上 下
22 / 23

22

しおりを挟む
「トリス……私……」
 言葉に詰まり、声が出なくなる。トリスにそんな顔をさせたかったわけではない。ただ、怒りで我を忘れたのも事実だ。
「俺はおまえが何もできないだなんて思ってない。だけど、もっと他人に頼ってほしい。頼り方を知っててくれ。いざというときに一人だけで立ち向かおうとしなくていい。俺たちはアイツみたいにおまえを裏切らないよ」
「……もし裏切ったら?」
「殴っていいし、怒ってもいい」
 ふっと笑ってしまったイズに、「怖かっただろう」と慰めるようなことを言う。
「怖かったわ。とっても。どうしてマルクス様は、私のことを……嫌いになってしまったのかしら……」
「利害が一致しないからだ」
 やけにハッキリと言い切られ、イズはぐっと堪えた。今、喉の奥で止めた疑問を彼にぶつけるべきなのだろうか。
 ずっと引っかかっていたことがある。以前のトリスタンはマルクスの友人だった。あの断罪の場で声こそ上げないものの、マルクスと同じくイジーを責め立てる側として立っていたはずだ。いくら仲を深めるにつれイズの印象が彼の中で変わったとしても、どうにも拭えない違和感があった。それは不信感にも繋がっているのだろう。それが解消されない限り、どんな言葉をもらっても彼を信じ切ることができない。
 トリスは今のイズを友人だと言う。味方とも言ってくれる。だが、それなのにマルクスについて詳しくは教えてくれない。山のようにあるはずだ、秘密にしていることが。そんな根拠のない確信をイズは抱いていた。
「私、マルクス様を本当の紳士のように思っていたわ。物語に出てくる素敵な白馬の王子様のように。誰にでも優しくて、情に厚い人だと思ってた。だから、理由なく他の人を害そうとする彼を知らない。彼の目的は何? トリスタン、あなた知っているんでしょう?」
 あえてトリスタンと呼んだ。知ってるよと彼は答える。でもおまえには言いたくない、と続けた。
「これでも俺はおまえが大事なんだ。守りたい、味方でいたい、おまえに傷付いてほしくない。できればマルクスとはもう金輪際接触してほしくもないし、何ならナーバルに頼んで魔法で手のひらサイズにして小さな箱に閉じ込めておきたいくらいだ」
「お、重いわ。ちょっとこわい。あと話を逸らさないで」
 突然の監禁予告に引きながらも食い下がる。
「同じ話だ。何を言っても信用できないなら、それならそれでいい。マルクスの目的は俺からは話せないが、俺の目的なら教えてやるよ。俺はな、おまえがガキみたいにワーワーと泣き喚く未来じゃなければ正直何だって良いんだ。言ってる意味が分かるか? 有り体に言えば、おまえが不幸せなのは嫌だ。ナーバルも少なからず同じことを思ってる」
「………」
 幸せにしたいとは言わないところが彼らしい。そして何となく彼が言いたいことは分かった。
「つまり、今のイジーという存在はマルクス様の目的を阻害する障害になるってことなのね? それも、即座に排除したいくらいには邪魔な存在ということ」
 そして今の彼の言い方からして、ナーバルもマルクスの目的を知っているということだ。もしかしたら既知の仲かもしれない。まるで初めて会うみたいな反応をしていたくせに、演技がお上手ですことと憤懣やるかたないが、これもそれも自分が頼りないせいでもあるのだろう。
「察しがいいな、イズ。俺はおまえがまかり間違っても『幼少期から強い目的意識を持って行動されるマルクス様ってステキ!』とか言って再び殺されにいかないかとヒヤヒヤしてるよ」
「馬鹿なこと言わないで」
 ふざけ始めたトリスを睨む。
 集中力や緊迫感というのがないのかしら、この人。先程大真面目に不幸になってほしくないと言ったことが今更になって恥ずかしくなって、わざとそんなことを言っているに違いないわ。
