71 / 226
四章
僕と相棒のはじまり
しおりを挟む
赤ん坊の頃に預けられ、ずっと暮らしていた孤児院から離れる、その日の朝。
引き取られる子供が、一緒に育ったきょうだい全員に見送られる通例通りに、広いホールには二十人程のきょうだいと先生が集まっていた。
綺麗な服を着せてもらい、さほど多くない身の回りのものを鞄一つに纏めた僕は、耳を隠すための帽子を被り直して、迎えが来るのを待つ。
街でお祭りがあった日に、僕の父親の古い知人だという背の高い男性に偶然出会ったのは、もう二日前。
いきなり抱きしめられてびっくりしたけれど、珍しい金色の瞳に、今にも溢れ落ちそうなくらい涙を湛えた男の人は、とても真剣な顔と声で、僕をずっと探していたと苦しそうに教えてくれた。
明日孤児院に行くと告げられて別れたその日の夜は、どきどきして眠れなかった。
まさか魔物の僕を探し求めている人がいるなんて、信じられなかった。
本当に明日、あの人は来てくれるんだろうか。
やっぱり何かの思い違いで、彼は訪れる事もなくて。
明日からも僕は、皆に疎まれる変わらない暮らしが待っているんじゃないだろうか。
ずっと不安と期待が交互に押し寄せてきて、祭りの興奮で賑やかな家の中、毎年居心地の悪い思いをしていたのが、嘘のように気にならなかった。
珍しい露天や旅芸人の芸を見た、お前は魔物で街に来れないから見てないだろうと、いつも僕を目の敵にするきょうだいに笑われても、どうとも思わないで済んだ。
だって、だからこそ僕はあの人に出会えたんだから。
毎年と同じく、全部使わなかった銅貨を院長先生に返した時に、様子が違うのを気づかれて声をかけられた。
「どうしたの?タリュス。何かあった?」
院長先生に両手を包まれながら優しく問われ、僕は動揺して口ごもる。
もしかしたら、明日あの人が来るかもしれない。
そうしたら院長先生に話をするだろうから、伝えた方がいいのかも。
でも、もし来なかったら?
「…………いえ、何もありません」
そんな期待と不安が入り交じって、結局何もないふりしか出来なかった。
寝付けないまま迎えた翌日。
朝食が終わった頃に、孤児院の扉がノックされた。
先生の一人が扉を開けるのを、僕は固唾を飲んで見守る。
そこには昨日と同じ、旅装束のあの人がフードを被って立っていた。
先生と会話をしてから院長室に案内されていく彼を、無意識にぎゅっと胸元を掴んで見送る。
彼は立ち竦む僕に気が付いたけれど、無言で院長室に歩き出した。
知らずに詰めていた息を吐き出すと、同じく来客を見ていたきょうだい達が、ざわざわと騒いでいるのに気がついた。
「誰だろう。旅の人みたいだけど」
「顔隠したままで怪しいよな。
人買いじゃないのか?」
違う、あの人は。
僕を迎えに……
反論したかったけれど何も言えず、きゅっと唇を噛んで下を向く。
それから暫くして僕も院長室に呼ばれて、ソファに座る院長先生に問われた。
「タリュス。この方、サークス・イグニシオン様が貴方を引き取りたいと仰っています。
貴方をここに預けたお父様の知人でいらして、お父様は残念ながら亡くなられたそうですが、ご遺言に従って代わりに貴方を育てたいと。
貴方は、どうしたいですか?」
昨日聞いた通りだ。
僕は院長先生の向かいに座る、初めて名前を聞いた彼を見る。
フードをあげた彼は、襟足までの長さの、艶やかな絹糸のように煌めく紫色の髪をしていた。
金色の瞳といい、珍しい色だと思う。
それに、女のひとみたいにとても綺麗な顔立ちをしていた。
この人と、これから一緒に生きていくのかと聞かれて。
昨晩からずっと悩んでいた。
けれど、改めて顔を合わせ、固い表情をした彼とまっすぐに向き合った今。
自然に僕は首を縦に振っていた。
「いいのですか?
すぐに決めなくても、何度か面会を重ねてからでもいいのですよ」
院長先生も彼も、すぐに決めるとは思っていなかったのか驚いている。
「いえ、行きます。僕はすぐにでも、この人と一緒に暮らしたいです」
だって彼の不安に揺れるような眼差しは、長い耳の僕に改めて会っても、魔物だと恐れる光が微塵もなかった。
そんな人に会ったのは、初めてだった。
「……じゃあ、いつ迎えにきてもいいんだな。
手続きなんかはどうなる」
「そうですね……本人の了承が取れましたし、貴方の身分もしっかりと証明されましたから。
今日これから、孤児登録の抹消手続きをします。後は……」
幾つか確認をして、明日にはもう彼と暮らせると院長先生に教えられた。
こんなに速やかに里親が決まるなんて、これまでなかった事だ。
「イグニシオン様は、魔術師でいらっしゃいます。中でも最高位の白金の位をお持ちなの。
王様にお仕えしたりなさる、とても身分のある方なんですよ。
いつもなら、里親になる方の身辺調査などをしてからなのですが、白金の魔術師様なら必要ありませんからね」
この、旅塵で汚れたマントを羽織った、どうみても旅人の青年がそんなに凄い人だなんて。
とても信じられなかった。
でも僕は、この人の身分とか貴賤とか、何でも良かった。
人間として僕を見てくれている、それだけでもう充分だった。
彼が帰った後で、きょうだい達に院長先生から僕が明日、引き取られる事がすぐに告げられた。
引き取り手が決まった子を見送る前の晩は、ご馳走が出て見送りの会をするけれど、急な事だったから、いつもと変わらないご飯が出る。
ただ、普段と違って、食後に苺の乗った生クリームのケーキが振る舞われた。
先生達が僕のために、急いで用意してくれたんだとわかった。
小さいけれど、滅多に食べられない真っ白な美しいケーキにはしゃぐ皆の声を聞きながら、僕は少しだけ泣いてしまった。
「ようやく魔物が家からいなくなるって。
せいせいするな」
「あの男の格好、見たか?
あんな汚れた服でさ、きっと貧乏だぞ。
あんなのに連れてかれたら、すぐに売られるに決まってるよ」
「おれ先生が話してるの聞いたんだ、あいつ魔術師なんだって。
たぶん何かの実験台にされるんだろう」
皆がケーキを食べ終えて食堂の片付けをしている時に、いつもの僕を苛めてくるきょうだい達が声高に話している。
周りの皆も似たような事を考えていたのか、止める子もいなかった。
けれど、僕は。
どうしようもなく怒りが沸いてきて。
気がついたら、悪口を先導した一人に殴りかかっていた。
「あの人を悪く言うな!謝れよ!」
「なんだこいつ……!」
「魔物が暴れたぞ!やっつけろ!」
そこからはもみくちゃのケンカになった。
慌てて誰かが呼びにいった先生が止めにくるまで、僕は暴れ続けた。
幾つか食器が割れたり椅子が壊れたりで、僕の見送り会は酷いものになってしまった。
当然ながら、院長室に僕と苛めっ子達が呼ばれて、事情を聞かれる。
「こいつがいきなり殴ってきたんだ。
おれたち悪くないよ」
「タリュスはとても賢くて大人しい子です。
余程の事がなければ、こんなことをする子ではありません。
他の子に聞きましたが、タリュスの引き取り手の方を悪く言ったそうですね」
「……だって。こんな奴連れてくの、まともなのじゃないだろ。
……なんでおれじゃなくて、こいつが先に出るんだよ……」
とても悔しそうに僕を睨みつけてくる。
「あの方は、あなた達が思うような方ではありませんよ。
タリュスに謝りなさい。
最後のお別れの晩を、こんな形にしてしまったのですから」
不満げにぼそぼそと謝罪をされたけれど、とても許す気にはなれなくて。
