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しおりを挟む「お、お帰りなさいませ奥様……!」
「旦那様はどちらに!? 戻っているわよね?」
馬車で帰宅したフィファナは苛立ちを隠しもせずにカツカツとヒールの音を鳴らしながら邸の玄関を通る。
出迎えにやって来た使用人の男性が慌てたようにフィファナの後を追う。
だが──。
「騒々しい女だな。今何時だと思っているんだ。淑やかさの欠片も無い。淑やか、と言う言葉をお前は知らないのか」
「──っ、旦那様っ」
嫌味ったらしい言葉の数々にフィファナは苛立ちが募るが、何度か深呼吸をして何とか昂った気持ちを落ち着かせようと努力する。
深呼吸をして気持ちを落ち着かせたフィファナはキッと大階段の上に居るヨードに鋭い視線を向ける。
「言付けも無く、先に帰宅するとは思いませんでした。それに、あのような場所に私を置いて、何かあればこのタナストン伯爵家の家名にも泥を塗る可能性もあったのです……! 軽率な行動はお控え下さい……!」
「なに……? お前如きの身に何かあったとて、伯爵家は何の傷もつかん! 自惚れるのも大概にしろ……っ! それに売女であるお前を妻にした事で既にこの伯爵家は恥を晒しているんだぞ!? これ以上我が伯爵家に対して物を言うな!」
「だ、旦那様──っ」
紳士としてあるまじき物言いに、使用人も流石にヨードに向かって声を掛けるが、ヨードは使用人を強く睨み付け、言葉を封じる。
「そもそもっ、その根拠の無い噂は何処から聞いたのですか。私にそのような事実はございませんし、婚約期間中、旦那様以外の男性と二人きりになった事などございません。どなたが、そのような根も葉もない噂を旦那様にお伝えしたのですか」
「……っ、私以外の男と二人きりになった事が無いだと……? まだ嘘を付くか……っ! お前と同じ学園に通っていたリナリーがしっかりその現場を目撃しているんだ! 頻繁に男と密室で逢瀬を重ねていた、と聞いている……! それに、私の邸に住んでいるリナリーにお前は嫉妬し人を使い、襲わせた、と!」
ヨードの口から語られる言葉達にフィファナはついついぽかんとしてしまう。
どれもこれも初耳で、フィファナは階段を上がり、ヨードの下に向かう。
そうしてヨードの目の前に来ると、しっかりと正面からヨードの瞳を見詰めて口を開いた。
「以前もお伝えしましたが、私はこの邸に来てから初めてリナリー嬢と言う存在を知りました。彼女が同じ学園に通っていた、と言う事も初めて知ったのです。……存在を認識していなかった彼女を襲わせた……? そんな事は不可能ですわ」
はっきりと落ち着いた声音で告げられ、ヨードは混乱する。
「だっ、だが……。リナリーが嘘をつくなど……有り得ない。……リナリーは正しい、正しいんだ……」
どうしてそこまでリナリーの言う事を信じるのだろうか。
いや、信じようとしているのか。
目の前のヨードは、真実から必死に目を逸らし、虚像だけを盲目的に信じようとしているように見えて。
フィファナは何故かそんなヨードの姿が哀れに思えた。
「……信じたく無いのならば、どうぞご自由に。ご自身の信じたいものを信じてよろしいかと思います」
「──ぁっ、」
ふいっ、とフィファナに視線を逸らされ、ヨードはついつい縋るようにフィファナに視線を向ける。
何が本当で、何が嘘で。
フィファナと結婚して、この邸に住むフィファナを見て、その人となりを見て薄らと分かってはいた。
リナリーの言っていた事とあまりにもフィファナ・リドティーの人物像が乖離していて。
その違和感を覚える事が日に日に大きくなっていった。
そして、今日の夜会──。
学園で孤立していた者が、あんなにも親しそうに学友と話すだろうか。
悪名高い人物が、高位貴族である侯爵位の人間とあんな風に穏やかに、楽しげに会話をするだろうか。
「──あっ、だが……っ、私はっ、」
リナリーを信じてやらねばならない。
この世に一人ぼっちになってしまったリナリー。
その原因を作ったのは自分たちだ。
自分だけでもリナリーを信じてやらねば、本当に一人ぼっちになってしまう。
「……リナリー、リナリーが泣いている。慰めに行かなくては……」
「……お好きになさいませ」
見たくない事から視線を逸らし、全てを無かった事にするつもりだろうか。
「変わらない、変わろうとしないのであればそれだけです」
フィファナはふらふらと去って行くヨードの後ろ姿を見つめた後、ふいっと顔を逸らして自室へと向かった。
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