上 下
5 / 13

第5話

しおりを挟む
 儀式を終えた私たちはいつの間にか眠ってしまった。
 予めセットしておいたアラームで目が覚めた。

 「もう起きなきゃね?」
 「今日は会社だしな?」
 「休んじゃおうか? ズル休み」
 「あはははは 出来ることならそうしたいものだ」
 
 梨奈は私にカラダを寄せて来た。
 すべすべとした絹のような柔肌だった。

 「朝食、作るって約束したからもう起きなきゃね?」
 「朝食は『すき家』でいいよ」
 「朝ご飯はいつも和食なの?」
 「たまにパンの時もあるよ、クロワッサンとカリカリに焼いたベーコン・エッグにオレンジジュース、そして食後にコーヒーを一杯」
 「クロワッサンなんて女子みたいね?」
 「食パンって一度に食べ切れないだろ? それにすぐにパサパサになってしまうし」
 「銀行の同僚にね? 毎朝の朝食で、家族がそれぞれに食パンを一斤ずつ食べるんだって。凄いと思わない?」
 「それは凄いね? 一斤というとかなりの量だ」
 「家族が朝の情報番組なんかを見ながら、多分彼はこう言うのよ、「今日は午後から雨かあ」するとお母さんがパンを齧りながらこう言うんじゃないかしら? 「忘れずに傘を持って行きなさいよ」なんてね?
 そしてまた黙々と一斤の食パンを貪るように食べる家族って、素敵だと思わない? あははは」
 「何を付けて食べるんだろう?」
 「きんぴらゴボウとか納豆だったりして?」
 「コーン・ポタージュスープじゃなくて、ワカメと豆腐の味噌汁でか?」
 「それじゃご飯やないかい! あはははは
 私、用意に時間が掛かるから先にお風呂に入って来るね?」
 「ああ」

 そう言って梨奈が私に軽くキスをして、ベッドを降りようとした時、私は枕の下に入れて置いた彼女のパンティーを梨奈に渡した。

 「これ、忘れているよ」
 「そこにあったんだあ? ノーパンで帰るところだったわよ。この日のために買ったパンツなのよ、これ。欲しい? あげようか?」
 「後で処分に困るから遠慮しておくよ」
 「えー、処分しちゃうんだあ。記念に取って置いてくれたらいいのに」

 私は余計なことを言ってしまったと後悔した。
 なぜなら私は「終活」のために、遺品になるような物を処分し始めていたからだ。
 梨奈の香りが残る下着など、捨てたくはない。

 梨奈は下着と服を抱え、バスルームへと消えた。
 


 酔も醒めたので、帰りは私がクルマの運転を代わった。

 「この夜明け前のロマンティカル・ブルーって素敵」
 「夜明け前っていいよな? これから街が目を覚まし、動き出すのって」
 「日暮れ前もキレイだけどね? 宵の明星、一番星とかすごく明るいじゃない?」
 「夜明けの明星と宵の明星、どちらも神秘的だよな?」
 「金星のことだよね? ビーナスだっけ?」
 「美と希望の星だな? ビーナスは。
 その輝く美しさから「美の女神」としてのビーナス、アフロディーテと金星が呼ばれる所以ゆえんだ。
 あの女の記号があるだろう? あれは手鏡を具現化したものらしいが、金星の記号はあれになる。つまり女なんだよ、金星は」
 「ふーん、物知りなんだね? 洋三は?」

 俺にはもう希望はない。だが梨奈と再会して一夜を共にしたことで、私の絶望は少し薄らいだ気がする。
 だがその潤いが激しいかわきにつながるのは明白だった。
 梨奈は俺にとってビーナスだった。
 だがもう梨奈と会うのは止めよう、そうしないと私は生に執着してしまいそうだからだ。

 「ねえ、今度一緒に映画でも観に行かない?」
 「どんな映画だ?」
 「恋愛映画。どっちかが死んじゃう泣けるやつがいい」
 
 (梨奈、今、君の隣で運転している俺がその死んでしまう恋人なんだよ)

 私は少しアクセルを踏み込み、スピードを上げた。

 「そんな恋愛映画って、今やっているのか?」
 「やってなければネット配信で探せばいいでしょう? 洋三の家はネット配信に加入しているの?」
 「していない。俺はあまり映画やドラマは観ないから」
 
 私は咄嗟とっさに嘘を吐いた。
 あると言ってしまえばそれがまた、梨奈と会う口実になってしまうからだ。

 (会いたい、でももう会ってはいけない)

