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第1話 旅支度
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門倉は執務机の上に積み上げられた書類を、既決と未決の箱に振り分けていた。
インターフォンで秘書が私に言った。
「会長、北山弁護士と沢村会計士がお見えになりました」
「そうか、通してくれ」
北山は遺産相続が専門の女性弁護士だった。
女優のようなルックスと明晰な頭脳を併せ持つ、いわゆる才色兼備の弁護士である。
そして公認会計士の沢村は、門倉の会社の顧問会計士をしていた。
「失礼いたします」
「忙しいところ、すまんな?
君たちを呼んだのは、察しの通り、ワシの遺産相続の件じゃ。
まあ、掛けてくれ」
門倉はふたりにソファを勧めた。
「ワシは今年で72歳になる爺さんじゃ、そろそろ終活というやつをしなければならん。
ワシが死んだらカネで揉めるのは目に見えておるからのう。
ワシは子供の頃、家が酷く貧乏でな? 中学を出るとすぐ、集団就職で東京の蕨の鉄工所へ丁稚奉公に出された。
当時は高度経済成長の真っ盛りでのう、ワシらは「金の卵」などと世間からもてはやされ、都合のいい労働力として低賃金で休みもなく、朝から晩までこき使われたもんじゃ。
中学を出たばかりの子供に何が出来る?
ワシはいつも親方から怒鳴られ、油まみれになって働いた。
地獄のような毎日じゃった。
独立したのはワシが22歳の時じゃった。朝鮮動乱のおかげもあって、ワシの会社はその波に乗ってみるみる業績を伸ばしていった。
ワシは酒もタバコもやらず、女遊びもせず、24時間必死で働いた。
カネが出来ると、もっとカネが欲しくなった。
金、金、金とワシは金を追い求めていったわけじゃ。
家族など無駄だと思った。家族を持てばカネが掛かるからのう?
ワシは自分のカネがなくなっていくのが惜しかったんじゃ。
カネはどうすれば貯まると思うかね? 北川君」
「真面目に働くことですか?」
北山弁護士はすこぶる優等生的に答えた。
「使わんことじゃよ。
使わなければカネは残る。
アンタらは冠婚葬祭でカネを包むじゃろう?
常識のない、ケチな人間だと思われるのはイヤじゃからのう?
だが、そんなことをしておったら小金しか貯まらん。
そうしてワシは1,000億円のカネを得ることが出来た。
世間からは守銭奴だとか、成金だとか、カネの亡者だと散々罵倒されて来た。
だがそれは、所詮、カネのない負け犬の遠吠えにすぎん。
カネのない奴らはカネの重み、ありがたみを知らん。
この世にカネより大切な物など存在しやせんのじゃ。
カネは命よりも尊い。
カネは神の叡智なんじゃよ。普通の人間はカネを愛しているのではなく、カネで買える物やサービスが欲しいだけなんじゃ。
バッグや外車、宝石、大きな屋敷に仕立ての良いスーツ、女・・・。
人間はカネを愛しているのではなく、ただ欲にまみれておるのじゃ。
ワシはカネが好きじゃ。
物も権力も、そんな物にワシは興味はない。
大きな屋敷などはカネが掛かるだけじゃ。
人がひとり寝るには畳一畳あれば足りる。
ワシは今でも普通のホテル暮らしをしておる。
服だってこの通り、紳士服のチェーン店の物で十分じゃ。オーダーメイドなど必要がない。
時計も時間が分かればそれでいい、ワシの時計は普通の国産時計じゃよ、ほれ」
門倉は自分の腕時計を見せた。
すると沢村会計士は左手にはめた金のロレックスを咄嗟に隠した。
「食い物も立ち食いソバや牛丼で十分満足しておる。
銀座や赤坂などでの美食など興味もないし、食べたいとも思わんよ。カネが勿体ない。どうせクソになってしまうのじゃからのう。
そんな連中は飢えを知らん。食えない苦しみを知らん。
あれが旨いだの、これが食いたいだの、実に滑稽じゃ。
ドブにカネを捨てるようなもんじゃよ。
そして気がつけば、1,000億円というカネが残ったわけじゃ」
「門倉会長は我々庶民の伝説ですよ」
沢村会計士がリップサービスをした。
500件以上の優良顧客を抱え、年収も数億は下らない沢村は、庶民とはかけ離れた生活をしていた。
海外に2か所、軽井沢と鎌倉にもそれぞれ別荘を持ち、数千万円の高級外車が数台と、葉山にクルーザーも所有しており、さらに2人の愛人も囲っているという噂だった。
「伝説か? ケチで冷酷な守銭奴としての伝説がな?」
「そんなことはありませんわ。
門倉会長は日本経済の立役者です」
労わるように北山弁護士が門倉をフォローした。
「じゃがな、ワシは自分の死に際に及んで思うんじゃ。
何のために今まで生きて来たのかとな?
自分の人生はなんじゃったのだろうと。
ワシは人の為にカネを使ったことがない。ワシにはカネは残ったが、それ以外、何も残らんかった。
ワシに近づいて来る連中は、男も女もワシの金が目当てじゃ。
ワシを好きで集まる者など誰もおらん。
そこでワシは考えたんじゃ。この財産をすべてくれてやってもいいと思える人間を探してみようとな。罪滅しじゃよ。そしてあの世にカネは持って行くことは出来んからのう。
ワシはこれからその旅に出ることにする。
相続と税務処理については君たちふたりで協力して対処してくれ」
「かしこまりました」
ふたりが会長室を出て行くと、門倉は35階の会長室から見える、都内の景色を見て目を細めた。
「果たしてワシの1,000億の財産を受け継ぐにふさわしい人物は、この日本におるのかのう?」
高層ビルが立ち並ぶ新宿の街に、午後の陽射しがガラスウォールのビル群に反射していた。
インターフォンで秘書が私に言った。
「会長、北山弁護士と沢村会計士がお見えになりました」
「そうか、通してくれ」
北山は遺産相続が専門の女性弁護士だった。
女優のようなルックスと明晰な頭脳を併せ持つ、いわゆる才色兼備の弁護士である。
そして公認会計士の沢村は、門倉の会社の顧問会計士をしていた。
「失礼いたします」
「忙しいところ、すまんな?
君たちを呼んだのは、察しの通り、ワシの遺産相続の件じゃ。
まあ、掛けてくれ」
門倉はふたりにソファを勧めた。
「ワシは今年で72歳になる爺さんじゃ、そろそろ終活というやつをしなければならん。
ワシが死んだらカネで揉めるのは目に見えておるからのう。
ワシは子供の頃、家が酷く貧乏でな? 中学を出るとすぐ、集団就職で東京の蕨の鉄工所へ丁稚奉公に出された。
当時は高度経済成長の真っ盛りでのう、ワシらは「金の卵」などと世間からもてはやされ、都合のいい労働力として低賃金で休みもなく、朝から晩までこき使われたもんじゃ。
中学を出たばかりの子供に何が出来る?
ワシはいつも親方から怒鳴られ、油まみれになって働いた。
地獄のような毎日じゃった。
独立したのはワシが22歳の時じゃった。朝鮮動乱のおかげもあって、ワシの会社はその波に乗ってみるみる業績を伸ばしていった。
ワシは酒もタバコもやらず、女遊びもせず、24時間必死で働いた。
カネが出来ると、もっとカネが欲しくなった。
金、金、金とワシは金を追い求めていったわけじゃ。
家族など無駄だと思った。家族を持てばカネが掛かるからのう?
ワシは自分のカネがなくなっていくのが惜しかったんじゃ。
カネはどうすれば貯まると思うかね? 北川君」
「真面目に働くことですか?」
北山弁護士はすこぶる優等生的に答えた。
「使わんことじゃよ。
使わなければカネは残る。
アンタらは冠婚葬祭でカネを包むじゃろう?
常識のない、ケチな人間だと思われるのはイヤじゃからのう?
だが、そんなことをしておったら小金しか貯まらん。
そうしてワシは1,000億円のカネを得ることが出来た。
世間からは守銭奴だとか、成金だとか、カネの亡者だと散々罵倒されて来た。
だがそれは、所詮、カネのない負け犬の遠吠えにすぎん。
カネのない奴らはカネの重み、ありがたみを知らん。
この世にカネより大切な物など存在しやせんのじゃ。
カネは命よりも尊い。
カネは神の叡智なんじゃよ。普通の人間はカネを愛しているのではなく、カネで買える物やサービスが欲しいだけなんじゃ。
バッグや外車、宝石、大きな屋敷に仕立ての良いスーツ、女・・・。
人間はカネを愛しているのではなく、ただ欲にまみれておるのじゃ。
ワシはカネが好きじゃ。
物も権力も、そんな物にワシは興味はない。
大きな屋敷などはカネが掛かるだけじゃ。
人がひとり寝るには畳一畳あれば足りる。
ワシは今でも普通のホテル暮らしをしておる。
服だってこの通り、紳士服のチェーン店の物で十分じゃ。オーダーメイドなど必要がない。
時計も時間が分かればそれでいい、ワシの時計は普通の国産時計じゃよ、ほれ」
門倉は自分の腕時計を見せた。
すると沢村会計士は左手にはめた金のロレックスを咄嗟に隠した。
「食い物も立ち食いソバや牛丼で十分満足しておる。
銀座や赤坂などでの美食など興味もないし、食べたいとも思わんよ。カネが勿体ない。どうせクソになってしまうのじゃからのう。
そんな連中は飢えを知らん。食えない苦しみを知らん。
あれが旨いだの、これが食いたいだの、実に滑稽じゃ。
ドブにカネを捨てるようなもんじゃよ。
そして気がつけば、1,000億円というカネが残ったわけじゃ」
「門倉会長は我々庶民の伝説ですよ」
沢村会計士がリップサービスをした。
500件以上の優良顧客を抱え、年収も数億は下らない沢村は、庶民とはかけ離れた生活をしていた。
海外に2か所、軽井沢と鎌倉にもそれぞれ別荘を持ち、数千万円の高級外車が数台と、葉山にクルーザーも所有しており、さらに2人の愛人も囲っているという噂だった。
「伝説か? ケチで冷酷な守銭奴としての伝説がな?」
「そんなことはありませんわ。
門倉会長は日本経済の立役者です」
労わるように北山弁護士が門倉をフォローした。
「じゃがな、ワシは自分の死に際に及んで思うんじゃ。
何のために今まで生きて来たのかとな?
自分の人生はなんじゃったのだろうと。
ワシは人の為にカネを使ったことがない。ワシにはカネは残ったが、それ以外、何も残らんかった。
ワシに近づいて来る連中は、男も女もワシの金が目当てじゃ。
ワシを好きで集まる者など誰もおらん。
そこでワシは考えたんじゃ。この財産をすべてくれてやってもいいと思える人間を探してみようとな。罪滅しじゃよ。そしてあの世にカネは持って行くことは出来んからのう。
ワシはこれからその旅に出ることにする。
相続と税務処理については君たちふたりで協力して対処してくれ」
「かしこまりました」
ふたりが会長室を出て行くと、門倉は35階の会長室から見える、都内の景色を見て目を細めた。
「果たしてワシの1,000億の財産を受け継ぐにふさわしい人物は、この日本におるのかのう?」
高層ビルが立ち並ぶ新宿の街に、午後の陽射しがガラスウォールのビル群に反射していた。
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