「以前の私と今の私の違いは、魔法が使えるか使えないかという点のみでしょう。それ以外に前の私との違いが思いつかないわ。魔法が使えるのがいけないっていうこと? でも彼の周りには魔法を使える人間のほうが多いし、彼自身も使える。この仮定ではきっと彼の障害に足る条件が足りないのよね。彼の周りにいる人間と私の違いは何? 公爵令嬢という立場かしら。異性であること、同年代であること、社交界にまだ出ていないことも関係しているかもしれないわね。貴族の知り合いが極端に少ない箱入り令嬢を丸め込むのはきっと簡単だわ。だって世間知らずなんだもの」
「イズは頭が良いなぁ」
「障害になる条件が分かってもマルクス様の目的が分からないと手の打ちようがないわ」
「だったら逃げればいい。元の体に戻ろうなんて考えなくてもいい。他国に避難するか? いくらでも協力してやる」
「あなたって時々悪魔みたいなことを言うのよね。そんな甘い言葉には簡単に傾かないわよ」
「俺からしてみれば、おまえが何でそんなに元の体に戻りたいのかが分からない。確かに俺は令嬢の振る舞いはまだまだだけど、おまえの立ち位置からすれば一生引きこもってたっていいわけだ。入れ替わっていることは誰からも気付かれないだろう。そのうちどこかの誰かと縁談の話が出るかもしれないけれど、まぁそれは何とかする。俺たちが一生くっついて仲良しこよしする必要なんてない」
 そんな冷たいトリスの言葉に傷つきながらも、その瞳をしっかりと見つめ返した。気付かれていないと思っているのだろうか。彼はずっとこちらの反応をつぶさに観察している。優しいことを言ったり厳しいことを言ったりして、どうやったらイズが自分の思い通りになるのかを探っているのだ。
 彼の言う通り、元の体に戻りたい確固たる理由は自分でも判然としない。
 けれど、誰が逃げ出してやるものかと思う。
 言いなりになってたまるか。楽な方に流されてたまるものか。私は私の意志で、自分のことは自分で選択する。二度と、周囲の人間に言われるがまま、お人形のように生きるのなんて嫌だ。もうまっぴらごめんだ、そんな人生は。
 何も分からないまま、何も理解できないまま、あのときと同じように己の無力さに打ちのめされながら死を迎えるくらいならば、やりたいようにやってみせるわとイズは思う。
「それは俺に言われたから逆をいってやるっていう無駄な意地っぱりでしかないだろ」
「意地っ張りでも何でも、あなた言ったじゃない。私の味方でいてくれるって。だから私、大船に乗ったつもりでやりたいようにやるわ。私が大変な目に遭いそうになっても、あなたたちが幸せにしてくれるんでしょう?」
 ね?と振り向くと、転移を使って戻ってきたばかりのナーバルに軽く頭を叩かれた。明らかに機嫌が悪い顔をしている。
「諦めろ、トリス。もうコイツはダメだ。全力でオレたちに甘える気だ」
「育て方を間違えたな」
「まったくだ」
 育てられてないわよと口を尖らせているとナーバルに引き千切る勢いで掴まれた。
「ひどい! 痛かった! 暴力よ!」
「うるさいな。グーで殴られなかっただけマシだ」
 ナーバルに強めのグーで殴られたトリスにそう言われたのでイズはぐうの音も出ない。本当に連帯責任でトリスまで叱られるとは思わなかった。
「痛そう。可哀想に」
「誰のせいか分かってないだろ」
 頭にたんこぶができてないか見てくれとぼやくトリスを無視して、ナーバルは簡潔に結論だけ言うことにしたらしい。背後からイズの肩を掴みながら、事も何気に告げる。
「説得は無理そうだ。オレはあっちに寝返ることにした」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

やり直すなら、貴方とは結婚しません

わらびもち
恋愛
「君となんて結婚しなければよかったよ」 「は…………?」  夫からの辛辣な言葉に、私は一瞬息をするのも忘れてしまった。

妻と夫と元妻と

キムラましゅろう
恋愛
復縁を迫る元妻との戦いって……それって妻(わたし)の役割では? わたし、アシュリ=スタングレイの夫は王宮魔術師だ。 数多くの魔術師の御多分に漏れず、夫のシグルドも魔術バカの変人である。 しかも二十一歳という若さで既にバツイチの身。 そんな事故物件のような夫にいつの間にか絆され絡めとられて結婚していたわたし。 まぁわたしの方にもそれなりに事情がある。 なので夫がバツイチでもとくに気にする事もなく、わたしの事が好き過ぎる夫とそれなりに穏やかで幸せな生活を営んでいた。 そんな中で、国王肝入りで魔術研究チームが組まれる事になったのだとか。そしてその編成されたチームメイトの中に、夫の別れた元妻がいて……… 相も変わらずご都合主義、ノーリアリティなお話です。 不治の誤字脱字病患者の作品です。 作中に誤字脱字が有ったら「こうかな?」と脳内変換を余儀なくさせられる恐れが多々ある事をご了承下さいませ。 性描写はありませんがそれを連想させるワードが出てくる恐れがありますので、破廉恥がお嫌いな方はご自衛下さい。 小説家になろうさんでも投稿します。

【完結】婚約者に忘れられていた私

稲垣桜
恋愛
「やっぱり帰ってきてた」  「そのようだね。あれが問題の彼女?アシュリーの方が綺麗なのにな」  私は夜会の会場で、間違うことなく自身の婚約者が、栗毛の令嬢を愛しそうな瞳で見つめながら腰を抱き寄せて、それはそれは親しそうに見つめ合ってダンスをする姿を視線の先にとらえていた。  エスコートを申し出てくれた令息は私の横に立って、そんな冗談を口にしながら二人に視線を向けていた。  ここはベイモント侯爵家の夜会の会場。  私はとある方から国境の騎士団に所属している婚約者が『もう二か月前に帰ってきてる』という話を聞いて、ちょっとは驚いたけど「やっぱりか」と思った。  あれだけ出し続けた手紙の返事がないんだもん。そう思っても仕方ないよでしょ?    まあ、帰ってきているのはいいけど、女も一緒?  誰?  あれ?  せめて婚約者の私に『もうすぐ戻れる』とか、『もう帰ってきた』の一言ぐらいあってもいいんじゃない?  もうあなたなんてポイよポイッ。  ※ゆる~い設定です。  ※ご都合主義です。そんなものかと思ってください。  ※視点が一話一話変わる場面もあります。

この称号、削除しますよ!?いいですね!!

布浦 りぃん
ファンタジー
元財閥の一人娘だった神無月 英(あずさ)。今は、親戚からも疎まれ孤独な企業研究員・27歳だ。  ある日、帰宅途中に聖女召喚に巻き込まれて異世界へ。人間不信と警戒心から、さっさとその場から逃走。実は、彼女も聖女だった!なんてことはなく、称号の部分に記されていたのは、この世界では異端の『森羅万象の魔女(チート)』―――なんて、よくある異世界巻き込まれ奇譚。  注意:悪役令嬢もダンジョンも冒険者ギルド登録も出てきません!その上、60話くらいまで戦闘シーンはほとんどありません! *不定期更新。話数が進むたびに、文字数激増中。 *R15指定は、戦闘・暴力シーン有ゆえの保険に。

大切なあのひとを失ったこと絶対許しません

にいるず
恋愛
公爵令嬢キャスリン・ダイモックは、王太子の思い人の命を脅かした罪状で、毒杯を飲んで死んだ。 はずだった。 目を開けると、いつものベッド。ここは天国?違う? あれっ、私生きかえったの?しかも若返ってる? でもどうしてこの世界にあの人はいないの?どうしてみんなあの人の事を覚えていないの? 私だけは、自分を犠牲にして助けてくれたあの人の事を忘れない。絶対に許すものか。こんな原因を作った人たちを。

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

処理中です...