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曖昧な返事をしたのは、トリスタンは魔力を持っていたからだ。もし本当に人格だけが入れ替わっただけであれば、体は同じなのだからひょっとしたら自分にも魔法が使えるかもしれない。問題はイジーが魔法の使い方が分からないということだった。生まれながらにして魔力を持つ者は体に巡る魔力の流れを感じるとは聞くが、その感覚が分からない。
今のところ文字を読むことしかできないと素直に言うと、ナーバルは「それはそれで特技だ」と意外にも褒めるようなことを言った。
「じゃあ、子守でもしてもらうか。大人は日中みんな働きに出るから子どもの面倒見れるやつがいないんだ。遊ぶだけでもいいし、できたら文字も教えてやってくれ」
この辺のやつらは書くことも読むこともできないヤツがほとんどだから重宝されるぞとナーバルは言う。
何てことなさそうに彼が言うので思わずじっとりと睨むような視線になってしまう。
「……なんだよ」
「ちゃんとした仕事もしてるんじゃない」
子守も立派な仕事だ。物騒なことばかり言うから、それしかやってきていないのかと思った。
「勘違いするなよ。子守なんてのは小遣い稼ぎにしかならない」
「へー、そう」
「なんだよ、その言い方」
頬を掴まれてぐいーっと左右に引っ張られる。気軽にレディーに触れてはいけないってことを知らないのかしら。
「ひゃめへよ」
「トリスタンの癖に生意気なこと言うからだろ。オレはな、おまえの兄貴分なんだからな。弟分は兄貴の言うことを聞くものだ」
「わらひ、ほりふはんじゃはいもふ。いひーはほん」
「何言ってるか分かんねぇよ」
そう言って笑うが、イジーが喋りづらいのは間違いなくナーバルのせいだ。しかしその笑顔を見て少し安心した。ナーバルはずっと機嫌が悪そうに見えたので、正直に言うとちょっとばかり怖かった。
それからの彼の行動は早かった。街に出て、次々に知り合いらしい女たちに声をかけて乳児から5歳くらいに見える子どもたちを10人程引き受けてきた。ナーバルとイジーが住んでいるところは街から少し離れたところにあった。一見すると廃墟だ。広いだけの古ぼけた屋敷に2人だけで住んでいるらしい。周囲は木々に覆われている。蔦が外壁を這っている。廃墟もしくは廃屋と呼んでしまいたいのをなんとか堪えて、蔦屋敷と心の中で名付けた。
ナーバルは最初だから勝手が分からないだろう。一緒にいてやるよと言いつつ、赤子のおしめを手際よく替えていた。その様子はまるで大家族の長男のようだった。
たどたどしく子どもの世話をするイジーにも逐一指示を飛ばす。
屋敷の周りに無造作に置いてあった廃材に触るなと子どもたちを叱ったと思えば、他の子にねだられるままに両腕に子どもたちをぶら下げ、グルグルと回り始める。子どもたちがキャーキャーと嬉しそうに声を出していた。
何度か繰り返してさすがに汗だくになったナーバルがイジーの隣に倒れ込んだ。
「ナーバルには兄弟がいるの?」
しばらくピクリとも動かなかったが、「妹がいる」とようやく短い答えが返ってきた。イジーはもう質問したことすら忘れていた。
「かわいがってきたのね。だから子どもの扱いが上手なんだわ」
「全然。むしろ仲悪かったかな」
「ふふっ」
絶対に照れ隠しだ。短い付き合いの中でもそれが分かるようになってきた。素直じゃない人だ。
倒れているナーバルの背に子どもたちが遠慮なく押し寄せる。やれ虫取りをしよう、ボールで遊ぼう、追いかけっこだ、起きろ起きろと騒ぐ。
「トリスおにいちゃん……」
「あら、どうしたの。ユリア」
元気が有り余った子たちとは対照的に、遠慮がちに袖を引くのは小柄な少女だった。ユリアという子は引っ込み思案のようで、赤子の世話を一緒にやったり木陰から遊び回る子たちを微笑みながら眺めていた。
「おにいちゃん、ご本読めるってホント?」
「う、うん。公用語くらいなら読めるよ。何か読みたい本があるの?」
子どもたちに「おにいちゃん」と呼ばれるのは慣れるまで時間がかかりそうだ。口調が変わったことに関しては違和感があるようだが特に詮索はされなかった。
「これ読んでほしいの」
取り出してきたのはボロボロの絵本だった。
