未来神話SUSANOWO

塚本正巳

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【二】《17》

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 そのまま追撃しようとした矢先、
『ちょっと待って!』
 と、アマテラスの鋭い声が水を差す。
『まだ力の制御は難しいかもしれませんが、少しは加減なさい。いざとなったらアジトを案内させなければなりません』
 はっとして己の両拳を見下ろした。せっかくの力も、上手く制御できなければ野蛮な暴力に成り下がってしまう。持てる者に必要なもの。それはさらなる力ではなく、どんな状況においても自分を見失わない強い心。
『残念ですが、そろそろ潮時のようです。その人物は放っておけませんが、先にもう一つの問題に対処しましょう』
『もう一つの?』
『忘れたんですか。黒ずくめの懐から出てきた二つ目のバッグです』
 奴の背中を蹴り飛ばしたときに懐からこぼれ出た、見覚えのあるバッグ。おそらく中身は駅に置いたものと同じ。つまり爆弾の可能性が極めて高い。ここは御用地のど真ん中なので人はいないが、先ほどと同規模の爆弾と考えると、大通りやビル群に与える影響は決して少なくないだろう。もちろん爆心に立っている静生もただでは済まない。
『ねえアマテラス、バッグどこ!』
『知りませんよ、私も探しているところです』
『爆発まで、あとどれくらい?』
『そんなことわかるわけないでしょう。何でも私に訊かないでください』
『だって、さっき潮時って……』
『あれはただの憶測です。バッグが駅に置かれてから爆発するまでの時間はおよそ十分。そして、ここでバッグが転がり出てからそろそろ十分経つというだけの話です』
『それを早く言ってよ。それなら爆発すると決まったわけじゃ……』
『そうでもないみたいですよ。後ろをご覧なさい』
 倒れていたはずの黒ずくめがいない。慌てて辺りを見回すと、先ほど抜けて来た林に駆け込む黒ずくめの後ろ姿を見つけた。あれほど好戦的だった黒ずくめの、突然の逃走。この状況から導き出される答えは、アマテラスの憶測を明確に裏づけていた。
『ぼ、僕も逃げていい?』
『だめに決まっています。都心での大爆発は、物理的な被害はもとより、社会に深刻な混乱を招きます。それこそ相手の思うつぼです』
『じゃあ、どうすれば……』
『仕方ありません。そこに伏せて、私が合図をするまで目を閉じていなさい』
 おとなしく地面に腹這いになると、すぐにこれまで感じたことのない気配が空から下りて来た。謎の気配は、音もなく辺りを飛び回っているようだ。顔を上げてみたいのは山々だが、神の言いつけに背くわけにもいかない。有名な昔話にもあるように、ちょっとした出来心で覗いたために悲しい結末を迎えるなんて願い下げだ。
『あの黒ずくめ、逃げるついでに隠したようですね。バッグは林の中です』
『わかった、急ごう』
 すぐさま飛び起きて、二百メートルほど先の林へ向かう。林の中は相変わらず不気味な闇に沈んでいたが、事態が事態だけに怯んでなどいられない。辺りに目を光らせながら、慎重に奥へと踏み入っていく。
『そろそろ何か見えてきませんか』
 三十メートルほど入ったところで、アマテラスが早口に囁いた。少し先の地面が、ぼんやりとした光を立ち上らせている。光の元に駆け寄ると、乱暴に枯葉を被せられたバッグを見つけた。バッグを取り上げると、地面の光は煙のように宙を漂って徐々に濃厚な闇と混ざり合い、そのうち跡形もなく夜に溶けてしまった。
『印をつけておいたので、すぐに見つかったでしょう』
 闇に消えた不思議な光はアマテラスの仕業だったらしい。神の神秘に触れたような気がして、思わず嘆息が漏れた。
「──本当に神様だったんだ」
『まだ疑っていたんですか』
 またへそを曲げられても困る。この期に及んで、こんな状況に取り残されるなんて絶対に嫌だ。
『いやいや、心から信じてたって。それよりどうする? やっぱりこれ、一個目みたいに海へ投げるしかないかな』
『それが望ましいのですが、海までの距離が伸びた上、ここだと高度も足りないので難しいですね。それに、発見と同時に中身を調べたのですが、もう一刻の猶予もありません』
『そうなんだ。爆発まであとどれくらい?』
『十秒ほどかと』
「じゅ、十秒!」
 ここは都会のど真ん中。たった十秒で安全な場所に移動など不可能だ。
『破片の落下は免れませんが、一か八か真上へ投げましょう』
『真上……』
