第三騎士団の文官さん

海水

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手と手を取り合うキツネとタヌキ

第四十話 罠と獲物と

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 アイランズ商会から『服が出来たので試着をお願いしたい。迎えの馬車を寄越すので、それに乗ってください』
 そんな言付けがローイックの元に届いていた。その紙を右手に持ち、ローイックはその迎えの馬車に乗っていた。向かいにはハーヴィーが陣取っている。窓からは夕日の橙色が帯となって差し込み、中をセピア色に染めていた。

「想定の範囲内か?」
「さて、どうかなぁ」

 ローイックは眉を下げ、困った顔をした。吊っていた左腕も、今は添え木と包帯を巻いているだけになっている。痛みは少しはあるが、手が自由になるのは楽なのだ。

「ま、姫様は晩餐会だし、宮殿の警備は厳重になってたし、お前はようやくまともな服ができて、晴れてお姫様の横にいても文句を言われないしで、言うことなしだと思うが? 順風満帆だよな?」

 ハーヴィーが意味ありげにニヤリとするとローイックは呆れたようなため息をついた。

「そうだな。ミーティアさんはここのところ凄い上機嫌だよな。やたらと笑顔を振り撒いて、幸せを放出しているような気がするんだけど、これも順風満帆だからなんだよな?」

 ローイックはお返しとばかりにニヤついた。ハーヴィーが買って帰った髪飾りがミーティアの頭のお団子に咲いているのはローイックも知っているが、二人の関係がどこまで進んでいるかまでは知らない。キャスリーンから聞いたのは、ハーヴィーが恋人の為に買った、ということだけである。

「……気のせいだろ」

 ハーヴィーがふぃっと窓の外に顔を向けると、ローイックは目を細めた。

「そっか、ミーティアさんも年頃だしな。皇女の侍女を取りまとめていたとあれば、引く手あまただろうし。さぞかし人気があるんだろうなぁ」

 ローイックの言葉にハーヴィーの肩がピクリと動いた。視線だけがローイックを見てくる。

「姫殿下程じゃないだろうがな」
「ま、私は姫様を誰にも渡さないけどな。ミーティアさんの父親である伯爵には結構な数の縁談の話がいっていると、ヴァルデマル閣下がこぼしていたなぁ。ミーティアさんも大変だ」
「……譲るつもりはねぇよ」

 そんな二人を乗せた馬車は、人通りの少ない貴族街をゆっくりとアイランズ商会へと向かっていた。




 二人が向かうアイランズ商会の屋敷のとある部屋では、ホークがふかふかのソファにふんぞり返り、我が物顔でくつろいでいた。高そうな調度品や、絵画に囲まれ、優雅にワインを嗜んでいる。獲物の到着をまだかと待っているのだろうか。その部屋の扉がノックされ、ガレンが入って来た。

「宮殿はどうでしたか?」

 にこやかな笑みを浮かべ、ガレンはホークへと歩み寄る。

「あぁ、晩餐会の準備は万端だ。遠くからちらっと見たが、姫さんもピンクのドレスを着てたな。あのお転婆姫もおとなしくしてりゃ綺麗なんだがな」

 ホークはやや頬を赤らめ、酔った様子で楽しげに返事をした。

「こちらも準備は万端です。ゴロツキを何人か集めておきました。ホーク様の手を煩わせる事などできませんから」

 ガレンが恭しく言うが、ホークは逆に眉間に皺を寄せる。

「最初の一発は俺がやる。俺に刃向かうなんて舐めた真似してくれたからな。この手でやってやらねえと気が済まねえ。あのにやけた面をぶん殴ってやる!」

 ホークは左の掌に右の拳を打ち込んだ。パンと小気味いい音が部屋に響き、ホークの顔が凶悪に歪む。

「……まぁ、目撃者さえいなければ、もみ消しは簡単でしょう」

 ガレンはヤレヤレという風に肩を竦め息を吐いた。ローイックだけでなくハーヴィーも亡き者にすれば問題ないという認識だった。迎えの馬車は商会手配のもの。目撃されても誰が乗っているかなど分からない。誰が屋敷に来たのかは、分からないのだ。
 力のある商会と貴族が結託すれば、帝国内に逆らえるものなど殆どいないのが現状だ。レギュラスはこの現実を危惧していたのだ。

「はは、よろしく頼むぜ」

 ホークは片方の口角を上げた。まるで悪人の様に、愉しそうに。




 アイランズ商会の屋敷に着いた馬車からはハーヴィーとローイックが降りた。腰に二本の剣を帯剣したハーヴィーと文官の青い詰襟のローイックともに、呑気な顔をしている。玄関には迎えには先日もいた家令がにこやかな笑みで立っていた。二人は軽く会釈をし、中へと案内されていく。

「ローイック様には試着をして頂きますので、こちらの部屋に」

 家令は先日の応接室とは別な部屋にローイックを案内しようとする。

「じゃぁ俺も行くとしよう」
「いぇ、ハーヴィー様には、この部屋でお待ちいただければと」

 ハーヴィーを制止するように前に立ち、家令が牽制してくる。ローイックはハーヴィーを一瞥し「じゃ、行ってくるよ」と右手を上げた。

「しっかりな」

 ハーヴィーがローイックの背中に声をかけた。腰に差し込んだ剣の柄をそっと触りながら。




 ローイックは家令に案内されるがままに廊下を歩いて行く。階段をのぼり、二階へ。ローイックは何かを確認するように、壁を扉を見ていた。

「この部屋になります」

 家令に案内されたのは二階の一番奥の部屋だった。通常の屋敷では主が使う部屋にあたる。一番奥で、一番安全な部屋に屋敷の主が住むのは常識だ。

「どうぞ」

 扉が開かれ、ローイックが中に入ると、部屋の奥で、窓を背に足を組んで椅子に座るホークがニヤつきながら出迎えた。

「ようこそ、ローイック殿」

 ホークの歓迎の挨拶にローイックはその場で立ち止まり、にっこりと笑みを浮かべた。

「やぁホーク殿。ご足労いただいたようで申し訳ない。宮殿の警備で多忙だろうに。苦労をかけたね」

 ローイックは後ろ手に勢いよく扉を閉め、素早く鍵をかけた。廊下では家令が驚きの叫びをあげているが、ローイックの表情は変わらない。それが気に入らないのだろう、ホークが眉を顰めた。

「今の状況が分かってんのか? お前騙されたんだぞ!」

 ホークが立ち上がり、ゆっくりとローイックに近づいてくる。額に浮き上がる筋が彼の感情をよく表していた。

「あぁ、分かってるさ。お誘いがあったから、のこのこと出てきたのさ」

 ローイックは更なる挑発の為に肩を竦めた。ホークの様なプライドが高い男は小馬鹿にされると頭に血が上りやすい。それは育ちが良ければよいほど、その傾向がある。特に公爵の嫡子であるホークを挑発するのが、外国の、更には格下であり皇女の縁談相手であるローイックなら、尚更だった。
 ローイックの仕草一つで彼の眼つきが変わった。拳を握りしめ、ローイックへと歩む歩幅を大きくしたのだ。ローイックは笑顔のまま、右手をズボンの後ろポケットに差し入れた。

「はっ、じゃぁ、まずはこれだ!」

 ホークが振りかぶった瞬間、ローイックはズボンのポケットから小袋を取り出し、ホークの顔面にぶつけた。その袋からボフッと黒い煙が立つ。

「くそっ!」

 振りかぶった腕から逃れるようにローイックはしゃがんだ。屈んだその上をホークの拳が通り抜けていき、ローイックの後ろにあった扉に導かれる。鈍い音とホークの呻き声が聞こえた時にはローイックは奥の窓の前に立っていた。

「くそっ、目が、見えねえっくしょ! がはっつ!」

 ホークが苦悶の表情を浮かべ床に転がりまわっている。顔中を涙と鼻水まみれにし、その優男の面影をどこかに消してしまっていた。ローイックは「あーぁ」と呟く。

「胡椒なんかの香辛料をたんまり入れた、お手製の防護袋は如何かな、ホーク殿?」

 のたうつホークが答えられる訳もない。ローイックは「分かっていたことだけど、効くなぁ、これ」とぼやいた。自分が食らわせた物の威力が予想以上だったのだ。ホークが何の警戒もしていなかったこともあるが。

「へっくしゅん」

 ローイックも少し喰らったのか、くしゃみをして鼻をすすった。「こりゃ効くね」と零す。

「て、てめぇ!」

 ホークが、もがきながらもなんとか膝をついて立ち上がろうとしていた。顔は何の液体化分からないものでぐっしょりだった。薄目を開けてローイックを探してくる。

「さて、そろそろお暇しようかな」
「逃がすわけねえだろが!」

 ローイックの呑気さにホークは怒鳴った。その顔は美しさの欠片も無い物だ。
 だがホークの言うことには裏付けがあるのだ。鍵をかけているとはいえ、ここは二階であり、更に一番奥の部屋だ。逃げられる訳はない。

「屋敷の一番奥ってのは、そこで一番偉い人が使う部屋でさ」

 ローイックはその呑気な口調で話し始めた。

「そんな部屋にはさ、大抵逃げ口があるもんなんだよ。それにここはねぇ、昔は皇族の持ち物だったらしくてね、宮殿の第二書庫に建設当時の図面があってさ。ご丁寧に脱出口まで記載されていたんだ」

 ローイックはニコッと笑い、椅子の下の部分の床を一部ひっくり返した。するとそこには片方しっかりと結ばれた長い縄がある。ローイックはその縄のを右手で持ち、立ち上がった。勢いよく窓のガラスを蹴り、派手に割った。割れる音が屋敷に響くと、一階の方が騒がしくなる。ローイックは窓に右足を乗せ、顔をくしゃくしゃにしてもがくホークを見た。

「じゃ!」

 ローイックは笑顔でそういうと、縄を掴み窓の外に身を躍らせた。
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