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「タナストン伯爵。もう一度聞くぞ? 本当に夫人とは離縁しないのだな?」
「勿論でございます。私だけが不幸な人生を送る事になるなど……到底許される事では無い……っ」
「……全てリナリーの自作自演で、夫人には全く罪が無かったとしても? 何の罪も無い人間を道連れにして不幸にしても良い、と伯爵は考えている。それでいいか?」
「──っ」

 アレクは先程までの強い口調では無く、柔らかな口調でヨードに話し掛ける。

 それはアレクにとって最後の確認のようなもので。

 ヨードはびくり、と体を震わせてアレクに視線を向ける。
 柔らかく、語り掛けるような口調になったアレクに恐る恐る視線を向けたヨードは言葉に詰まってしまう。

 リナリーの言葉は殆ど嘘であった可能性が高い。
 そうなってしまえば、ヨード自身は何の罪も無い人間を一方の言う事だけを信じ、悪人だと決め付け酷い扱いをして来た。

 ふ、と婚姻式の時のフィファナを思い出してヨードはアレクと視線を合わせていられず俯く。

「……今更です、殿下」

 二年近くの間、フィファナを憎しみ続けて来たのだ。
 今更そんな人間では無かったと知って、手のひらを返すなど虫が良すぎる。

 ぽつり、と呟くヨードの言葉を聞いてアレクは「そうか」とだけ返事を返した後、扉に向かって歩き出す。

「今は頭の中が混乱しているだろう。後日、改めて書類にして伯爵に届けさせる。その返事を以て最終回答としようか。……賢明な判断をする事を祈っている」

 これ以上はもう無理だろう、と判断したアレクはそのまま部屋を退出した。



 部屋を退出した後、アレクは近くにいた護衛にフィファナに邸内を探る事を中止するように、と伝えるよう指示を出す。

「……嫌な予感程良く当たる物だ。下手な物を発見して巻き込まれる事は避けた方が良い」

 本当に無関係だった人間が、巻き込まれ当事者の仲間入り、となってしまう事は避けなければいけない。

「ああ、くそっ。男爵家と伯爵家だけの問題であってくれよ……」


◇◆◇

 フィファナの下にアレクから指示を受けた護衛がやって来たのは少し時間が経ってからだった。

 古くから続くタナストン伯爵邸は広い。

 フィファナは先ずリナリーが過ごしていた本館の部屋とは離れた場所に位置するもう一つのリナリーの私室に向かっていた。
 タナストン伯爵邸は何度か増築されているらしく、この家に嫁いで来たフィファナもまだ邸内全部を熟知している訳では無い。
 リナリーは普段本館で過ごす事が多かったようだが、幼少の頃に与えられた私室も時折利用していたようで、どちらでも快適に過ごせるよう毎日の掃除は欠かされていなかったようだ。

「何故、二部屋も……?」

 フィファナがゆっくり廊下を歩いていると、背後からガシャガシャと金属が擦れ合う音が聞こえて来て、その音に振り向いた。

「──タナストン夫人!」
「え。何かございましたか?」

 あれは確かアレクの護衛騎士だった筈。
 フィファナは視界の奥にこちらに向かって駆けて来る護衛騎士を見て、驚きに目を見開いた。

 何かあったのだろうか、と思っていると護衛騎士がフィファナに向かって口を開いた。

「殿下からご伝言です……! 邸内の捜索は中止して、本館に戻られて下さい!」
「殿下が……? かしこまりました」

 護衛の言葉を聞き、フィファナは直ぐに向かおうとしていた廊下の先に背を向け、本館に戻るように足を踏み出した。

 一歩、二歩と足を進めているとフィファナの背後で。

 ──ちっ

 と舌打ちのような音が聞こえて。

「──っ!?」

 フィファナはぞわり、と背筋に悪寒が走った。

 ばっ、と勢い良く背後を振り向いたフィファナだったが、目の前にはしんと静まり返った長い廊下が続くだけで、付いて来てくれていた使用人や、フィファナを呼び止めた護衛騎士は不思議そうな表情を浮かべている。

「タナストン夫人? どうなさいました、大丈夫ですか?」
「奥様、お顔が真っ青です……! 具合が悪いのでは!?」

 自分を心配してあわあわとしだす使用人と護衛騎士に何か言葉を返さねばならないのに、フィファナは先程の気配にゾワゾワとした寒気を感じ、普段通りに言葉を返そうとするが、上手く唇が動かない。

 フィファナの様子を見て、護衛騎士は廊下の先を睨み付けるように見つめる。
 護衛騎士はいつの間にか自分の腰にある長剣の柄に手を添えており、いつでも抜き放てるよう周囲の気配を探っている。

「……タナストン夫人、戻りましょう。……殿下にご報告を……」
「わ、分かりました……」

 震える唇で何とか言葉を紡いだフィファナは、ちらりと背後を振り返りながら本館の方向に足を進める。


 廊下の先は、光が入り込まず真っ暗で。
 その様がまるで永遠に続く闇の入口のように見えて、フィファナはタナストン伯爵家の不気味さに再び肩を震わせた。
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