 見上げてみると、空は入り組んだ枝葉に幾重にも遮られていて少しも見えない。即座に今来た行程を全力で引き返した。
『七、六、五』
 夜陰に浮かぶ残りの蝋燭を、心の中で一本ずつ吹き消していく。これらをすべて消し終えたとき、世界はどうなっているだろう。これまでと変わらない穏やかな朝を迎えるか、はたまた恐慌と混乱の闇に沈んでしまうか。
『四、三』
 暗い林を抜けるや否や、右手に握られた絶望の権化を力一杯投げ上げる。
『あっ……』
 うっかり熱湯にでも触れたかのようなアマテラスの驚愕。理由は痛いほどわかっている。
 物を真上へ投げ上げるのは案外難しい。鈍臭い静生が投げたバッグは、手からすっぽ抜けてあらぬ方向へ飛び出していた。バッグが飛んで行く先には、大型複合施設の巨大ビルがそびえ立っている。もしあそこで爆発すれば、大惨事は火を見るよりも明らかだ。
『二、一……』
 そのとき目に映った光景を、静生は都合のいい幻覚だと思った。だがそれは確かに現実で、その証拠にいつまで経っても爆発が起こることはなかった。
 バッグがビルに到達する寸前、視線の先に一筋の青白い光が射した。その光は天から矢のように降って来て、爆発物の入ったバッグを正確に射抜き、次の瞬間には淡い煙だけを残して消え去っていた。
『慌てていたとはいえ、もっとしっかりしてください。次はないですからね』
『い、今の、アマテラスがやってくれたの?』
『あなたがあまりにも不甲斐ないので』
 あんな奇跡を起こせるのは、神であるアマテラスしかいない。気がつくと心が激しく震えていた。その情動は、恐怖や気味悪さからではない。むしろ心地好く込み上げる感動に近かった。神は確かに、この世に存在している。
『ごめん、また救ってもらっちゃったね』
 そう言って苦笑いを浮かべると、アマテラスは意外にも声を荒らげた。
『このままでは困ります。あなたには、もっと成長してもらわないと』
 むっとせずにはいられなかった。いきなり死んだり、生き返ったりしたかと思えば、問答無用で使い走りを押しつけられ、慣れない尾行や格闘までやらされている。自発的に始めたことなんて一つもない。それなのに、ちょっと失敗が続いたくらいで責められるとは心外だ。神に翻弄される人間の身にもなってもらいたい。
『でもさ、アマテラスはさっきみたいな奇跡を起こせるんだから、わざわざ僕を頼らなくてもいいんじゃない?』
 つい言い返してしまった。すると彼女は冷ややかな声で、
『あなたは同胞の危機を人任せにするのですか?』
 と問い返してきた。ぐうの音も出ない。しかも超人的な力を授かっておきながら、守るどころか大惨事を引き起こすところだった。
『そんなつもりはないよ。ただ僕は、その、初心者なんだからさ。もう少し早めに手を貸してくれてもいいじゃん』
『勘違いしないでください。あなたがまだ慣れていないから、今回は特別に手を貸したのです。今後は一切、手助けするつもりはありません。それにですね……』
 アマテラスは意味深に声を張って、
『神頼みというのは、いざというときのために取っておくものです』
 と呟いた。なんだかんだ言いながらも、アマテラスは味方でいてくれるようだ。それによくよく考えてみれば、初めから神の奇跡を期待しているようでは何事も上手くいくはずがない。
 気がつくと変身は解けていた。冷め切った夜空の下、だだっ広い芝生の真ん中にどさりと腰を下ろす。泥がついたスラックスの言い訳を考えなければならなくなったが、今はそこまで頭が回らない。いや、込み入った言い訳など考えなくても、転んだとだけ言えば、静生のひどい運動オンチを知っている美姫は納得してくれるだろう。
 ポケットに押し込んでいたネクタイを取り出し、慣れた手つきで襟元を引き締める。
「アマテラス、もう帰っていい?」
 言葉とは裏腹に、身体は芝生の上で大の字に寝転んでいた。起き上がろうにも、手足にまったく力が入らない。
『ご苦労様でした。帰ってゆっくり休みなさい』
 力を尽くしたつもりだったが、大惨事を回避するだけで精一杯だった。破壊と殺戮を企てた爆弾魔については、結局何もわからずじまいだ。振り返れば振り返るほど、頭の中はひどく散らかっていく。このまま眠ってしまうことができたら、どんなに幸せだろう。
 どこまでも広がる星空を眺めながら、夜風にそよぐ芝生の水面を漂う。そんな心許ない感覚が、静生の冷めやらぬ心をいつまでも波打たせた。
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