僕はそのまま院長室を飛び出し、部屋に駆け込んでベッドに潜り込んだ。
悔しくて、涙が溢れる。
シーツの中で何度も涙を拭った。
なんにも知らないくせに。
僕だってまだ、あの人の事は何も知らないけど。
綺麗な金色の瞳が、とても辛そうに申し訳なさそうに僕を見つめてくること、知らないくせに。
そうして僕が九年間過ごした孤児院での、最後の夜が終わった。
次の日の朝。
つまり今日、玄関で迎えが来るまで待つ僕に、声をかけてくるきょうだいはいなかった。
昨日のケンカの事は全員が目撃していたから、きっと気まずいのだろう。
「タリュス、元気でね。
どうか幸せになってね」
「……はい。先生、ありがとう。
その……昨日のこと、ごめんなさい。
せっかくケーキ、用意してくれたのに」
「気にしないで、すぐに気がつかなかった私達職員のせいよ。
私達こそごめんなさい」
先生達は皆優しくて、僕が居なくなるのを寂しいと口々に言ってくれた。
それだけでも、僕は嬉しかった。
そして扉がノックされる。
小さく息を呑んだ僕に、大丈夫よと優しく微笑んで、院長先生が扉を開けた。
「来たぞ、あの汚い旅人。って、ええ……!?」
「あんなの早く連れてけよ、な……っ!?」
背後で聞こえた苛めっ子達の小さな囁きが、驚きに変わる。
射し込む朝日を背に受けて立っていたのは、見たこともない立派な衣装を身につけた、あの人だった。
漆黒の高価そうな布地に、端の方に金の糸で複雑な紋様が刺繍された、軍服のような衣装。
紫色の髪をきちんと整えて、長めの前髪の隙間からは、切れ長の金の瞳が理知的に煌めいている。
「サークス・イグニシオンだ。
約束通りタリュスティン・マクヴィスを迎えに来た。
大事な子供が今まで世話になったな。
心から礼を言う」
堂々と名乗って僕を呼ぶ美しい青年に、全員が度肝を抜かれて立ち竦む。
だってこんなに綺麗な人、誰も見たことがない。
はっと院長先生が我に返り、深々と彼に頭を下げた。
「お、お待ちしておりました、白金の魔術師様。
タリュス、こちらへ」
呼ばれてようやく僕も彼から目を引き離して、院長先生の隣に並ぶ。
「タリュスは大人しいですが、芯のしっかりした心の優しい子です。
どうか幸せにしてあげて下さいませ」
「ああ。約束する」
院長先生の言葉に深く頷いて、長身の彼の長い腕が僕へと差し出された。
右手に嵌められた、深紅の宝石が煌めくとても綺麗な白金の指輪が、きらりと朝日を反射した。
「待たせて悪かった。
行こう」
それは、孤児として生きる事しか出来なかった僕たちなら、誰もが夢にみる言葉。
いつか。
もしかしたら、立派な服を着た両親が現れて、すまなかったと詫びながら、自分を迎えに来てくれる。
そんな日がくるかもしれないと、誰ともなく相部屋のベッドの上で話していた未来。
まさか、僕にこんな奇跡が起こるなんて思わなかった。
「ーーーーはい」
僕はようやくそれだけ口にして、荒れたところのないその手を取った。
言葉もないきょうだい達を一度だけ振り返り、僕は急に込み上げた寂しさと共に、最後に小さく微笑んだ。
「さよなら」
静かに扉は閉められ、僕はこの日からサークと共に歩き出した。
グラスを傾け、僕の話を聞いていたルーナが微笑んだ。
「上出来だ。良くやった、サーク」
「別にそういうつもりじゃなかったんだが。
孤児院の連中に礼を尽くすつもりで、正装してっただけで」
本当にそうなのだろう、心外そうにサークは腕組みをしてソファーに背を預ける。
「それにしても、今の話は初めて教えてくれたな。
早く言えばガキ共捻って根性叩き直してやったんだが」
「ええ、そうなの?
