あなたを騙した夏の夜

塚本正巳

文字の大きさ
上 下
10 / 21

亜美【十】

しおりを挟む
 体格差は歴然としているにもかかわらず、智也はバネのように立ち上がると、勇輝の土手っ腹に頭から突っ込んでいった。この反撃はさすがに予想していなかったらしく、不意を突かれた勇輝は無様に倒され、先ほどの智也以上に勢いよく尻餅をついた。
「あーちゃんは絶対に渡さない!」
 仰向けに倒れた勇輝に智也がまたがり、今にも裏返りそうな声で怒鳴る。
「俺がトモなんかに負けるわけねえだろ!」
 智也の絶叫より何倍も太い怒号が響き渡ったかと思うと、勇輝は智也の腕を取って軽々と引き倒した。智也は呆気なく砂の上に転がり、すかさず起き上がった勇輝に逆に馬乗りにされてしまった。形勢を逆転した勇輝が、右拳を握り締めて振り上げる。次の瞬間、特大の尺玉が夜空に開花した。
 無数の眩い花びらに照らされた智也の表情が、私の目に飛び込んできた。砂浜に組み伏せられ、口を真一文字に結んでひどく怯えているようだが、その目は恐怖に屈することなく大きく見開かれ、猛然と勇輝を見据え続けている。力では到底かなわないと知りながら、それでもあんな目を向け続ける智也。これ以上、とても見ていられなかった。
「あんたたち、何やってんのよ!」
 我知らず、松林から飛び出して大声を張り上げていた。たった今まできつく絡み合っていた二人の視線が、一斉に私に向けられる。二人はたちまち動きを止めて、目を皿にした。
 無理もない。私の悪評を聞いている二人は、昔の面影を失い、すっかり変貌してしまった私の姿を想像していただろう。確かに高校に入ってから、服の趣味は派手で大人っぽくなったし、化粧も相当上手くなった。ところが二人が今見ているのは、化粧のけの字も見当たらない、ダメージショートシャツに黒のショートパンツといった服装の、中学の頃と少しも変わらない私なのだから。
 砂浜を踏むのは久しぶりだった。さらさらの砂に足を取られて転びそうになりながらも、何とか転ぶことなく二人の元に辿り着き、懐かしい顔を見下ろす。乱れた息を整える余裕もなく口を開いたものの、なかなか言葉が出てこない。その代わりに込み上げてきたのは、何度となく押し寄せる高波のような嗚咽と、流すつもりなんて全然なかった涙だった。せっかく転ばずに済んだというのに、これでは転んでいたほうがまだ言い訳ができたではないか。
 勇輝がいて、智也がいて、後ろにはどこまでも海が広がっていて、さっきから潮風がひどくくすぐったくて、夜空に咲き誇る花火がとてもとても、眩しくて綺麗──。温かくて心地好くて、あまりに当たり前だった何かが、ぽっかりと空いていた私の心の真ん中を瞬く間に満たしていく。
「泣かないで。あーちゃんは僕が守る」
 智也の言葉を聞いて気まずくなったのか、勇輝はおもむろに立ち上がって智也の手を引き上げると、彼についた砂を丹念に払った。
「あの、遅くなってごめん」
 私が震える声で言うと、智也は屈託なくかぶりを振って一歩前に歩み出た。
「いいよ、そんなこと。それより聞いてほしいことがあるんだ。僕はあーちゃんのことが……」
「待て。何か忘れてないか? 俺もいるんだぞ」
 勇輝が、いかにもつまらなそうな口調で横槍を入れた。まるでふてくされた子供のようだ。
「わかった、続きはあーちゃんと二人きりになってから言うよ。それでいい?」
「そうじゃねえ。くそっ、どうしてこんなことになっちまったんだ。──亜美、トモの話のあと、俺の話も聞け」
 何がそうさせるのか、勇輝はしきりに足元の砂を蹴飛ばしたり、踏みつけたりしている。昔からちっとも変わらない仕種。苛立ちが身体中をむず痒く駆け巡って、どうすればいいかわからないのだ。
 花火の重い打ち上げ音が立て続けに胸を震わせ、並び立つ二人の幼馴染を背後から明々と照らし出した。私の胸におこった激しい火花が、バチバチと音を立てて弾け飛ぶ。
 智也が勇輝に向かって、念を押すかのように頷いた。その直後、夜空を埋め尽くすような大輪が彼の頭上に広がった。
「あーちゃん、好きだ」
 ひどいしかめ面をした勇輝が、自分の両頰をぴしゃりと叩いた。いつもふざけてばかりの彼が見せる、真剣な眼差し。その鋭さはまるで、私の固く閉ざされた心を強引に貫くためにあるようだった。
「次は俺だ。おいバカ亜美、独りですねてんじゃねえよ。俺がいるだろうが」
 満天に広がった光の粉がゆっくりと降り注ぎ、真っ暗な宇宙に眩い滝を描き出す。今よりずっと暢気で、世間知らずで、好きなものを素直に愛することができたあの頃、三人で一緒に見上げた三尺玉──。やっとだ。やっと、あの夏の日に戻ることができた。
「──ただいま。信じてもらえないかもしれないけど、聞いて。本当は一度も忘れたことなんてなかった。私は小さい頃からずっと、この砂浜が大好き」
 やっと言えた。自分に自信がなくて、すぐにすねてばっかりで、優しさも可愛げも色気も全然なくて、本当にごめんね。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

美少女幼馴染が火照って喘いでいる

サドラ
恋愛
高校生の主人公。ある日、風でも引いてそうな幼馴染の姿を見るがその後、彼女の家から変な喘ぎ声が聞こえてくるー

壁の薄いアパートで、隣の部屋から喘ぎ声がする

サドラ
恋愛
最近付き合い始めた彼女とアパートにいる主人公。しかし、隣の部屋からの喘ぎ声が壁が薄いせいで聞こえてくる。そのせいで欲情が刺激された両者はー

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

夜の公園、誰かが喘いでる

ヘロディア
恋愛
塾の居残りに引っかかった主人公。 しかし、帰り道に近道をしたところ、夜の公園から喘ぎ声が聞こえてきて…

結構な性欲で

ヘロディア
恋愛
美人の二十代の人妻である会社の先輩の一晩を独占することになった主人公。 執拗に責めまくるのであった。 彼女の喘ぎ声は官能的で…

処理中です...