『創世記第二伝』というタイトルのそれは、国民ならばみな知っているはずのこの世界の創造について書かれた書籍だった。タイトルのとっつきにくさはさておき、子どもでも分かるように絵本の形式になっているらしい。
挿絵も入っており易しい表現で書かれている。
「パパもママも読めないのに家にあったの。いつか読みたいなって思ってた」
「ああ、国から支給されたのね」
10年ほど前に識字率の低さを憂いた国王が国民に支給した。識字率向上を目指すのであれば学び舎を増やすべきではないかと、その政策を聞いた時には思った。現にそのときから今までで、この国の識字率には大して変化がなかったし、国民の反感を買っただけに終わった。
「そんな本みんな燃やしたよ。どの家も燃やす薪すらないんだもの」と子どもたちが口々に言う。
「働かなきゃ死ぬだけだもんね」
無邪気な言葉は大人たちの受け売りだろう。
ユリアは揶揄うようなそれを聞いて縮こまってしまう。学ぶことを否定されたように感じたのかもしれない。
「いいわ。読んであげる。ユリアは学ぶことに興味がある? ここにくれば勉強も私が教えてあげる。文字が読めることや計算ができることは将来決して無駄にはならない。大きくなった時、いつかあなたを助ける手立てになる」
「……うん」
少しベソをかきながら、それでもユリアは笑ってみせた。
「創世記第二伝、第一章。天と地はいずれも魔女が創出したものである。人も魔女が創り、魔物も魔女が創り、全ての物は魔女の所有物であった。魔女の子らは愚かにも誰が一番愛されているかを決めるために争った。戦いに決着はつかず、人も魔物も半数以下になってしまった。魔女は大層悲しみ、深い深い眠りについた」
涙を流しながら眠りにつく魔女の可愛らしい挿絵がついたページまできたところで、絵本がパタンと閉じた。
閉じた手の主を見上げると、ナーバルは眉間に皺を寄せていた。
「どうしたの?」
「別の絵本を持ってきてやるから、これは読むな。ユリア、いいな?」
「う、うん」
変に威圧感のある言い方だった。絵本はそのまま回収されて行ってしまう。
深く追及することを拒むような態度だったので、イジーは何も言えなかった。
平民の間では、想像よりも遥かに王家や貴族への不信感が強いのかもしれない。自分も貴族として生きてきたので何となく気まずいような気持ちになってしまう。ひとまず、本を読むにも文字を知らないといけないので、地面に簡単な単語を書いて教えることにした。
いくつか日常で使う単語をユリアが覚え始めたとき、鋭く短い鳴き声と共に何かが地面に落ちた。数歩離れたところで小鳥がもがき苦しんでいる。
「まあ!」
慌てて地に落ちた青い小鳥をそっと手の平ですくい上げる。どうやら羽に怪我をしているようだった。雛鳥が巣から落ちたというわけではなさそうだ。小さいけれど、体付きはしっかりしている。
「ナーバル! ちょっと来て!」
子どもたちと走り回っていた彼を呼ぶと、すぐに駆け寄ってきてくれた。
「どうした?」
「怪我をしているの。多分他の鳥にいじめられたんだわ」
頭の上ではよく見ると大きな鷹のような影が円を描くように飛んでいるのが見えた。あれにやられたのだろう。血があふれ出ていて、浅い息をしている。
「珍しいな。コイツはすばしっこい種類だから他の鳥にやられるなんて滅多にないはずなのに」
「どうにかして助けられない?」
「ほっとけばいいだろ。こんなに血が出てるんだから手遅れだ」
「でも可哀想よ。お願い、ナーバル」
じっと見つめていると「わかったよ」と観念したように彼は溜息をついた。
今回だけだからなと念押しして、たくさんのピアスのうちの一つを外し、羽織っていた上着をイジーの頭に被せた。
何をしているのだろうとポカンとしていると、彼の指先がほのかに光を纏う。
「"グワラホッド イアカイル アデリン バッハ"」
彼が呪文を唱えるとみるみるうちに小鳥の傷は塞がった。
「すごいわ、ナーバル! あなた魔法が使えたのね!」
包帯や消毒液を貸してくれるものだと勝手に思い込んでいた。彼も魔力持ちだったようだ。
小鳥はすぐに指先から羽ばたいて行ってしまう。もう他の鳥や外敵に捕まらないようにねと願いながら小さく手を振って飛んで行った先を見送った。