だって最初の頃のサーク、話をしてくれなかったじゃない。
僕の事、避けてると思ってたもの」
「前言撤回だ。歯を食いしばれサーク」
「待て待てやめろ、目がマジだ。
……最初は、そうだな……
タリュスとどう接していいかわからなくて……
不安だったよな。悪かった」
隣に座り直した僕の頭を、優しくサークは撫でてくれる。
やっとの思いで身体を離したのに、そんな風に申し訳なさそうにされると、また触れたくなってしまう。
「ううん。僕もあの事件まで、サークのことちゃんと信用できてなかったから。おあいこ」
「そうか、本題がまだだったね」
ソファから半分腰を浮かせて拳を握っていたルーナが、ぼすんと座り直す。
そう、サークが大きな傷を身体に残してしまった出来事は、この数か月後に起こったのだ。
引き取られる子供が、一緒に育ったきょうだい全員に見送られる通例通りに、広いホールには二十人程のきょうだいと先生が集まっていた。
綺麗な服を着せてもらい、さほど多くない身の回りのものを鞄一つに纏めた僕は、耳を隠すための帽子を被り直して、迎えが来るのを待つ。
街でお祭りがあった日に、僕の父親の古い知人だという背の高い男性に偶然出会ったのは、もう二日前。
いきなり抱きしめられてびっくりしたけれど、珍しい金色の瞳に、今にも溢れ落ちそうなくらい涙を湛えた男の人は、とても真剣な顔と声で、僕をずっと探していたと苦しそうに教えてくれた。
明日孤児院に行くと告げられて別れたその日の夜は、どきどきして眠れなかった。
まさか魔物の僕を探し求めている人がいるなんて、信じられなかった。
本当に明日、あの人は来てくれるんだろうか。
やっぱり何かの思い違いで、彼は訪れる事もなくて。
明日からも僕は、皆に疎まれる変わらない暮らしが待っているんじゃないだろうか。
ずっと不安と期待が交互に押し寄せてきて、祭りの興奮で賑やかな家の中、毎年居心地の悪い思いをしていたのが、嘘のように気にならなかった。
珍しい露天や旅芸人の芸を見た、お前は魔物で街に来れないから見てないだろうと、いつも僕を目の敵にするきょうだいに笑われても、どうとも思わないで済んだ。
だって、だからこそ僕はあの人に出会えたんだから。
毎年と同じく、全部使わなかった銅貨を院長先生に返した時に、様子が違うのを気づかれて声をかけられた。
「どうしたの?タリュス。何かあった?」
院長先生に両手を包まれながら優しく問われ、僕は動揺して口ごもる。
もしかしたら、明日あの人が来るかもしれない。
そうしたら院長先生に話をするだろうから、伝えた方がいいのかも。
でも、もし来なかったら?
「…………いえ、何もありません」
そんな期待と不安が入り交じって、結局何もないふりしか出来なかった。
寝付けないまま迎えた翌日。
朝食が終わった頃に、孤児院の扉がノックされた。
先生の一人が扉を開けるのを、僕は固唾を飲んで見守る。
そこには昨日と同じ、旅装束のあの人がフードを被って立っていた。
先生と会話をしてから院長室に案内されていく彼を、無意識にぎゅっと胸元を掴んで見送る。
彼は立ち竦む僕に気が付いたけれど、無言で院長室に歩き出した。
知らずに詰めていた息を吐き出すと、同じく来客を見ていたきょうだい達が、ざわざわと騒いでいるのに気がついた。
「誰だろう。旅の人みたいだけど」
「顔隠したままで怪しいよな。
人買いじゃないのか?」
違う、あの人は。
僕を迎えに……
反論したかったけれど何も言えず、きゅっと唇を噛んで下を向く。
それから暫くして僕も院長室に呼ばれて、ソファに座る院長先生に問われた。
「タリュス。この方、サークス・イグニシオン様が貴方を引き取りたいと仰っています。
貴方をここに預けたお父様の知人でいらして、お父様は残念ながら亡くなられたそうですが、ご遺言に従って代わりに貴方を育てたいと。
貴方は、どうしたいですか?」
昨日聞いた通りだ。
僕は院長先生の向かいに座る、初めて名前を聞いた彼を見る。
フードをあげた彼は、襟足までの長さの、艶やかな絹糸のように煌めく紫色の髪をしていた。
金色の瞳といい、珍しい色だと思う。
それに、女のひとみたいにとても綺麗な顔立ちをしていた。
この人と、これから一緒に生きていくのかと聞かれて。
昨晩からずっと悩んでいた。
けれど、改めて顔を合わせ、固い表情をした彼とまっすぐに向き合った今。
自然に僕は首を縦に振っていた。
「いいのですか?
すぐに決めなくても、何度か面会を重ねてからでもいいのですよ」
院長先生も彼も、すぐに決めるとは思っていなかったのか驚いている。
「いえ、行きます。僕はすぐにでも、この人と一緒に暮らしたいです」
だって彼の不安に揺れるような眼差しは、長い耳の僕に改めて会っても、魔物だと恐れる光が微塵もなかった。
そんな人に会ったのは、初めてだった。
「……じゃあ、いつ迎えにきてもいいんだな。
手続きなんかはどうなる」
「そうですね……本人の了承が取れましたし、貴方の身分もしっかりと証明されましたから。
今日これから、孤児登録の抹消手続きをします。後は……」
幾つか確認をして、明日にはもう彼と暮らせると院長先生に教えられた。
こんなに速やかに里親が決まるなんて、これまでなかった事だ。
「イグニシオン様は、魔術師でいらっしゃいます。中でも最高位の白金の位をお持ちなの。
王様にお仕えしたりなさる、とても身分のある方なんですよ。
いつもなら、里親になる方の身辺調査などをしてからなのですが、白金の魔術師様なら必要ありませんからね」
この、旅塵で汚れたマントを羽織った、どうみても旅人の青年がそんなに凄い人だなんて。
とても信じられなかった。
でも僕は、この人の身分とか貴賤とか、何でも良かった。
人間として僕を見てくれている、それだけでもう充分だった。
彼が帰った後で、きょうだい達に院長先生から僕が明日、引き取られる事がすぐに告げられた。
引き取り手が決まった子を見送る前の晩は、ご馳走が出て見送りの会をするけれど、急な事だったから、いつもと変わらないご飯が出る。
ただ、普段と違って、食後に苺の乗った生クリームのケーキが振る舞われた。
先生達が僕のために、急いで用意してくれたんだとわかった。
小さいけれど、滅多に食べられない真っ白な美しいケーキにはしゃぐ皆の声を聞きながら、僕は少しだけ泣いてしまった。
「ようやく魔物が家からいなくなるって。
せいせいするな」
「あの男の格好、見たか?
あんな汚れた服でさ、きっと貧乏だぞ。
あんなのに連れてかれたら、すぐに売られるに決まってるよ」
「おれ先生が話してるの聞いたんだ、あいつ魔術師なんだって。
たぶん何かの実験台にされるんだろう」
皆がケーキを食べ終えて食堂の片付けをしている時に、いつもの僕を苛めてくるきょうだい達が声高に話している。
周りの皆も似たような事を考えていたのか、止める子もいなかった。
けれど、僕は。
どうしようもなく怒りが沸いてきて。
気がついたら、悪口を先導した一人に殴りかかっていた。
「あの人を悪く言うな!謝れよ!」
「なんだこいつ……!」
「魔物が暴れたぞ!やっつけろ!」
そこからはもみくちゃのケンカになった。
慌てて誰かが呼びにいった先生が止めにくるまで、僕は暴れ続けた。
幾つか食器が割れたり椅子が壊れたりで、僕の見送り会は酷いものになってしまった。
当然ながら、院長室に僕と苛めっ子達が呼ばれて、事情を聞かれる。
「こいつがいきなり殴ってきたんだ。
おれたち悪くないよ」
「タリュスはとても賢くて大人しい子です。
余程の事がなければ、こんなことをする子ではありません。
他の子に聞きましたが、タリュスの引き取り手の方を悪く言ったそうですね」
「……だって。こんな奴連れてくの、まともなのじゃないだろ。
……なんでおれじゃなくて、こいつが先に出るんだよ……」
とても悔しそうに僕を睨みつけてくる。
「あの方は、あなた達が思うような方ではありませんよ。
タリュスに謝りなさい。
最後のお別れの晩を、こんな形にしてしまったのですから」
不満げにぼそぼそと謝罪をされたけれど、とても許す気にはなれなくて。