 私の心は葛藤していた。



 私の家に着いて、梨奈が運転席に座った。

 「ねえ、今度いつ会える?」
 「俺から連絡するよ」
 「なるべく早く会いたいなあ。でも今日はダメだけど」
 「忙しそうだもんな? 梨奈次長さんは」
 「そういう日もたまにあるのよ。それじゃあまたね? 愛してるわ、洋三。キスして」

 私は梨奈にキスをした。これが最後のキスだと自分に言い聞かせるかのように。

 「それじゃあ気をつけてな?」

 梨奈はドリカムの歌のように、テールランプを5回点滅させて去って行った。
 寂しさと切なさが込み上げて来た。

 「ア・イ・シ・テ・ルのサインか・・・」


 私は出勤の用意を整え、洋子の仏壇に手を合わせた。

 「洋子、怒っているか? 俺が昔の初恋の女を抱いたことを。
 でも安心してくれ、もう会うことはないと思うから。
 それじゃあ行って来るよ」

 私は会社へと出掛けて行った。



 
 その夜、梨奈には上村と会えない理由があった。

 「梨奈、お前のここから男の精液の匂いがするぞ」
 「あっんっ ウソばっかり」
 
 老人は梨奈の陰部を執拗に舐め続けた。

 「ワシを裏切ったら許さんからな?」
 「裏切るわけないでしょ? 頭取」

 梨奈は頭取である霧島の愛人だったのである。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

★【完結】オレンジとボク(作品230729)

菊池昭仁
恋愛
余命を告知された男が 青春時代の淡い初恋の思い出を回想する物語です

★【完結】海辺の朝顔(作品230722)

菊池昭仁
恋愛
余命宣告された男の生き様と 女たちの想い

★【完結】夕凪(作品230822)

菊池昭仁
恋愛
人生に挫折した男が 再び自分をやり直すために小笠原の小さな島へ移住する 島の人たちとの生活の中で 男は次第に「生きることの意味」を見つけてゆく

★【完結】ダブルファミリー(作品230717)

菊池昭仁
恋愛
結婚とはなんだろう? 生涯1人の女を愛し、ひとつの家族を大切にすることが人間としてのあるべき姿なのだろうか? 手を差し伸べてはいけないのか? 好きになっては、愛してはいけないのか? 結婚と恋愛。恋愛と形骸化した生活。 結婚している者が配偶者以外の人間を愛することを「倫理に非ず」不倫という。 男女の恋愛の意義とは?

★【完結】ラストワルツ(作品231202)

菊池昭仁
恋愛
地方銀行に勤めるOL、主人公:西條縁(ゆかり)は結婚に焦りを感じていた。上司との不倫が破局し、落ち込む縁。同期の女子行員たちや友人たちが次々と結婚し、しあわせそうな家庭を築いていく中、高まっていく結婚願望。そこで縁は猛然と婚活を開始する。マッチングアプリ、婚活パーティー、お見合いと様々な出会いを求め、三人の男性を候補に挙げた。医者、コック、公務員。それぞれに一長一短があり、なかなか結婚相手を選べない。結婚適齢期も不確定な現代において、女性の立場で考える結婚観と、男性の考える結婚の意識の相違。男女同権が叫ばれる日本でいかに女性が自立することが難しいかを考える物語です。

★【完結】曼殊沙華(作品240212)

菊池昭仁
恋愛
夫を失った高岡千雪は悲しみのあまり毎日のように酒を飲み、夜の街を彷徨っていた。 いつもの行きつけのバーで酔い潰れていると、そこに偶然、小説家の三島慶がやって来る。 人生に絶望し、亡き夫との思い出を引き摺り生きる千雪と、そんな千雪を再び笑顔にしたいと願う三島。 交錯するふたりの想い。 そして明かされていく三島の過去。 それでも人は愛さずにはいられない。

★【完結】紅の海(作品230927)

菊池昭仁
恋愛
還暦を過ぎ、余命宣告を受けた作家が学生時代に暮らした街、北陸、富山に置き忘れた青春の残骸を探しに行く旅物語。 そこで老作家が見付けたものとは?

★ランブルフィッシュ

菊池昭仁
現代文学
元ヤクザだった川村忠は事業に失敗し、何もかも失った。 そして夜の街で働き始め、そこで様々な人間模様を垣間見る。 生きることの辛さ、切なさの中に生きることの意味を見つけて行く川村。 何が正しくて何が間違っているか? そんなことは人間が後から付けた言い訳に過ぎない。 川村たちは闘魚、ランブルフィッシュのように闘い生きていた。

処理中です...