12 / 13
第12話
しおりを挟む
結婚式を挙げたその日は新富良野プリンスホテルに宿泊をした。
翌朝、少し遅い朝食を食べながら、私は梨奈に言った。
「寄りたいところがあるんだけど、いいかな?」
「そこって有名な観光地なの?」
梨奈はロールパンを千切ってバターを塗り、たっぷりのオレンジマーマレードをつけて食べた。
「倉本聰のドラマ、『やさしい時間』って知っているか?」
「うん、私、二宮君が大好きだからそのドラマは見てたわよ。内容はあまり覚えてないけど。
二宮君ばっかり見ていたから。
もしかして『森の時計』に行くつもりなの?」
「そうなんだ。前から一度、行ってみたいと思っていたんだ」
「この近くなの?」
「このホテルのコテージ群の中にあるらしい」
「そこで珈琲を飲むのね? 素敵」
私と梨奈は恋人繋ぎをして、ドラマの舞台になった『森の時計』を目指して森の中を歩いて行った。
伴侶がいると、こんなにも安らかでしあわせな気持ちになるということを、私はしばらく忘れていた。
梨奈の手の温もりが心地良かった。
その喫茶店は広葉樹の原生林の中にひっそりと佇んでいた。
Soh's BAR 喫茶『森の時計』
「ドラマと同じね。ねえ、ソーズ・BARって何?」
「何だろうね? とにかく中に入ってみよう」
ドアを開けるとカウベルが軽やかに鳴った。
春とはいえ、まだ寒かったのでマンテルピースには小さな炎が揺らいでいた。
落ちたブナの枝だろうか? パチパチと音を立てて燃え、いい香りがしていた。
ドラマと同じように、みんな自分で珈琲豆をミルで挽いていた。
珈琲の鮮烈な香りがそこここに漂っていた。
私たちはカウンター席に並んで座った。
大きな窓には新緑が鮮やかだった。
私たちもミルを回した。ガリガリという手応えがあった。
「俺は『北の国から』よりも、この『やさしい時間』の方が好きなんだよ。寺尾聰と二宮和也の親子の確執が、やがて春の雪解けのように打ち解けて行くというストーリーだ。
寺尾聰が演じるマスターの涌井勇吉は商社マンで、単身でニューヨークに渡り、そこで支店長をしていた。
女房役のめぐみには大竹しのぶ。
二宮和也が演じた息子の拓郎は暴走族に入り、カラダに「死神」の入れ墨を入れてしまう不良だった。
拓郎が運転するクルマの中で、それを母親のめぐみから詰問され、ハンドル操作を誤り、拓郎は母親を死なせてしまう。
日本に帰国した勇吉は拓郎に手切れ金を渡し、親子の縁を切る。
そして東京の自宅を処分して、めぐみのふる里である富良野で喫茶店を開くんだ。
それがここ、『森の時計』だ。
平原綾香が歌う、ドラマ主題歌の『明日』がとてもいい」
「あの歌、私も好きよ」
梨奈は呟くように歌った。
ずっとそばにいると あんなに言ったのに
今はひとり見ている夜空 はかない約束・・・
(はかない約束。俺も約束を果たせそうにもない。ごめん、梨奈)
私は淹れて貰った珈琲を飲んだ。
「こういう美味しい珈琲ならデミタスで飲みたいですね?」
「デミタスにお注ぎしましょうか?」
「いえ、大丈夫です。十分美味しいですから」
「ご自分で挽かれた豆ですから、より美味しく感じますよね?」
「帰りにここの珈琲豆を買って帰ろうよ」
「そうだな? いいなあここは。こんなにゆっくりと時間が流れて」
「本当ね? このまま時間が止まってもいいくらいだわ」
「こんな喫茶店を、梨奈と二人でやれたらいいのにな?」
「やろうよ喫茶店。純喫茶を」
「名前はどうするんだ?」
「うーん、純喫茶『明けの明星』とかはどう?」
「ちょっと長くないか?」
「それなら『ヴィーナス』がいい! 純喫茶『ヴィーナス』!」
「『ビーナス』じゃなくて『ヴィーナス』か?」
「だって英語だと「Venus」でしょう? Bじゃなくて「V」だもん。でもまあ日本人にはどっちも同じか?」
帰ったらお店の準備をしましょうよ」
「素人の俺たちで大丈夫か?」
「誰だって最初はみんな素人でしょう? どうせやるなら何の柵のない、東京でやろうよ。銀座とか南青山とかの一等地で」
「それもいいかもしれないな?」
「素敵よねえ、純喫茶『ヴィーナス』だなんて。ソムリエ・エプロン、買ってね?」
梨奈はすっかり『ヴィーナス』のママになっているようだった。
それから私たちはファーム富田に寄って、満開のアイスランド・ポピーを眺め、私はじゃがバターを、そして梨奈は焼き立てメロンパンを美味そうに食べた。
昼過ぎにはカレーが有名な『唯我独尊』でカレーを食べた。
次の目的地である札幌と小樽へ向おうとした時、梨奈が言った。
「札幌と小樽はふたりとも前に来たことがあるから、今回はパスしない?
