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第3話

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 ホテルに戻り、熱いシャワーを浴びて沙都子に電話をした。

 「もしもし? 連絡が来ないから凄く心配しちゃった。
 アントワープに無事に着いたのね? ああ良かった。
 何かあったのかと思ったわよ」
 「すまない」
 「どうしたの? 元気がないみたいだけど」
 「会社を辞めたんだ。もう日本には戻らないつもりだ」
 「エイプリル・フールにはまだ早いわよ」
 「本当なんだ、沙都子。今まで世話になった。ありがとう」
 「ちょっと何を言っているのよ! そんなこと「はいそうですか? さようなら」なんて言える訳ないじゃないの!」
 「ステージ4の膵臓ガンだと診断されたんだ。
 人の命などあっけないものだよな?」
 「何をそんな悠長なこと言ってるのよ!
 兎に角、私もすぐにアントワープに行くから! どこのホテルに泊まっているの?」
 「悪いがそっとして置いてくれ。
 退職金はお前の口座に振り込むから後で銀行口座をメールで送っておいてくれ。
 沙都子と一緒で俺は本当にしあわせだった。ありがとう。
 そしてしあわせになって長生きしてくれ。それじゃ」
 「ちょっと伸之・・・」
 
 私は携帯電話の電源をOFFにし、そのまま深い眠りに就いた。



 街へ散歩に出掛け、カフェに入った。
 ジンの発祥はベルギーだという。
 ベルギーワッフル、ベルギービール、ベルギーチョコレート。
 ベルギーと名の付く名物は多い。

 ここではフラン語にワロン語、それから英語にドイツ語、フランス語と様々な言葉が飛び交っている。
 それは絶えずベルギーという国が隣国から侵略されて来た歴史的背景があるのと、ヨーロッパの地理的中心地だったからだろう。
 EU本部も首都、ブリュッセルに置かれているのもそのためだ。
 私はこのベルギーという国がすこぶる気に入っていた。

 ここには有名な料理もたくさんある。
 クロケット・オ・クルベットにブレ・ア・ラ・リエジョワーズなど、日本人にも食べやすい料理も多い。
 そしてバゲットはパリよりも旨いと感じる。

 小麦とバターの豊潤な香り、表面のパリッとした食感と、それに相反するモチモチっとした内部のしっとり感。
 そんなバゲットなど、あっという間に食べ切ってしまう。
 日本にも旨いパン屋はたくさんあるが、ここアントワープのバゲットには敵いはしない。
 私はカフェでフィレ・アメリカンを肴に、ジントニックを飲んでいた。

 夕日に染まるアントワープのカテドラルは、まるで「光の魔術師」、レンブラントの描く絵画のようだった。
 時を告げる大聖堂の鐘の音が、アントワープの街に響いていた。

 俺はアントワープで残りの1,000万円を使い果たし、ここで死ぬと決めた。

 人生の終着駅をアントワープに選んだのには理由があった。
 それは子供の時に観た、『フランダースの犬』のアニメの場所がアントワープだったからだ。
 アントウエルペンという地名の由来は、現地の人間の話によると、「大男の足跡」だという。
 巨人の足跡がこの街になったというのだ。
 ポルダーという海抜ゼロメートルの湿地帯。街には運河が張り巡らされている。
 そして風車がその水を掻き出し、その風車の動力を使って小麦を粉に挽いていた。

 高緯度のために潮汐ちょうせき差が大きく、10メートルを超えることも珍しくはない。
 水門がないと船が通れない仕組みになっていた。
 原理はあのパナマ運河と同じ原理だ。
 船が昇ったり下がったりしてアントワープ港に出入りしている。
 アントワープはヨーロッパ第二位の貿易港だった。

 私はネロとパトラッシュが天使に連れられて昇天していく場面よりも、吹雪の中でアロアがネロの名を叫ぶシーンが忘れられなかった。

 もちろん大聖堂の中で死ぬわけにはいかないが、せめてこの大好きなアントワープで自らの人生を終えたかった。  
 大好きな酒と、見知らぬ白人の女を抱いて。
 

    人は生まれ、なぜ死んで行くのだろう?


 俺はそんな結論の出ない空論を考えながら、ジントニックを飲み、アントワープの街に夜の帷が降りるのを待った。
 私はギャルソンを呼んだ。

 「同じものを」

 俺は残りのジントニックを一気に飲み干した。

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