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亜美【十】
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体格差は歴然としているにもかかわらず、智也はバネのように立ち上がると、勇輝の土手っ腹に頭から突っ込んでいった。この反撃はさすがに予想していなかったらしく、不意を突かれた勇輝は無様に倒され、先ほどの智也以上に勢いよく尻餅をついた。
「あーちゃんは絶対に渡さない!」
仰向けに倒れた勇輝に智也が跨り、今にも裏返りそうな声で怒鳴る。
「俺がトモなんかに負けるわけねえだろ!」
智也の絶叫より何倍も太い怒号が響き渡ったかと思うと、勇輝は智也の腕を取って軽々と引き倒した。智也は呆気なく砂の上に転がり、すかさず起き上がった勇輝に逆に馬乗りにされてしまった。形勢を逆転した勇輝が、右拳を握り締めて振り上げる。次の瞬間、特大の尺玉が夜空に開花した。
無数の眩い花びらに照らされた智也の表情が、私の目に飛び込んできた。砂浜に組み伏せられ、口を真一文字に結んでひどく怯えているようだが、その目は恐怖に屈することなく大きく見開かれ、猛然と勇輝を見据え続けている。力では到底敵わないと知りながら、それでもあんな目を向け続ける智也。これ以上、とても見ていられなかった。
「あんたたち、何やってんのよ!」
我知らず、松林から飛び出して大声を張り上げていた。たった今まできつく絡み合っていた二人の視線が、一斉に私に向けられる。二人はたちまち動きを止めて、目を皿にした。
無理もない。私の悪評を聞いている二人は、昔の面影を失い、すっかり変貌してしまった私の姿を想像していただろう。確かに高校に入ってから、服の趣味は派手で大人っぽくなったし、化粧も相当上手くなった。ところが二人が今見ているのは、化粧のけの字も見当たらない、ダメージショートシャツに黒のショートパンツといった服装の、中学の頃と少しも変わらない私なのだから。
砂浜を踏むのは久しぶりだった。さらさらの砂に足を取られて転びそうになりながらも、何とか転ぶことなく二人の元に辿り着き、懐かしい顔を見下ろす。乱れた息を整える余裕もなく口を開いたものの、なかなか言葉が出てこない。その代わりに込み上げてきたのは、何度となく押し寄せる高波のような嗚咽と、流すつもりなんて全然なかった涙だった。せっかく転ばずに済んだというのに、これでは転んでいたほうがまだ言い訳ができたではないか。
勇輝がいて、智也がいて、後ろにはどこまでも海が広がっていて、さっきから潮風がひどくくすぐったくて、夜空に咲き誇る花火がとてもとても、眩しくて綺麗──。温かくて心地好くて、あまりに当たり前だった何かが、ぽっかりと空いていた私の心の真ん中を瞬く間に満たしていく。
「泣かないで。あーちゃんは僕が守る」
智也の言葉を聞いて気まずくなったのか、勇輝は徐に立ち上がって智也の手を引き上げると、彼についた砂を丹念に払った。
「あの、遅くなってごめん」
私が震える声で言うと、智也は屈託なくかぶりを振って一歩前に歩み出た。
「いいよ、そんなこと。それより聞いてほしいことがあるんだ。僕はあーちゃんのことが……」
「待て。何か忘れてないか? 俺もいるんだぞ」
勇輝が、いかにもつまらなそうな口調で横槍を入れた。まるでふてくされた子供のようだ。
「わかった、続きはあーちゃんと二人きりになってから言うよ。それでいい?」
「そうじゃねえ。くそっ、どうしてこんなことになっちまったんだ。──亜美、トモの話のあと、俺の話も聞け」
何がそうさせるのか、勇輝はしきりに足元の砂を蹴飛ばしたり、踏みつけたりしている。昔からちっとも変わらない仕種。苛立ちが身体中をむず痒く駆け巡って、どうすればいいかわからないのだ。
花火の重い打ち上げ音が立て続けに胸を震わせ、並び立つ二人の幼馴染を背後から明々と照らし出した。私の胸に熾った激しい火花が、バチバチと音を立てて弾け飛ぶ。
智也が勇輝に向かって、念を押すかのように頷いた。その直後、夜空を埋め尽くすような大輪が彼の頭上に広がった。
「あーちゃん、好きだ」
ひどいしかめ面をした勇輝が、自分の両頰をぴしゃりと叩いた。いつもふざけてばかりの彼が見せる、真剣な眼差し。その鋭さはまるで、私の固く閉ざされた心を強引に貫くためにあるようだった。
「次は俺だ。おいバカ亜美、独りですねてんじゃねえよ。俺がいるだろうが」
満天に広がった光の粉がゆっくりと降り注ぎ、真っ暗な宇宙に眩い滝を描き出す。今よりずっと暢気で、世間知らずで、好きなものを素直に愛することができたあの頃、三人で一緒に見上げた三尺玉──。やっとだ。やっと、あの夏の日に戻ることができた。
「──ただいま。信じてもらえないかもしれないけど、聞いて。本当は一度も忘れたことなんてなかった。私は小さい頃からずっと、この砂浜が大好き」
やっと言えた。自分に自信がなくて、すぐにすねてばっかりで、優しさも可愛げも色気も全然なくて、本当にごめんね。
「あーちゃんは絶対に渡さない!」
仰向けに倒れた勇輝に智也が跨り、今にも裏返りそうな声で怒鳴る。
「俺がトモなんかに負けるわけねえだろ!」
智也の絶叫より何倍も太い怒号が響き渡ったかと思うと、勇輝は智也の腕を取って軽々と引き倒した。智也は呆気なく砂の上に転がり、すかさず起き上がった勇輝に逆に馬乗りにされてしまった。形勢を逆転した勇輝が、右拳を握り締めて振り上げる。次の瞬間、特大の尺玉が夜空に開花した。
無数の眩い花びらに照らされた智也の表情が、私の目に飛び込んできた。砂浜に組み伏せられ、口を真一文字に結んでひどく怯えているようだが、その目は恐怖に屈することなく大きく見開かれ、猛然と勇輝を見据え続けている。力では到底敵わないと知りながら、それでもあんな目を向け続ける智也。これ以上、とても見ていられなかった。
「あんたたち、何やってんのよ!」
我知らず、松林から飛び出して大声を張り上げていた。たった今まできつく絡み合っていた二人の視線が、一斉に私に向けられる。二人はたちまち動きを止めて、目を皿にした。
無理もない。私の悪評を聞いている二人は、昔の面影を失い、すっかり変貌してしまった私の姿を想像していただろう。確かに高校に入ってから、服の趣味は派手で大人っぽくなったし、化粧も相当上手くなった。ところが二人が今見ているのは、化粧のけの字も見当たらない、ダメージショートシャツに黒のショートパンツといった服装の、中学の頃と少しも変わらない私なのだから。
砂浜を踏むのは久しぶりだった。さらさらの砂に足を取られて転びそうになりながらも、何とか転ぶことなく二人の元に辿り着き、懐かしい顔を見下ろす。乱れた息を整える余裕もなく口を開いたものの、なかなか言葉が出てこない。その代わりに込み上げてきたのは、何度となく押し寄せる高波のような嗚咽と、流すつもりなんて全然なかった涙だった。せっかく転ばずに済んだというのに、これでは転んでいたほうがまだ言い訳ができたではないか。
勇輝がいて、智也がいて、後ろにはどこまでも海が広がっていて、さっきから潮風がひどくくすぐったくて、夜空に咲き誇る花火がとてもとても、眩しくて綺麗──。温かくて心地好くて、あまりに当たり前だった何かが、ぽっかりと空いていた私の心の真ん中を瞬く間に満たしていく。
「泣かないで。あーちゃんは僕が守る」
智也の言葉を聞いて気まずくなったのか、勇輝は徐に立ち上がって智也の手を引き上げると、彼についた砂を丹念に払った。
「あの、遅くなってごめん」
私が震える声で言うと、智也は屈託なくかぶりを振って一歩前に歩み出た。
「いいよ、そんなこと。それより聞いてほしいことがあるんだ。僕はあーちゃんのことが……」
「待て。何か忘れてないか? 俺もいるんだぞ」
勇輝が、いかにもつまらなそうな口調で横槍を入れた。まるでふてくされた子供のようだ。
「わかった、続きはあーちゃんと二人きりになってから言うよ。それでいい?」
「そうじゃねえ。くそっ、どうしてこんなことになっちまったんだ。──亜美、トモの話のあと、俺の話も聞け」
何がそうさせるのか、勇輝はしきりに足元の砂を蹴飛ばしたり、踏みつけたりしている。昔からちっとも変わらない仕種。苛立ちが身体中をむず痒く駆け巡って、どうすればいいかわからないのだ。
花火の重い打ち上げ音が立て続けに胸を震わせ、並び立つ二人の幼馴染を背後から明々と照らし出した。私の胸に熾った激しい火花が、バチバチと音を立てて弾け飛ぶ。
智也が勇輝に向かって、念を押すかのように頷いた。その直後、夜空を埋め尽くすような大輪が彼の頭上に広がった。
「あーちゃん、好きだ」
ひどいしかめ面をした勇輝が、自分の両頰をぴしゃりと叩いた。いつもふざけてばかりの彼が見せる、真剣な眼差し。その鋭さはまるで、私の固く閉ざされた心を強引に貫くためにあるようだった。
「次は俺だ。おいバカ亜美、独りですねてんじゃねえよ。俺がいるだろうが」
満天に広がった光の粉がゆっくりと降り注ぎ、真っ暗な宇宙に眩い滝を描き出す。今よりずっと暢気で、世間知らずで、好きなものを素直に愛することができたあの頃、三人で一緒に見上げた三尺玉──。やっとだ。やっと、あの夏の日に戻ることができた。
「──ただいま。信じてもらえないかもしれないけど、聞いて。本当は一度も忘れたことなんてなかった。私は小さい頃からずっと、この砂浜が大好き」
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