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それに関しては不幸な事故というしかなかった。
舞台の上に引きずり出され、婚約破棄と宣告されたとき、イジーはただ固まるしかなかった。
「ああ、イジー。僕の愛しい人」
つい先日まで、そう言って微笑んでくれた彼はもういない。
その笑顔が好きだった。まるで彫刻のように整った顔立ちも、太陽にきらめくゴールドの髪も、剣の稽古で固くなったその両手も、頼りがいのあるところも、全部、全部が大好きだったのに。
自分ではない女生徒の腰に手を回して、嫌悪感に歪んだ彼の表情を見て、イジーはたまらなくなった。
私、その方に嫌がらせなんてしていません。
その方の物を捨てたりしていない。触ったこともない。話したことだって。
言いたいことはたくさんある。弁明だってできるはず。だって私は公爵令嬢。人前で話すときにどうすればいいのかだって幼い頃から学んできた。愛しい婚約者はこの国の第一王位継承者なのだから。
それなのに、婚約者の友人である男たちに囲まれてしまえば、たちまち声を失ってしまう。
それだけではない。この裏切りに、心が裂けてしまいそうだった。
朗々と歌うように身に覚えのない己の罪状を告げられ、ここが通っている学園で最も絢爛豪華なホールでなくともその声は響き渡ったであろう。そのくらい、自信に満ち溢れた演説だった。
観衆までもがありもしないことを口々に並べ立て、なんて外道な女なのかしら、まるで魔女のようだと誰かが言った瞬間。
頭上で軋むような音がしても、最期の瞬間には彼女の目には婚約者しか映っていなかった。
(愛しい、マルクス様……)
まるで天地が割れるかのような途轍もない音と共に、落下してきたシャンデリアがイジーの体を潰した。
---
目覚めたとき、イジーはまず自身の体の異常に気が付いた。
全身が燃えるようだ。それが痛みだと分かったのは全身が包帯に包まれていているのが視界に入ったからだった。しかし動くことも、手を上げることすらできない。
「……ぅう……」
呻き声をあげて何とか視線だけを動かす。左には窓の外が見える。起きたばかりでぼやけているが、どうやら日は高く上がっているらしい。
眩しくて目を細める。どうやら、ここは自邸でも医局でもないらしい。日の入り方が違う気がする。
それに、まるで使用人の部屋のような匂いがする。嗅ぎ慣れない匂いにすんすんと鼻を鳴らしていると、足音が近づいてきた。
木の床の上を歩いているような音にますます眉根を顰める。普段世話をするメイドや侍従たちが足音を立てることはない。そんな質の低い使用人は面接の段階で弾かれているはずだ。
不信感を抱いていると、これまた大きな音を立ててドアが開いた。
「あ、起きた」
無作法にも足でドアを開けたらしい少年が入ってくる。両手には水を溜めた桶を持っている。
見たことがない顔だ。
誰何する間もなく、彼はズカズカとイジーのほうへと近づいてきた。
「うっ……うぶ……」
抱えられるようにして雑に上半身を引き起こされて、問答無用で口に漏斗で水を流し込まれる。喉は渇いていたが、やり方があまりに乱暴だ。文句を言おうとするも容赦ない水責めに溺れそうになる。
ようやく拷問のような給水が終わると少年は自分の服の袖でイジーの口元を拭った。
「……ど、……なた……?」
ようやく出た声に驚いた。これが本当に私の声なのだろうか。とても自分のものとは思えないかすれた声だった。
少年はベッドの側に乱雑に積んであった丁度良い大きさの木箱に腰を下ろして、イジーを馬鹿にしたように鼻で笑った。
「どなた? どうしたんだよ、トリスタン。おまえらしくない。もしかして置いてったこと怒ってるのか? でもアレはおまえが悪いよ。状況もよく見ず突っ走って尻拭いするオレの身にもなってくれ。一晩経ったのに、つまんないことで意地張る気か? そもそも常日頃からおまえは呑気というかマイペースと言うか、チームワークというものが全くもって分かってない」
どうやら彼は怒っているようだった。くどくどと身に覚えのないお説教を並べ立てる。深くキャスケット帽をかぶっているために表情がよく見えない。加えて、長く伸びた前髪のせいで鼻先から下しか出ていなかった。特徴らしい特徴といえば、両耳につけた無数のピアスだ。どれも金でできているようで、陽の光を反射してきらきらと瞬く。右耳に4つ。左耳に7つ。彼のような年齢の子が開けるピアスにしては多いほうだろう。どうにもアンバランスに見える。年相応でないというか――妙な子だという印象を受けた。
それに先程から名前を間違えられているのも気になる。私はイジーよ。そう言いたいのに喉からは咳ばかりがこぼれ出た。
どうにも会話が噛み合わないと思ったのか、訝しむように顔を覗き込んできた少年がイジーの額に手を当てた。
「傷のせいで発熱はしているけど、いつもだったら気合いで起き上がってくるのにな……。今日おまえどうした? おかしいぞ」
こんなに痛いのに気合いで何とかなるわけがない。気安い口調だが、彼は一体誰なのだろう。使用人ではないようだし、知り合いの貴族の子息にも彼のような者はいない。身なりから平民だろうとは思うけれど、そんな知り合いはいない。声が出せないので仕方なくペンと紙を身振りで要求するとますます驚かれた。
どうやらここには筆記具の類がないらしい。迷ったが苦肉の策として彼の手を取って手の平に文字を書くと、くすぐったそうにするだけで話にならない。
イジーが困っていると、「じゃあ、オレ仕事があるから。また様子を見に来るよ」とあっさり出て行ってしまった。枕元には残された水桶と干からびたような林檎が数個。これをどうしろというのだろう。
見舞いにしては滞在時間が短過ぎる。何の説明もしてくれなかった。
人違いをされているようだし、少年の素性も、ここがどこかも結局分からなかった。
また来ると言っていたが、それはいつになるのだろう。聞きたいことや確かめたいことがたくさんある。分からないことだらけだ。
はぁぁと深いため息をつきながら、ベッドへと逆戻りした。全身が痛くて上半身を起こしているのもやっとだった。薄いブランケットの中で小さく膝を抱えて横になる。
ぼんやりと壁のシミを眺めた。
婚約破棄の件、どうなったのかしら。
思い出すのは、意識を失う直前のことだった。澱のようにこびりついたあの胸の痛みは消そうと思っても消えない。忘れなきゃ。そう思うのに、投げかけられた酷い言葉の数々を何度も思い出しては涙が幾筋も流れて枕を濡らした。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
誰からもお似合いだと言われてきた。自分でもそう思っていた。きっと、婚約者もその気持ちは同じだったはず。
イジーにとって、婚約者のマルクスは本当に理想の王子様だった。幼い彼女を救いあげてくれたときからずっと、イジーの大切な王子様だった。
きっとあの仕打ちには理由があるはずだと思いたいのに、糾弾されているときの氷のような冷たい視線が彼を信じさせてくれない。
心変わりをしたのだろうか。気付いていないだけで、何か彼の逆鱗に触れるようなことをしたのかもしれない。それだったらまだいい。原因が自分にあるのならば、それであればまだ諦めがつく。自分よりも美しくて愛らしい女性に恋をしたのなら、本当は嫌だけれど、彼がそう話してくれたならきっと身を引いただろう。彼は誠実で、とても優しい人だから何の説明もせずに突然あのように人前で恥をかかせるようなやり方はしない人だと思っていた。その認識が間違っていたのだろうか。
あのときの彼はまるで人が変わったようだった。見た目がそっくりの別人になってしまったかのようだった。
本当に別人だったらどんなに良かっただろう。
次に起きた時、今までの変わらぬ日常が戻ってきますようにと強く願う。
その願いが叶わないであろうことは分かっていたけれど、今のイジーには祈ることしかできなかった。
舞台の上に引きずり出され、婚約破棄と宣告されたとき、イジーはただ固まるしかなかった。
「ああ、イジー。僕の愛しい人」
つい先日まで、そう言って微笑んでくれた彼はもういない。
その笑顔が好きだった。まるで彫刻のように整った顔立ちも、太陽にきらめくゴールドの髪も、剣の稽古で固くなったその両手も、頼りがいのあるところも、全部、全部が大好きだったのに。
自分ではない女生徒の腰に手を回して、嫌悪感に歪んだ彼の表情を見て、イジーはたまらなくなった。
私、その方に嫌がらせなんてしていません。
その方の物を捨てたりしていない。触ったこともない。話したことだって。
言いたいことはたくさんある。弁明だってできるはず。だって私は公爵令嬢。人前で話すときにどうすればいいのかだって幼い頃から学んできた。愛しい婚約者はこの国の第一王位継承者なのだから。
それなのに、婚約者の友人である男たちに囲まれてしまえば、たちまち声を失ってしまう。
それだけではない。この裏切りに、心が裂けてしまいそうだった。
朗々と歌うように身に覚えのない己の罪状を告げられ、ここが通っている学園で最も絢爛豪華なホールでなくともその声は響き渡ったであろう。そのくらい、自信に満ち溢れた演説だった。
観衆までもがありもしないことを口々に並べ立て、なんて外道な女なのかしら、まるで魔女のようだと誰かが言った瞬間。
頭上で軋むような音がしても、最期の瞬間には彼女の目には婚約者しか映っていなかった。
(愛しい、マルクス様……)
まるで天地が割れるかのような途轍もない音と共に、落下してきたシャンデリアがイジーの体を潰した。
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目覚めたとき、イジーはまず自身の体の異常に気が付いた。
全身が燃えるようだ。それが痛みだと分かったのは全身が包帯に包まれていているのが視界に入ったからだった。しかし動くことも、手を上げることすらできない。
「……ぅう……」
呻き声をあげて何とか視線だけを動かす。左には窓の外が見える。起きたばかりでぼやけているが、どうやら日は高く上がっているらしい。
眩しくて目を細める。どうやら、ここは自邸でも医局でもないらしい。日の入り方が違う気がする。
それに、まるで使用人の部屋のような匂いがする。嗅ぎ慣れない匂いにすんすんと鼻を鳴らしていると、足音が近づいてきた。
木の床の上を歩いているような音にますます眉根を顰める。普段世話をするメイドや侍従たちが足音を立てることはない。そんな質の低い使用人は面接の段階で弾かれているはずだ。
不信感を抱いていると、これまた大きな音を立ててドアが開いた。
「あ、起きた」
無作法にも足でドアを開けたらしい少年が入ってくる。両手には水を溜めた桶を持っている。
見たことがない顔だ。
誰何する間もなく、彼はズカズカとイジーのほうへと近づいてきた。
「うっ……うぶ……」
抱えられるようにして雑に上半身を引き起こされて、問答無用で口に漏斗で水を流し込まれる。喉は渇いていたが、やり方があまりに乱暴だ。文句を言おうとするも容赦ない水責めに溺れそうになる。
ようやく拷問のような給水が終わると少年は自分の服の袖でイジーの口元を拭った。
「……ど、……なた……?」
ようやく出た声に驚いた。これが本当に私の声なのだろうか。とても自分のものとは思えないかすれた声だった。
少年はベッドの側に乱雑に積んであった丁度良い大きさの木箱に腰を下ろして、イジーを馬鹿にしたように鼻で笑った。
「どなた? どうしたんだよ、トリスタン。おまえらしくない。もしかして置いてったこと怒ってるのか? でもアレはおまえが悪いよ。状況もよく見ず突っ走って尻拭いするオレの身にもなってくれ。一晩経ったのに、つまんないことで意地張る気か? そもそも常日頃からおまえは呑気というかマイペースと言うか、チームワークというものが全くもって分かってない」
どうやら彼は怒っているようだった。くどくどと身に覚えのないお説教を並べ立てる。深くキャスケット帽をかぶっているために表情がよく見えない。加えて、長く伸びた前髪のせいで鼻先から下しか出ていなかった。特徴らしい特徴といえば、両耳につけた無数のピアスだ。どれも金でできているようで、陽の光を反射してきらきらと瞬く。右耳に4つ。左耳に7つ。彼のような年齢の子が開けるピアスにしては多いほうだろう。どうにもアンバランスに見える。年相応でないというか――妙な子だという印象を受けた。
それに先程から名前を間違えられているのも気になる。私はイジーよ。そう言いたいのに喉からは咳ばかりがこぼれ出た。
どうにも会話が噛み合わないと思ったのか、訝しむように顔を覗き込んできた少年がイジーの額に手を当てた。
「傷のせいで発熱はしているけど、いつもだったら気合いで起き上がってくるのにな……。今日おまえどうした? おかしいぞ」
こんなに痛いのに気合いで何とかなるわけがない。気安い口調だが、彼は一体誰なのだろう。使用人ではないようだし、知り合いの貴族の子息にも彼のような者はいない。身なりから平民だろうとは思うけれど、そんな知り合いはいない。声が出せないので仕方なくペンと紙を身振りで要求するとますます驚かれた。
どうやらここには筆記具の類がないらしい。迷ったが苦肉の策として彼の手を取って手の平に文字を書くと、くすぐったそうにするだけで話にならない。
イジーが困っていると、「じゃあ、オレ仕事があるから。また様子を見に来るよ」とあっさり出て行ってしまった。枕元には残された水桶と干からびたような林檎が数個。これをどうしろというのだろう。
見舞いにしては滞在時間が短過ぎる。何の説明もしてくれなかった。
人違いをされているようだし、少年の素性も、ここがどこかも結局分からなかった。
また来ると言っていたが、それはいつになるのだろう。聞きたいことや確かめたいことがたくさんある。分からないことだらけだ。
はぁぁと深いため息をつきながら、ベッドへと逆戻りした。全身が痛くて上半身を起こしているのもやっとだった。薄いブランケットの中で小さく膝を抱えて横になる。
ぼんやりと壁のシミを眺めた。
婚約破棄の件、どうなったのかしら。
思い出すのは、意識を失う直前のことだった。澱のようにこびりついたあの胸の痛みは消そうと思っても消えない。忘れなきゃ。そう思うのに、投げかけられた酷い言葉の数々を何度も思い出しては涙が幾筋も流れて枕を濡らした。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
誰からもお似合いだと言われてきた。自分でもそう思っていた。きっと、婚約者もその気持ちは同じだったはず。
イジーにとって、婚約者のマルクスは本当に理想の王子様だった。幼い彼女を救いあげてくれたときからずっと、イジーの大切な王子様だった。
きっとあの仕打ちには理由があるはずだと思いたいのに、糾弾されているときの氷のような冷たい視線が彼を信じさせてくれない。
心変わりをしたのだろうか。気付いていないだけで、何か彼の逆鱗に触れるようなことをしたのかもしれない。それだったらまだいい。原因が自分にあるのならば、それであればまだ諦めがつく。自分よりも美しくて愛らしい女性に恋をしたのなら、本当は嫌だけれど、彼がそう話してくれたならきっと身を引いただろう。彼は誠実で、とても優しい人だから何の説明もせずに突然あのように人前で恥をかかせるようなやり方はしない人だと思っていた。その認識が間違っていたのだろうか。
あのときの彼はまるで人が変わったようだった。見た目がそっくりの別人になってしまったかのようだった。
本当に別人だったらどんなに良かっただろう。
次に起きた時、今までの変わらぬ日常が戻ってきますようにと強く願う。
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