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第7話 漂うふたり

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 ボルツはすぐに店のナンバーワンになった。
 美人で接客にも優れ、テクニックも抜群のボルツには人気があった。


 「凄いですね? ボルツさん。
 入店してまだ1か月なのに指名の嵐ですよ。神崎部長」
 「そうだな」

 私の心境は複雑だった。
 ボルツが自分からどんどん離れ、欲望を剥き出しにした男たちの生贄にされているのかと思うと堪らなかった。
 そんな私の想いを見透かしたように香織は言った。

 「なんだか部長、とっても寂しそう。
 さてはボルツさんに惚れましたね?」
 「馬鹿を言え。ボルツはウチの大切な商品だぞ、商品に惚れてどうする? これは仕事だ」
 「そうかしら? 何だか怪しいなあー」


 予約の電話が鳴った。

 「はい、『エデンの園』です。
 ああ、森本さん。先日はボルツちゃんのご指名、ありがとうございました。
 はい、また今日も? はい、ボルツちゃんを? はい。
 すみませんがボルツちゃんが空くのが3時間後の23時半になるんですよ、どうします?
 それともレミーちゃんはどうですか? レミーちゃんならすぐにご案内できますけど。
 えっ? ボルツちゃんでいいんですか? はい、かしこまりました。ではホテル・パシオンの304号室に23時30分にお伺いさせます。はい、ただし、ボルツは1時までですので90分コースのみになりますけど大丈夫ですか?
 はい、かしこまりました。では90分の「いけない人妻コース」ということで。はい、かしこまりました」

 電話を切ると不機嫌そうに香織が言った。
 
 「あの森本のエロジジイ、相当ボルツさんが気に入ったようね?
 大変だな、あんな変態ジジイのお相手なんて。
 私には絶対無理」

 香織に私の気持ちが気付かれないように、私は外へタバコを吸いに出た。
 



 ボルツが店に戻って来たのは午前2時を回っていた。

 「ただ今戻りました」
 「お疲れー、大変だったでしょー? あの変態森本のジジイは?」
 「お仕事ですから、平気です」
 「さらに1時間の延長だなんて、ボルツさん凄いわよ。
 でもあまり無理しないでね? ボルツさんにはここに長く居て欲しいから」
 「ありがとうございます。
 これが今日の売上になります。確認して下さい」

 香織が入金を確認した。

 「はい確かに。お疲れ様。ボルツさんは明日はお休みだったわよね?」
 「はい。明日はお休みをいただきます」
 「ゆっくり休んでね?」
 「ありがとうございます」




 私が駐車場でクルマに乗り込もうとした時、ボルツに呼び止められた。

 「今、お帰りですか?」
 「ああ、今日もありがとう。おかげでいい稼ぎになったよ」
 「神崎部長、ちょっとこの後、『カリブ』に寄って行きませんか?」
 「俺はいいけど、楓ちゃんは大丈夫なのか?」
 「もう楓は高校生ですよ、大丈夫です」

 私たちはBAR『カリブ』へと向かった。




 『カリブ』は私と同じ学校の先輩、雨宮さんがやっている店だった。
 雨宮さんは大手船会社の船長を10年前に定年退職し、地元に戻って始めたのがここ、『カリブ』だった。
 常連たちは先輩をマスターとは呼ばず、親しみを込めて「キャプテン」と呼んでいた。

 とても穏やかで、品の良い人だった。
 だがそんな先輩も、かつては港町のゴロツキたち7人を相手に、たったひとりで半殺しにした猛者だった。
 今のこの穏やかな笑顔からは想像することも出来ない。

 店には外国人客も多く、海外の酒場にいるような雰囲気の店だった。



 真鍮製のキックプレートの付いた分厚いマホガニーのドアを開けると、店内にはミッシェル・ポルナレフが流れていた。
 

 「キャプテン、おはようございます」
 「いらっしゃいませ。今、お帰りですか?」
 「はい、今日はキャプテンさんのマルガリータが飲みたくて、神崎さんを誘惑しちゃいました」
 「そうでしたか? 神崎さんはいつもと同じ物でよろしいですか?」
 「はい、ワイルド・ターキーをロックでお願いします」
 「かしこまりました」
 
 キャプテンは後輩の私にもいつも敬語だった。
 先輩は鮮やかな手つきで酒の準備に取り掛かった。
 店には白人のカップルが一組、ドイツ語で話しをしていた。
 どうやらドイツ人のようだった。
 

 酒が私たちの前に置かれ、私とボルツはグラスを合わせた。

 「お疲れ様でした」
 「お疲れ。大変だったな? 最後は延長で?」
 「平気ですよ、お爺ちゃんでしたから。
 あっちの方はもうダメなんですけど、私のことを舐めるのが好きなお客さんで、私は何もしなくていいのでラクでした」

 私はその時の光景を想像してしまい、嫌悪感を覚えた。
 不思議なことに、他のデリの女の子たちにはそんな感情を持ったことは一度もなかった。


 「そうか? もしイヤな客なら断ってもいいんだぞ」
 「お仕事ですから」

 ボルツは私の肩に頬を寄せた。


 「ホントはね? 疲れちゃいました。
 今日は変態さんのオンパレードだったから・・・。
 男なんて出して終わりじゃないですか?
 精子を絞り取るだけの女って、どう思います?
 こうやって私、オチンチンの世話をして一生を終えるんでしょうかね?
 なんだか辛いです・・・」

 私はやさしくボルツの髪を撫でた。

 「お前は偉いよ、女手ひとつで楓ちゃんを育てて。
 昼は花屋、夜はデリ。
 身体だけは無理をするな」

 ボルツは悲しそうな顔で頷いた。
 私がポケットから煙草を取り出すと、ボルツは私からカルティエのライターを取り、火を点けてくれた。

 「このライター、女性からのプレゼントですか?」
 「忘れたよ」
 「神崎さんってモテますもんね?」
 「女にとって、俺はただ都合のいい男に過ぎない」
 「私、死んだ旦那とは不倫だったんです。
 楓を妊娠しているのが分かって、夫は私たち親子を選んでくれました。
 バチが当たったんでしょうね? ガンで死んじゃうなんて・・・。
 いい思い出なんかありませんでした。
 夫が入院している病院に行くと、いつも哀願するような目で私を見るんです。
 それがすごく厭でした。
 看病しなければという気持ちと、逃げたい気持ちが葛藤していました。
 夫が死んだ時、私、ホッとしたんです。
 酷い妻ですよね? 私」
 「それは当事者にしかわからないことだからな?
 どうして俺たちは生きているんだろうなあ? 辛い事ばかりなのに。
 朝起きて会社に行って、部下や上司に気を遣い、ヘトヘトになって家に帰ると女房と子供は我儘ばかり。
 安い発泡酒を飲んで寝るだけの毎日・・・。
 でもそれが幸せなんだよ。
 仕事があって家族がいて、帰る家がある。
 健康で毎日飯が食える。
 そんなありふれた日常がいかに普通じゃない幸福か、それを知るのはそれを失くした時だ」

 ボルツは私に寄り添いポツリと呟いた。

 「こうして神崎さんといる今が、いちばんしあわせです・・・」


 キャプテンはポルナレフからシナトラに曲を変えた。
 『夜のストレンジャー』だった。

 私とボルツは黒い川の中を、小舟に乗って下流に流されているようだった。



 店を出ると東の空はブルーパープルに染まり始めていた。

 夜は私たちふたりを残したまま、朝を迎えようとしていた。
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