気の無い場所に誘い込まれ、自らの得意とする環境に蹴落とされ、頼りになる救援は求められない。
 無様に助けを呼んでも、何も知らない誰かがこの路地に一歩でも足を踏み入れれば、たちまち異能の餌食になるのは間違いないからだ。
 これはエリック達も同じだろう。状況を説明している暇も無く、隙を見せればガレキの濁流は一瞬で俺達を喰らい尽くしてしまう。

「でも、これはチャンスだ」

 異能の発動条件は魔剣に触れている事であり、異能の力が及ぶ範囲があるというのなら。
 俺達をいかに追い詰めて、仕留めるか見定める為に観察する必要があるはずだ。
 ──恐らくは付近の建物、俯瞰的に見下ろせる屋根の上──なおかつ、円形の中心に敵がいると考えるのが自然だ。

『相手は俺とレオがこうして話せる事実を知らない。異能に命を狙われ、混乱しているように見えているはずだ』
『裏を返せば、敵の慢心が弱点となる。そこを突ければ……』
『勝ちの目は十分に──』

 敵の居場所を探りながら、ガレキの濁流から逃れる為に。
 もう一度路地を逃げ回ろうと、暗がりへ足を進めて。

「おい」

 ふいに、背中に声を掛けられた。聞き覚えがある。
 レオとの会話を中断して振り向けば、夕焼けに照らされた金髪が眩しいエルノールさんが、訝しげにこちらを見つめていた。
 なぜここに、などと口を出すよりも早く。
 吹かした薬膳煙草を片手に、彼はこちらへ歩み寄ってきた。

「クロ坊、こんな所で何してんだ? 剣を抜いたままぼうっと突っ立って……なんか異常でもあったのか?」
「あっ、いや、これはちょっと」
『待て……そやつから異能の力を感じる。適合者本人ではないが、異能に思考を侵されているぞ』
『…………なに?』

 なんと言いくるめようか、と必死に言葉を探す脳内に淡々と響いたレオの言葉で、目を見開く。
 俺と同じように……? まさか、エルノールさんも異能の力によってこの路地に誘われたのか?
 出会ったのは偶然なんかじゃあなくて、敵が仕組んだ必然……だけど、だとしたらどのタイミングで異能を掛けられたんだ。いつ、どこで、誰から?
 手の力が抜けて、喉から声が出なくて。
 視線が泳ぐ。焦点が合わない。

「まったく……防衛依頼が終わった後まで、気を張る必要はねぇんだぞ。そういうのは見回りしてる自警団に任せて、学生らしくお前はさっさと家に帰れ」

 まあ、引き留めちまった俺も悪いがな。
 そう言って笑うエルノールさんがどこか不気味に思えて。

「よほど急いでたのか知らねぇが、。さすがに一言くらい声を掛けても──」
「──あ」

 続く言葉で脳裏に火花が散り、熱がじわりと広がる。
 思い出した。そうだ、路地に入る直前の事だ。前から歩いて来た人とぶつかりかけて、少しだけ触れた。
 相手の顔はよく見ていない。この蒸し暑い季節にフードを被っていた気もするし、気にも掛けていなかった……よくよく考えれば異常な格好だったのに。
 あの瞬間から、異能の力が作用していたんだ。そいつが適合者だったんだ。
 ただ、まだ怖気が、嫌な予感が収まらない。この場を取り巻く環境に何かが足りない。

『……音が、ない?』

 ガレキの濁流からうるさいくらい反響していた引っ掻く音も、血の金網が軋む音もまるで聞こえなかった。
 ……動いていないのか? いったいなぜ?
 ──違う。この一帯に異能の力が及んでいるってことは、言い換えればここは敵の支配下。
 
 もし俺を狙い続けていた濁流を、意図して迷い込ませた二人目に標的を変えたのなら。
 その為にあえて動かず、じっと狙いを定め続けているのだとしたら……今、この場で最も危険なのは……!

「ッ、エルノールさん下がって! こっちに来ちゃダメだ!」
「はあ? お前なに言って──」
「いいから、今すぐ横の通路から離れて! 来るぞ!」

 手持ちの道具でエルノールさんを庇う事は出来ない。ならばせめて、本人の実力でしのいでもらうしかない!
 金網で塞いだ道の異変を察知したのか。エルノールさんはピクリと長い耳を動かし、腰に下げた短刀を抜いて。
 幾度となく命を奪いにくる鈍色のナイフを、一瞥いちべつもせずに難なくはたき落とした。

 さすがは対人経験豊富な自警団の団長。危なげなく危機を回避した……
 異能の力を伝播するナイフに直接触れてしまった短刀が、不自然にカタカタと揺れる。
 切っ先が、徐々にエルノールさんの方へ向けられていく。彼は気づいていない、気づけない。

「っと、いきなりなんだってんだ?」
『レオ! 相手の異能の支配下に居る俺達が、こうして自由に動けて、思考が出来るなら! ある程度は無効化か、耐性が付いてると見ていいんだな!?』
『うむ。適合者を対象にした場合、効果が薄れるのだろう。短期間で異能の存在に気づけた事も合わせて、それは間違いない』
「だったら……っ、《アクセラレート》!」

 口頭で伝えるには間に合わない。だから、俺が止めるしかない。
 間合いを詰めて、嫌な風切り音を押さえるように。伸ばした左手で、抜き身の刀身を掴んでエルノールさんを押し退けた。
 途端に暴れ出す短刀の刃が手のひらを裂く。冷たい感触が温く、熱くなり、血を滴らせる。
 だけど、これで異能の力は封じた。強引にも程があるが、背に腹は代えられない。

「ぐっ、つぅ……!」
「クロ坊!?」
「か、簡潔に言います……この路地には、誰も入らないようにしてください。それと、後でいくらでも文句は聞きますから……」

 風属性のボトルを装填した、魔導剣のグリップを回して。

「ぶっ飛んでてくださいッ!」

 レバーを握り、思いっきり振り抜く。
 発生した突風が、呆然とするエルノールさんを巻き込んで大通りへ吹き飛ばす。
 野太い悲鳴を聞き流して、また浮き始めようとしていたナイフ目掛けて短刀を投げる。金属音を木霊させながら通路に転がった。
 心臓が増えたようにも錯覚する鈍痛が滲む体を、壁に手をついて押さえる。
 これでエルノールさんが巻き込まれる事も無いだろう。一安心、だな。

「っ、はぁ……う、くぅ……!」
『適合者、大丈夫か?』
「あ、ああ。最悪、毒が塗られてるかも、とは思ったけど……は、ただのナイフ、だな。げほっ」

 咳き込みながら、周囲の警戒を怠らない。先程と変わらずガレキの濁流は、何故か動いていないようだ。
 理由は分からないが、攻めの手が緩んでいる今が敵の位置を探知するチャンスだ。とはいえ、この付近にある建物のどこかである事は確実。
 大体のアタリをつけて、一気に接近すれば──。

「かほっ……なんだ、さっきから、変だ」
『どうした?』
「血は止めてるし、毒が無いのは、確かなんだ……なのに、……?」

 四肢に力が入らない、崩れ落ちる体を支えられない。
 呼吸が不規則だ。胸の鼓動が落ち着かない。
 例えるなら、全力疾走した後の疲労困憊した状態と近い。疲労は確かに残っているが、ここまで酷かった訳じゃあない。
 敵の異能が俺の体に及んでいないのは把握している。違和感としてしっかり覚えているからだ。

 ナイフが原因でないと言うなら、いったい何が……うずくまりながら顔を上げて、視界に入ったのは──血の金網の元に積もった、ガレキの山。
 やはり、ガレキの濁流はまったく動いていなかったのか。……なぜだ?
 圧死してもおかしくない物量だ。少なくとも、再起不能に近いダメージを与える事だって出来たはずなのに。
 ガレキの濁流は攻撃手段の一つとして…………手段の、一つでしかない……?
 頭の中で引っかかる疑問を解消するべく、魔力を通した目で周りを見渡して。
 不自然に薄く、川のように流れていく魔素マナを見て確信した。

『ああ、くそ……そういう事か。やられた……』
『しっかりしろ! 何が起きている!?』
『誘導してるのは、きっと固形物だけじゃあない。。厳密に言えば酸素か……とにかく、この一帯が無酸素状態にされてるんだ』

 この異能は物体か気体かを触れた標的に誘導する、もしくは離れさせる事が出来るのだろう。
 密度、総量共に際限なく増加させられる代わりに、どちらか一方しか誘導できないのだ。
 ガレキから異能の範囲内にある酸素を、今もどこかへ流しているように。
 読み違えてしまった。もっと冷静に考えれば、すぐにでも理解できたのかもしれない。
 だけど、もう、手遅れだ。

「っ、か……はっ」

 視界の端が黒ずんでいく。思考が纏まらない。
 遠くなる耳に、命を削られる音が反響する。
 最初から最後まで、俺は敵の手のひらの上で踊らされていたのか。これが異能の力、適合者同士の戦い。
 垂れ落ちる汗が染みになり、足掻いて伸ばした手が空を切る。
 意識が暗がりの奥へ沈んでいく。静かに、静かに。
 ──どこかで、誰かの嘲笑う声が聞こえた気がした。
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