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Prologue

幕間――ある決意

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 そこは正しく戦場だった。


 咆哮が大気を切り裂き、焔が地を奔る。土塊が砲弾となり、斬撃の風圧が木々を圧し折る。

 只人ならば数秒と生きていられない絶死の戦場。

 ただし、その戦場は軍隊同士の衝突によるものではない。

 それは一人の騎士と一体の魔獣によって形づくられたものだった。


 両者の力はあまりにも破格に過ぎた。
 
 剣の一振りで建物は吹き飛び、腕の一振りで街路は抉られ、地面が爆散する。


 二騎の戦闘が始まってから僅か数刻で、観光都市の名に相応しい美しい景観は見るも無残な地獄と化した。


 赤黒い炎が瓦礫を覆う雪を溶かし、鉄を燃やす。 

 勝敗が決したことによって僅かに生まれた戦場の空白地帯。



 その場所に今、一人の少年が立っていた。



 ぎり、と歯の軋む音が聞こえた。

 少年は変わり果てたその惨状を悼むように見つめる。

 そして、数瞬の悔悟の末に大地に突き刺さった黄金の剣に視線を移した。




「その剣を抜くか、人間の小僧よ」




 重く、地の底から響くような暗い声が少年の耳に届いた。 

 瓦礫の山の上から戦いの勝者たる黒い獣の王が傲岸に少年を見下ろし問いかける。


 その剣は獣の王を殺し得る唯一の武器だった。


 たとえ取るに足らぬ矮小な存在であろうとそれを抜けば必ず殺す、と。 

 言の葉に込められた絶対零度の殺意がそう告げていた。




 ――ああ、抜くとも。
 



 少年は寸毫の躊躇もなく、その一歩を前へ踏み出す。

 覚悟ならここに来るまでにもう済ませてきた。

 記憶を失くし、行くあてのない自分を迎え入れてくれた人たちがいる。

 仲間を失い、後悔に苛まれながら、それでも前を向く人がいる。

 何のために戦うのか、何を護りたかったのか。それを思い出させてくれた人がいる。


 この街での出会いと思い出は少年にとってかけがえのない宝物となった。


 それを壊そうとする者を少年は決して許しはしない。



 そして、




「……だ、め」




 ひどく弱々しい声が、今まさに剣を掴もうとしていた少年の手を止めた。

 血に塗れ、倒れ伏した〝彼女〟が、息も絶え絶えに必死にこちらへと手を伸ばしている。


 夕焼けの如き紅い髪と瞳を持つ美しい人だった。


 彼女の身体に傷ついていない箇所はなく、特に腹部に受けたダメージは致命傷だ。彼女が今なお意識を保っていられるのは、彼女が卓越した魔術士であるが故だろう。


「その剣を抜いたら……戻れなくなってしまう。やっと……やっと、解放されたのにっ。貴方はもう、戦う必要なんてない。だから、貴方は〝こっち〟へ来ちゃだめ……っ」


 紅玉の双眸に涙を湛えて、顔をくしゃくしゃにして懇願する。

 彼女がこのような姿になってまで戦ったのは、少年をこの場所へ来させないためだった。


 もう二度とこの人を戦わせないために。

 多くの傷を抱えたこの人が今度こそ幸せになれるように。


 彼女の尊い祈りに、少年の口元に苦い笑みが走った。



 ありがとう、それから、すまない、と。



 記憶を失くしても、死んで生まれ変わっても、結局自分の中にある芯のような部分は何も変わっていなかった。

 愚かだとは思うし、他に賢い選択肢もあったかもしれない。


 けれど、どれほど愚かだろうと少年はきっと何度でもこの道を選ぶのだろう。


 だって、感謝しているから。


 十年前のあの別れの日から、夢のような続きが見られたこと。

 死んで終わりなのではなく。

 こうしてまた出逢えた奇跡のような偶然に、心から感謝している。



 だから後悔はない。迷いもない。



 もとより誰かに認められたかったわけでも、誰かのために戦ってきたわけでもない。

 今も昔も、ただ自分が望む未来のために戦ってきただけ。




 ――さあ、今度こそあの日の約束を果たそう。




 黄金の剣に手を伸ばす。

 右手の甲に熱い痛みが走り、聖痕スティグマが顕れる。



 王の証が仮初の契約者の元を離れ、真の主の元へ帰還する。




 右手に宿るねつを無視して、少年は一気に剣を引き抜く。








 そして――世界が光に満ちた。





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