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「リドティー嬢。使用人の多い時間帯とは言え、あまり食堂に長居せぬよう……」
「──ええ、承知しております」

 周囲をそれとなく警戒しながら護衛に声を掛けられ、フィファナは微笑みながら頷く。

(リナリーの部屋にはもう行く必要は無いわよね……。もう一人敵が潜んでいるのであれば、その敵は何の目的があって邸にいるのかしら)

 食堂に到着したフィファナは、使用人達と軽く言葉を交わしながら水を用意してくれるよう伝える。
 フィファナの頼みに快く対応してくれる使用人達に笑顔を返しながら、フィファナはそれとなく使用人達を観察する。

(もし、タナストン邸に使用人として潜り込んでいたのなら……当主交代の時に一部の使用人は入れ替わっているけど、前伯爵が以前から大公家に弱味を握られていたのであれば、今回の入れ替わりより前から働いているはず……)

 使用人達に不自然な行動を取る者はおらず、フィファナはふ、と食堂の奥──普段料理を行う人間が居る方向に視線を向けた。
 広い厨房の中には何人かの料理人が居て、食材の確認や整理を行っている。

 何の気なしに見ていたフィファナだったが、その中で一人。
 フィファナから不自然に顔を背けた人間が居た。

「──……、?」
「リドティー嬢……? どちらに?」
「ええ、ちょっと……気になる人が居て……」

 フィファナは手に持っていたグラスをテーブルに置き、ふらりと厨房の方向に体を向けた。
 フィファナの行動に違和感を覚えた護衛が声を潜めて問い掛けて来る。

 フィファナはすっと護衛達に近付き、ひそりと声を落として護衛達に先程感じた違和感を共有した。

「ただ、厨房の方向を眺めていたのですが……。その中で一人、あからさまに私から顔を背ける人がいたのです」
「──本当ですか? ちなみにどんな風貌の人間ですか? 何かおかしな行動をしていますか?」

 フィファナと護衛二人は相手を刺激してしまわないよう気をつけながら言葉を交わし合う。

 フィファナは厨房に向けていた体の向きを自然に逸らし、護衛達と談笑する形を装ってグラスに手を伸ばした。
 グラスで自分の口元を隠しながら、護衛に向かって伝える。

「あれは……確か料理長のハーキンス……? そのような名前だったはずです……。料理長は普通の料理人とは色の違うタイを付けておりますので、すぐに分かるかと」
「──……ああ、あの水色のタイを付けた男が料理長ですね」
「ええ。私の視線から逃げるように顔を背けましたわ。声を掛けてみてもいいかもしれません」
「……分かりました」

 フィファナと、護衛二人はお互い顔を見合わせて頷き合い、フィファナはその場を動かず。
 護衛の二人の内一人は真っ直ぐ料理長に向かい、もう一人はフィファナの前方少し進んだ辺りで攻撃に備え停止した。

 護衛の一人が近付いて来る事に気付いたのだろう。
 料理長、ハーキンスは顔色を悪くさせて後退している。
 彼の同僚達はハーキンスの行動を不思議がり、ハーキンスに声を掛けている。

(不味いわね……。使用人達を人質に取られてしまったら……!)

 フィファナの焦りとは裏腹に、ハーキンスは心配して声を掛けてくる同僚には言葉を返す事は無く、近場にあったシルバーナイフを何本か鷲掴みにした。

「──っおい!」

 ハーキンスの行動に、流石にギョッとした護衛は怒声を上げるが、ハーキンスは動揺している同僚達の体を近付いて来る護衛に向かって突き飛ばす。
 厨房の出入口でそのような行動を起こし、護衛は突き飛ばされて来た他の料理人を咄嗟に受け止める。

「──っ、待て! 止まれ……!」

 ざわつく他の使用人達の間を抜い、ハーキンスがフィファナ達に向かって駆けて来る。
 その必死の形相に、フィファナも前に居る護衛も、この料理長ハーキンスが大公家が密かに潜り込ませていた人物なのだろう、とあたりをつける。

「……逃げられる訳が無いだろう……! 大人しく捕まり、詳細を吐け! さすれば殿下方も悪いようにはしないはずだ!」

 護衛が叫び、腰の長剣を抜き放つ。

 食堂内は一瞬で阿鼻叫喚の地獄絵図と化し、無関係の使用人達が突然の事に逃げ惑う。

「そんな事、信じられるか……! そこを退け……!」
「……っ、!」

 ハーキンスが一吼えし、掴み持っていたシルバーナイフを護衛目掛けて投擲する。

 護衛は素早くナイフを床に叩き落とす。
 だが、護衛の動きを読んでいたのだろう。ハーキンスは気にする事無く、続けてナイフを投擲する。

「……っ何かないかしら……っ」

 フィファナは護衛の背に庇われたまま、きょろりと周囲を見回す。
 使用人を受け止めた護衛がもうすぐに合流する。
 数秒間だけハーキンスの足を止めてしまえば、後は護衛がハーキンスを捕らえてくれるだろう。

「──あっ!」

 フィファナは、先程まで自分が使っていたグラスを握り締めたままだった事を思い出し、勢い良くハーキンスに体の向きを変える。
 ハーキンスは未だに諦めずシルバーナイフを投擲している。
 護衛がそれを上手く弾いてくれているので、フィファナは安心して少しだけ体の位置をずらし、ハーキンスの姿を自分の視界でしっかりと捕らえた。

 突然護衛の背中からひょこり、と姿を現したフィファナにハーキンスは驚き、目を見開いた。
 そして、ハーキンスが握り締めていたシルバーナイフがフィファナに狙いを定めようと腕の位置が変わった。

 その動きがとてもゆっくり見えて。
 その不思議な感覚には戸惑う事無く、フィファナは握ったグラスを力一杯振りかぶった。



 そして、数瞬後。
 食堂にはグラスの割れる音が響いたのだった。
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