僕はそのまま院長室を飛び出し、部屋に駆け込んでベッドに潜り込んだ。
悔しくて、涙が溢れる。
シーツの中で何度も涙を拭った。
なんにも知らないくせに。
僕だってまだ、あの人の事は何も知らないけど。
綺麗な金色の瞳が、とても辛そうに申し訳なさそうに僕を見つめてくること、知らないくせに。
そうして僕が九年間過ごした孤児院での、最後の夜が終わった。
次の日の朝。
つまり今日、玄関で迎えが来るまで待つ僕に、声をかけてくるきょうだいはいなかった。
昨日のケンカの事は全員が目撃していたから、きっと気まずいのだろう。
「タリュス、元気でね。
どうか幸せになってね」
「……はい。先生、ありがとう。
その……昨日のこと、ごめんなさい。
せっかくケーキ、用意してくれたのに」
「気にしないで、すぐに気がつかなかった私達職員のせいよ。
私達こそごめんなさい」
先生達は皆優しくて、僕が居なくなるのを寂しいと口々に言ってくれた。
それだけでも、僕は嬉しかった。
そして扉がノックされる。
小さく息を呑んだ僕に、大丈夫よと優しく微笑んで、院長先生が扉を開けた。
「来たぞ、あの汚い旅人。って、ええ……!?」
「あんなの早く連れてけよ、な……っ!?」
背後で聞こえた苛めっ子達の小さな囁きが、驚きに変わる。
射し込む朝日を背に受けて立っていたのは、見たこともない立派な衣装を身につけた、あの人だった。
漆黒の高価そうな布地に、端の方に金の糸で複雑な紋様が刺繍された、軍服のような衣装。
紫色の髪をきちんと整えて、長めの前髪の隙間からは、切れ長の金の瞳が理知的に煌めいている。
「サークス・イグニシオンだ。
約束通りタリュスティン・マクヴィスを迎えに来た。
大事な子供が今まで世話になったな。
心から礼を言う」
堂々と名乗って僕を呼ぶ美しい青年に、全員が度肝を抜かれて立ち竦む。
だってこんなに綺麗な人、誰も見たことがない。
はっと院長先生が我に返り、深々と彼に頭を下げた。
「お、お待ちしておりました、白金の魔術師様。
タリュス、こちらへ」
呼ばれてようやく僕も彼から目を引き離して、院長先生の隣に並ぶ。
「タリュスは大人しいですが、芯のしっかりした心の優しい子です。
どうか幸せにしてあげて下さいませ」
「ああ。約束する」
院長先生の言葉に深く頷いて、長身の彼の長い腕が僕へと差し出された。
右手に嵌められた、深紅の宝石が煌めくとても綺麗な白金の指輪が、きらりと朝日を反射した。
「待たせて悪かった。
行こう」
それは、孤児として生きる事しか出来なかった僕たちなら、誰もが夢にみる言葉。
いつか。
もしかしたら、立派な服を着た両親が現れて、すまなかったと詫びながら、自分を迎えに来てくれる。
そんな日がくるかもしれないと、誰ともなく相部屋のベッドの上で話していた未来。
まさか、僕にこんな奇跡が起こるなんて思わなかった。
「ーーーーはい」
僕はようやくそれだけ口にして、荒れたところのないその手を取った。
言葉もないきょうだい達を一度だけ振り返り、僕は急に込み上げた寂しさと共に、最後に小さく微笑んだ。
「さよなら」
静かに扉は閉められ、僕はこの日からサークと共に歩き出した。
グラスを傾け、僕の話を聞いていたルーナが微笑んだ。
「上出来だ。良くやった、サーク」
「別にそういうつもりじゃなかったんだが。
孤児院の連中に礼を尽くすつもりで、正装してっただけで」
本当にそうなのだろう、心外そうにサークは腕組みをしてソファーに背を預ける。
「それにしても、今の話は初めて教えてくれたな。
早く言えばガキ共捻って根性叩き直してやったんだが」
「ええ、そうなの?
だって最初の頃のサーク、話をしてくれなかったじゃない。
僕の事、避けてると思ってたもの」
「前言撤回だ。歯を食いしばれサーク」
「待て待てやめろ、目がマジだ。
……最初は、そうだな……
タリュスとどう接していいかわからなくて……
不安だったよな。悪かった」
隣に座り直した僕の頭を、優しくサークは撫でてくれる。
やっとの思いで身体を離したのに、そんな風に申し訳なさそうにされると、また触れたくなってしまう。
「ううん。僕もあの事件まで、サークのことちゃんと信用できてなかったから。おあいこ」
「そうか、本題がまだだったね」
ソファから半分腰を浮かせて拳を握っていたルーナが、ぼすんと座り直す。
そう、サークが大きな傷を身体に残してしまった出来事は、この数か月後に起こったのだ。
0
お気に入りに追加
90
あなたにおすすめの小説
悪役令息に憑依したけど、別に処刑されても構いません
ちあ
BL
元受験生の俺は、「愛と光の魔法」というBLゲームの悪役令息シアン・シュドレーに憑依(?)してしまう。彼は、主人公殺人未遂で処刑される運命。
俺はそんな運命に立ち向かうでもなく、なるようになる精神で死を待つことを決める。
舞台は、魔法学園。
悪役としての務めを放棄し静かに余生を過ごしたい俺だが、謎の隣国の特待生イブリン・ヴァレントに気に入られる。
なんだかんだでゲームのシナリオに巻き込まれる俺は何度もイブリンに救われ…?
※旧タイトル『愛と死ね』
断罪フラグを回避したらヒロインの攻略対象者である自分の兄に監禁されました。
慎
BL
あるきっかけで前世の記憶を思い出し、ここが『王宮ラビンス ~冷酷王の熱い眼差しに晒されて』という乙女ゲームの中だと気付く。そのうえ自分がまさかのゲームの中の悪役で、しかも悪役は悪役でもゲームの序盤で死亡予定の超脇役。近いうちに腹違いの兄王に処刑されるという断罪フラグを回避するため兄王の目に入らないよう接触を避け、目立たないようにしてきたのに、断罪フラグを回避できたと思ったら兄王にまさかの監禁されました。
『オーディ… こうして兄を翻弄させるとは、一体どこでそんな技を覚えてきた?』
「ま、待って!待ってください兄上…ッ この鎖は何ですか!?」
ジャラリと音が鳴る足元。どうしてですかね… なんで起きたら足首に鎖が繋いでるんでしょうかッ!?
『ああ、よく似合ってる… 愛しいオーディ…。もう二度と離さない』
すみません。もの凄く別の意味で身の危険を感じるんですが!蕩けるような熱を持った眼差しを向けてくる兄上。…ちょっと待ってください!今の僕、7歳!あなた10歳以上も離れてる兄ですよね…ッ!?しかも同性ですよね!?ショタ?ショタなんですかこの国の王様は!?僕の兄上は!??そもそも、あなたのお相手のヒロインは違うでしょう!?Σちょ、どこ触ってるんですか!?
ゲームの展開と誤差が出始め、やがて国に犯罪の合法化の案を検討し始めた兄王に…。さらにはゲームの裏設定!?なんですか、それ!?国の未来と自分の身の貞操を守るために隙を見て逃げ出した――。
俺のこと、冷遇してるんだから離婚してくれますよね?〜王妃は国王の隠れた溺愛に気付いてない〜
明太子
BL
伯爵令息のエスメラルダは幼い頃から恋心を抱いていたレオンスタリア王国の国王であるキースと結婚し、王妃となった。
しかし、当のキースからは冷遇され、1人寂しく別居生活を送っている。
それでもキースへの想いを捨てきれないエスメラルダ。
だが、その思いも虚しく、エスメラルダはキースが別の令嬢を新しい妃を迎えようとしている場面に遭遇してしまう。
流石に心が折れてしまったエスメラルダは離婚を決意するが…?
エスメラルダの一途な初恋はキースに届くのか?
そして、キースの本当の気持ちは?
分かりづらい伏線とそこそこのどんでん返しありな喜怒哀楽激しめ王妃のシリアス?コメディ?こじらせ初恋BLです!
※R指定は保険です。
転生悪役モブは溺愛されんで良いので死にたくない!
煮卵
BL
ゲーム会社に勤めていた俺はゲームの世界の『婚約破棄』イベントの混乱で殺されてしまうモブに転生した。処刑の原因となる婚約破棄を避けるべく王子に友人として接近。なんか数ヶ月おきに繰り返される「恋人や出会いのためのお祭り」をできる限り第二皇子と過ごし、婚約破棄の原因となる主人公と出会うきっかけを徹底的に排除する。
最近では監視をつけるまでもなくいつも一緒にいたいと言い出すようになった・・・やんごとなき血筋のハンサムな王子様を淑女たちから遠ざけ男の俺とばかり過ごすように仕向けるのはちょっと申し訳ない気もしたが、俺の運命のためだ。仕方あるまい。
俺の死亡フラグは完全に回避された!
