この恋は無双

ぽめた

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三章

思い出のごはん

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 宿屋の扉を開けて中に入ると、四つテーブルが用意された小さめの食堂は半分が埋まっていた。
 ドアベルの音で奥から出てきたのは、恰幅のよいおばさんだ。

「いらっしゃい、好きな席に……あら?あんたまた来てくれたの?」

「今日帰るからその前にな。ほら」

「お、お久しぶりです、おばさん」

 にこやかに声をかけてきたおばさんに、サークの背中からひょこりと顔を出して挨拶をする。

「あらあら、大きくなったねえ坊や!元気だったかい?
 ちょっと、あんた!あの子がまた来てくれたよ!」

 ぱっと笑顔になったおばさんは、大きな体なのに身軽に近づいてきて僕の両手を取った。
 僕も少し照れ臭く笑い返す。

「元気だよ。おばさんも昔と変わらないね」

「あたしは元気なのだけが取り柄だからね!それにしても坊やはすっかり逞しくなって。男の子の顔になったわねぇ。
 昔はひょろっとして喋りもしないし、まるきりお人形さんだったのに」

「何を騒いでんだ?お客を立たせて……
 ん?お前さんタリュ坊か?」

「あ、おじさんもお久しぶり。僕の名前覚えててくれたんだ?嬉しいな」

 奥から細い体型のおじさんが、しかめ面で出てきたと思ったらこちらを見て破顔した。

「お前さん達みたいな格別にお綺麗な客は忘れられねぇよ。
 しかし随分と別嬪になったなあ?
 あんたもいつタリュ坊が嫁を連れてくるか、気が気じゃないだろ」

 おじさんはからからと笑いながらサークの背をぱんと叩いた。

「……まあそうだな。
 飯頼んでいいか」

 親しみの籠った笑顔に、ちいさく微笑みかえすサークもどこか面映ゆそうにしている。

「おお悪い、つい懐かしくてな。しかしうちを覚えててくれたとは嬉しいなあ。
 こないだあんたがこの子を連れてきた時は、子供でもこさえたのかと思ったが」

「ねえおじさん、わたしはこんなに目付き悪くないだろ?」

「確かに似てないな!」

 ルーナが指で目尻を吊り上げてにやりと笑うと、おじさんは豪快に笑ってルーナの頭をわしわしと撫でた。

 空いている席に僕達を座らせ、今日おすすめの料理を出してくれると言って厨房に戻っていく、仲のよい夫婦を眺める。

「ふふ、変わらないね。なんか安心する」

 四年も前に数日泊まっただけなのに、覚えていてくれた。

 あの頃も二人はこんな風に賑やかで、あったかくて。
 サークに引き取られたばかりの僕は、まだあんまり上手に心を開けなくて、黙ってしまう事が多かったけど、とても優しくしてくれたんだ。

「いい人達だね。
 タリュスが会いたがるのもわかるよ」

「二人は魔術師ギルドに行った日に、ここに来たの?」

「うん。あの時はもっと凄かったんだ、タリュスでなくわたしを連れてきたから、店に入った途端にサークが質問攻めにあっててさ。
 あの喋らない金髪の綺麗な子はどうしたんだ、一緒にいるのか、まさか容姿がいいから貴族だのに売ったのかって。
 まだ一緒にいるってようやく伝えたら、様子が見たいから連れて来いって。ね?」

「……俺がそういう嗜好なのかまで言われたしな」

 テーブルに頬杖をついてむっつりと顔をしかめるので、つい聞いてしまう。

「そういうって、何?」

「男児趣味って言われたか。実際どうなんだサーク」

「ち・が・う。二度とお前の口からそれを言うな」

 こめかみに青筋を立てながら、サークがむにっとルーナの両頬を片手で押さえた。

 ……確かに、僕より小さい男の子当人の口から、そんな単語が出るのは洒落にならないと思う。

 唇を尖らせて不満げに唸るルーナをそのままに、サークが怒気をはらんだ顔で僕を見た。

「いらん誤解をされたから、帰る前にここに来たわけだ。飯も旨いし。わかったか?」

「う、うん。そんなに怒らなくても大丈夫だよ」

「お待たせ!こら何を騒いでるんだい、小さい子を苛めるんじゃないよ、いい大人が!」

「減らず口を矯正してやってんだ」

 そこへ料理を運んできたおばさんに呆れ顔をされてしまう。サークがルーナの頬から手を離してテーブルを空けると、美味しそうな料理がどんどんと置かれた。

「わ、美味しそう」

 お皿に湯気を立てて乗っているハンバーグに目を輝かせていると、バゲットの盛られた籠を運んできたおじさんがにかりと笑った。

「お前さんこれ好きだったろう?喋りも笑いもしなかったが、これ出したときはにこにこして平らげたもんな」

「う、そ、そうだった?覚えてないや」

 僕、そんなに無表情だったかな……

 サークとどう関わっていいか、まだ計りかねてる時期だったせいかも。

「そうさ、ようやく笑ったあんたがあんまり可愛くてねえ。この人ったらそれが嬉しかったみたいでさ。
 あれからもっと美味しくなるように研究して、お陰でうちの看板メニューになったんだよ」

