8 / 30
9月13日(日)曇り 入院8日目
しおりを挟む
やっとうつ伏せ寝から開放された。
ベッドが電動リクライニングなのが助かる。
手術後、上体と足を少し上げて一週間ぶりにグッスリと寝た。
「もう手遅れだよ」とジジイの眼科医に嗤われて大学病院を紹介され、すぐに手術をしてもらった。
左目の眼帯が外れた時、どんな世界が広がっているのだろう。
テレビドラマのように眼帯が外れて、「見えます、先生、見えるようになりました!」と叫んでみたい。
せめて光を感じるようにはなりたいものだ。
入院して家族も見舞客も来ない自分を反省した。
住宅営業マンをしているくせに、私は人付き合いが苦手だった。
御中元に御歳暮、年賀状を貰っても返さない恩知らずな俺だった。
いつの間にか人と関わるのが億劫になっていた。
昔は毎日のように酒飲みに誘われ、意識がなくなるまで酒を飲み、大声でみんなと笑っていた。
積極的に人付き合いをした。
だがそれが面倒臭くなってしまった。
自分を隠すように偽りの自分を演じて生きて来た結果がこれだ。
結局、人のしあわせとは「愛する人たちとのつながり」なのだ。
ショウペンハウエルは言う。
幸福とは快楽を得ることではなく
「あまり不幸ではない人生」を言う
ペシミストとしての彼らしい考え方である。
思えば私も厭世主義者だった。
この世は常に残酷で悲惨なものであると、辛酸を舐めて必死に生きて来た自分の闇がそこにある。
満たされない自分
自分がしあわせだと思える人生こそが幸福なのだ。
他人と比較したりする、相対的な幸福は物欲でしかない。
快楽を追求することは苦悩を伴うものである。
上流階級と貧困層。
人間は親を選んで生まれて来るというが、成功するチャンスだけは等しくあるはずだ。
ショーペンハウエルは人間は3つの要素からなっていると言う。
性格や人格、思想などの内面性と、地位や財産などの所有的外面。
そして他人からの評価。イメージされる事の外的評価であると。
人の欲望には際限がない。海水を飲めば更に喉が乾くように、欲望はやがて悲劇的な死を迎える。
ゆるぎない自分を持つこと
他人との比較や評価を気にすることなく、いかに自分という存在を認めることが出来るか?
人から認められたいという承認欲求は誰にでもあるものだ。
いくらカネを稼いでも、満たされない不幸な金持ちは山ほどいる。
動物的本能で快楽を求め、自分を探している虚しさに気づいていないのだ。
かつての私のように。
動画配信で予約の取れない店の常連であることを自慢し、高級シャンパンをグルメ気取りで飲み、希少部位だけを使った気取った料理を口にして満足気に頷く愚か者たち。 吐気がする。
ロクにフランス語も分からないくせに。
そしてまた、カネはなくても満たされた人生をおおらかに過ごしている者もいる。
ソクラテスは街で売られている商品を見て、
「この世にはこんなにも私に不要な物で満ち溢れている」
と言ったそうだが、食欲、性欲、睡眠欲が満たされているとすれば、あとは自己実現欲求しかないはずだ。
人間とは実に贅沢な生き物だ。
健康な身体があっても、身体に出来た小さな傷や出来物に思い悩んでしまう。
幸福な生活が出来ていれば、悩むことなど何もないではないか。
賢者は快楽を求めず 苦痛を避ける
アリストテレスはそう言ったそうだ。
仏教でも「この世の一切は苦である」と断言しているではないか。
金銭的な富は炎の中にある。ゆえにそれを掴もうとする者は業火に焼かれてしまうことになるのだ。
人は弱い。弱いから安心を求める。
安心とは何か? それは家族や組織、職場や学校、チームに所属することだ。
寄らば大樹の陰
俺は大樹になれもせず、大樹にも寄り添わなかった。
そのくせ他人からの評価を常に気にして生きて来た。
所詮、人の評価など一時的なものであり、絶えず変化して行くものなのに。
成功すれば「やっぱり菊池はすげえよ、お前なら絶対やれると思った」と言われ、失敗すれば「だから言ったじゃないか? 必ず失敗すると」 他人の評価など、そんなものである。
本当の幸福とは「自分に満足出来る自分になること」なのかもしれない。
入院すると人は哲学者になるようだ。
何もすることがない毎日。退屈は地獄だ。人間には「やるべきこと、生き甲斐が必要だ」と実感する。
一日を小さな人生として捉え、一生であると毎日を生き切る。
朝に感謝して目覚め、夜、布団に入り感謝して目を閉じる生活。
退院したらそうしよう。過去の後悔や未来の不安に囚われずに。
命は絶えず動いている、活動することで人は生きているのだ。
昨日より今日、今日より明日と魂を成長させたい。
人間の喜びとは自分と、愛する者の成長なのだ。
創造する喜びを大切にしたい。今の俺は良い家を作ることだ。
不幸は夜が近づくようにジワリジワリとやって来るものだが、幸福は朝日のように突然現れる。
諦めるな、自分。
ベッドが電動リクライニングなのが助かる。
手術後、上体と足を少し上げて一週間ぶりにグッスリと寝た。
「もう手遅れだよ」とジジイの眼科医に嗤われて大学病院を紹介され、すぐに手術をしてもらった。
左目の眼帯が外れた時、どんな世界が広がっているのだろう。
テレビドラマのように眼帯が外れて、「見えます、先生、見えるようになりました!」と叫んでみたい。
せめて光を感じるようにはなりたいものだ。
入院して家族も見舞客も来ない自分を反省した。
住宅営業マンをしているくせに、私は人付き合いが苦手だった。
御中元に御歳暮、年賀状を貰っても返さない恩知らずな俺だった。
いつの間にか人と関わるのが億劫になっていた。
昔は毎日のように酒飲みに誘われ、意識がなくなるまで酒を飲み、大声でみんなと笑っていた。
積極的に人付き合いをした。
だがそれが面倒臭くなってしまった。
自分を隠すように偽りの自分を演じて生きて来た結果がこれだ。
結局、人のしあわせとは「愛する人たちとのつながり」なのだ。
ショウペンハウエルは言う。
幸福とは快楽を得ることではなく
「あまり不幸ではない人生」を言う
ペシミストとしての彼らしい考え方である。
思えば私も厭世主義者だった。
この世は常に残酷で悲惨なものであると、辛酸を舐めて必死に生きて来た自分の闇がそこにある。
満たされない自分
自分がしあわせだと思える人生こそが幸福なのだ。
他人と比較したりする、相対的な幸福は物欲でしかない。
快楽を追求することは苦悩を伴うものである。
上流階級と貧困層。
人間は親を選んで生まれて来るというが、成功するチャンスだけは等しくあるはずだ。
ショーペンハウエルは人間は3つの要素からなっていると言う。
性格や人格、思想などの内面性と、地位や財産などの所有的外面。
そして他人からの評価。イメージされる事の外的評価であると。
人の欲望には際限がない。海水を飲めば更に喉が乾くように、欲望はやがて悲劇的な死を迎える。
ゆるぎない自分を持つこと
他人との比較や評価を気にすることなく、いかに自分という存在を認めることが出来るか?
