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第一章

第2話 夜を纏う女

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 秘書の田子倉祥子は俺に関わる人間関係のすべてを把握し、常に気配りを怠らなかった。
 それは身分、性別、年齢に関係なく。

 祥子は徹底して俺を守ってくれていた。
 それは運転手の角田に対してもだった。
 祥子の情報収集力と分析力は的確だった。

 
 所詮、会社の役員などは暇なものだ。
 自分の保身だけを考えてさえいればそれでいい。
 遣り過ぎても駄目、遣らな過ぎても駄目だ。
 そして社長とのコミュニケーションを怠らず、嫌われないことだ。
 「忙しい忙しい」と言っているやつは、自分が無能だと公言しているようなものだ。
 役員の仕事は本来、見込みのある社員を採用し、人財を育てることにある。
 だが実際には業績が上がれば自分の手柄、そして失敗は部下のせいにする輩が多いのが実態だった。
 それが役員の処世術でもある。
 そんな奴はいずれ自滅してゆく。リーダーとしての資質に欠けるからだ。
 最後には会社から、世の中から見捨てられてしまう。

 30年前、社長の岩倉と俺で始めた小さな住宅会社も、今では全国の主要都市に支店を持つ、社員、500人は下らない年商300億の会社に成長していた。

 社長の岩倉は現場を、そして俺は営業を支えてここまでやって来た。
 会社の規模が大きくなるにつれ、それなりに派閥も生まれた。
 俺を担ぐ奴、専務の吉田を担ごうとする奴、割合からすれば7対3と言ったところだろう。
 今度の社長の突然の引退で、吉田は次期社長の椅子を狙っていた。
 だがそんなことに俺は興味が無かった。
 社長の岩倉が辞める時が俺の引き際だと思っていたからだ。
 社長になるには「運」が必要だ。野球の監督と同じで、名選手が必ずしも良い監督になるとは限らないのと似ている。なぜならビジネスの世界にも、野球の試合と同じように予測不能なピンチが必ず襲って来るからだ。
 それはちっぽけな実力では乗り越えられない。実力よりも「運」が大切なのだ。
 吉田には運がない。あるのは野心だけだ。

 専務の吉田が色々と画策していると祥子は心配していた。

 「次期社長には杉田副社長がなって下さいね」
 「いやだよ社長なんて、俺の柄じゃねえ。俺は「副」のままでいいよ、面倒臭えし。
 そうだ!祥子、お前が社長やれ。その方がこの会社がずっと良くなる」

 それは決して冗談で言ったわけではない。
 もちろん祥子はそんなことを望む女ではなかった。

 「吉田専務では会社がなくなります」



 クルマは銀座の店に到着した。

 「副社長、お帰りの際はご連絡をいただければお迎えに上がります」
 「今日は大丈夫だ。遅くなるから帰っていいよ」

 俺は1万円を助手席に置いた。

 「副社長、先日も頂戴いたしました。
 これが私の仕事ですのでお気遣いなく。
 これはいただく訳には参りません」

 角田はそれを固辞した。
 角田はそういう男だった。

 「お前にやるんじゃない、孫の沙也加ちゃんに何か買ってやれ。いつもすまんな」
 「副社長・・・。こちらこそいつもありがとうございます」

 角田は素早くクルマを降りると、いつものように俺のドアを開けてくれた。

 「お気を付けて」

 角田は深々と頭を下げた。
 角田も俺を守ってくれている、誠実な戦友だった。

 
 銀座の並木にあるクラブ『紅の月』は、店内をエルメスレッドに統一した銀座らしい高級店だった。
 チイママの芳恵がすぐにやって来た。

 「こんばんは、ダーリン。随分とお久しぶりね?」

 芳恵は俺を奥のボックス席へと案内した。
 そこが俺と芳恵のいつもの定位置だった。

 芳恵はヘネシーをゆっくりグラスへ注ぎ、私に渡してくれた。

 「ご無沙汰だったわね? どこの子猫ちゃんとお戯れだったのかしら?」
 「仕事だよ、仕事。これでも結構忙しいんだぜ」
 「最近ではベッドでメス猫を可愛がることも「お仕事」って言うようになったのかしら?」
 「馬鹿を言え、勘違いするな」
 「今日は私も可愛がってね? ダーリン? うふふっ」

 芳恵は妖艶な潤んだ瞳で俺を見詰め、俺の腿に手を置いた。

 芳恵は銀座では名の知られた女だった。
 芳恵目当てにこの店にやって来る客も多い。
 だが決して芳恵は八方美人ではない。
 どんなに金を積んでも嫌いな奴は袖にした。

 早稲田の法学部を出て四か国語を操り、法律はもちろん、政治、経済にも精通している。
 中学までは父親の仕事でNYで過ごした帰国子女でもあった。


  
 その夜、久しぶりに芳恵を抱いた。

 「あっ、あ、あ、うん、あっ・・・」

 俺は芳恵の小さな胸が気に入っていた。
 ピンと立った乳首を俺は強く吸った。

 「うーん、それ、好き・・・」

 のけ反る芳恵。私はその行為を続けた。

 女は嫌いではないが、この歳になると性欲よりも気の合う女と一緒にいることの方が楽しかった。
 ただ性欲を満たすだけの行為より、一緒にいることで気持ちが安らぐ女といることが幸福だった。
 SEXはその一部に過ぎない。男を本当に癒してくれる女は意外と少ないものだ。
 芳恵は数少ない「癒しのある女」だった。


 芳恵との1ラウンドが終わり、俺はタバコに火を点けた。

 「そろそろ自分の店が持ちたい頃だろう?」
 「別に・・・。この仕事、好きじゃないし」
 
 芳恵は私からタバコを取りあげて吸った。
 そして優雅に煙を吐くと、

 「このままでいいの。杉田さんの愛人のひとりで」
 「欲のない奴だな?」
 「そうかしら? 私は欲深だと思うけど」

 やはり芳恵はいい女だと思った。
 彼女は常に自分を第三者として冷静に俯瞰していた。
 それは並みの女には出来ない芸当だった。

 
 「今日は朝から会議なんだ。今度、メシでも食いに行こう」
 「あんまり無理しないでね」
 「ああ、ありがとう芳恵」

 俺は芳恵にキスをしてベッドを降りた。


 シティホテルのエレベーターを降りて外へ出ると、東の空が白みかけていた。
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