「本当に金輪際、こんなことで魔法を使わせるなよ」
「こんなことって何よ」
あんまりな言い方にムッとしていると、髪の毛をかき混ぜるように雑に頭を撫でられる。
「疲れるんだよ、治癒魔法は。専門外なの」
ひどく疲れたように言い、イジーとこれ以上の会話を避けるように背を向けた彼は再び子どもたちとの遊びに戻っていった。
今のところ文字を読むことしかできないと素直に言うと、ナーバルは「それはそれで特技だ」と意外にも褒めるようなことを言った。
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「……なんだよ」
「ちゃんとした仕事もしてるんじゃない」
子守も立派な仕事だ。物騒なことばかり言うから、それしかやってきていないのかと思った。
「勘違いするなよ。子守なんてのは小遣い稼ぎにしかならない」
「へー、そう」
「なんだよ、その言い方」
頬を掴まれてぐいーっと左右に引っ張られる。気軽にレディーに触れてはいけないってことを知らないのかしら。
「ひゃめへよ」
「トリスタンの癖に生意気なこと言うからだろ。オレはな、おまえの兄貴分なんだからな。弟分は兄貴の言うことを聞くものだ」
「わらひ、ほりふはんじゃはいもふ。いひーはほん」
「何言ってるか分かんねぇよ」
そう言って笑うが、イジーが喋りづらいのは間違いなくナーバルのせいだ。しかしその笑顔を見て少し安心した。ナーバルはずっと機嫌が悪そうに見えたので、正直に言うとちょっとばかり怖かった。
それからの彼の行動は早かった。街に出て、次々に知り合いらしい女たちに声をかけて乳児から5歳くらいに見える子どもたちを10人程引き受けてきた。ナーバルとイジーが住んでいるところは街から少し離れたところにあった。一見すると廃墟だ。広いだけの古ぼけた屋敷に2人だけで住んでいるらしい。周囲は木々に覆われている。蔦が外壁を這っている。廃墟もしくは廃屋と呼んでしまいたいのをなんとか堪えて、蔦屋敷と心の中で名付けた。
ナーバルは最初だから勝手が分からないだろう。一緒にいてやるよと言いつつ、赤子のおしめを手際よく替えていた。その様子はまるで大家族の長男のようだった。
たどたどしく子どもの世話をするイジーにも逐一指示を飛ばす。
屋敷の周りに無造作に置いてあった廃材に触るなと子どもたちを叱ったと思えば、他の子にねだられるままに両腕に子どもたちをぶら下げ、グルグルと回り始める。子どもたちがキャーキャーと嬉しそうに声を出していた。
何度か繰り返してさすがに汗だくになったナーバルがイジーの隣に倒れ込んだ。
「ナーバルには兄弟がいるの?」
しばらくピクリとも動かなかったが、「妹がいる」とようやく短い答えが返ってきた。イジーはもう質問したことすら忘れていた。
「かわいがってきたのね。だから子どもの扱いが上手なんだわ」
「全然。むしろ仲悪かったかな」
「ふふっ」
絶対に照れ隠しだ。短い付き合いの中でもそれが分かるようになってきた。素直じゃない人だ。
倒れているナーバルの背に子どもたちが遠慮なく押し寄せる。やれ虫取りをしよう、ボールで遊ぼう、追いかけっこだ、起きろ起きろと騒ぐ。
「トリスおにいちゃん……」
「あら、どうしたの。ユリア」
元気が有り余った子たちとは対照的に、遠慮がちに袖を引くのは小柄な少女だった。ユリアという子は引っ込み思案のようで、赤子の世話を一緒にやったり木陰から遊び回る子たちを微笑みながら眺めていた。
「おにいちゃん、ご本読めるってホント?」
「う、うん。公用語くらいなら読めるよ。何か読みたい本があるの?」
子どもたちに「おにいちゃん」と呼ばれるのは慣れるまで時間がかかりそうだ。口調が変わったことに関しては違和感があるようだが特に詮索はされなかった。
「これ読んでほしいの」
取り出してきたのはボロボロの絵本だった。
『創世記第二伝』というタイトルのそれは、国民ならばみな知っているはずのこの世界の創造について書かれた書籍だった。タイトルのとっつきにくさはさておき、子どもでも分かるように絵本の形式になっているらしい。
挿絵も入っており易しい表現で書かれている。
「パパもママも読めないのに家にあったの。いつか読みたいなって思ってた」
「ああ、国から支給されたのね」
10年ほど前に識字率の低さを憂いた国王が国民に支給した。識字率向上を目指すのであれば学び舎を増やすべきではないかと、その政策を聞いた時には思った。現にそのときから今までで、この国の識字率には大して変化がなかったし、国民の反感を買っただけに終わった。
「そんな本みんな燃やしたよ。どの家も燃やす薪すらないんだもの」と子どもたちが口々に言う。
「働かなきゃ死ぬだけだもんね」
無邪気な言葉は大人たちの受け売りだろう。
ユリアは揶揄うようなそれを聞いて縮こまってしまう。学ぶことを否定されたように感じたのかもしれない。
「いいわ。読んであげる。ユリアは学ぶことに興味がある? ここにくれば勉強も私が教えてあげる。文字が読めることや計算ができることは将来決して無駄にはならない。大きくなった時、いつかあなたを助ける手立てになる」
「……うん」
少しベソをかきながら、それでもユリアは笑ってみせた。
「創世記第二伝、第一章。天と地はいずれも魔女が創出したものである。人も魔女が創り、魔物も魔女が創り、全ての物は魔女の所有物であった。魔女の子らは愚かにも誰が一番愛されているかを決めるために争った。戦いに決着はつかず、人も魔物も半数以下になってしまった。魔女は大層悲しみ、深い深い眠りについた」
涙を流しながら眠りにつく魔女の可愛らしい挿絵がついたページまできたところで、絵本がパタンと閉じた。
閉じた手の主を見上げると、ナーバルは眉間に皺を寄せていた。
「どうしたの?」
「別の絵本を持ってきてやるから、これは読むな。ユリア、いいな?」
「う、うん」
変に威圧感のある言い方だった。絵本はそのまま回収されて行ってしまう。
深く追及することを拒むような態度だったので、イジーは何も言えなかった。
平民の間では、想像よりも遥かに王家や貴族への不信感が強いのかもしれない。自分も貴族として生きてきたので何となく気まずいような気持ちになってしまう。ひとまず、本を読むにも文字を知らないといけないので、地面に簡単な単語を書いて教えることにした。
いくつか日常で使う単語をユリアが覚え始めたとき、鋭く短い鳴き声と共に何かが地面に落ちた。数歩離れたところで小鳥がもがき苦しんでいる。
「まあ!」
慌てて地に落ちた青い小鳥をそっと手の平ですくい上げる。どうやら羽に怪我をしているようだった。雛鳥が巣から落ちたというわけではなさそうだ。小さいけれど、体付きはしっかりしている。
「ナーバル! ちょっと来て!」
子どもたちと走り回っていた彼を呼ぶと、すぐに駆け寄ってきてくれた。
「どうした?」
「怪我をしているの。多分他の鳥にいじめられたんだわ」
頭の上ではよく見ると大きな鷹のような影が円を描くように飛んでいるのが見えた。あれにやられたのだろう。血があふれ出ていて、浅い息をしている。
「珍しいな。コイツはすばしっこい種類だから他の鳥にやられるなんて滅多にないはずなのに」
「どうにかして助けられない?」
「ほっとけばいいだろ。こんなに血が出てるんだから手遅れだ」
「でも可哀想よ。お願い、ナーバル」
じっと見つめていると「わかったよ」と観念したように彼は溜息をついた。
今回だけだからなと念押しして、たくさんのピアスのうちの一つを外し、羽織っていた上着をイジーの頭に被せた。
何をしているのだろうとポカンとしていると、彼の指先がほのかに光を纏う。
「"グワラホッド イアカイル アデリン バッハ"」
彼が呪文を唱えるとみるみるうちに小鳥の傷は塞がった。
「すごいわ、ナーバル! あなた魔法が使えたのね!」
包帯や消毒液を貸してくれるものだと勝手に思い込んでいた。彼も魔力持ちだったようだ。
小鳥はすぐに指先から羽ばたいて行ってしまう。もう他の鳥や外敵に捕まらないようにねと願いながら小さく手を振って飛んで行った先を見送った。
「本当に金輪際、こんなことで魔法を使わせるなよ」
「こんなことって何よ」
あんまりな言い方にムッとしていると、髪の毛をかき混ぜるように雑に頭を撫でられる。
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