人から認められたいという承認欲求は誰にでもあるものだ。
いくらカネを稼いでも、満たされない不幸な金持ちは山ほどいる。
動物的本能で快楽を求め、自分を探している虚しさに気づいていないのだ。
かつての私のように。
動画配信で予約の取れない店の常連であることを自慢し、高級シャンパンをグルメ気取りで飲み、希少部位だけを使った気取った料理を口にして満足気に頷く愚か者たち。 吐気がする。
ロクにフランス語も分からないくせに。
そしてまた、カネはなくても満たされた人生をおおらかに過ごしている者もいる。
ソクラテスは街で売られている商品を見て、
「この世にはこんなにも私に不要な物で満ち溢れている」
と言ったそうだが、食欲、性欲、睡眠欲が満たされているとすれば、あとは自己実現欲求しかないはずだ。
人間とは実に贅沢な生き物だ。
健康な身体があっても、身体に出来た小さな傷や出来物に思い悩んでしまう。
幸福な生活が出来ていれば、悩むことなど何もないではないか。
賢者は快楽を求めず 苦痛を避ける
アリストテレスはそう言ったそうだ。
仏教でも「この世の一切は苦である」と断言しているではないか。
金銭的な富は炎の中にある。ゆえにそれを掴もうとする者は業火に焼かれてしまうことになるのだ。
人は弱い。弱いから安心を求める。
安心とは何か? それは家族や組織、職場や学校、チームに所属することだ。
寄らば大樹の陰
俺は大樹になれもせず、大樹にも寄り添わなかった。
そのくせ他人からの評価を常に気にして生きて来た。
所詮、人の評価など一時的なものであり、絶えず変化して行くものなのに。
成功すれば「やっぱり菊池はすげえよ、お前なら絶対やれると思った」と言われ、失敗すれば「だから言ったじゃないか? 必ず失敗すると」 他人の評価など、そんなものである。
本当の幸福とは「自分に満足出来る自分になること」なのかもしれない。
入院すると人は哲学者になるようだ。
何もすることがない毎日。退屈は地獄だ。人間には「やるべきこと、生き甲斐が必要だ」と実感する。
一日を小さな人生として捉え、一生であると毎日を生き切る。
朝に感謝して目覚め、夜、布団に入り感謝して目を閉じる生活。
退院したらそうしよう。過去の後悔や未来の不安に囚われずに。
命は絶えず動いている、活動することで人は生きているのだ。
昨日より今日、今日より明日と魂を成長させたい。
人間の喜びとは自分と、愛する者の成長なのだ。
創造する喜びを大切にしたい。今の俺は良い家を作ることだ。
不幸は夜が近づくようにジワリジワリとやって来るものだが、幸福は朝日のように突然現れる。
諦めるな、自分。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
★ランブルフィッシュ
菊池昭仁
現代文学
元ヤクザだった川村忠は事業に失敗し、何もかも失った。
そして夜の街で働き始め、そこで様々な人間模様を垣間見る。
生きることの辛さ、切なさの中に生きることの意味を見つけて行く川村。
何が正しくて何が間違っているか? そんなことは人間が後から付けた言い訳に過ぎない。
川村たちは闘魚、ランブルフィッシュのように闘い生きていた。
★【完結】恋ほど切ない恋はない(作品241118)
菊池昭仁
現代文学
熟年離婚をした唐沢は、40年ぶりに中学のクラス会に誘われる。
そこで元マドンナ、後藤祥子と再会し、「大人の恋」をやり直すことになる。
人は幾つになっても恋をしていたいものである。
★【完結】ペルセウス座流星群(作品241024)
菊池昭仁
現代文学
家族を必死に守ろうとした主人公が家族から次第に拒絶されていくという矛盾。
人は何のために生きて、どのように人生を終えるのが理想なのか? 夫として、父親としてのあるべき姿とは? 家族の絆の物語です。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
★【完結】進め‼︎ 宇宙帆船『日本丸』(作品230720)
菊池昭仁
現代文学
元航海士だった私のマザーシップ 横浜に係留されている帆船『日本丸』が あの宇宙戦艦になったら面白いだろうなあというSF冒険・ギャグファンタジーです
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる