裏の林に近づくな

塚本正巳

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前編

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 掘るのは何時間もかかって大変だったが、埋めるのはすぐだった。それにしても、土がこんなにも硬く重たいものだとは思わなかった。シャベルを握っていた手のひらはすっかり皮が剝けてしまったし、パンパンに張った腕は肩まで上げるだけでも一苦労だ。
 雑木林の地面に掘った、長さ二メートル、幅一メートルほどの穴を元通りに埋めなおし、ひと息ついたときだった。重要な仕上げを忘れていたことに気づき、苦い溜め息が漏れる。どうしても省くわけにはいかない。すぐにでも逃げ出してしまいたい気持ちに厳しく鞭を打ち、たった今埋めたばかりの穴を再び垂直に掘り返していく。
 一メートルほど掘り下げたところで、シャベルが土ではないものに刺さる感触があった。穴の底を懐中電灯で照らすと、土の間からすっかり汚れた学生服の一部が垣間見えた。今の僕と同じ服装。毎日通っている中学校の制服だ。
 足元に転がっているアウトドア用のシースナイフを拾い上げ、遠くの街灯を受けて鈍く光る刃先を耳元に構えた。血の生臭い匂いが鼻をついて、顔をしかめずにはいられない。
 息を止め、もう片方の手で自分の髪を軽く引っ張る。ピンと張った一握りの髪をナイフで切り落とすと、ざくりという不気味な音が鼓膜を震わせた。切り取った五センチほどの髪の束は、そのまま穴の中へ放り投げた。
 投げ入れた髪の束が、穴の底に横たわる学生服の上にあることを確認して、もう一度穴を埋めていく。とうに限界を越えている腕が小刻みに震えている。この震えは単に疲労のせいか。それとも、犯してしまった罪の重さに今さらながらおののいているのか。
 夜の神社は物音一つなく、自分の荒い息遣いだけがやたらと耳を賑わす。遅い時間ということもあり、こんな薄気味悪いところにやってくる者などまずいない。しかもここは境内ではなく、神社の裏手に広がる雑木林のど真ん中だ。少なくとも日が昇る早朝までは、人に気づかれる心配はない。
 今夜、僕は人を殺した。同級生の茂木憲二。中学三年生のくせに高校生顔負けの体格で、僕よりひと回りも身体が大きい。
 それにしても、人間というのは案外脆弱なものだ。僕が金属バットで後頭部を殴りつけたら、茂木はいとも簡単に膝を折って前のめりに倒れた。腰に差していたナイフを抜いて、すかさず茂木の背中にまたがる。意外にも抵抗はなかった。おそらく殴打の衝撃で気を失っていたのだろう。
 片手で後頭部を押さえつけて、首の右側からナイフを差し込む。茂木の首はナイフの刃をすんなりと呑み込み、同時に奴の口からひどい下痢をひり出すときのような声が漏れた。
 返り血を浴びないよう、左へ飛び退きながらナイフを引き抜く。起き上がってくる可能性を考えてバットを拾おうとしたが、手が滑ってうまくバットを握れない。不思議に思って手元に目を遣ると、手のひらにどぎつい赤がべっとりとまつわりついている。先ほど押さえた茂木の後頭部が、思った以上にひどく出血していたらしい。
 慌てて手のひらを地面に擦りつけたが、その必要はなかった。茂木はうつぶせに倒れたまま身じろぎひとつしない。すでに事切れているようだ。バットの当たりどころのせいか、もしくは首からの大量出血が早々にショックを引き起こしたのかもしれない。
 ついさっきまで茂木だったものを、事前に用意しておいた穴まで引きずっていき無造作に放り込む。予想よりずっと楽に片づいたとはいえ、気がつくと汗が顎からぼたぼたと垂れていた。いや、これは汗だけではない。目の前がひどくぼやけて見える。僕は穴の底で熟睡しているような何かを見下ろしながら、無意識のうちに涙を流していたらしかった。
 もう、後戻りはできない──。

 僕は友達がいない。唯一、親友と呼べる男が一人だけいたが、今はもういなくなってしまった。いなくなった親友の名は高野圭介。臆病でいじめられっ子の僕とは対照的な、勉強もスポーツもそつなくこなす学校一の優等生だった。茂木に玩具のように扱われる僕を何度となく助けてくれた圭介。僕はそんな勇敢で真っ直ぐだった彼のことを一生忘れない。
 陰気な僕と快活な圭介は、まるで絵にでも描いたかように正反対の気質だった。しかし、僕たちはなぜか馬が合った。僕が優等生の圭介に憧れるのは当然だろう。でも、僕が欲しいものを何でも持っていた彼が、無いものだらけの僕のどこに興味を持ったのかは未だによくわからない。
 圭介はたびたび「僕たちはとてもよく似ている。だからもっと自信を持ちなよ」と言って励ましてくれた。でも、僕にはその意味がわからなかった。似てると言われても、僕は彼と違って勉強も運動もてんでダメだし、人と話すときは顔が真っ赤になってしまうくらい内気で臆病な人間だ。
 それに圭介には、奥田結衣という学校のアイドル的存在の彼女がいた。それに引き換え僕はといえば、女子どころか男子と目を合わせることさえままならないときている。そこだけを取っても、僕と彼が似ても似つかないことは明らかだった。彼は決していい加減なことを言う男ではなかったが、あの励ましだけは今でもただの気休めだったとしか思えない。

 圭介との別れはあまりにも突然だった。その日、僕はいつものように屋上に呼び出され、茂木とその取り巻きたちに金をせびられていた。
 屋上の柵には一箇所だけ簡単に外れるところがあり、奴らは寄ってたかって僕をそこに追い詰めていく。突き倒されて頭が屋上の縁から出たこともあった。そんなとき決まって茂木は「お前が落ちても、柵が壊れたせいで起こった事故で片づけられる。金を出すか? それとも無駄死にするか?」とすごむのだ。
 僕が屋上に連れて行かれたことを知った圭介は、すぐに飛んで来てくれた。しかしこの日ばかりは、彼の真っ直ぐな正義感が裏目に出てしまった。仲裁に入った圭介と茂木は睨み合いになり、とうとう茂木は僕と取り巻きを屋上から追い払ってしまった。圭介と二人だけで話がしたい、と言い出したのだ。
 屋上には圭介と茂木以外、誰もいない。しかし、たとえ喧嘩になったとしても圭介なら茂木に引けは取らない。いや、タイマンならむしろ圭介のほうが上だろう。僕はすっかり油断していた。
 数分後、僕たちは圭介の無残な姿を見せられることになった。圭介は屋上から転落して大怪我を負い、一命は取り止めたものの、脊髄を損傷してしまい一生寝たきりの身体になってしまった。重い脳障害も残り、未だに言葉を発することもできない。
 圭介の転落は不慮の事故として処理された。しかし、すべては圭介のことを目の敵にしていた茂木の思惑通りに違いない。僕の心は怒りの猛火に焼かれ、ぐしゃぐしゃに焼けただれた胸を搔きむしる日々が続いた。絶対に許せない。しかし、僕に圭介の仇を取るような力があるはずもない。そのことが余計に惨めな思いを膨れ上がらせ、僕をどうしようもない泥沼の底に何日も沈み込ませた。
 そうやって僕が煩悶している間も、事態はさらに悪化していた。圭介の件が不問に付されたことに味をしめたか、この事件を境に茂木の傍若無人はますますエスカレートしていった。
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