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国境の街レゲンダ

第十六話 鳴いた烏が何とやら

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 地平線にわずかに顔を出している太陽を背に受け、エルダーの店からの帰り道、ライラとバーンズは難しい顔をしていた。黙ったまま、ふたりは大通りから一本離れた、建物が身を寄せ合っている狭い道を歩いていた。
 コトリネを作っている職人の所在は教えてもらえたが、そんなことが吹き飛んでしまう情報が舞い込んだのだ。
 ミューズも同じようにコトリネの職人の住処を探していた。
 このことは、かなり悪い知らせだった。

「また、先手を打たれちゃいましたね……」

 バーンズの声にも元気がない。歩く姿も、なんだか肩がずり下がって見える。

「孤児院でもあたしたちが薬問屋に行くって話は出してない。最初からエルダーの店に用事があったのか、それともあたしたちの行動から見抜いたのか」
「……麻薬でなくって、あの悪魔の薬を追ってるってのが、ばれてしまったのかもしれません」
「まぁ、断定はできないけどさ」

 ふたりは自分たちの前にできている影を見つめながら、ぽつぽつと言葉を繋いでいた。
 コトリネを作ってる職人の所在は掴めたがすでに陽が傾きすぎている。いまから訪ねていくと帰りは間違いなく夜になるだろう。
 もし、ミューズがライラたちの目的を察して先回りしていたら。
 今のバーンズは、胸元に隠した短剣しかなく、大立ち回りするには準備不足だった。そもそもライラはバーンズが武装している姿を見ていないのだが。

「今から向かっても、罠を仕掛けている可能性が高いですね」
「騎士様はそれっぽっちで諦めちゃうのかい?」
「僕ひとりなら何とかなりますが、ライラさんがいて無理はできません。ライラさんが無事でいてこそ、この任務が達成できると思ってますから」
「さすが騎士様、お優しいねぇ」

 バーンズが拳を握り悔しがっている横で、気分を変えようと軽口を叩くライラだが、どうも空回りしている。ライラが思っている以上にバーンズのこの任務にかける熱意は高いようだった。

「なんだってそんなに思いつめるのさ。確かに今日は都合が悪いかもしれないけど、明日に行っても間に合うんじゃないの?」
「嫌な予感がするんですよ……」

 思いつめるバーンズの横顔を、ライラは覗き見た。奥歯を噛みしめ、端正な顔を歪めながら、バーンズは地面を見ていた。予想以上のダメージっぷりにライラはため息をつき、彼の背に手を当てた。

「よし、今日はお姉さんと呑もうか。その思いつめた顔は、バーンズ君には合ってない。君はもっとにへらっとしてないと」

 ゆっくりと顔を揚げたバーンズが、ふっと寂しげな微笑む。薄くなった青い瞳にかかる睫毛が寂しそうに、風に揺れた。そしていつものにへらっとした笑みを浮かべた。 
 彼の、その無理をして笑っているのがライラには分かってしまい、心臓のあたりがムググと掴まれるように悲鳴を上げた。意志とは別に右手が上がり、バーンズの頭の上に乗っかる。

「そうそう、その顔だ」

 ライラはギュウと締め付けられる痛みを誤魔化すように、バーンズの頭をわしゃっと撫でた。




 ライラとバーンズはレゲンダの中心部である砦の近くの酒場で夕食にした。夜に出かける用意をしていなかったライラは酒場で借りたランプの明かりを頼りに家路へ歩いている。頬から耳に抜ける風が撫でる感触は、火照った体には心地良い。
 隣には表情が軽くなったバーンズ。なぜかその手はライラの右手と繋がっている。

「送ってくれるのはありがたいけどさ、あたしは子供じゃないって」

 握られた右手を持ち上げてプラプラさせた。夜も遅いからとバーンズが護衛を申し出たのだ。バーンズと一緒にいることが多いライラは深く考えず、まぁいいかと軽く受けた。

「ライラさん、前を向いててください」
「あん?」
「何者かがつけてきてます」
「は?」

 バーンズの言葉に思わず後ろを向きそうになったライラの手がグイッと引かれた。ととっと足をもつれさせるライラの右手が離され、その代わりにガシっと肩を抱かれた。
 顔を寄せてきたバーンズが「そのまま聞いてください」と囁く。深刻そうな顔のバーンズを見て、ライラはやや緊張してコクコクと頷いた。

「さっきの酒場でも、監視の視線を感じてましたが、背後の気配で確信できました」
「あたしはそんなの感じなかったけど?」
「頼りないように見えますけど、これでも一般的な軍人よりも過酷で特殊な訓練を受けてましたからね。わかるんです」

 顔を寄せ合い、仲の良い酔ったカップルに見えなくもないが、ライラはホロ酔いもどこかにすっとんでいた。目をパシパシと瞬かせるが、突然のことに頭が理解を拒んでいる。

「昨日までは感じなかったんですが、相手も本腰を入れていたってことでしょう」
「ミューズが?」
「多分。僕を敵視してライラさんを監視する必要があるのは彼しか考えられませんからね」
「監視って……」

 夜風よりも冷えた悪寒がライラの肌を撫でた。名状しがたい何かが脇腹を這い上がる感触を味わい、ライラはゾクリと震えた。
 本能が感じた言い知れぬ恐怖なのか。ライラの身体はカタカタと震えた。

「大丈夫です。ライラさんは僕が守りますから」

 ライラのこめかみにバーンズの額がコトリとあてられた。

「……まったく、厄介なものを持ち込んでくれちゃって」
「その責任は取るつもりですが」
「終わったら王都に帰る人間が無理して言わなくってもいいって」

 バーンズの言葉を信じきることができないライラは悪態をつく。それが安心させるためにかけられた言葉だとしても、全てを信じることはできないのだ。
 どう転んでも最終的にライラはレゲンダに残る。彼の言う責任とやらは診察への補助金という形で返してもらえれば良いのだ。




 背後を気にしながらもライラは自宅前についた。バーンズは相変わらずライラの肩を抱いているが、その目は鋭く、常に周囲を窺っている。今でも監視の目があるのだろうが、ただの民間人に等しいライラには何も感じられない。感じるのは、バーンズがそれなりに本気でライラを守ろうとしていることだった。
 そんなライラが扉に目を向け「ん?」と首を傾げた。その扉に違和感を覚えたのだ。
 大工だったギリアムが死んだ後、直す手がないまま放っておいた、立てつけが悪く少し傾いているはずだった扉。その扉が、ちゃんと立っているのだ。

「あれ、なんで……」
「ライラさん、ともかく中に入りましょう。さすがに家の中までは追ってこないでしょうから」

 戸惑うライラを押すように、バーンズがぐいぐいと身体を寄せてくる。

「わかったって、だからそんなにぐいぐい押さないでくれるかな」

 筋肉質な身体を押し付けられ、その具合にちょっと感動しつつ、ライラは扉を開けた。

「ちょちょちょちょ」

 バーンズに抱き込まれるように家の中に入り込んだライラの足が引きずられている。これではどっちが不審者なのかわからない扱いだ。

「バーンズ君、もう離してくれていいから!」

 ライラはそのままベッドに運び込みそうな勢いのバーンズの胸に手を当て押しのける。どのみちバーンズを帰さなければいけないのだ。もうお役御免だと示したつもりだった。バーンズはどこか残念そうな顔でライラを解放した。
 ライラは天井から吊るしてあるランプに火をいれ、ふぅと一息ついた。そして明るくなった部屋を見て「な、なにこれ!?」と頭のてっぺんから声を出した。
 古ぼけたテーブルと二脚の椅子しかなかった部屋に長剣が壁に立てかけられており、鎧と思われる部品が転がっている。背嚢もいくつか部屋の隅に置かれ、琥珀色を湛えた酒瓶もひっそりとたたずんでいる。
 テーブルの上には小さな花瓶と控えめな白い花。ライラは思わずその花に視線を奪われた。

「あー、気をまわしてくれたんですね」

 緊張の抜けたバーンズの声が背後でした。ライラがバッと振り返るとバーンズと目が合う。いままでの緊張がどこかに抜けてしまたのか、いつものへにゃっとした笑みを浮かべている。

「気を、まわす……?」

 ライラは眉間にしわを寄せ、考え始めた。扉が直っていたこと、部屋に見慣れない剣と鎧があること。ライラにはない、コじゃれたセンス。
 ガチャリと頭で鍵の開く音がして、ライラはじろりとバーンズを睨んだ。スッと視線を泳がすバーンズに詰め寄り、その胸倉を掴む。

「バーンズ君。これって説明が必要な案件だよね」

 上目遣いだがギロリと睨むライラは、結構迫力がある。そんな強面になったライラを、バーンズはにこりと笑顔でお出迎えだ。彼は両手をそっとライラの頬にあて、彼女の鼻先にちゅっと唇を触れさす。
 目を丸くしてポカンと口を開けるライラに「これも全ては貴女を傍で守るためです」と抜けぬけと言い放った。

「ベッドも僕の分を追加しましたし、これで住み込みで護衛できます」

 悪気の欠片も見せない天使の笑顔で言い切るバーンズに、さっきまでの沈痛な影は見られない。むしろ清々するほどの爽やかさを振りまいている。
 ライラのこめかみがピクリと蠢く。頬もひくひくと何かを言いたそうに震えている。だがバーンズは穏やかな笑みをたたえ、碧い瞳を向けてくるのだ。

「さっきまでの項垂れていたお前はなんだったんだ! ちょっとでもかわいそうだなと思ったあたしを、返せ!」

 ライラの怒声が夜の闇にこだました。
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