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3rd day

挑発(前編)

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 史料室を出た後、ソラたちが向かったのは地下にある広大なアリーナホールだった。

 ここは主に十七師団の騎士たちが魔術を用いた戦闘訓練のために使用される施設だが、時折イベントや昇級試験に使われることもあるらしく、アリーナの中央には正方形の闘技場が設置されている。

 闘技場の面積は一辺およそ五十メートル。
 アリーナホールの高さは地上三階分ほどだろうか。

 闘技場を囲む高さ三メートルの壁の上には観覧席が続いており、現在ソラたちはそこに座り、下のアリーナの様子を見下ろしている。

「……へえ、魔術の訓練ってこんな豪勢なとこでやるんだ」

「他にも訓練できる場所はあるんだけどね。騎士たちに一番人気があって盛り上がるのはここよ」


 ホールを見回しながら感嘆するソラに、ミリアリアが答える。

 アリーナでは魔力を纏い瞑想している者、相手を組み実戦形式の鍛錬を行っている者、他者の指導をしている者など様々だったが、己が魔術の技量を磨こうとそれぞれが懸命に修練に励んでいる。

 その様子は、離れた場所だというのに騎士たちの汗と熱量が伝わってくるようだった。


「真に迫ってるっていうか、すごい気迫でしょ? 私たち騎士にとって強くなることは生きることに直結するからね。皆真面目に訓練に取り組んでいるわ」


 ミリアリアの言葉に、ソラは、なるほど、と納得した。

 実戦での敗北はそのまま死を意味する場合がほとんどだ。

 どうすれば今よりも強くなれるのか、どういう立ち回りをすれば味方の被害を少なくすることができるのか。

 下で訓練している騎士たちはただ漫然と拳を振るっているのではなく、魔獣との実戦を明確にイメージし、訓練しているのだろう。

 この光景を見られただけでも、ここに来た甲斐は充分にあるとソラは思う。
 が、下の光景を見ているとこう段々と身体がうずうずしてきた。


「ねえ、ミリーさん。僕も下に降りて、あそこに参加してきちゃダメかな?」

「え? 参加って、訓練にってこと?」

「うん。あ、もちろん他の人の訓練を邪魔するつもりはないし、端っこの方で自主練させてもらうだけでもいいんだけどさ」


 どうかな、と拝むようにソラはミリアリアに頼み込む。

 その内容をミリアリアは頭の中でしばし吟味し、それから苦い顔をして、首を横に振った。


「ごめんね、叶えてあげたいのは山々だけど、あれも一応騎士としての業務の一環だから。団長の許可なく、部外者を訓練に参加させるわけにはいかないの。いくらアークレイ市長の頼みといえどさすがに……ね?」


 至極もっともなミリアリアの意見に、ソラは、そっか、と大人しく引き下がる。

 些か残念ではあるものの、ミリアリアの言う通り、自分はあくまで部外者なのだ。

 それがセリアやキースの厚意を盾に騎士たちの邪魔をするわけにはいかない。

 ソラは気持ちを切り替え、少しでも技術を学ぼうとアリーナの訓練風景を見つめ直した。


「……それにしても、ソラ君は偉いわよね」


 しばらく眺めていると、隣でミリアリアがしみじみと呟く。

 突然の発言にソラは怪訝な表情でミリアリアの方へ振り向いた。


「急にどうしたんですか、ミリーさん」

「ううん。ただ、ふとそう思って。記憶喪失で大変な立場なのに、ソラ君はなんていうか……『つらい』とか『苦しい』とか、そういうマイナスの感情に引っ張られていないから。自分の境遇を嘆くんじゃなくて、こうして色々なことに前向きに行動を起こしているのは、きっとソラ君の美点なんでしょうね」


 そう言ってミリアリアは双眸を柔らかく緩ませる。

 その真っ直ぐな誉め言葉がなんだか照れくさくて、ソラは少しだけ視線を逸らした。


「……別に、普通のことだよ。アウローラにも言ったけど、下を向いてるだけじゃ何も変わらないから……でも、セリアさんたちは焦らなくていいって言ってくれたけど、早く思い出したいとは思ってる。ミリーさん、何か記憶を取り戻す良い方法を知らないかな?」

「んー、そうね……」


 ミリアリアは考え込むように顎に手をやる。

 それから、「流石に専門じゃないんで、詳しくは分からないけど」と前置きして、


「一般的に言われてるのが、催眠術みたいな方法で記憶を揺り起こすとか、あるいは強いショックを与えるとか……かしらね。でも、こんな素人でもぱっと思いつくような方法なんてアークレイ市長がもう試してるんじゃないの?」

「ああ、そういえば教会で暮らす前にセリアさんにそれっぽいことはされましたね」


 屋敷に医者を連れてきて問診を受けさせられたり、薬を処方されたり。
 まあ、さすがに強いショックを、というのはなかったが。


「そうよね。あとは……強いて言うなら〝異能者〟の力を借りる、とかかしらね。まあ、これはあまり現実的な方法じゃないとは思うけど」

「いのうしゃ?」


 聞いたことのない単語に、一つ瞬いてソラは問いかける。


「なんですか? 異能者って」

「簡単に言うと、生まれながらにして特異な能力を持った能力者たちのことよ。これは魔術とは根本的に異なる能力で、中には人の記憶や心を読む能力者も存在すると聞いたことがあるわ。けど、異能者はその能力故に悪魔の生まれ変わりと呼ばれ、世界中で迫害されてきたの。この国では前王陛下のおかげで少しはマシになったけど、それでもその問題は今でも根深く残っている。だからこそ、異能者の多くは世間から自分の正体を隠したり、あるいは物心つく前に親に捨てられて自分が異能者である自覚がなかったりするのよ。その中から記憶を操作することができる異能者をピンポイントで探し出すのは、いくらアークレイ市長でも難しいでしょうね」

「……迫害」


 呟き、ソラは顔を顰める。

 嫌な言葉だった。

 言いようのないモヤモヤとした感情がソラの心に渦巻く。


「今のところ私が答えられるのはこれぐらいかしらね……ごめんね、ソラ君。あまり参考にはならなかったわよね」


 申し訳なさそうな顔をするミリアリアにソラは首を振った。


「そんなことないよ、ミリーさん。記憶を戻す方法が他にもあるって知れただけでもよかった……それに、今日ここに来た一番の目的はアウローラが昔いた場所を見ることだっただから」

「? どういうこと?」


 ぽつりと付け足した言葉に、ミリアリアが首を傾げる。

 ソラはポリポリと頬を掻いて、苦笑する。


「いや、まあ特に深い考えがあるわけじゃないんだけど……これからしばらく一緒にいるんだしアウローラともう少し仲良くなりたいなって。でも、会ったばかりで僕はあの人のことを何も知らないから。本人は自分のことをあまり話したくなさそうだったし……だから、とりあえずアウローラが昔いた場所でも見てみたいと思って」


 思い出すのは、昨日の時計塔での会話。

 アウローラは大切な人を守れなかったと言っていた。

 その過去が今もアウローラを苦しめているということはなんとなく理解できた。


 けれど、解ったことはそれだけだ。


 彼女の苦しみの本質も、彼女の過去もソラは何も知らない。

 知らないままではきっと彼女には届かない。

 だから、彼女のことを少しでも知ることができればと、ソラはここへ来たのだ。


「アウローラのこと、ね。残念だけど、私も彼女の昔については何も知らないの。彼女はこの支部に所属していたわけじゃないしね。知っているのは彼女がぶっきらぼうで、人付き合いが絶望的に下手くそで……それと、とんでもなく強いっていうことくらい」


 もう二年の付き合いになるっていうのにね、とミリアリアは自嘲するように薄く笑った。


「やっぱりミリーさんから見てもアウローラって強いんですか?」

「もちろん。というか、仮にも魔術士を名乗るなら、アウローラの髪と瞳を見て侮るヤツなんていないわよ」


 ちょんちょんとミリアリアが自分の目元を指差す。


「? 髪と瞳が何か関係あるんですか?」

「ええ。ソラ君は魔力にはそれぞれ属性があるのは知ってる?」

「一応は。えーと、たしか赤、黄、緑、青、紫、白、黒の八色ですよね」

「そう。魔力の色彩は人によって異なる。そして強い魔力は肉体にも影響を及ぼすの。とりわけそれが大きく表れるのが髪や瞳の色なのよ」


 魔力の強さとは色彩の濃さだ。

 中でも貴族は数世代、古い家系ともなれば数十世代にわたり同色の家系と血をかけ合わせることによって純度と強さを保っている。

 だが極まれに、血に頼ることなく、大貴族と同等かそれ以上の魔力を生まれながらに保有する者も存在する。そしてその強大な魔力はその者の髪や瞳の色として顕れるのだ。


「私みたいな凡才にはアウローラの実力の全てを理解することは出来ないけど、団長が彼女を戦友と呼んでいたところを見るにおそらく彼女も人魔大戦の生き残りなんでしょうね。それこそ場所が場所なら、彼女は〝英雄〟と呼ばれる存在だったのかもしれないわね」

「……英雄」


 感嘆するようにソラが呟く。

 けれど、ミリアリアはそれに憂いを帯びた声で応えた。


「ええ……でもね、それはあくまで魔術士としての側面の話。彼女の心はその実力に反して決して強くない。むしろ人よりずっと繊細で臆病よ。アウローラの過去に何があって、何を抱えこんでいるのか知らないけど、無理に踏み込もうとすれば、それが彼女を傷つけるかもしれない――これから彼女と深く関わろうとするなら、それだけは覚えておいて」

「……………」


 それは、きっとミリアリアの忠告なのだろう。


 当たり障りのない関係で済ますならそれで構わない。

 けれど、それ以上に踏み込もうとするなら注意しろ、と。


 夕焼けの中で見た、アウローラの……今にも泣きだしそうな表情かお


 確かに、心と身体の強さは別物だ。

 戦えばどんなに強かったとしても、ほんの些細なことで人の心は簡単に壊れてしまうことだってある。


 ミリアリアのその言葉は忘れてはならないものだと、ソラは胸に刻み込んだ。


「わかった。覚えておくよ――ありがとう、ミリーさん」


 礼を言うソラに、ミリアリアは満足げに頷く。


「どういたしまして。それじゃ、そろそろお昼になるし、アウローラと合流して昼食でも―――」


 ミリアリアが言いかけた時、カツン、と硬い軍靴がアリーナの床を踏んだ。


 ソラは音がした方向へと振り向く。

 見れば、観覧席の上段付近にミリアリアと同じ騎士団服を着た、オレンジ色の髪の若い男がいた。


 男はその秀麗な顔に歪な笑顔を浮かべ、ソラたちを睥睨し、




「――おやおや? どうして、こんなところに部外者の子供がいるのですかね?」










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