あなたを騙した夏の夜

塚本正巳

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智也【一】

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 車の運転席に座ったはいいが、困ったことに次の行動に移る気力がない。理由はわかっている。ひどい寝不足のせいだ。これからしばらく運転しなければならないのに、これでは居眠りが怖くておちおちハンドルを握っていられない。幸い予定の時間まではまだ余裕があるので、取りあえず出発前に五分だけ、ここで仮眠を取っておこう。
 シートに身体を預けて目を閉じると、あの景色がまた瞼の裏に蘇ってきた。真夏の砂浜から眺める、きらびやかな打ち上げ花火。僕の隣には幼馴染の勇ちゃんと、半べそをかいた頰を花火色にチカチカと光らせているあーちゃん。昨晩はずっとあの夜のことを思い出していて、結局ほとんど寝られなかった。他にも今日の予定のこととか、やり残してしまった仕事のことなんかもあるけど、それらはあくまで二次的な原因でしかない。
 本日の最終目的地は、勇ちゃんの実家がやっている『宮本楼』という旅館だ。そのせいで僕は昨晩、あの夜を思い出して眠れなくなってしまった。当時の様子を思い出すほどに、胸が熱く火照って何とも言えない気持ちになってしまう。高校三年生の夏、久しぶりに三人で観た打ち上げ花火。あの美しくて切ない光景は、今でも僕の中で色褪せずに生き続けている。

 高校生になった僕たち幼馴染は、それまでの友情が嘘みたいに離れ離れになってしまった。中学までの僕と勇ちゃんは、互いの部活以外の時間は大抵一緒にいたし、本格的に遊ぶときは必ずと言っていいほどあーちゃんも一緒だった。それなのに、違う学校になっただけでこんなにも疎遠になってしまうなんて想像もしていなかったし、僕にとってそのことは少なからずショックだった。
 でも考えてみれば、勇ちゃんは中学時代に全国大会で好成績を残すほど水泳の才能に恵まれていたわけだし、その実績を買われて高校入学と同時に水泳部から声をかけられたとも聞いている。それほど期待されていたのだから、きっと高校時代の練習は、中学時代とは比べ物にならないほど過酷だっただろう。その上、周りとの交友関係も一から作り直さなければならなかったのだから、僕たちのことが二の次になるのも当然だ。
 だから僕は、せめて同じ学校に入ったあーちゃんとは、それまで通りの仲でいたいと思っていた。いくら勇ちゃんが忙しくても、僕とあーちゃんが予定を合わせれば三人で集まる機会は作れるだろうし、あーちゃんだって同じ学校に行けなかった勇ちゃんの落胆に気づいていたはずだ。
 でもあーちゃんは、僕の思惑を知ってか知らずか、入学早々僕のことなどはなも引っかけなくなってしまった。僕にとってその変遷は、勇ちゃんと疎遠になったことと同じくらい、いや、それ以上の衝撃だった。だって、顔を合わせる機会がなくなって、徐々に関係が薄れていくのとは訳が違う。毎日同じ学校に通っているのだから、クラスは違っても校内で見かけることは多々あるし、ばったり出くわすことだってそれほど珍しくない。
 入学してまもなく、校内で二、三人の女友達と連れ立って歩くあーちゃんを見つけたことがあった。十メートルほど離れたところにいた僕は、迷わずあーちゃんに向かって大きく手を振った。僕が知っているあーちゃんなら、僕と同じくらいか、それよりも大きく、しかも戯けた調子で手を振り返してくれただろう。ところがそのときの彼女は、手を振り返すどころか目を逸らして苦笑するばかりで、周りの友達に僕のことを聞かれても、まるで知らない人を見るような目をしていた。
 それ以来、僕はあーちゃんを見かけても、気づかないふりをして素通りするようになった。僕の信条からすると、その選択は決して正しいとは言えなかったけれど、あの頃はそうするより他なかった。
 何があっても態度を変えず、これまで通りに接したほうが良いことはわかっていた。でも僕は、見かけに違わずちっとも強くない。これ以上あーちゃんに煙たがられてしまうなんて、とても堪えられそうになかった。だってあーちゃんは、僕にとって大切な幼馴染で、ともすると気持ちが沈みがちな僕を暖かく照らしてくれる太陽みたいな存在で、しかもこの手で触れてみたくて仕方がない憧れの女性でもあったからだ。
 でも僕は、その憧れの太陽に近づきすぎてしまったらしい。だからギリシャ神話に出てくるイカロスのように、蜜蝋で固めた翼を溶かされて墜落してしまった。僕はやっぱり、太陽にも到達できると自分を過信した傲慢なイカロスだったのだ。
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