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第4話 スーパームーンの夜
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「ごめんな、遅くなって。井岡会長との話が長引いてな?
なんだ、まだ食べていなかったのか?」
ミュウの前にはすっかり氷が解けてしまった、カルピスサワーが寂しげに置かれたままだった。
「だって焼肉だよ、ひとりで食べても美味しくないじゃない」
「馬鹿だなー、腹減っただろうに。
サブ、取り敢えず生とカルピスサワーのお替わりをくれ。
それからセンマイ刺しとハラミ、それとカルビと牛タン、それからライスをひとつ」
「はい、かしこまりー! オーダーいただきましたあ!」
深夜のこの小さな焼肉屋には、仕事帰りのホステスやホスト、黒服たちでいっぱいだった。
飲物が運ばれ、私とミュウは乾杯をした。
「それじゃあ改めて、お疲れサマー!」
「お疲れ、ミュウ。
今日もありがとな? 会長も喜んでいたよ、これは会長からだ」
私はミュウに大入袋を渡した。
「へえー、うれしいなあ、またがんばっちゃおうっと」
「また来ていたな? 佐々木の奴。
余程ミュウが気に入ってるんだろう。でも気を付けろよ、あの手はちょっとタチが悪いからな?
何かあったらいつでも俺に連絡しろ」
ミュウは喉が渇いていたようで、美味しそうにカルピスサワーを飲んだ。
「あれで小学校の先生だよ、信じられる? どんな顔して子供たちに教えてんだろうね?
でもこの前、すごく怖かったんだ」
「どうしたんだ?」
「家に帰ったらね、すぐに佐々木からLINEが来たの「お疲れ様、今帰ったんだね?」って。
どうやら私の家を探し当てたみたい、キモーイ」
「わかった、佐々木は俺がちょっと怖い思いをさせてから出禁にするから安心しろ。
デコ助(警察)の三田さんにも言っておくよ」
「ありがとう、神崎さん。
あー、私も結婚したいなー」
「どうした? いきなり」
「なんだか寂しいんだよねー、このままでいいのかなあーって」
「竜也とは結婚しないのか? あのイケメン君とは?」
「ダメダメ、竜也はただのセフレ。
アイツには家庭なんて似合わない、無理無理。
売れないホストだよ、ただのヒモ君」
私はミュウの空いた皿にハラミを乗せてやった。
腹が減っていたのだろう、ミュウは飯も美味しそうに食べ始めた。
「神崎さんみたいな人だといいんだけどなあ、旦那さんにするんなら」
「俺とミュウでは親子だろ?」
「いいじゃない、近親相姦」
私とミュウは笑った。
確かにミュウと私は20歳以上も歳が離れていたが、私とはよくウマが合った。
それはこの子がそれだけ苦労して来たという証でもある。
女とは常に別の顔を持っているものだ。
増してや夜の世界で生きている女たちは、何人もの「別な自分」を持っている。
それはいくつもの顔がないと生きては行けないからだ。
欲望をギラつかせ、夜の街で女を漁る男たち。
正直に生きていたら奴らの餌食にされてしまう。
もちろんそれは客だけではない。
私は何人ものロクデナシたちをクビにした。
店の女の子に手を出す、店の売り上げを持って「ふける」奴なんて日常茶飯事だった。
まともな奴はここには来ない。
事実、ウチの従業員の殆どは前科者たちだった。
ミュウは家の事情で高校を中退したが、地元では有名な進学校に通っていた。
彼女は小児科医になるのが夢だったらしい。
ミュウは他の女たちとは違う種類の人間だった。
ミュウは昼間は親戚の叔父の経営する町工場で事務の仕事をしていた。
