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第4話

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 高速道路の白いセンターラインを吸い込むように、クルマは滑らかに走っていた。

 「いい天気で良かったですね?」
 「海にドライブなんて何年ぶりかしら?」
 「高速で1時間ほどで太平洋に出ます。いいですよね? 海は」
 「先生が羨ましいわ、そんなに簡単に海に来れるところに住んでいるなんて」
 「僕は門倉さんの方が羨ましいですよ。
 だってこれからは毎日海を見て暮らせるんですから」
 「いいなあ、海。大好き。
 早く海の見える家に住みたい」
 「海が見える建築地を3か所リストアップしておきました。
 私も今日、初めて訪れます。
 法律的な条件やロケーション、価格、土地の性質的な物はおおよそチェックしておきましたから、あとは門倉さんとの相性ですね?
 家づくりは加点方式なんです。
 これも付けたいあれも欲しいというように。
 でも土地選びは減点方式なんですよ。
 すでに出来上がっているわけですから、どこまでその土地の条件で妥協出来るかなんです。
 たとえば中学は遠いけど小学校は近いからいいとか、コンビニは近くにはないけどショッピングモールならクルマで5分だとか。
 駅には遠いけどバス停は近いとか、その土地で「どこまで許容出来るか?」なんです。
 土地選びは大切です。料理を乗せる器ですから。
 料理に器を合わせるか? 器に料理を合わせるかなんです、建築は」
 「どっちがいいんでしょう? お料理か、それともお皿か?」
 「門倉さんの家づくりは「海の見える家」がコンセプトですから、土地に家を合わせるべきです。
 だから私が作る家に合う器、土地を見つけます」
 「どんなお料理になるのか楽しみです」
 「実は昨日、ラフ・イメージを作っておきました。
 それを各々の土地に配置してみました」
 「えっ、もうですか?」
 「あくまでもラフですよ、私の悪戯いたずら描きです」
 「見たい見たい! 今すぐ見たい!」
 「ダメです、現地に着いてからご披露いたします。
 その方がよりイメージし易いので。
 気に入っていただけるかどうかは分かりませんが、門倉さんに初めてお目にかかった印象を大切に描いてみました。
 先ほど食事をしながらお話をしていて、私のイメージ通りだと確信しましたが、お気に召すかどうかはわかりません」
 「凄く楽しみです、私のために先生が考えてくれた家の設計プラン。
 どんな家なのかしら?」

 

 料金所を通り抜けると、遠くに海が見えて来た。

 「あれ、海ですよね?
 少し窓を開けてもいいですか?」

 私は助手席のパワーウィンドウを開けた。
 少し湿った潮風が車内に入って来た。

 「海の香りがする」
 「なんだかホッとしますよね?
 ナビだとあと10分ほどで最初の候補地に着きます」


 そこは住宅地というよりも、近くにゴルフ場もある、リゾート地のような場所の土地だった。
 別荘のような家が疎らに点在している。

 遠くの岬には灯台が立っていた。
 小高い丘にあるその土地の眼下には、果てしない太平洋が広がっていた。
 海に沈む夕日は見えないが、日の出にはこの海全体が黄金に輝くことだろう。

 心地よい海風が吹き抜けて行く。
 彼女のスカートの裾が、やさしく風にそよいでいた。


 「いかがです、この場所は? いい風が吹いて・・・」

 そう言いながら私が彼女を振り返った時、彼女の瞳から大粒の涙が零れていた。
 彼女はその涙を拭おうともせずにこう言った。

 「ここに決めました。
 ここがいいです、ここにお家を建てて下さい」
 「でもまだ1か所目ですよ? 他も見た方がいいのではありませんか?」
 「いいんです、ここで。
 ここがいいんです。ひと目惚れしました。
 それに他を見たら迷うと思うんです。
 だからここでお願いします」

 確かに彼女に残された時間は少ない。
 土地選びに時間を掛けるわけにはいかなかった。

 これで料理を乗せる皿は決まった。
 私は図面ケースからイメージ・パースと平面、立面図、そして配置図を取り出し、クルマのボンネットの上にそれを広げて見せた。


 「これです、私の考えた門倉さんの「海の家」のイメージは」

 彼女は大きく目を見開いて、私の描いたパースに釘付けになっていた。
 
 「・・・すごい、これが私の家・・・」
 「海の景観を壊さないように考えてみました。
 緑の屋根に白いラップ・サイディングの壁。
 建築資材には風や塩害に強い物を考えてあります。
 屋根の形を急勾配にしたのは平屋の場合、屋根を低く設定すると、逆に有効風圧面積を広げることになり、軒の部分からも風が屋根を持ち上げようとします。
 建物は簡単には倒れませんが、屋根を持っていかれることもあります。
 コスト面から考えると低い屋根が理想でしょうが、今回は屋根をわざと高くして、勾配をキツくすることで風を逃がす設計にしました。
 これは実際の流体力学に基づく考えです。
 そして小屋裏を吹抜けにすることで室内の解放感を演出しました。
 玄関は茶色にしました。本当は木製の方が質感はいいんですが、ヘムロックやボンデロッサ・パインを使うと塩害の心配があります。
 海側の窓は大きな窓にしました。海が身近に感じられるように。
 つまり200インチの大型ビジョンに、いつも『海』という映像が映し出されているわけです」
 「海と家が一体なんですね?」
 「その通りです。では間取りをご説明します」

 私は近くに落ちていた木の枝を拾い上げ、地面に間取りを描いていった。

 「平面図をご覧下さい。
 まずこちらが玄関になります。玄関を開けるといきなり海の見えるLDKになります。
 ゆったりとした対面キッチン、奥行のあるパーティ仕様の天板にしてみました。
 そしてここがトイレです、車椅子でも使い易いように広く2帖にしました。
 お風呂はここになります。引戸にしてありますので開けたまま入浴することも可能です。湿度の低くなる冬場には有効になります。
 こちらも車椅子でも中に入れるように3本引きの引戸にしました。
 洗面所はニー・スペースを取り、椅子を置いて使うことも可能です。
 寝室はこちらになります。
 海の見える8帖を取りました。それから・・・」
 「ありがとうございます。
 もうお家が見えるようです、私のお家が」

 すると彼女は小坂明子の『あなた』を口ずさんだ。


      もしも わたしが 
       家を建てたなら
                        小さな家を・・・ 


 「あなたの家、私に任せて下さい」
 「先生、よろしくお願いします」

 そう言って門倉さんは私に手を差し出し、私に握手を求めた。
 私はその手を強く握った。
 その手はとても冷たく、か細い手だった。

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