「おい余計なことを言うな」

 にこにこしておじさんの背中を叩くおばさんを、照れたように顔をしかめて諌めたおじさんは早々に厨房に戻ってしまう。

「さ、あったかいうちに食べな。帰りの時間もあるんだろ?」

「……うん。ありがとう」

 僕がフォークとナイフを手にすると、おばさんはにこにこしながら頷いて、厨房へ戻っていった。

「いただきます」

 一口大に切り分けたハンバーグを口に運ぶ。

 ……美味しい。

 口いっぱいに広がった肉の甘味とソースの風味。その薫りに刺激されたように、記憶が甦る。

 思い出した。

 リデンの街の近くの家で暮らし始めた頃だった。

 僕の正確な魔力量を調べる必要が出たとサークが言ってきて、僕達はアズヴァルド王都に来た。

 終始機嫌の悪そうなサークの様子を怖々と伺いながら、馬車に揺られていたのを覚えてる。

 魔力の測定をしに魔術師ギルドへ行って、この宿へ戻ってきたその日の晩ご飯に、これが出たんだ。



 天井の広い一室で、僕が水晶に手を触れた途端に溢れだした、まばゆい光。
 浮かび上がった数値に動揺して大きな声を出す、体の大きな魔術師。あれはダグラスさんだった。
 光量もだけど、何かを言い合うダグラスさんとサーク、他の魔術師の険悪な様子に怖くなった。

 僕が何か悪いことをしてしまったんだろうかと。

 話している内容は専門用語が多くて分かりにくかったけど、「異常」で「危険」だと言われているのは理解できた。
 結局、サークと同じ立場である白金の魔術師を呼んでから後日、話し合いをすることになって。

 そうだ、帰り道に弱く雨も降っていた。
 煉瓦が濡れる湿った匂いと、先を大股で歩くサークの背中。
 僕ははぐれないように着いていくのがやっとだった。

 この人は……僕が今、立ち止まったら、気がついてくれるだろうか。

 いつの間にかいなくなった僕を、今度は探してくれるだろうか?

 あんなに他の魔術師と言い合いになるくらい、理由は何かわからないけど、僕は問題を抱えている。

 姿が見えなくなっても、ようやく厄介払いが出来たと喜んで、置いていくんじゃないだろうか。

 僕が、魔物のこどもだから。

 魔術師達から向けられた視線は、子供の頃から他人に向けられていた物と同質だ。

 恐怖と、拒絶。

 ……サークの金色の瞳も、やっぱり他の人と同じように、僕を映すのだろうか。

 不安でたまらなくなったのに、それでも、振り返らない大きな背中をすがるように追うことしか出来なくて。

 サークは実際のところ、僕を置いていったりせずにこの宿屋へ戻ってきた。

 けれど、同じ部屋にいるのに言葉を交わすこともなくて。
 夕食の時間になったからと、気まずそうなサークに促されて食堂へ行った。

 今と変わらない元気なおばさんに、暗い顔をしているのはお腹が空いてるからかなと、出して貰った料理。

 食欲なんて無かったけど、目の前に置かれた美味しそうな匂いにつられて、ハンバーグを口にした。

 出来立ての料理はとても美味しくて、温かくて。
 冷えた体と心まで、じんわりと温もりが染みてくるようで。後は夢中で平らげた。

 そうだ、たくさん食べてくれて嬉しいって、おじさんが頭を撫でてくれたんだ。

 本当に美味しかったから、僕も自然に笑い返して、ご馳走さまでしたって返事ができた。

 一部始終を、戸惑った顔でサークは見ていた。
 でも僕と目が合ったら、小さく笑いかけてくれたんだ。

 真っ直ぐにこちらを見つめる金色の瞳は、拒絶なんてしていなくて。
 迷いながらも、どこか暖かい光を宿していた。

 あれからだ。
 何でもない会話が少しずつ増えたのは。

 サークが僕の頭を、最初は恐る恐る、段々に親しみを込めて撫でてくれるようになったのも。

 互いに距離を計りながら、探るように僕達は日々を重ねてきた。

 サークはもう、僕を置き去りにするくらい早く歩かない。
 遅れたとしても、僕が追い付くように速度を合わせてくれる。
 僕も体が成長したから、サークに負けない早さで歩けるようになった。

 そして現在。
 ようやく今、ここにたどり着いたんだ。
 こんなに、お互いの心が近い場所に。

 ぽた、と頬から雫が伝って右手に落ちた。

「ほら、スープだよ……
 あらまあ、どうしたの坊や」

「え……」

「……タリュス?」

 気遣わしげなサークの声と、頬を撫でる指の感触に我に帰る。

 心配そうな金の瞳がゆらゆらと揺れている。

 それは僕が泣いているせいだと、やっと気が付いた。

「大丈夫かい?熱くて口を火傷でもした?」

「え、あ、ちがくて……
 あ、あんまり美味しいから、かな……」

 フォークとナイフを置いて、慌ててぐしぐしと涙を拭った。

 目を開けると、心配そうな顔をしたサークが映る。

 ……ねえ、僕達あれから、少しずつ距離を縮めていったよね。

 これまでの日々は、たどたどしかったけど、きっと間違ってなかったよね?

「……おじさんとおばさんの、あったかさと優しさで、僕達が救われたってこと。思い出したんだ。
 ほんとに、ありがとう」

 また浮いた涙を堪えながら、僕はおばさんに笑いかけた。

「なんだい急に?そんなに改まって、照れるじゃないの!
 あたしたちは特別なにもしていないよ、当たり前の事をしているだけだから」

「……ううん、僕は……僕達は、当たり前を知らなかったんだ。
 だから、当たり前を教えてくれた二人は、特別なんだよ」

「……タリュス」

 ルーナが悲しげに眉尻を下げているので、気にしないでと首を小さく振る。

「ごめんね、急に。もう大丈夫だから」

 そう、今はもう大丈夫。

 サークとルーナが側にいてくれる。

 これから、あの家で。三人で暮らせるんだから。



     
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