「両方は大変だろう?」と私が言うと、
「この仕事にどっぷり浸かりそうでイヤなの、昼職してないと」
そう真顔でミュウは言った。
ミュウの言う通り、昼間、家に籠り、夜の酒場にいると「夜焼け」して来るのだ。
男も女も青白い顔になってゆく。
「ねえ、何で一週間もお店、お休みしたの?」
「疲れたんだ、酔っ払いの相手をしているのが」
ミュウは射るような目で私を見た。
「嘘ばっかり。神崎さんの嘘はいつも丸見えなんだから」
ミュウはカルピスサワーをチビリと飲むと、今度は悪戯ぽく上目使いで私を見た。
「本当は海を見に行ってたんだ、富山の海を。
日本海が好きなんだよ、あの暗い日本海が」
私は少し温くなったビールを飲んだ。
「ズルーイ、神崎さんばっかり。
私も神崎さんと一緒に行きたかったなあ、富山の海の見える温泉に。
一緒に温泉に入ってさ、美味しいお刺身食べて、そして神崎さんに抱っこされてフカフカのお布団で寝むりたかったなー」
「また今度な」
「約束だよ、絶対に!」
私は果たせもしない約束をしてしまったと後悔した。
ミュウはそれ以上の詮索はしなかった。
なぜ私が海に行ったのか、それは既に彼女は確信しているはずだった。
「サブちゃん、お酒、冷で」
「いいのか? 朝から昼職だろ?」
「いいのいいの、今夜はいいの。
明日は生理でお休みしまーすって言うから。
嘘だけど」
そう言ってミュウは冷酒を一気に飲み干した。
やがてミュウはそのまま酔い潰れて寝むってしまった。
今日も一日、客を相手に疲れ切っていたのだろう。
あどけない寝顔だった。
「ほら帰るぞ、起きろミュウ」
「神崎さーん、歩けないからおんぶー、おんぶしてー」
「しょうがねえなあ、ほら掴まれ」
私はミュウの肩を支えようとしたが駄目だった。
私は仕方なく、ミュウを背負うことにした。
「悪いけどケツ、触るぞ。
足を持つわけにはいかないから」
「うん、いいよー」
私はミュウを背負ったまま、駅のタクシー乗り場へと歩いた。
意外にミュウは軽かった。
「神崎さん・・・」
「どうした? 気持ち悪いのか?」
「ううん、大丈夫。
神崎さん・・・、死んじゃやだよ・・・」
私の肩に、雨雫が落ちた。
それはミュウの大粒の涙だった。
ミュウは私の背中にしがみつき、いつまでも泣いていた。
スーパームーンの美しい夜だった。
なんだ、まだ食べていなかったのか?」
ミュウの前にはすっかり氷が解けてしまった、カルピスサワーが寂しげに置かれたままだった。
「だって焼肉だよ、ひとりで食べても美味しくないじゃない」
「馬鹿だなー、腹減っただろうに。
サブ、取り敢えず生とカルピスサワーのお替わりをくれ。
それからセンマイ刺しとハラミ、それとカルビと牛タン、それからライスをひとつ」
「はい、かしこまりー! オーダーいただきましたあ!」
深夜のこの小さな焼肉屋には、仕事帰りのホステスやホスト、黒服たちでいっぱいだった。
飲物が運ばれ、私とミュウは乾杯をした。
「それじゃあ改めて、お疲れサマー!」
「お疲れ、ミュウ。
今日もありがとな? 会長も喜んでいたよ、これは会長からだ」
私はミュウに大入袋を渡した。
「へえー、うれしいなあ、またがんばっちゃおうっと」
「また来ていたな? 佐々木の奴。
余程ミュウが気に入ってるんだろう。でも気を付けろよ、あの手はちょっとタチが悪いからな?
何かあったらいつでも俺に連絡しろ」
ミュウは喉が渇いていたようで、美味しそうにカルピスサワーを飲んだ。
「あれで小学校の先生だよ、信じられる? どんな顔して子供たちに教えてんだろうね?
でもこの前、すごく怖かったんだ」
「どうしたんだ?」
「家に帰ったらね、すぐに佐々木からLINEが来たの「お疲れ様、今帰ったんだね?」って。
どうやら私の家を探し当てたみたい、キモーイ」
「わかった、佐々木は俺がちょっと怖い思いをさせてから出禁にするから安心しろ。
デコ助(警察)の三田さんにも言っておくよ」
「ありがとう、神崎さん。
あー、私も結婚したいなー」
「どうした? いきなり」
「なんだか寂しいんだよねー、このままでいいのかなあーって」
「竜也とは結婚しないのか? あのイケメン君とは?」
「ダメダメ、竜也はただのセフレ。
アイツには家庭なんて似合わない、無理無理。
売れないホストだよ、ただのヒモ君」
私はミュウの空いた皿にハラミを乗せてやった。
腹が減っていたのだろう、ミュウは飯も美味しそうに食べ始めた。
「神崎さんみたいな人だといいんだけどなあ、旦那さんにするんなら」
「俺とミュウでは親子だろ?」
「いいじゃない、近親相姦」
私とミュウは笑った。
確かにミュウと私は20歳以上も歳が離れていたが、私とはよくウマが合った。
それはこの子がそれだけ苦労して来たという証でもある。
女とは常に別の顔を持っているものだ。
増してや夜の世界で生きている女たちは、何人もの「別な自分」を持っている。
それはいくつもの顔がないと生きては行けないからだ。
欲望をギラつかせ、夜の街で女を漁る男たち。
正直に生きていたら奴らの餌食にされてしまう。
もちろんそれは客だけではない。
私は何人ものロクデナシたちをクビにした。
店の女の子に手を出す、店の売り上げを持って「ふける」奴なんて日常茶飯事だった。
まともな奴はここには来ない。
事実、ウチの従業員の殆どは前科者たちだった。
ミュウは家の事情で高校を中退したが、地元では有名な進学校に通っていた。
彼女は小児科医になるのが夢だったらしい。
ミュウは他の女たちとは違う種類の人間だった。
ミュウは昼間は親戚の叔父の経営する町工場で事務の仕事をしていた。
「両方は大変だろう?」と私が言うと、
「この仕事にどっぷり浸かりそうでイヤなの、昼職してないと」
そう真顔でミュウは言った。
ミュウの言う通り、昼間、家に籠り、夜の酒場にいると「夜焼け」して来るのだ。
男も女も青白い顔になってゆく。
「ねえ、何で一週間もお店、お休みしたの?」
「疲れたんだ、酔っ払いの相手をしているのが」
ミュウは射るような目で私を見た。
「嘘ばっかり。神崎さんの嘘はいつも丸見えなんだから」
ミュウはカルピスサワーをチビリと飲むと、今度は悪戯ぽく上目使いで私を見た。
「本当は海を見に行ってたんだ、富山の海を。
日本海が好きなんだよ、あの暗い日本海が」
私は少し温くなったビールを飲んだ。
「ズルーイ、神崎さんばっかり。
私も神崎さんと一緒に行きたかったなあ、富山の海の見える温泉に。
一緒に温泉に入ってさ、美味しいお刺身食べて、そして神崎さんに抱っこされてフカフカのお布団で寝むりたかったなー」
「また今度な」
「約束だよ、絶対に!」
私は果たせもしない約束をしてしまったと後悔した。
ミュウはそれ以上の詮索はしなかった。
なぜ私が海に行ったのか、それは既に彼女は確信しているはずだった。
「サブちゃん、お酒、冷で」
「いいのか? 朝から昼職だろ?」
「いいのいいの、今夜はいいの。
明日は生理でお休みしまーすって言うから。
嘘だけど」
そう言ってミュウは冷酒を一気に飲み干した。
やがてミュウはそのまま酔い潰れて寝むってしまった。
今日も一日、客を相手に疲れ切っていたのだろう。
あどけない寝顔だった。
「ほら帰るぞ、起きろミュウ」
「神崎さーん、歩けないからおんぶー、おんぶしてー」
「しょうがねえなあ、ほら掴まれ」
私はミュウの肩を支えようとしたが駄目だった。
私は仕方なく、ミュウを背負うことにした。
「悪いけどケツ、触るぞ。
足を持つわけにはいかないから」
「うん、いいよー」
私はミュウを背負ったまま、駅のタクシー乗り場へと歩いた。
意外にミュウは軽かった。
「神崎さん・・・」
「どうした? 気持ち悪いのか?」
「ううん、大丈夫。
神崎さん・・・、死んじゃやだよ・・・」
私の肩に、雨雫が落ちた。
それはミュウの大粒の涙だった。
ミュウは私の背中にしがみつき、いつまでも泣いていた。
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