・・・と思ったら、婚約の儀の当日、「私には思い人がいるのです」
と言いやがる!一体誰だ!?
その日の夜、俺はゲームの告白イベントがある薔薇園に呼び出されて・・・
ラブコメが描きたかったので書きました。
モフモフになった魔術師はエリート騎士の愛に困惑中
risashy
BL
魔術師団の落ちこぼれ魔術師、ローランド。
任務中にひょんなことからモフモフに変幻し、人間に戻れなくなってしまう。そんなところを騎士団の有望株アルヴィンに拾われ、命拾いしていた。
快適なペット生活を満喫する中、実はアルヴィンが自分を好きだと知る。
アルヴィンから語られる自分への愛に、ローランドは戸惑うものの——?
24000字程度の短編です。
※BL(ボーイズラブ)作品です。
この作品は小説家になろうさんでも公開します。
【第1部完結】悪役令息ですが、家族のため精一杯生きているので邪魔しないでください~僕の執事は僕にだけイケすぎたオジイです~
ちくわぱん
BL
【11/28第1部完結・12/8幕間完結】(第2部開始は年明け後の予定です)ハルトライアは前世を思い出した。自分が物語の当て馬兼悪役で、王子と婚約するがのちに魔王になって結局王子と物語の主役に殺される未来を。死にたくないから婚約を回避しようと王子から逃げようとするが、なぜか好かれてしまう。とにかく悪役にならぬように魔法も武術も頑張って、自分のそばにいてくれる執事とメイドを守るんだ!と奮闘する日々。そんな毎日の中、困難は色々振ってくる。やはり当て馬として死ぬしかないのかと苦しみながらも少しずつ味方を増やし成長していくハルトライア。そして執事のカシルもまた、ハルトライアを守ろうと陰ながら行動する。そんな二人の努力と愛の記録。両片思い。じれじれ展開ですが、ハピエン。
残虐悪徳一族に転生した
白鳩 唯斗
BL
前世で読んでいた小説の世界。
男主人公とヒロインを阻む、悪徳一族に転生してしまった。
第三皇子として新たな生を受けた主人公は、残虐な兄弟や、悪政を敷く皇帝から生き残る為に、残虐な人物を演じる。
そんな中、主人公は皇城に訪れた男主人公に遭遇する。
ガッツリBLでは無く、愛情よりも友情に近いかもしれません。
*残虐な描写があります。
俺の悪役チートは獣人殿下には通じない
空飛ぶひよこ
BL
【女神の愛の呪い】
この世界の根源となる物語の悪役を割り当てられたエドワードに、女神が与えた独自スキル。
鍛錬を怠らなければ人類最強になれる剣術・魔法の才、運命を改変するにあたって優位になりそうな前世の記憶を思い出すことができる能力が、生まれながらに備わっている。(ただし前世の記憶をどこまで思い出せるかは、女神の判断による)
しかし、どれほど強くなっても、どれだけ前世の記憶を駆使しても、アストルディア・セネバを倒すことはできない。
性別・種族を問わず孕ませられるが故に、獣人が人間から忌み嫌われている世界。
獣人国セネーバとの国境に位置する辺境伯領嫡男エドワードは、八歳のある日、自分が生きる世界が近親相姦好き暗黒腐女子の前世妹が書いたBL小説の世界だと思い出す。
このままでは自分は戦争に敗れて[回避したい未来その①]性奴隷化後に闇堕ち[回避したい未来その②]、実子の主人公(受け)に性的虐待を加えて暗殺者として育てた末[回避したい未来その③]、かつての友でもある獣人王アストルディア(攻)に殺される[回避したい未来その④]虐待悪役親父と化してしまう……!
悲惨な未来を回避しようと、なぜか備わっている【女神の愛の呪い】スキルを駆使して戦争回避のために奔走した結果、受けが生まれる前に原作攻め様の番になる話。
※悪役転生 男性妊娠 獣人 幼少期からの領政チートが書きたくて始めた話
※近親相姦は原作のみで本編には回避要素としてしか出てきません(ブラコンはいる)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる