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【三ノ章】闇を奪う者

第四十話 孤児院にて《前編》

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 ──グリモワールは企業の工場やビルを構える上層、市民と貴族の高級住宅を地下である下層に設けた二重構造の国家だった。
 広い地下空間は古代文明の発掘と調査、リフレライトと呼ばれる特殊な鉱石の採掘で掘られた巨大な穴であり、その上に分厚いプレートを張る事で土地を確保し、グリモワールの民は仮初めの大地を手に入れたのだ。
 しかし技術力の向上と人口増加、小規模でありながら管理し切れないほど出現したダンジョンなどを理由に徐々に下層の廃棄が始まり、未だに埋め立てられず唯一残されたのがこの《ディスカード》である。
 下層区画の中でも最小の面積であった事と、《ディスカード》の上層に陣取る企業が廃棄物処理場として利用している為に埋め立てが行われないそうだ。
 だが、一部の住民──獣人や妖精族といった異種族は上層への移住が叶わず、この街に残され窮屈かつ貧しい生活を送っている。








「着いたぜ。ここが俺の家──世話になった孤児院だ」

 崩れた街の、とある一画。
 錆び付き、外れかけた鉄格子の扉。
 荒れた中庭、煤けた外壁と亀裂の入ったステンドグラス。
 薄汚れた羽衣を靡かせ、両手を広げ、柔らかな微笑みを浮かべる女神像。
 かつて漂わせていたであろう、厳かで清廉な趣きの残滓を残した教会を見上げる。

「ここが……教会を孤児院として利用しているのか」
「別に珍しくもないぜ? “迷える隣人に手を差し伸べましょう”ってのはセラス教が掲げている教義の一つだからな」
「なるほど」

 日本では孤児院を兼ねて利用している所は見かけなかったが、確か中世ヨーロッパの時代は養育院という施設があって、そこに子どもを預けて勉強とか教えてたんだっけ。
 中学の歴史でその辺りの事情について教えてもらった記憶がある。案外覚えてるものだ。
 ちなみにセラス教というのはイレーネを主神として崇め、信仰する宗教であり国教である。
 あれが主神? あのおっちょこちょいが? マジで?
 などと内心疑っていたが、イレーネの姿を想像して彫られた像を見ると確信に変わった。
 姿は似ていないが、雰囲気が全く同じなのだ。
 本物はちんちくりんで彫像のように大人な女性の体型などしていないというのに。
 彫刻家の腕が凄いのか、それともイレーネが加護のようなものでも付与しているのか、その真偽は分からない。




 ──私は、の味方だから。




 そういえば列車で寝落ちした時、意味深な発言をされてから一度も会いに行っていない。
 何が悪かったか見当も付かないが、イレーネは確かに怒っていた。
 普段から弄っていたせいで遂に堪忍袋の緒が切れてしまったのかもしれない。今度あの世界に行った時は誠意を込めたトリプルアクセル土下座を披露しよう。

「さっ、中に入ろうぜ」

 エリックの言葉で思考の海から引きずり出された。
 中庭を進み、金具の付いた木製の扉を開く。引き攣った音が鼓膜を震わせる。
 静かな光が差し込む中、教壇の前で女神像に祈る誰かの後ろ姿があった。
 暗色の修道服に身を包み、膝を折り、頭を垂れ、両手を合わせている女性だ。
 ベールから漏れ出た水色の長髪が光を反射させて、煌めきを辺りに散りばめている。
 ……視界に映るその様は、まるで絵画の一部を張り付けたような感覚さえ抱かせた。
 呆然と見ていると女性は俺達に気づいたのか、ゆっくりと立ち上がる。

「随分と大所帯じゃない。こんな潰れかけたオンボロ教会に何の用だい? 悪いけど、ここには乞食なんぞに渡す金も無ければ飯もありゃしないよ……」

 本当に修道女シスター? なんだか教義をゴミ箱にぶち込んだような発言をしてるんですけど。
 頭の中で浮かんでいたシスター像が勝気な姉御へと変換されていく中、女性はこちらに振り向き。

「ん? そのふてぶてしい顔……ああ、エリックじゃないか。それに見覚えの無い顔もたくさんいるねぇ」
「あのさ、初対面の相手にしょっぱなから喧嘩売るのはやめろよ、
「「「えっ!?」」」

 俺と先生、カグヤの声が重なる。
 女性の隣に立ち、エリックが苦笑しながら。

「姉貴、アイツらは俺のダチと担任の教師なんだ。危険は無いから警戒しないでくれ」
「へぇ? まさかお前が友達を連れてくるなんてねぇ……まっ、そういうことならいいか」

 睨みつけていた目を緩めて、女性は。

「アタシはセリス・フロウ。この孤児院の院長をやってる。もてなしも何も出来ないが、ゆっくりしていくといいさ」

 微笑みを浮かべて、そう名乗った。






「──クロト、カグヤ、ミィナさんにタロスか。いやぁ、悪いね? 企業の馬鹿共がやってきたかと思って思わず喧嘩腰になっちまったよ」
「俺は白衣っぽい服着てますし……勘違いさせてしまってすみません、セリスさん」
「最近企業の奴らが何か企んでるらしくてね、《ディスカード》全体の空気がピリピリしてんのさ。子ども達がいる以上、アタシもずっと気を張ってなきゃいけなくてね……それと、さんは付けなくていいよ。かしこまって喋られるのは苦手なんだ」

 セリスは申し訳なさそうに頬を掻きながら、水が注がれたコップをそれぞれの前に差し出した。
 食事場なのだろう。奥には台所と水場があり、手前の広い空間にはテーブルと椅子が均等に並べられている。
 落ちついて話そうか。そう提案したセリスからこの部屋に案内され、自己紹介を済ませた頃には緊張は無くなっていた。
 穏やかな空気が流れる中、セリスは弛緩した笑みを浮かべて隣に座るエリックの肩をバシバシと叩く。

「しっかし、お前が友達を連れてくるなんてねぇ! 今までは色々理由付けて渋ってたから、まさか友達がいないのか、ボッチなのか!? って本気で心配してたんだけど、よかったよかった!」
「いてぇよ、姉貴。ってか前から言ってるだろ? 《ディスカード》なんて掃き溜めを学園の奴らに見せたくなかったんだっての。ただでさえ孤児院出身で肩身が狭いってのに、わざわざ空気悪くする必要なんかねぇよ」
「ウチのクラス、そんなの気にするような奴いたっけ?」
「……まあ、クロトはいつもこんな感じだから遠慮しなくてもいいか、って気持ちが少しはあった」
「あっはっはっは! この場所を見てそんな能天気な顔が出来んなら十分さ!」

 なんだろう。そこはかとなく馬鹿にされてるような気がする。

「それにしても驚いたよ、エリックに姉がいるとは。カグヤも知らなかったんだよね?」
「はい、初耳でした」
「私は提出物でご家族がいる事は知っていましたが……」
「まあ、似てないのは当たり前さ。血が繋がってないからね」

 何気ない一言が反響する。話題を切り出した手前、気まずくなって口をつぐむ。
 和やかな空気を返して。急に暗くなりそうな雰囲気を醸し出さないで。
 有り得なくもないとは思っていたけど、いざ明言されると言葉が詰まるよ。
 ひとまず会話は女性陣に任せて、テーブルに身を乗り出しエリックの腕をつつく。

「なあ、エリック。孤児院って言ってる割に子どもの気配を全然感じないんだけど、どこに居るんだ?」
「あー、あいつらなら狩りに出掛けてるんじゃねぇか?」
「狩り? ……魔物をか?」
「おう」

 何ともないように言っているが、危なくないか?
 学園の初等部でも魔物の討伐には上級生か教師の同伴が必要だというのに。

「お前が思ってる以上にここの奴らはしたたかだぜ? 企業が廃棄した可変兵装の部品で自作した武器と防具を着けてるからな。あいつらもそれなりの物を作ってるし、滅多に壊れる事も起きねぇしな」
「野生の《簡易武具作成》持ち量産……」
「教会から少し歩けば居住区画もあって、そこで畑を耕してるから野菜にも困らねぇ。規模は小さいが《ディスカード》の住人分は余裕で賄えるしな」
「野生の《ファーマー》、《作物成長促進》持ち多数……」

 思ったより魔境だった。なんだここ。

「生活する分に困る事はほとんど……ああ、でもメル硬貨は使えねぇぞ。基本的に物々交換だからな」
「俺が抱いてた《ディスカード》のイメージがどんどん塗り替わっていくんだけど」
「つっても俺がガキの頃からずっとこんな感じだからなぁ……ニルヴァーナで生活し始めて三ヶ月くらいは慣れなかったぜ」
「やべぇな……その作った武器とか気になるんだけど、どこにあるの? ちょっと見てみたい」

 半分興味、半分心配。
 純粋に可変兵装の構造を見てみたいという興味と、武器にガタが来てないか点検……ごめんやっぱり興味の方が勝ってる。
 俺もヴァリアント・ローズみたいな物を作りたいんだ……! 参考にしたい!

「んじゃあ物置小屋に行くか。俺達じゃあ、あいつらの話題についていけそうにねぇ」
「さすがに下着関係の話が出始めるとね……」
「肩身が狭いよな……姉貴もテンションたけぇし、絡まれると面倒だ。は後で構わねぇし、さっさとズラかろうぜ」
「だね」

 頷き合い、コップの水を飲み干して──意外と美味かった──俺達はそろりそろりと裏口から抜け出した。




「そういえば相談事があるとか言ってたけど、それって俺達にも関係ある?」
「メインは姉貴と先生だぜ。もしかしたらクロト達にも手伝ってもらうかもしれねぇけど」
「ほぉん……」

 案内された物置小屋の前で。
 先ほどの発言が気になったので聞いてみたのだが、あまり多くを語ろうとしない。
 俺と先生達に二回も説明するのも面倒だろうし、後で全員で集まった時に教えてもらえればいいか。

「よし、クロトはそこで待っててくれ。二、三個適当なヤツ持ってくるから」
「了解。いやぁ、楽しみだなぁ……」
「あんまり期待すんなよ? 子どもの工作レベルなんだから」

 苦笑の声を残しながら小屋に入っていくエリックを見やり、周りを見渡す。
 やはり手入れのされていない裏庭と小さなお墓──そして、少しボロボロになっている井戸が視界に入る。
 食事場に水場はあった。しかしわざわざ水瓶から掬っていたので、先ほどの水はここから汲んできた物なのかもしれない。
 これまでの節約生活によって水の味が分かるようになってきた俺にとって、さっきの水は上位に食い込むほど美味かった。
 ちなみに一番は家にある井戸水。二番はギルドの酒場と学園食堂で出される水。
 番外扱いとして公園の池の水があるが……近所の奥様方に不審者と間違えられ、自警団に補導され、さらには腹を下してしまった事がある。
 生臭く、苦い経験だった。

「ちょっとくらいなら飲んでもいいかな……」

 ふいに零れた涙を拭い、足を踏み出した瞬間。

「──っ」

 
 一つだけではない、少なくとも十数。瓦礫の山や廃墟の陰に隠れている。
 《感応》の影響か、以前より敏感に気配を感じ取れるおかげで気付けた。
 しかし魔物の気配ではない。敵意を微塵も感じないからだ。
 ……そういえば子ども達が狩りに出掛けていると言ってたな。ちょうどお昼前だし、帰ってくるのもおかしくはない。
 それに俺の格好は一見して見れば企業の関係者。
 セリスの話を聞く限り、《ディスカード》の住人は企業をかなり警戒している。子ども達だって例外ではないだろう。
 むしろ背後から問答無用で襲われても文句は言えない。ただ、これだけ無防備なのに手を出してこない所を見ると、向こうが慎重になっている可能性がある。
 というかさっきからジロジロと見られてはいるが、明らかに好奇に傾いた視線なんだよなぁ……。
 子どもらしいといえばらしいが、何か反応した方がいいのかな。

「……うーん、どうしよ──」

 顎に手を当て、何気なく振り返り。

『ガウッ!!』
「──う?」

 眼前に迫り来る獣の牙を見て、瞬時に思考を放棄した。
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