その分、函館でゆっくりしようよ」
梨奈は私のカラダを心配してくれたのだった。
夜、函館に着いてホテルにチェックインしてからジンギスカンを食べに行くことにした。
私たちは生ビールを飲んでジンギスカンを堪能した。
「宇都宮のジンギスカンとは全然違うわね? ビールも最高!」
「北海道に来たんだから、やっぱりビールはサッポロビールだよな?」
「うん、ナマ大お替りー!」
ホテルに帰り、風呂に入ってスキンシップを楽しんだ後、私たちはピロートークで和んでいた。
「このラベンダー・オイル、とってもいい香りがするわ。なんだか眠くなって来ちゃう」
梨奈はファームで買ったラベンダーの香りを嗅いでいた。
「ラベンダーは大正時代に南フランスから輸入したらしい。
ラベンダーはシソ科だそうだよ」
「あのお刺身とかに添えられているあのシソ?」
「そうらしい。そして不思議なことに、南フランスから移植したラベンダーなのに、日本のラベンダーはフランスの物と比べて香りが劣るそうだ」
「どうしてなのかしらね? 同じラベンダーなのに」
「同じ品種でも土壌や気候、そして育てている人間も違うからかもしれない」
「私、あなたの赤ちゃんなら生みたかったなあ。最初はね、男の子。それから次は5才離して女の子を産むの。
そしてね? 長男にはバスケットをやらせるの、身長が伸びるように」
「サッカーとか野球じゃなくてか?」
「バスケットがいい。洋ちゃんが高校生の時と同じバスケットが」
「女の子には何をさせるんだ?」
「女の子にはピアノとチェロを習わせてあげたい」
「チェロは持ち運びが大変じゃないか?」
「そうかあ、じゃあバイオリンにする。
それでね、ふたりとも成績は中の上。友だちがたくさんいてね? 学校の人気者なの。生徒会長とかに推されて。
息子はミシュランの料理人。女の子は高校の音楽の先生」
「お前に似て美男美女になるといいな?」
「私はあなたに似た方がいいなあ。だってあなたが大好きだから」
「それじゃあ子供、作らなきゃな?」
「いっぱい出してね?」
「もう種は残ってないと思うよ。さっき2回も出したから」
「あはははは そうだった」
私たちはお互いのカラダをやさしく合わせた。
翌朝、少し遅い朝食を食べながら、私は梨奈に言った。
「寄りたいところがあるんだけど、いいかな?」
「そこって有名な観光地なの?」
梨奈はロールパンを千切ってバターを塗り、たっぷりのオレンジマーマレードをつけて食べた。
「倉本聰のドラマ、『やさしい時間』って知っているか?」
「うん、私、二宮君が大好きだからそのドラマは見てたわよ。内容はあまり覚えてないけど。
二宮君ばっかり見ていたから。
もしかして『森の時計』に行くつもりなの?」
「そうなんだ。前から一度、行ってみたいと思っていたんだ」
「この近くなの?」
「このホテルのコテージ群の中にあるらしい」
「そこで珈琲を飲むのね? 素敵」
私と梨奈は恋人繋ぎをして、ドラマの舞台になった『森の時計』を目指して森の中を歩いて行った。
伴侶がいると、こんなにも安らかでしあわせな気持ちになるということを、私はしばらく忘れていた。
梨奈の手の温もりが心地良かった。
その喫茶店は広葉樹の原生林の中にひっそりと佇んでいた。
Soh's BAR 喫茶『森の時計』
「ドラマと同じね。ねえ、ソーズ・BARって何?」
「何だろうね? とにかく中に入ってみよう」
ドアを開けるとカウベルが軽やかに鳴った。
春とはいえ、まだ寒かったのでマンテルピースには小さな炎が揺らいでいた。
落ちたブナの枝だろうか? パチパチと音を立てて燃え、いい香りがしていた。
ドラマと同じように、みんな自分で珈琲豆をミルで挽いていた。
珈琲の鮮烈な香りがそこここに漂っていた。
私たちはカウンター席に並んで座った。
大きな窓には新緑が鮮やかだった。
私たちもミルを回した。ガリガリという手応えがあった。
「俺は『北の国から』よりも、この『やさしい時間』の方が好きなんだよ。寺尾聰と二宮和也の親子の確執が、やがて春の雪解けのように打ち解けて行くというストーリーだ。
寺尾聰が演じるマスターの涌井勇吉は商社マンで、単身でニューヨークに渡り、そこで支店長をしていた。
女房役のめぐみには大竹しのぶ。
二宮和也が演じた息子の拓郎は暴走族に入り、カラダに「死神」の入れ墨を入れてしまう不良だった。
拓郎が運転するクルマの中で、それを母親のめぐみから詰問され、ハンドル操作を誤り、拓郎は母親を死なせてしまう。
日本に帰国した勇吉は拓郎に手切れ金を渡し、親子の縁を切る。
そして東京の自宅を処分して、めぐみのふる里である富良野で喫茶店を開くんだ。
それがここ、『森の時計』だ。
平原綾香が歌う、ドラマ主題歌の『明日』がとてもいい」
「あの歌、私も好きよ」
梨奈は呟くように歌った。
ずっとそばにいると あんなに言ったのに
今はひとり見ている夜空 はかない約束・・・
(はかない約束。俺も約束を果たせそうにもない。ごめん、梨奈)
私は淹れて貰った珈琲を飲んだ。
「こういう美味しい珈琲ならデミタスで飲みたいですね?」
「デミタスにお注ぎしましょうか?」
「いえ、大丈夫です。十分美味しいですから」
「ご自分で挽かれた豆ですから、より美味しく感じますよね?」
「帰りにここの珈琲豆を買って帰ろうよ」
「そうだな? いいなあここは。こんなにゆっくりと時間が流れて」
「本当ね? このまま時間が止まってもいいくらいだわ」
「こんな喫茶店を、梨奈と二人でやれたらいいのにな?」
「やろうよ喫茶店。純喫茶を」
「名前はどうするんだ?」
「うーん、純喫茶『明けの明星』とかはどう?」
「ちょっと長くないか?」
「それなら『ヴィーナス』がいい! 純喫茶『ヴィーナス』!」
「『ビーナス』じゃなくて『ヴィーナス』か?」
「だって英語だと「Venus」でしょう? Bじゃなくて「V」だもん。でもまあ日本人にはどっちも同じか?」
帰ったらお店の準備をしましょうよ」
「素人の俺たちで大丈夫か?」
「誰だって最初はみんな素人でしょう? どうせやるなら何の柵のない、東京でやろうよ。銀座とか南青山とかの一等地で」
「それもいいかもしれないな?」
「素敵よねえ、純喫茶『ヴィーナス』だなんて。ソムリエ・エプロン、買ってね?」
梨奈はすっかり『ヴィーナス』のママになっているようだった。
それから私たちはファーム富田に寄って、満開のアイスランド・ポピーを眺め、私はじゃがバターを、そして梨奈は焼き立てメロンパンを美味そうに食べた。
昼過ぎにはカレーが有名な『唯我独尊』でカレーを食べた。
次の目的地である札幌と小樽へ向おうとした時、梨奈が言った。
「札幌と小樽はふたりとも前に来たことがあるから、今回はパスしない?
その分、函館でゆっくりしようよ」
梨奈は私のカラダを心配してくれたのだった。
夜、函館に着いてホテルにチェックインしてからジンギスカンを食べに行くことにした。
私たちは生ビールを飲んでジンギスカンを堪能した。
「宇都宮のジンギスカンとは全然違うわね? ビールも最高!」
「北海道に来たんだから、やっぱりビールはサッポロビールだよな?」
「うん、ナマ大お替りー!」
ホテルに帰り、風呂に入ってスキンシップを楽しんだ後、私たちはピロートークで和んでいた。
「このラベンダー・オイル、とってもいい香りがするわ。なんだか眠くなって来ちゃう」
梨奈はファームで買ったラベンダーの香りを嗅いでいた。
「ラベンダーは大正時代に南フランスから輸入したらしい。
ラベンダーはシソ科だそうだよ」
「あのお刺身とかに添えられているあのシソ?」
「そうらしい。そして不思議なことに、南フランスから移植したラベンダーなのに、日本のラベンダーはフランスの物と比べて香りが劣るそうだ」
「どうしてなのかしらね? 同じラベンダーなのに」
「同じ品種でも土壌や気候、そして育てている人間も違うからかもしれない」
「私、あなたの赤ちゃんなら生みたかったなあ。最初はね、男の子。それから次は5才離して女の子を産むの。
そしてね? 長男にはバスケットをやらせるの、身長が伸びるように」
「サッカーとか野球じゃなくてか?」
「バスケットがいい。洋ちゃんが高校生の時と同じバスケットが」
「女の子には何をさせるんだ?」
「女の子にはピアノとチェロを習わせてあげたい」
「チェロは持ち運びが大変じゃないか?」
「そうかあ、じゃあバイオリンにする。
それでね、ふたりとも成績は中の上。友だちがたくさんいてね? 学校の人気者なの。生徒会長とかに推されて。
息子はミシュランの料理人。女の子は高校の音楽の先生」
「お前に似て美男美女になるといいな?」
「私はあなたに似た方がいいなあ。だってあなたが大好きだから」
「それじゃあ子供、作らなきゃな?」
「いっぱい出してね?」
「もう種は残ってないと思うよ。さっき2回も出したから」
「あはははは そうだった」
私たちはお互いのカラダをやさしく合わせた。
10
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
★【完結】ダブルファミリー(作品230717)
菊池昭仁
恋愛
結婚とはなんだろう?
生涯1人の女を愛し、ひとつの家族を大切にすることが人間としてのあるべき姿なのだろうか?
手を差し伸べてはいけないのか? 好きになっては、愛してはいけないのか?
結婚と恋愛。恋愛と形骸化した生活。
結婚している者が配偶者以外の人間を愛することを「倫理に非ず」不倫という。
男女の恋愛の意義とは?
★【完結】ラストワルツ(作品231202)
菊池昭仁
恋愛
地方銀行に勤めるOL、主人公:西條縁(ゆかり)は結婚に焦りを感じていた。上司との不倫が破局し、落ち込む縁。同期の女子行員たちや友人たちが次々と結婚し、しあわせそうな家庭を築いていく中、高まっていく結婚願望。そこで縁は猛然と婚活を開始する。マッチングアプリ、婚活パーティー、お見合いと様々な出会いを求め、三人の男性を候補に挙げた。医者、コック、公務員。それぞれに一長一短があり、なかなか結婚相手を選べない。結婚適齢期も不確定な現代において、女性の立場で考える結婚観と、男性の考える結婚の意識の相違。男女同権が叫ばれる日本でいかに女性が自立することが難しいかを考える物語です。
★ランブルフィッシュ
菊池昭仁
現代文学
元ヤクザだった川村忠は事業に失敗し、何もかも失った。
そして夜の街で働き始め、そこで様々な人間模様を垣間見る。
生きることの辛さ、切なさの中に生きることの意味を見つけて行く川村。
何が正しくて何が間違っているか? そんなことは人間が後から付けた言い訳に過ぎない。
川村たちは闘魚、ランブルフィッシュのように闘い生きていた。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる