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その後の話(気分次第)
完結記念 ハーヴィーのプレゼント大作戦
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ハーヴィーは迷っていた。
証拠集めだとローイックに駆り出され護衛として付いていったはいいが、そこでキャスリーンに土産の選定をお願いされたのだ。
贈る相手はよりによってミーティアだ。
彼女に似合う物を、是が非でも選ばねばならない。惚れた女に贈る物を選ぶなど、厳つい顔で女性に避けられていたハーヴィーにとって未体験なことだった。さっきから髪飾りを前に頭から火が出る程考えていた。
ミーティアの笑顔を見たい。
ローイックを笑えねえな、と自嘲気味になるが、ふとミーティアの顔が脳裏に浮かぶ。夜、二人だけの時に見せてくれる、本当の笑顔。嬉しいという感情が零れそうな笑みこそ、彼女が色々な重圧から解放された時に見せる笑顔だ。あの笑顔の為には、と思いハーヴィーは唸る。
「黒い髪には銀か白だよな」
心の声がダダ漏れなハーヴィーではあるが、本人は気が付いていない。ちょっと離れた所でその様子を眺めているローイックとキャスリーンがニヤニヤしていることにも気が付かない。それくらい真剣だった。訓練よりも、剣術試合よりも真剣だった。
「これ……」
ハーヴィーの目に留まったのは貝殻の形の銀の台座に控えめに乗った四つのピンクの真珠のコームだ。この髪飾りがハーヴィーの視線を掴んで離さない。
「ぜってぇ、似合う」
ハーヴィーは手を伸ばし、武骨な手でそれを優しく掴む。掌に載せじっくりと眺めた。黒い髪を頭の上に丸くまとめた彼女には、本当に似合いそうだった。彼女がつけたところを想像するだけで頬が緩む。
「……やっぱりこれだな」
ハーヴィーは自らが選んだものが一番彼女に似合うと確信した。言いしれない満足感が体中を駆け巡っている。剣術試合いに勝った時よりも余程充実していた。
「なるほど、それは似合いそうだな」
離れた所から声がかかる。顔を向ければキャスリーンの笑顔とローイックのにやけた顔が目に入る。
「見てたのかよ」
ハーヴィーは顔も体もぐわっと熱くなるのを感じた。今まで生きていてここまで恥ずかしいと思ったことは初めてかもしれない。
「少し前からな。いやぁ、面白いものを見たよ。恋人に贈るんだって? お前も隅におけないなぁ」
ローイックの二ヤつく顔にムカついた。いつもの仕返しかよ、と心で毒づく。
「い、色々あるんだよ」
真っ赤になった顔など見られたくないハーヴィーは視線を逃がした。早いとこ精算だ、とガレンを探す。背中に二人の視線を感じながら、手と足が同時に出ない様、右足を力強く踏みしめた。
ローイックの用事も終わり、宮殿に戻り夕食も済み、部屋に戻ったハーヴィーは熊の如く部屋の中をうろうろしていた。ローイックがいたら「落ち着いたら?」とあきれ顔で言われたことだろう。だが今はハーヴィー一人だ。もう少しすればミーティアが訪ねてくるだろう。
ハーヴィーは手に持った小さな袋を開け、中にある髪飾りを確認する。さっきから何度も何度も見ては盛大なため息をついていた。
「喜んでくれるかな……」
ぽつりと零しては肩を落とす。大きな熊が項垂れていた。あの時の自信はどこへ行ったのか。
その時扉がノックされ「あの、頼まれた物をお持ちしました」とミーティアの声が耳に入る。ハーヴィーはお化けでも見たのかというほどの速度で背筋を伸ばした。心臓は駆け足度いどころではなくダッシュを繰り返し、風邪を引いた時よりも高いだろうと思われるほどに体温はあがっていた。喉の乾きを覚えるがつばを飲み込み我慢する。
「いいいいいま開ける」
極度の緊張で舌が回らないハーヴィーは額に汗かきつつ、扉を開けた。眼の前にはトレイにワインのボトルとグラスを乗せ、にっこりとした笑みを浮かべたミーティアがいる。黒いお仕着せの服に、頭には丸く纏めた黒い髪。あの髪飾りを付けるにはぴったりだった。
「失礼します」
笑顔のままハーヴィーの前を通って行くミーティアが、石鹸の良い香りを漂わせる。時間のある時は部屋に来る前に湯浴みをするようで、ハーヴィーの理性を激しく揺らすのだ。
テトテトと歩くミーティアの後姿に見惚れ、危うく扉を閉め忘れる所だったハーヴィーは、頭をぶるんと振って我に返る。
緊張からか足が床を踏みしめている感触が薄く、ふわついている。これが浮つくってことか、などとハーヴィーは感じた。まだそのくらいの余裕はあった。
「お顔が固いですけど、何か御座いましたか?」
トレイからワインの瓶をテーブルに乗せ、つまみなどをセットしているミーティアが伺う様に見上げてくる。その視線にハーヴィーの心臓は止まってしまいそうだった。右手をグッと握りしめ、左胸に叩きつけ心臓を無理やり稼働させた。
「ふふ、どうされました?」
そんな様子がおかしかったのか、ミーティアが楽しそうに笑った。眩しい笑顔に、折角動いた心臓も止まりそうだった。
テーブルで向き合い、グラスを傾けつつ、今日の出来事などの話をしていた。アルコールの入ったミーティアはほんのりと頬を染め、目尻がトロンと下がっている。普段は見せない色気が姿を見せ始め、ハーヴィーの鼓動は早まるばかりだった。だがまだ今日の一番大事なイベントが終わっていない。買ってきた髪飾りを彼女に渡さなければならない。いや、渡したいのだ。
「今日は大変でした……商会を四つも回りましたよ」
ハーヴィーがテーブルの下で渡すべき小さな袋を握りしめている。緊張で声が震えているような気もするが、もはやどうしようもなかった。そんな様子を怪しむ訳でもなく、ミーティアは笑顔を絶やさずハーヴィーと会話を楽しんでいる。
「そうなんですか。ローイック様の探し物は手に入れられたんでしょうか?」
ミーティアがローイックの名を出すと、ハーヴィーはちょっと悔しくなる。ミーティアは自分の物なのだ、と決まってもいないのにそう思ってしまうのだ。
「えぇ、確保できたみたいです。そ、それでですね……」
話題がそっちに移動したこのタイミングで渡さなければ、とハーヴィーは決断するが、口が上手く動いてくれない。ただ視線だけはミーティアの瞳からはずらさない。
ミーティアが次の言葉を待っているのだが、口が動かない。鼓動だけが駆け足で去っていく。こんなに意気地なしだったか、と呆れるが次の言葉を待ってくれているミーティアを見て勇気づけられる。
「髪飾りを、買って、きたんだ」
たどたどしい言葉にはなってしまったが、ハーヴィーはそう言うとテーブルの下で握りしめていた手を上げた。握られた小さな袋をミーティアが凝視している。そして視線を上げ、ハーヴィーを見つめてきた。ちょっと期待が混ざったような潤んだ瞳にハーヴィーは汗が止まらない。
「に、似合うと、い、良いんだが」
破裂寸前の心臓とミーティアの期待のこもった視線にハーヴィーの体はいう事を聞かない。舌も恥ずかしいのか引きこもりがちだ。
震える指先で小さな袋の口を開け、中から銀の髪飾りを取り出す。掌に載せ「これ、なんだが」とミーティアのに差し出す。
仄かな灯りを受け銀の貝殻は静かに光り、桃色の真珠はその光に浮き上がっている。
「綺麗……」
ミーティアがおずおずと手を伸ばし、ハーヴィーの掌からそっと摘み上げた。掌にそれを乗せ眺めているミーティアの口もとがゆっくりと緩んでいくのが分る。
「貰って、良いんですか?」
ちょっと潤み始めた瞳で、ハーヴィーを見てくる。飛びそうな意識を何とか紐でくくり付け、ハーヴィーは「もちろんだ」と答えた。五月蠅いくらいに駆け足の心臓がハーヴィーを追い立ててくる。気に入ってくれるか、不安が募る。
「えへへ~うれしいな~」
ミーティアの緩み切った笑顔がハーヴィーを直撃する。頭の中に【本能】と額に書かれた騎士が、炎を吹き出す剣を構え雄たけびを上げたが、【鋼の精神】と書かれた巨大な拳がそれを叩き潰した。
「つけて、ほしいな~」
可愛く首を傾げてお願いしてくるミーティアの破壊力は満点だった。せっかく叩き潰した本能の騎士がゆらりと立ち上がって来る。釣られるようにハーヴィーも立ち上がり、ミーティアの隣に立った。恥ずかしいのか顔を真っ赤にし、はにかみがちな笑みで見上げてくるミーティアに理性をズタズタにされながらもハーヴィーは耐えた。すぐにでも彼女を抱きしめ、全てを奪ってしまいたい衝動に真っ向反抗しているのだ。
愛おしいとか可愛いとか超越して、なんて言っていいか分らねえ。どうしよう抱きしめたい。いきなり抱きしめて嫌われるのはイヤだ。絶対にイヤだ。でも抱きたい。俺のモノにしたい。誰にも渡さねえ。
ハーヴィーの頭は思春期の少年のようだった。理性が飛んでしまいそうな状態でミーティアから髪飾りを受け取る。つけやすいようにか彼女は俯いてくれた。ちらっと覗くうなじが更なにハーヴィーの心をかき回す。荒れ狂う本能の騎士を宥めつつ、ハーヴィーは優しくミーティアの髪にコームを差し入れた。
ミーティアが静かに顔を上げ、潤んだ瞳を揺らしてハーヴィーを見上げてくる。
「あの、どう、ですか? 似合い、ますか?」
貰った髪飾りが似合わなかったらどうしよう、とでも思っているのだろうか。ミーティアはつっかえつっかえ感想を求めてくる。
似合ってる。良く似合ってる。綺麗だ。
荒れ狂う感情の中で、ハーヴイーはとにかく見惚れていた。
「……あの、やぱっり……」
何も言ってくれない事を似合わないと取ったのか、ミーティアが視線を下げてしまう。
「ち、ちがう。見惚れていたんだ。断じて違う! 似合ってる。良く似合ってるんだ。俺、頭悪いから言葉を知らなくて、とにかく綺麗って言葉しか浮かばないんだ」
働かない頭をどうにか動かして口から言葉を出させる。語彙力が無いからありきたりな言葉しか出ない頭をぶん殴りたい衝動を抑え、ミーティアの頬に手を当て上を向かせた。彼女の潤み過ぎて零れそうな瞳が突き刺さって胸が痛い。
「き、綺麗すぎてヤバいんだ。抑えがきかなくなりそうで。いますぐ抱きしめたい誘惑に抗ってるんだぜ」
ともかく言葉を羅列する。言い訳と取られても仕方ないが、誤解されたくはない。ミーティアに嫌われたくない一心で必死に気持ちを伝えようとした。
「ふふっ」
ハーヴィーの必死さが伝わったのか、ミーティアが微笑んだ。そしてゆっくりと目を閉じた。
『はっはー! こりゃおっけーってサインだぜ! このまま押し倒せ!』
本能の騎士が雄叫びを上げた。その向かいには痩せ細った体に額に【理性】と書かれた男が立ち上がっていた。だがその男の武器はヒノキの棒だった。
『ここは抑えるんだ! 突っ走っていいわけないだろう!』
理性は懸命に訴える。だが本能の「かまどの方がパン生地の所へやってきたら、パン生地をかまどに入れてやる時だっていうだろうが! 嫌われても知らねーぞ」という一撃で、理性は墓標になってしまった。
本能に押し出されたハーヴィーは身を屈め、ミーティアの唇に触れるだけのキスをする。それを二回繰り返し、三度目は深く口づけした。
思うままに唇を味わうハーヴィーに、ミーティアが胸を押し返してきた。だが勢い付いたハーヴィーは止まれない。ミーティアが胸をポンポンと叩いてようやくハーヴィーの自制が目覚めた。ゆっくりと顔を離すと、真っ赤になったミーティアが潤んだ目を蕩けさせて見つめてくる。
「す、すまない。いきなり激しくは、嫌だよな。ここで止めておくから」
やりすぎで嫌われると思ったハーヴィーに、ミーティアからは想定外の言葉が掛けられる。
「鍵を……」
ミーティアは恥ずかしそうに下を向いてしまう。本能の騎士がまたも叫ぶと理性の墓標が砂の様に崩れ去った。ガラガラと崩れ去る良識に、ハーヴィーの目が爛々と光る。
ハーヴィーは椅子に座るミーティアの前に跪く。左手を手に取り、その掌に唇を落とした。掌から手首へと口付けの場所を変える。
貴女が欲しい、と懇願したのだ。手を離すとミーティアは両手を広げた。その動作にハーヴィーはミーティアの膝と背中に上を差し入れその怪力で持ち上げる。いわゆるお暇様抱っこだ。
そのまま扉に向かい、鍵を閉めようとするまえにミーティアが手を伸ばしカチャリと鍵をかけた。その音だけが部屋に響き、そして音が無くなった。腕に抱くミーティアの荒めの息が耳に入るだけだ。
「これで、誰も入って来れません」
ミーティアがそう言うとハーヴィーの首に手を回し、抱き着いてきた。既に理性は砂になり一粒も残っていない。本能は炎の剣を振り回し猛っている。
「婚約もできていないうちに、こんなことはダメなんだ。ダメなんだけど……すまん、俺が悪いんだ」
ハーヴィーはミーティアの耳元でそう囁くと、お姫様抱っこのままベッドまで運んでいった。
「もう、後戻りはできませんよ」
「戻るつもりはねえよ」
密着する頭から直接言葉が入って来る。
婚姻前に性交渉を行うことは、褒められたことではない。だがどうなるか分らない関係に不安にかられた二人にそんなしきたりは意味をなさなかった。ただ確証が欲しかったのだ。
ハーヴィーに震える指先がお仕着せの服をゆっくりと脱がしていった。
息が荒いハーヴィーの腕の中で、やはり同じく息を荒げたミーティアが胸に顔を埋めている。無事に事が終わり、微睡む意識のなかで二人は抱き合っていた。ハーヴィーの体に触れる彼女の軟からかい感触が心地よい。
「すまん、痛かったろう」
ハーヴィーの呟きに、ミーティアは胸の顔を埋めたまま、無言で頷いた。ミーティアは痛みに叫ぶ事は無かったがシーツを噛みしめており、身を裂くような痛みに必死に耐えていたことをハーヴィーは知っている。隣のローイックに声を聴かれないようにしたのだろう。ミーティアは賢い女性なのだ。
「……満足して頂けましたか?」
「あぁ、もう離さねぇ」
ミーティアの背に手を回し、きつく抱き締めてやる。不安があるのだろうが、そんなものは吹き飛ばしてやるのがハーヴィーの義務だ。
「なぁミーティア」
ハーヴィーには男独特の賢者タイムが訪れていた。勢いと本能に任せてミーティアを抱いた事に後悔はない。むしろこれで退路はなくなり、前に進むしか解決法はなくなった。彼女を得るために突き進むのみだ。
贈った髪留めは無くさないようにベッドの脇の小テーブルに置いてある。一つにまとめた髪は既に解けて乱れていて、ハーヴィーはその髪に指を差し込む。汗でしっとりとした髪が絡みつく。その絡まりを丁寧に解して梳かしていた。
「ご両親の都合を聞いてもらえないか? 話をしに行きたい」
「明日にでも、手紙を出します」
優しく撫でる掌から声が聞こえた。
「ハーヴィー様のご都合は?」
「あぁ、もう様はいらねえ。ハーヴィーと呼んでくれ」
胸に埋まっていたミーティアの顔が上がり、真っすぐに見つめてくる。汗の浮かんだか顔でにっこりと微笑み「はい」とかすれ声で答えた。
「ハーヴィーの都合は良いんですか?」
「ご両親の都合を聞いてから考えよう。直ぐってことは無いだろうし。その時にはローイックの件は片付いてるかもしれない」
「はい」
ミーティアはまた胸に顔を埋め、ぐりぐりと擦り付けていた。これは自分の物だとマーキングでもしているかのようだ。そんな可愛い様子に、ハーヴィーの煩悩が向くりと首をもたげ始めた。
「……あのハーヴィー? また元気になってますけど……」
ミーティアがおずおずと顔を上げてくる。潤んだ目で見つめられ、ハーヴィーの本能の騎士が復活してしまった。
「あの、もう一回、いいか?」
情けなくもハーヴィーはお代わりをお願いをするのだった。
証拠集めだとローイックに駆り出され護衛として付いていったはいいが、そこでキャスリーンに土産の選定をお願いされたのだ。
贈る相手はよりによってミーティアだ。
彼女に似合う物を、是が非でも選ばねばならない。惚れた女に贈る物を選ぶなど、厳つい顔で女性に避けられていたハーヴィーにとって未体験なことだった。さっきから髪飾りを前に頭から火が出る程考えていた。
ミーティアの笑顔を見たい。
ローイックを笑えねえな、と自嘲気味になるが、ふとミーティアの顔が脳裏に浮かぶ。夜、二人だけの時に見せてくれる、本当の笑顔。嬉しいという感情が零れそうな笑みこそ、彼女が色々な重圧から解放された時に見せる笑顔だ。あの笑顔の為には、と思いハーヴィーは唸る。
「黒い髪には銀か白だよな」
心の声がダダ漏れなハーヴィーではあるが、本人は気が付いていない。ちょっと離れた所でその様子を眺めているローイックとキャスリーンがニヤニヤしていることにも気が付かない。それくらい真剣だった。訓練よりも、剣術試合よりも真剣だった。
「これ……」
ハーヴィーの目に留まったのは貝殻の形の銀の台座に控えめに乗った四つのピンクの真珠のコームだ。この髪飾りがハーヴィーの視線を掴んで離さない。
「ぜってぇ、似合う」
ハーヴィーは手を伸ばし、武骨な手でそれを優しく掴む。掌に載せじっくりと眺めた。黒い髪を頭の上に丸くまとめた彼女には、本当に似合いそうだった。彼女がつけたところを想像するだけで頬が緩む。
「……やっぱりこれだな」
ハーヴィーは自らが選んだものが一番彼女に似合うと確信した。言いしれない満足感が体中を駆け巡っている。剣術試合いに勝った時よりも余程充実していた。
「なるほど、それは似合いそうだな」
離れた所から声がかかる。顔を向ければキャスリーンの笑顔とローイックのにやけた顔が目に入る。
「見てたのかよ」
ハーヴィーは顔も体もぐわっと熱くなるのを感じた。今まで生きていてここまで恥ずかしいと思ったことは初めてかもしれない。
「少し前からな。いやぁ、面白いものを見たよ。恋人に贈るんだって? お前も隅におけないなぁ」
ローイックの二ヤつく顔にムカついた。いつもの仕返しかよ、と心で毒づく。
「い、色々あるんだよ」
真っ赤になった顔など見られたくないハーヴィーは視線を逃がした。早いとこ精算だ、とガレンを探す。背中に二人の視線を感じながら、手と足が同時に出ない様、右足を力強く踏みしめた。
ローイックの用事も終わり、宮殿に戻り夕食も済み、部屋に戻ったハーヴィーは熊の如く部屋の中をうろうろしていた。ローイックがいたら「落ち着いたら?」とあきれ顔で言われたことだろう。だが今はハーヴィー一人だ。もう少しすればミーティアが訪ねてくるだろう。
ハーヴィーは手に持った小さな袋を開け、中にある髪飾りを確認する。さっきから何度も何度も見ては盛大なため息をついていた。
「喜んでくれるかな……」
ぽつりと零しては肩を落とす。大きな熊が項垂れていた。あの時の自信はどこへ行ったのか。
その時扉がノックされ「あの、頼まれた物をお持ちしました」とミーティアの声が耳に入る。ハーヴィーはお化けでも見たのかというほどの速度で背筋を伸ばした。心臓は駆け足度いどころではなくダッシュを繰り返し、風邪を引いた時よりも高いだろうと思われるほどに体温はあがっていた。喉の乾きを覚えるがつばを飲み込み我慢する。
「いいいいいま開ける」
極度の緊張で舌が回らないハーヴィーは額に汗かきつつ、扉を開けた。眼の前にはトレイにワインのボトルとグラスを乗せ、にっこりとした笑みを浮かべたミーティアがいる。黒いお仕着せの服に、頭には丸く纏めた黒い髪。あの髪飾りを付けるにはぴったりだった。
「失礼します」
笑顔のままハーヴィーの前を通って行くミーティアが、石鹸の良い香りを漂わせる。時間のある時は部屋に来る前に湯浴みをするようで、ハーヴィーの理性を激しく揺らすのだ。
テトテトと歩くミーティアの後姿に見惚れ、危うく扉を閉め忘れる所だったハーヴィーは、頭をぶるんと振って我に返る。
緊張からか足が床を踏みしめている感触が薄く、ふわついている。これが浮つくってことか、などとハーヴィーは感じた。まだそのくらいの余裕はあった。
「お顔が固いですけど、何か御座いましたか?」
トレイからワインの瓶をテーブルに乗せ、つまみなどをセットしているミーティアが伺う様に見上げてくる。その視線にハーヴィーの心臓は止まってしまいそうだった。右手をグッと握りしめ、左胸に叩きつけ心臓を無理やり稼働させた。
「ふふ、どうされました?」
そんな様子がおかしかったのか、ミーティアが楽しそうに笑った。眩しい笑顔に、折角動いた心臓も止まりそうだった。
テーブルで向き合い、グラスを傾けつつ、今日の出来事などの話をしていた。アルコールの入ったミーティアはほんのりと頬を染め、目尻がトロンと下がっている。普段は見せない色気が姿を見せ始め、ハーヴィーの鼓動は早まるばかりだった。だがまだ今日の一番大事なイベントが終わっていない。買ってきた髪飾りを彼女に渡さなければならない。いや、渡したいのだ。
「今日は大変でした……商会を四つも回りましたよ」
ハーヴィーがテーブルの下で渡すべき小さな袋を握りしめている。緊張で声が震えているような気もするが、もはやどうしようもなかった。そんな様子を怪しむ訳でもなく、ミーティアは笑顔を絶やさずハーヴィーと会話を楽しんでいる。
「そうなんですか。ローイック様の探し物は手に入れられたんでしょうか?」
ミーティアがローイックの名を出すと、ハーヴィーはちょっと悔しくなる。ミーティアは自分の物なのだ、と決まってもいないのにそう思ってしまうのだ。
「えぇ、確保できたみたいです。そ、それでですね……」
話題がそっちに移動したこのタイミングで渡さなければ、とハーヴィーは決断するが、口が上手く動いてくれない。ただ視線だけはミーティアの瞳からはずらさない。
ミーティアが次の言葉を待っているのだが、口が動かない。鼓動だけが駆け足で去っていく。こんなに意気地なしだったか、と呆れるが次の言葉を待ってくれているミーティアを見て勇気づけられる。
「髪飾りを、買って、きたんだ」
たどたどしい言葉にはなってしまったが、ハーヴィーはそう言うとテーブルの下で握りしめていた手を上げた。握られた小さな袋をミーティアが凝視している。そして視線を上げ、ハーヴィーを見つめてきた。ちょっと期待が混ざったような潤んだ瞳にハーヴィーは汗が止まらない。
「に、似合うと、い、良いんだが」
破裂寸前の心臓とミーティアの期待のこもった視線にハーヴィーの体はいう事を聞かない。舌も恥ずかしいのか引きこもりがちだ。
震える指先で小さな袋の口を開け、中から銀の髪飾りを取り出す。掌に載せ「これ、なんだが」とミーティアのに差し出す。
仄かな灯りを受け銀の貝殻は静かに光り、桃色の真珠はその光に浮き上がっている。
「綺麗……」
ミーティアがおずおずと手を伸ばし、ハーヴィーの掌からそっと摘み上げた。掌にそれを乗せ眺めているミーティアの口もとがゆっくりと緩んでいくのが分る。
「貰って、良いんですか?」
ちょっと潤み始めた瞳で、ハーヴィーを見てくる。飛びそうな意識を何とか紐でくくり付け、ハーヴィーは「もちろんだ」と答えた。五月蠅いくらいに駆け足の心臓がハーヴィーを追い立ててくる。気に入ってくれるか、不安が募る。
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「つけて、ほしいな~」
可愛く首を傾げてお願いしてくるミーティアの破壊力は満点だった。せっかく叩き潰した本能の騎士がゆらりと立ち上がって来る。釣られるようにハーヴィーも立ち上がり、ミーティアの隣に立った。恥ずかしいのか顔を真っ赤にし、はにかみがちな笑みで見上げてくるミーティアに理性をズタズタにされながらもハーヴィーは耐えた。すぐにでも彼女を抱きしめ、全てを奪ってしまいたい衝動に真っ向反抗しているのだ。
愛おしいとか可愛いとか超越して、なんて言っていいか分らねえ。どうしよう抱きしめたい。いきなり抱きしめて嫌われるのはイヤだ。絶対にイヤだ。でも抱きたい。俺のモノにしたい。誰にも渡さねえ。
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ミーティアが静かに顔を上げ、潤んだ瞳を揺らしてハーヴィーを見上げてくる。
「あの、どう、ですか? 似合い、ますか?」
貰った髪飾りが似合わなかったらどうしよう、とでも思っているのだろうか。ミーティアはつっかえつっかえ感想を求めてくる。
似合ってる。良く似合ってる。綺麗だ。
荒れ狂う感情の中で、ハーヴイーはとにかく見惚れていた。
「……あの、やぱっり……」
何も言ってくれない事を似合わないと取ったのか、ミーティアが視線を下げてしまう。
「ち、ちがう。見惚れていたんだ。断じて違う! 似合ってる。良く似合ってるんだ。俺、頭悪いから言葉を知らなくて、とにかく綺麗って言葉しか浮かばないんだ」
働かない頭をどうにか動かして口から言葉を出させる。語彙力が無いからありきたりな言葉しか出ない頭をぶん殴りたい衝動を抑え、ミーティアの頬に手を当て上を向かせた。彼女の潤み過ぎて零れそうな瞳が突き刺さって胸が痛い。
「き、綺麗すぎてヤバいんだ。抑えがきかなくなりそうで。いますぐ抱きしめたい誘惑に抗ってるんだぜ」
ともかく言葉を羅列する。言い訳と取られても仕方ないが、誤解されたくはない。ミーティアに嫌われたくない一心で必死に気持ちを伝えようとした。
「ふふっ」
ハーヴィーの必死さが伝わったのか、ミーティアが微笑んだ。そしてゆっくりと目を閉じた。
『はっはー! こりゃおっけーってサインだぜ! このまま押し倒せ!』
本能の騎士が雄叫びを上げた。その向かいには痩せ細った体に額に【理性】と書かれた男が立ち上がっていた。だがその男の武器はヒノキの棒だった。
『ここは抑えるんだ! 突っ走っていいわけないだろう!』
理性は懸命に訴える。だが本能の「かまどの方がパン生地の所へやってきたら、パン生地をかまどに入れてやる時だっていうだろうが! 嫌われても知らねーぞ」という一撃で、理性は墓標になってしまった。
本能に押し出されたハーヴィーは身を屈め、ミーティアの唇に触れるだけのキスをする。それを二回繰り返し、三度目は深く口づけした。
思うままに唇を味わうハーヴィーに、ミーティアが胸を押し返してきた。だが勢い付いたハーヴィーは止まれない。ミーティアが胸をポンポンと叩いてようやくハーヴィーの自制が目覚めた。ゆっくりと顔を離すと、真っ赤になったミーティアが潤んだ目を蕩けさせて見つめてくる。
「す、すまない。いきなり激しくは、嫌だよな。ここで止めておくから」
やりすぎで嫌われると思ったハーヴィーに、ミーティアからは想定外の言葉が掛けられる。
「鍵を……」
ミーティアは恥ずかしそうに下を向いてしまう。本能の騎士がまたも叫ぶと理性の墓標が砂の様に崩れ去った。ガラガラと崩れ去る良識に、ハーヴィーの目が爛々と光る。
ハーヴィーは椅子に座るミーティアの前に跪く。左手を手に取り、その掌に唇を落とした。掌から手首へと口付けの場所を変える。
貴女が欲しい、と懇願したのだ。手を離すとミーティアは両手を広げた。その動作にハーヴィーはミーティアの膝と背中に上を差し入れその怪力で持ち上げる。いわゆるお暇様抱っこだ。
そのまま扉に向かい、鍵を閉めようとするまえにミーティアが手を伸ばしカチャリと鍵をかけた。その音だけが部屋に響き、そして音が無くなった。腕に抱くミーティアの荒めの息が耳に入るだけだ。
「これで、誰も入って来れません」
ミーティアがそう言うとハーヴィーの首に手を回し、抱き着いてきた。既に理性は砂になり一粒も残っていない。本能は炎の剣を振り回し猛っている。
「婚約もできていないうちに、こんなことはダメなんだ。ダメなんだけど……すまん、俺が悪いんだ」
ハーヴィーはミーティアの耳元でそう囁くと、お姫様抱っこのままベッドまで運んでいった。
「もう、後戻りはできませんよ」
「戻るつもりはねえよ」
密着する頭から直接言葉が入って来る。
婚姻前に性交渉を行うことは、褒められたことではない。だがどうなるか分らない関係に不安にかられた二人にそんなしきたりは意味をなさなかった。ただ確証が欲しかったのだ。
ハーヴィーに震える指先がお仕着せの服をゆっくりと脱がしていった。
息が荒いハーヴィーの腕の中で、やはり同じく息を荒げたミーティアが胸に顔を埋めている。無事に事が終わり、微睡む意識のなかで二人は抱き合っていた。ハーヴィーの体に触れる彼女の軟からかい感触が心地よい。
「すまん、痛かったろう」
ハーヴィーの呟きに、ミーティアは胸の顔を埋めたまま、無言で頷いた。ミーティアは痛みに叫ぶ事は無かったがシーツを噛みしめており、身を裂くような痛みに必死に耐えていたことをハーヴィーは知っている。隣のローイックに声を聴かれないようにしたのだろう。ミーティアは賢い女性なのだ。
「……満足して頂けましたか?」
「あぁ、もう離さねぇ」
ミーティアの背に手を回し、きつく抱き締めてやる。不安があるのだろうが、そんなものは吹き飛ばしてやるのがハーヴィーの義務だ。
「なぁミーティア」
ハーヴィーには男独特の賢者タイムが訪れていた。勢いと本能に任せてミーティアを抱いた事に後悔はない。むしろこれで退路はなくなり、前に進むしか解決法はなくなった。彼女を得るために突き進むのみだ。
贈った髪留めは無くさないようにベッドの脇の小テーブルに置いてある。一つにまとめた髪は既に解けて乱れていて、ハーヴィーはその髪に指を差し込む。汗でしっとりとした髪が絡みつく。その絡まりを丁寧に解して梳かしていた。
「ご両親の都合を聞いてもらえないか? 話をしに行きたい」
「明日にでも、手紙を出します」
優しく撫でる掌から声が聞こえた。
「ハーヴィー様のご都合は?」
「あぁ、もう様はいらねえ。ハーヴィーと呼んでくれ」
胸に埋まっていたミーティアの顔が上がり、真っすぐに見つめてくる。汗の浮かんだか顔でにっこりと微笑み「はい」とかすれ声で答えた。
「ハーヴィーの都合は良いんですか?」
「ご両親の都合を聞いてから考えよう。直ぐってことは無いだろうし。その時にはローイックの件は片付いてるかもしれない」
「はい」
ミーティアはまた胸に顔を埋め、ぐりぐりと擦り付けていた。これは自分の物だとマーキングでもしているかのようだ。そんな可愛い様子に、ハーヴィーの煩悩が向くりと首をもたげ始めた。
「……あのハーヴィー? また元気になってますけど……」
ミーティアがおずおずと顔を上げてくる。潤んだ目で見つめられ、ハーヴィーの本能の騎士が復活してしまった。
「あの、もう一回、いいか?」
情けなくもハーヴィーはお代わりをお願いをするのだった。
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言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
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